望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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第百三十七話 涙、流して

 

「よっっっっっしゃああああああ!!」

 

「ふう……」

 

「やった、のか……?」

 

 合成獣の撃破を確認し、三者三様の快哉を上げる一行。

 

 ヌルスも、ふぅ、と息を吐きだし、肩の力を抜く。

 

 合成獣はまさに強敵であった。

 

 7層の地竜のように圧倒的な質量で襲い掛かってくる訳ではなかったが、その分圧縮された高い戦闘力を持っていた。純度の高い魔力結晶で構成された肉体は硬く頑強で、複数の首から放たれるブレスによる爆撃は圧倒的だった。地竜とは違う意味で、真っ当に冒険者が相手して良い戦闘力ではない。

 

 それに勝つ事が出来たのは、アトラス達の助けがあったからこそだ。

 

 彼が奇襲で翼を潰して機動力を奪った事で、複数のメンバーの能力をいかして飽和戦をしかける事で合成獣の判断ミスを誘い、そこに一気に火力を集中させた。恐らくその圧倒的戦闘力故に、常に自分の強みを押し付けて勝利してきたであろう合成獣は、土壇場での判断能力に問題があったようだ。いや、そもそも7層の地竜の事を考えれば、そもそも冒険者と戦ったことすらなかったのではないか?

 

 スペック的には、例えヌルス達が四人いようと五人いようと、勝ち目がない相手だった。それに勝てたのは、人間の誇る創意工夫、戦術の力だ。

 

 やはり人間は面白いな、と改めてヌルスは思う。

 

「あ。……転移陣が起動した」

 

「やべー魔物だったが、ちゃんとフロアガーディアンだったか」

 

 シオンとクリーグの言葉に顔を上げると、戦場の片隅に聳え立っていた扉のような大岩に、転移陣の輝きが宿っている。青く明滅する転移陣は、9層へと通行が可能になった事を示している。

 

 これで先に進める。

 

 いつものようにアトラス達と肩を並べて先に進もうとしたヌルスだったが、不意に心に吹いた寒風に足を止めた。

 

「……」

 

 ここは8層。

 

 そして次は9層。これまでの構造を見るに、恐らく巣窟迷宮エトヴァゼルは全10層。そして、迷宮の最下層には、コアと最終ガーディアンしか存在しないという通例を省みれば、事実上、次に待ち受ける9層が最終階層だ。

 

 そして。

 

 冒険者の目的は、迷宮を踏破して消滅させる事にある。それは、アトラスとて例外ではない。

 

「…………」

 

「ヌルスさん、どうした?」

 

 黙り込むヌルスの雰囲気の変化を察してか、アトラスが声をかけてくる。

 

 ヌルスはそれには答えず、不思議そうに足を止める彼らの前で足早に歩み出ると、転移陣の前で振り返った。

 

 

 

 ああ。どうして、こうなるのだろう。

 

 

 

 世の不条理を嘆きながら、しかしヌルスは震える声で、彼らの前に立ちはだかる。

 

「冒険者。悪いが、この先にお前たちを進ませる訳にはいかない」

 

「ヌルスさん……?」

 

「まだ、この迷宮をお前たちに攻略させる訳には、いかない。この命に代えても、ここで阻止させてもらう」

 

 見せつけるように背中から触手を伸ばし、翼を展開するヌルス。その悍ましくも美しい翼に、シオンやクリーグが息を飲んだ。

 

 ヌルスが本気である事を悟ったのだろう。両者に流れる空気が、冷たく張りつめていく。

 

 その中で、アトソンが泡を食ったように両者の間に割って入った。

 

「ちょ、ちょっと待ってください! ヌルスさん、どうして!? 私達の間に、争う理由は無いはずです」

 

「お前たちにはないだろう。だけど、私にはあるんだ」

 

「……それは、その体に関係があるのかい?」

 

 穏やかにアトラスが訪ねてくる。そういえば、彼はこちらの事情をある程度知っているようだったな、とヌルスはぼんやりと戦闘中のやり取りを思い出す。

 

「そうだ。死にかけたアルテイシアの体は、今は私が融合する事で維持している。だから、もし迷宮が攻略されれば、融合している私が消滅すれば、アルテイシアの体はそのまま死んでしまう。それは、それだけは、許す事ができない」

 

「……だったら、どうするんだい? まさかそのまま、永久にこの迷宮の中で、生き続けるつもりかい?」

 

「まさか。彼女の意識が戻ってきたら、私はそのまま体を明け渡すとも。その時に彼女が外に出られるように、今は迷宮の外に出る方法を探している。……そのきっかけは、もう見つけた。可能性は低いが、少なくとも夢物語とは言い難い。必ず方法はある。だが、それを見つける前に、お前たちによる迷宮攻略を許す事は、できない」

 

 そうだ。

 

 そうだとも。

 

 何に代えても。アルテイシアに体を返す。それだけが、ヌルスに残された唯一の贖い。

 

 その為なら、さらなる罪を重ねる事になったとしても。友人であるアトラス達を手にかける事になっても。

 

 彼女だけは、必ず。

 

「だが、それは私の事情。お前たちには関係ない。そしてお前たちにも、命をかけて迷宮を攻略しようという理由があるはずだ。その願いに、優劣などない。………剣を抜け、アトラス。お前たちが勝てば先に進めばいいだろう。これはそれだけの、シンプルな話だ」

 

「ヌルスさん……」

 

「抜け。……剣を抜け、と言っているだろう! 私は本気だ……分からないはずもないだろう!」

 

 ロションや刺客達に対峙した時のように、圧縮した殺気を解き放つ。年若いシオンがびくん、と肩を震わせ、アトソンが思わず数歩後ずさって距離を取る。

 

 その殺意の嵐に、しかしアトラスは正面から退かない。その後ろでクリーグが、真剣な顔で蛮刀を手にした。

 

「おい、アトラス」

 

「待ってくれ。ここは、私に」

 

「……まあ、しゃーねえなあ」

 

 短いやり取りで、クリーグの顔から緊張が抜ける。彼はいつもの、ニヒルに構えた三枚目、といった雰囲気を装って、蛮刀を腰に戻した。

 

 それが、ヌルスには気に入らない。

 

「何のつもりだ。……私一人、自分一人で十分だという事か? それとも、この期に及んで、まだ私の本気が分からないか!? 見ただろう、私が殺した刺客達の亡骸を! 私に人が殺せないと思ったら大間違いだ!」

 

「知っているよ。何より、君が本気だというのはよく分かった。……君は。アルテイシアの為なら、なんだって出来るんだね」

 

「そうだ! アルテイシアの為なら、私はなんだってする、なんだって出来る! たとえ君たちが相手であっても、槍を向ける事だって……っ、出来る!!」

 

 絞り出すように叫ぶヌルスに、アトラスはまるで哀れむような視線を向けてくる。

 

 何故だ。何故、そんな目で私を見る。ヌルスは理解不能な苛立ちに、黒槍の切っ先を誇示するようにアトラスに向けた。

 

「わかったならば、抜け、アトラス! アルテイシアの為ならば……私は、君だって、殺せる!!」

 

「…………」

 

 最後通告と言わんばかりのヌルスの叫びに、ようやくアトラスは動いた。彼は腰から黄金に輝く剣を引き抜く。

 

 それでよい、それでいいんだ、と満足そうに微笑むヌルス。だが、彼女はしかし、アトラスの取った行動に一転してしかめ面のように眉を顰めた。

 

 彼は、引き抜いた剣を、まっすぐ、目の前の地面に深く突き立てたのだ。

 

「ヌルスさん」

 

 

 

「私は、友に向ける刃など、持ち合わせてはいない」

 

 

 

「……っ!!!」

 

 剣を手放し告げるアトラスの言葉。

 

 それに、ヌルスは息を飲んだ。

 

 ……アトラスという青年の事を、ヌルスは僅かながら、理解している。シビアな現実を見据えながらも、可能な限り正しい事を、綺麗な物語を貫こうとする男。

 

 なるほど。彼ならば、ヌルスの事情を省みてくれるかもしれない。先ほど、ヌルスの正体を知ってなお、共闘した経緯もある。

 

 だけど。

 

 黒い諦念が、どろりと疑念を甘く囁く。

 

 この先、彼らと行動を共にして、迷宮踏破を前にして裏切られないと、果たして本当に言えるのか?

 

 人は、弱い生き物だ。弱く、儚く。それ故に……容易く、裏切る。あのロションのように、真の友情を感じた相手すら、裏切る事ができる。

 

 そんな人間を、信じられるのか?

 

「う、うぅ……っ」

 

 頭の中で、かつての小さなヌルスを抱え上げたアトラスの笑顔が、死んだエミーリアとエルリックの末路が、共に黄金の変異体と戦ったアトラスとの記憶が、こちらを見あげてくるロションの顔が、信頼の記憶と裏切りの記憶が交互に思い返される。

 

 槍を握りしめた指に力が入り、穂先がぷるぷると震える。

 

「わ、私は……私は……っ」

 

 信じたい。信じられない。二つの思いが、ヌルスの中で鬩ぎあっている。

 

 そして。

 

 彼女の記憶は、血塗れのアルテイシアを、再生した。

 

「う……うわぁああああああああああっ!!」

 

 引き攣ったような叫びを上げて、ヌルスが槍を振りかざす。合成獣すら一撃で屠る槍の穂先が輝き、背後に控えていた仲間達が息を飲むのが見えた。

 

 それでも、アトラスの瞳には僅かな動揺もない。ただまっすぐ、ヌルスを見つめている。

 

 そんな彼に、ヌルスは槍を突き刺そうと。

 

 突き刺そうと……。

 

 突き……。

 

「……や、だ」

 

 結局。ヌルスは槍を繰り出す事が出来なかった。

 

 カラン、と槍を振り上げたままの姿勢で、黒槍が手から滑り落ちる。床に落ちた槍が軽い音を立てるのが、遠い世界の事のように感じる。

 

 視界が、にわかに霞んでぼやけている。自分が泣いているのだと、ヌルスは遅れて理解した。

 

「やだ……やだよぅ……。そんな事……できなぃ……」

 

 その場に膝を突き、滂沱の涙を流し続ける。幼子のように、顔を押さえる事も忘れ、ひっくひっくと涙する。

 

「どうして……やだよ……どうしてこんな事ばっかり……」

 

「……ヌルスさん……」

 

「うわあああ……いやだ……うわぁああああん……」

 

 アトラスが宥めるように声をかける。しかし彼女は、そのままびえええ、と声を張り上げて泣きじゃくるばかり。これではまるで子供の癇癪だ、と理解しつつも、涙を止められない。

 

「……あー。参ったな。どうしよう……」

 

「はいはい、ここは私にまかせて。……ほらー、泣かないで、ヌルスさん。せっかくの美人が台無しだよ」

 

「だって、だっでぇ……皆、いじわるばっかりいぅぅうう……」

 

 優しい声と共に、ハンカチか何かで頬が拭われる感触。びえええ、と泣き続けるヌルスの肩を抱いて引き起こしたのは、シオンだ。彼女はあやすようにぽんぽんと頭を慰めると、涙声で訴えてくるヌルスに、うんうんと頷いてぎゅっと抱きしめる。

 

「そうだねー、皆、ひどいよねー。辛いことばっかり押し付けられて、大変だったねー?」

 

「びぇええええ……」

 

 孤児院の弟妹たちにするように、泣きじゃくるヌルスをあやすシオン。彼女に優しく抱きしめられて、ヌルスはますます、自分の感情が抑えられなくなる。

 

 みっともない事をしている。それがわかっていて、彼女は涙を止める事ができず、心のままに泣き続けた。

 

 

 

 

 

 

「はい、ヌルスさん、落ち着いた?」

 

「…………ぅん」

 

 シオンが宥める事、数十分。ようやく落ち着いたヌルスは、しかしうつむいたまま、シオンの袖を掴む指を離せなかった。鼻は真っ赤で、まだ目はちょっと涙ぐんでいる。

 

 それでもとりあえず、話ができるぐらいには落ち着いてきた。

 

 そんな彼女に、アトラスは言葉を選んで優しく語り掛ける。

 

「落ち着いたようで、何よりだ。それで、君が大丈夫なら、少し情報交換をしたいのだが……」

 

「……わかっ、た」

 

 少しだけぐずるように言葉を濁らせながらも、ヌルスはコクン、と頷く。

 

 そして、一行はこれまでの情報を互いに交換した。

 

 アトラス達はロションの事を不審に思い、後をつけていた事。

 

 出遅れて目撃したのが、ロションに迫る血まみれのヌルスの姿。まあこの時は、中身がヌルスである事を彼らは知らなかったらしいが。

 

 ロションを拘束して地上に連れていく最中に、彼から事情を全部聞いた事。

 

 そしてヌルスを追うべく、7層のフロアガーディアンに挑み……そこまで話を聞いて、ヌルスは思わず声を上げてしまった。

 

「……大きな岩のゴーレム??」

 

「ああ。私達が戦ったのは、そんな感じの魔物だった。……ヌルスさんが戦ったのは、違うのかい?」

 

「うん。私が戦ったのは、何十メートルもの巨体を誇る地竜だった。通常の魔術では傷一つつかない化け物で、歪みの魔術を使える私だからこそ倒せたんだ。だけど代償も大きくて……冒険者達にあれを倒すのは無理だと思ったから、安心して8層を攻略していたんだ」

 

 ヌルスの言葉に、アトラス達が顔を見合わせる。

 

「地竜……? いや、君の言う事を疑う訳ではないが……」

 

「こちらからすれば、君たちの言う事こそ信じがたいよ。……あ、でも、その。……御免」

 

 アトラス達がヌルスを追って8層まで来れないと思っていたのは、つまり、後退が許されない7層のボス戦において、彼らが全滅する事を望んだ、という事でもある。今更ながらその事に思い当たり、ヌルスは頭を下げた。

 

「私は……君たちの不幸を望んだ。結果的に無事だったとはいえ、酷い話だ」

 

「あ、いや。別に気にしてないというか……」

 

「もう。ヌルスさん、考えすぎ」

 

 気まずそうに小さくつぶやくヌルスに、アトラスは困ったように小声で答え、シオンが横から抱き着いてくる。柔らかな少女の抱擁に目を白黒させながらも、ヌルスは「だが……」と言い募ろうとしたが、それはさらに強く抱きしめてくるシオンに阻まれた。

 

 きっと、ヌルスがその事を謝っても、彼らはそれを受け入れないだろうというのは分かる。何せ、槍を突き付けられても己の意志を貫くような連中なのだ。だが、それではヌルスの気持ちが収まらない。

 

 考えれば考えるほど気持ちが落ち込む。

 

 やっぱり私は魔物で、アトラス達に優しくされる資格など、あろうはずもない。それを口にせず、ヌルスは内心で寂しく噛み締めた。

 

「あー、ヌルスさん。言っておくけど、魔物だからとか、不幸を考えたからとか、それを理由に私達と関わる資格がない、とか考えてたら、流石にちょっと私も怒るからね?」

 

「?!? な、なんで私の心が……もががっ」

 

 驚愕に口を滑らせたヌルスはしかし、頬を押さえられて潰れた声を上げた。続けて、平たい胸に抱きかかえられて目の前が真っ暗になる。

 

「またそんな事考えて!! そういう暗い事ばっか考えてるから、あんな無茶する事になるのよ! 反省しなさい!!」

 

「も、もがががーーーっ!?」

 

 シオンの抱擁から逃げ出そうともがくヌルス。いや、力任せにやればすぐに引きはがせるのだが、力任せにやって万が一にもシオンに怪我をさせてはいけない。結局、最終的にしたいようにさせるしかないと諦めて、ぐったりと彼女はシオンに身を預ける事になった。だらんと脱力した彼女を一しきり堪能して、ようやくシオンはヌルスを解放した。

 

「……ぶはっ……」

 

「ははは。シオンはすっかりヌルスさんのお姉さん気分だな」

 

「えぇ。こんなでっかい妹、構いがいがあるわ」

 

 アトラス達のやりとりに、ヌルスは内心、納得いかずに口を尖らせた。

 

 よりによって妹呼ばわりとは。これでも一人で迷宮を生き抜いた、熟練の触手だという自負があるのだが。

 

「ふ、ふん。いい加減にしろ。人が殊勝にしていたらつけあがって。勝手にしろ」

 

「あら。ヌルスさんは触手でしょ」

 

「言葉の綾だ!」

 

 売り言葉に買い言葉。ふんす、とヌルスは鼻を鳴らすが、少し調子が戻ってきた。

 

 やはり過剰に縮こまっているのは自分に合わない。

 

「まあいい。それで、アトラス。お前は、それでどうするつもりなのだ。私を、これからどうする?」

 

「それは……」

 

 

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