望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
そして、ヌルスは8層の底へとたどり着いた。
目の前には、あからさまに広く取られたバトルフィールド。ここに踏み込むと、フロアガーディアンが出現して戦闘になるのだろう。広場の中央にある巨大な魔力結晶は、障害物か何かだろうか。回廊でもところどころ隆起した結晶はあったのでおかしくはないが、戦場がやたらと平たく均されているので微妙に違和感がある。
「ここも、やはり脱出不能になるのだろうな」
見た所、戦場には普通に地続きだ。戦闘が始まると、結晶が盛り上がって壁になるとか、そういう感じのイベントが起きるのだろう。7層で後退不可能だったのだから、8層も当然そうに決まっている。
踏み込む決意はまだ出来ない。ヌルスは視線を逸らし、傍らの魔力の柱を見上げた。
真っすぐ上に向かって伸びているように見える巨大な魔力の柱。根本には、複雑な形状の魔法陣が、空間に直接刻まれるようにして輝いている。岩盤に刻んだりしているのではない、空中に光の文様が直接浮き上がっているのだ。
ただ、魔眼で観察してみると、受ける印象とは逆に、魔力の柱は上から“落ちてきている”のがわかる。それが魔法陣に吸い込まれて、どこかへ送られている。この魔法陣自体、その魔力で稼働しているようだ。この環境の膨大な魔力で起動し、魔力をどこかへ送り続ける非実体の魔術的機関。かなり高度な技術による産物であるのは間違いない。
つまり。
これは人工物だ。
「……やはり、な」
この8層の異常な構造を目の当たりにして、おおよそ予想はついていた。こんな環境が、自然に出来上がる筈がない。恐らく、巣窟迷宮エトヴァゼルから集めた魔力をここで結晶化し、凝縮し、そうして出来た超高濃度の魔力をこの先に送っているのだ。普通の迷宮が、自然にそんな造りになるはずがない。明らかに人の手が加わっている。
ヌルスは、かつて拠点にしていた隠れ家の事を、7層で発見した研究室の事を思い返す。最初は迷宮の片隅におこぼれに与る様に、そして次は迷宮の中に施設を作り、そして次は、迷宮そのものを改造している。段階を踏んでいるように感じるのは、決して思考の飛躍ではないだろう。
そして、もう一つ気になる事がある。
高濃度の魔力が、この階層に集められているのは分かった。
では、魔素は? 迷宮を満たす二大要素の片方、現実を侵食し災害を興す、魔力に含まれる不純物は、どこにいった?
回廊を構築する魔力結晶は、魔素の濃度が低い、いうなれば純度の高い結晶だ。物質化する過程で、魔素が結晶から排出されたのだろうけども……その魔素は、どこに? この階層を満たすのは、純粋な魔力のみだ。魔素の量は、階層の深度に見合った量でしかない。
ヌルスは魔法陣から目を逸らし、回廊の下に広がる無限の闇に目を向ける。
この下に、何が広がっているのだろうか。流石に、本当に無の空間が永遠に広がっている訳ではなく、単に暗くて岩盤が視えないのだと思っていたが……この最下層から見下ろしても、全く見通せないというのは聊かおかしな気もしてきた。
むしろ、上層で見渡した時よりも、闇が深くなっている気がする。
「…………」
一つ、懐から魔力結晶を取り出す。今後使う量は多くないと思われる緑の結晶を、暗黒に向けて放ってみる。
暗闇の底に結晶が落ちていく。いっしゅんだけキラリと光ったきり、それは見えなくなった。待っても待っても、底に達した音は返ってこない。
あまりにも深くて、落ちた音が上まで届かないのか。あるいは、本当に底なしなのか? もしくは……底に達する前に、魔力結晶が朽ちてしまったのか。
ヌルスは、首を振って思索を打ち切った。
「今考えても仕方がない、か。無視してもいいものではないと思うが……」
答えは出ないが、何か重要なヒントのように思える。アルテイシアの肉体を迷宮の外に持ち出す手段の、ひっかかりになりそうなのだ。
想像が正しければ、恐らく9層は……。
「……それを確認するためにも、8層のフロアガーディアン、なんとしても突破しなければな」
ヌルスは覚悟を決めて、戦場へと歩を進めた。
一瞬だけ躊躇って、境界線を越える。
バトルフィールドに移るヌルス。今の所は何も起きない。
「……いや。これは……」
小さく足場が揺れている。振り返ると、少しずつ戦場と通路が切り離され、遠ざかっていく。
戦場そのものが動いているのだ。それは大きく通路から離れると、やがて動きを停止した。
跳躍では到底通路には戻れそうにない。風魔術による跳躍も、あれは細かい制御ができない射出である事を考えると、少し難しいだろう。逆に通路からこの戦場に移るには、上の階層から飛び降りればギリギリできるか? いや、人間はそこまで頑丈ではないはずだ。つまり、脱出も介入も不可能な、孤独な戦場がこれで出来上がったという訳だ。
下層だけあって、ただ通路を塞ぐだけ、という単純なつくりではないのはなかなか面白い趣向だ。趣味が悪いが。
「……」
口を噤み、ヌルスは武装を確認する。手にする黒い槍は指によくなじむ。背中に展開した四枚の翼には、風魔術を二つ、炎と雷を一つずつセットしている。歪みの魔術はとりあえず温存。まずは防御と回避に集中して、相手の出方を見る。
「さて。7層の時と同じなら、最初からボス魔物が待機しているはずなんだが」
そういう事ならこれがそうなのだろうな、と目の前の魔力結晶の山に目を向ける。
ヌルスの視線を受けてか、結晶にひとりでにヒビが入る。それは全体に広がっていき、ついにはガラガラと独りでに崩れ始めた。その中から、四足獣の形をした結晶がヌルスに向かって歩いてくる。
最初はあくまでそれらしいもの、という風体の粗削りなそれが、一歩進める度に急速にクオリティを増していく。5歩も歩く頃には、それは三つの頭と翼を持つ、合成獣の姿へと変化していた。
それは、ヌルスでも知っている有名な魔物。知名度の高さ故、ほぼ一般名詞と化しているその怪物の名前は。
「キメラ……?!」
頭部に並ぶのは、獅子と竜と山羊の頭。背中には大鷲の翼を持ち、尾は蛇。その全身が虹色に輝く魔力結晶で出来ている。
合成獣(ビースト)。
ビースト・オブ・クリスタルドゥーム。
それが、8層に差し向けられた、“執行者”の名である。
合成獣がウォークライを響かせる。轟く獅子の雄たけびと、山羊の嘶き、竜の咆哮が入り混じり、金属的な響きを伴って迷宮を揺らす。
弱き者であればそれだけで心を砕かれ、精神的死を迎えるであろう破滅の宣言。それを、ヌルスは精神力で耐えきった。
ある意味、地竜と先に出会っていて助かった。あの異様を前にした経験がなければ、この咆哮で戦意を失っていたかもしれない。
だがそれで同時に確信する。この怪物は、あの地竜と同格だと。
「それがどうした……私は、お前を倒してこの先に進む!!」
「グルル……」
臆さず槍を構えるヌルスに、合成獣が唸りを上げる。その視線は、彼女が手にする槍に向けられている。
そこに同類の残り香を感じ取ったのか、あるいは極限まで圧縮された魔力に脅威を感じたのか。いずれにせよ、合成獣はヌルスを一角の強敵、油断していい相手ではないと認識したようだった。地竜のように圧倒的格上として鷹揚に構える様子はなく、指向性をもった殺意がびしびしとヌルスに突き刺さる。
合成獣が口を大きく開く。雄叫びではない、叫びの代わりに喉の奥で魔力が集中するのをヌルスは感じ取った。
彼我の距離はまだかなりのものがある。魔術でも少し遠いぐらいだ。だがヌルスは直感に従い、その場を飛び退った。
直後、合成獣の口から、指向性をもった魔力の衝撃波が放出された。それぞれ属性を帯びた魔力ブレスが、波濤のように地上を薙ぎ払う。さらにブレスの中には無数の微細な魔力結晶が混じっており、吹き付ける吹雪のように地表に無数の結晶塊を作り出した。それらは瞬く間に成長して大きな塊になると、直後一斉に爆発した。道中遭遇した結晶塊の魔物と似たような感じだが、純魔力だったそれと違い属性を帯びているようだ。
それを間一髪、風魔術による跳躍で回避したヌルスは、十分な距離をとって着地しつつ、ブレスの薙ぎ払った跡に目を向けた。
「射程、攻撃範囲、威力どれも一級か。おまけに魔術と違ってノーモーション。厄介だな」
ざっと見た所、獅子が氷属性、山羊が雷属性、竜が炎属性を帯びたブレスを放つようだ。この階層の魔力結晶は、様々な属性が入り混じった結果無属性となっているようだが、あの魔物はそれを分化させて単一属性のブレスとして放つ事が出来るらしい。当然だが、何もかもごちゃまぜになった結果の無属性の爆発より、特定属性に濾過した魔力の爆発の方がはるかに威力が高い。
厄介な攻撃だ。
それに、首が三つもあれば前方向に死角はない。うまく死角に回り込みたいところだが、そもそもそんなものがあるのかどうか。
「位置取りで体力と時間を浪費するよりも、機動性で正面から撃ち合いに持ち込むべきか」
ちらり、と手にした槍に目を向ける。
相手の体は強固な魔力結晶だが、これまでと同じでこの槍の一撃ならば容易く貫ける可能性は高い。であるならば、魔術戦で相手のダメージを蓄積し、動きが鈍った所で白兵戦に持ち込む。
戦略は決まった。
あとはヌルス次第だ。
「やれるか?」
やれるとも。やるしかない。
迷いを捨てて、ヌルスは風魔術で一気に合成獣へと突撃した。
真正面から突っ込むヌルスに、合成獣は即座に反応した。僅かに立ち位置を調整しながら、山羊の口からブレスを放つ。それを空中で翼を広げて空気抵抗を調整し、螺旋をえがくように蛇行して回避するヌルス。魔術の距離に入り、二枚の翼が輝きを帯びる。
放たれる、雷と炎の矢。
それを合成獣はひらりと身を翻して回避した。そのまま疾走し、円を描くようにヌルスの背後へと回り込もうとする。飛翔を中断し、地面に槍の石突を立ててドリフトして勢いを殺す彼女へ、今度は氷のブレスが放たれた。
だが狙いが甘い。飛翔するまでもなく、走って回避する。背後の地面が氷結によって薙ぎ払われるのを尻目に、ヌルスは相手の戦闘力を推察した。
今の魔術は回避された。だが、それがダメージになりうるからだったのかが分からない。そもそもヌルスからしても、あの一撃は様子見だ。それを回避したのは、むしろ危険を感じたからではなく、その逆。ヌルスに、僅かな情報でも与えないためのそれだろう。例えダメージにならないとしても、それは効かない、という情報をヌルスに与えることになる。
地竜はその圧倒的な巨躯に物を言わせて圧殺するスタイルだったが、合成獣はもっと狡猾だ。体格では圧倒的に下だが、三つの頭に備わる眼光は、明確に知識を感じる。ヌルスが相手を品定めしているように、敵もヌルスを品定めしているのだ。
その証拠に、相手はブレスによる遠距離戦に応じながらも、ヌルスに向かって距離を詰めてきている。恐らく、ヌルスの槍の性能を見定めるつもりなのだ。
「ちっ」
白兵戦に持ち込む事自体は大歓迎だが、まだ早い。相手にはまだ余力がある、仮にここで黒い槍の性能を見せれば、相手はそれ以後近づかず遠距離戦でヌルスを封殺しようとしてくるだろう。槍を使うならもっとあと、相手に瞬時に離脱するような余力がなくなってからの話だ。
接近戦を拒絶するようにヌルスは背後へと跳躍、ボルト魔術を連打して合成獣の接近を拒絶する。その動きを見た獅子の頭が、何かを思考するように目を細めた。
にたり、とその口元が引き攣るように歪むのを見て、ヌルスは悪寒を覚えた。何か、致命的な選択ミスをした気がする。
「なんだ……?!」
合成獣の動きが変わる。急に接近を停止し、その場にとどまる。代わりに大きく仰け反るように息を吸い込み、一斉にブレスを口から放つ。ヌルスへの直撃を狙ったものではない、まるで周囲の地形を変えようというかのように、手あたり次第にブレスをまき散らしていく。無数の魔力結晶が柱のように連立し、濃い魔力の残滓が空間を満たす。それに紛れるように、合成獣の姿がヌルスから見えなくなる。
「っ!?」
とっさに魔眼を起動するが、視界に映ったのはチカチカする白い輝きのみ。ブレスの魔力で空間の魔力が飽和していて、魔力の流れが何も見えない。
不味い。敵の姿を見失った。
「こういうときは……後ろ!!」
意識していれば、視界の端を高速移動する影が僅かに見える。感覚に任せて、槍を手の中で回転させつつ突きを繰り出す。
振り返った背後、こちらに向けて大口を開いたままとびかかってくる合成獣の顎があった。がっつりと開かれた巨大な口には、無数の鋭い牙が並んでいる。その口腔に向けて、繰り出した槍の穂先が突きこまれる。
カウンター。
相手は四肢が地面から離れた完全な跳躍の姿勢、ここから急制動は出来はしない。これが決まれば、ヌルスの勝ちだ。
「獲った……!!」
ヌルスが勝利を確信したその瞬間、合成獣が翼を羽ばたかせる。
槍の一撃が、獅子の口腔へと深く突き刺さる。だが手ごたえがない。次の瞬間、その巨体は消失していた。
残像。
「……なっ」
反射的に頭上を見上げる。
聳え立つ魔力の柱で照らされる空間、傍らの螺旋回廊。その傍らに大きな翼を広げて空を舞う、結晶の怪物の姿。光を浴びて虹色に体を煌めかせる合成獣が、悠々と空を舞う。
その瞳がヌルスを捉え、再びブレスが吐き出される。
空中からのブレスの猛爆撃。
ヌルスはそれから逃げ回るしかない。
「く、くそ……っ!」
至近距離の爆発に煽られて姿勢を崩す。姿勢を低くしたところで、視界の端、結晶で出来た戦場に黒い影が差した。
反応できたのはほぼ偶然だった。滑空しながら振り回される獅子の爪を、黒槍で受け止める。カウンターとか反撃など考える余裕もなかった。
火花を散らして爪をはじき返し、その反動で吹き飛ばされるヌルス。ごろごろと床を転がる彼女の姿を見下ろしながら、合成獣は己の“欠けた”爪を見下ろした。
その眼光が酷薄に細められる。
再び始まるブレスの爆撃。前後左右で爆裂する魔力結晶の爆発に、ヌルスは成すすべなく翻弄される。反撃するどころの話ではない。闇雲に魔術を放っても、空を悠々と舞う合成獣には掠りもしない。
このままでは地上で封殺される。ヌルスは風魔術によって浮力を得て上空に一旦離脱を試みた。空中であれば、魔力の結晶爆発は起きないはず。
爆発の勢いを利用して、一気に高度を上げる。だが、完全に上昇しきる前に、視界の端で虹色の翼がちらりとかすめた。反射的に振りかざした黒槍が、空中で合成獣の爪と交錯する。
切れ味では黒槍が大幅に勝る。が、吹き飛ばされるようにして舞い上がるだけのヌルスと、翼でもって羽ばたき飛翔する合成獣では、そもそもの安定感が違う。たちまち地上に突き落とされ、ヌルスは触手でなんとか受け身を取るも、骨まで軋む衝撃に呻きを上げた。
「う、くそぉ……きゃぁっ!!?」
憎々しげに合成獣の影を見上げた矢先、遅れて爆発した結晶に吹き飛ばされ、軽い体が床を転がった。硬い地面に何度も叩きつけられた体はもうボロボロだ。材質の関係かドレスだけが傷一つなく、血に濡れた肢体を彩っているのが、どこか悪趣味に見える。
「う、く……っ」
這いつくばるようにして身を起こすヌルス。額から流れた血が右目に入って酷く傷んだ。爆音の連続で、耳が霞んで聞こえない。
見上げた先には、翼を広げて空を舞う合成獣の姿。音が聞こえず、視界も霞んで、敵の姿が酷く遠くに感じる。
「また……アルテイシアの体……傷つけちゃったな……」
自分の命ではなく、彼女の体こそを思ってヌルスはぽつりと呟いた。
槍に縋り付くようにして身を起こし、だけど力が入らなくて膝をつく。ぼんやりと見上げた先、合成獣がトドメを刺そうと高度をさげてくるのが見える。
窮地にあって、ヌルスの意識は現実を見ていなかった。逃避するように、彼女の脳裏に横切るのは懐かしく愛しい日々の残滓。
「彼女に……」
記憶の中、金の髪と青い瞳の彼女が笑いかけてくる。
そう。
ヌルスが本当に望むものは、たったそれだけの他愛ない事。
「また、笑って……私に……微笑んで……」
視界が濁る。
迫りくる合成獣の姿が見えなくなる。世界が、焦点を失ってぼやけていく。その向こうに、黄金の輝きを彼女は見た気がした。
「アルテイシア……」
輝く光が、大きくなりながら近づいてくる。ヌルスは、それに縋るように、手を伸ばした。
どこかで聞いた、声がする。
「……宝剣サダラーンよ!! 今こそ、今こそここに威を示せ!!!」
合成獣の苦悶の絶叫が響き渡った。
地響きを立てて、その巨体が地に落ちる。ヌルスのすぐ横を、墜落の勢いのままにその巨体が通り過ぎていく。その衝撃に煽られながら、ヌルスは槍にしがみつきながら片手で顔をかばった。銀色の髪と黒いドレスが、突風で棚引く。
「え……」
衝撃で我に返った彼女は、呆然と周囲を見渡した。
その目の前に、ドスンと何かが落ちてくる。
最初、それが何なのかヌルスには理解できなかった。
ややあってそれが、根本から切り落とされた合成獣の翼だと理解すると同時に、それはさらさらと灰になって燃え尽きていく。解けるように消えていく翼の向こう、戦場に佇む誰かの姿が見えた。
金色の髪、鈍く光る鉄の鎧。手には盾と、ほのかに黄金の輝きを帯びた片手剣。高所から飛び降りた衝撃をいなす様に、剣を地面に突き立ててしゃがみ込んでいる。
青年が立ち上がり、振り返る。彼の顔に、ヌルスは覚えがあった。
「あ……」
「すまない、遅くなった」
黄金の剣士。アトラスは、碧眼をヌルスに向けて、安心させるように優しく微笑んだ。
「君を、助けに来たよ」