望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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第百四十話 悪魔の笑み

 

 9層の探索が始まった。

 

 しばらく歩いてみたが、9層には人食い瘴気とか、感覚を閉ざす暗闇といった、人間に対して不利なエフェクトは存在していないらしい。複雑に入り組んだ道が続いているだけで、物理的にはそう大きな障害は無いように見える。

 

 だがそれはあくまで道なりに大きな障害がないというだけで、9層そのものが人間に対し、その存在を拒むような階層である事を、歩き始めて幾ばくかもしないうちにヌルスは理解する事となった。

 

 臨時パーティーで進む一行。その暫定纏め役として任を仰せつかったヌルスは、人間の仲間達の様子を見てとって声を上げた。

 

「皆、止まれ」

 

「っ、なんだ、ヌルスさん。敵かい?」

 

「いや。だが、一度皆休憩した方がいい」

 

 振り返る仲間達の顔。そこに、一時間も歩いていないにも関わらず疲労の陰が滲んでいる事を見て取って、ヌルスは休憩を申し出た。

 

「いや、まだ1時間も歩いていないんだし、早いんじゃ……」

 

「そう思うなら互いの顔を見合わせてみろ。それで、よく自分のコンディションを確認する事だ」

 

 ヌルスの言葉に一行は顔を見合わせ、ややあって、ヌルスの指摘する事に思い当たったようだ。困惑したようにそれぞれ自分の躰をぺたぺたと触り、首を傾げる。

 

「お、おかしいな。てっきり、8層まで強行軍した疲労が抜けてないのだと思ったんだけど……」

 

「それだけにしちゃあおかしいな。目もしょぼしょぼしてきやがった」

 

 ヌルスに指摘されて、今更ながらに体調不良を意識し始めたらしい。シオンが不安そうに周囲を見渡しながら問いかけてくる。

 

「ヌルスさん。もしかしてこの階層に魔素が満ちているから?」

 

「いや、違うな。どちらかというと、この回廊の構造だろう。君達人間には、視覚情報処理の負担が大きいらしい」

 

 最初、皆が不快感を抱いたように、この回廊は壁面、床を問わず、非常に有機的かつ奇っ怪な構造をしている。内臓のように複雑に絡み合った凹凸、細かく刻み込まれた節、意味ありげな隆起、怪物の骨のように見えなくもない文様。そういった複雑怪奇な造形が、頼りない松明に明かりに照らされて色濃く影を落とすと、それがまるで潜む怪物のように見えてくる。ゆらゆらと揺れる松明に合わせて揺れるそれらは迫真にせまったもので、何度もアトラスやクリーグといった前衛はただの影相手に腰の剣に手を伸ばし、唯の影と看破して手放す、という事を繰り返していた。

 

 常に怪しげな敵の影がちらつく環境で、思った以上に加速度的に精神力を消耗しているのだ。

 

 それを指摘された一行は納得の色を示すが、同時に訝しむように視線を向ける。

 

「その割にヌルスさんは平気そうだね」

 

「私は魔物だからな。今はそうではないとはいえ、以前は視覚を持ち得なかった。お前達とは世界を認識する方法が違うからだろう」

 

「へえ? 興味深いな」

 

 ヌルスが壁際によると、皆も合わせて背を寄せる。警戒しつつも小休憩モードに切り替えたアトラスが、好奇心に目を輝かせながら訪ねてくる。

 

「そういえばヌルスさんは触手型魔物だったね。目が無いという事は、嗅覚で世界を見ているのかい?」

 

「目でも嗅覚でもないな。後天的に視覚を得て理解したが、恐らく私のような魔物の感覚器官は尋常の生物のそれとは大きく違う。そうだな、敢えて言うなら、存在そのものを知覚しているという事になるのか? よって、暗闇でも私の見える世界は変わらないし、形状で対象を誤認する事もない」

 

「想像もできないな……」

 

 ヌルスの言う世界を理解しようとしたのか、目を閉じてみたアトラスは首を振った。うーんうーんと眉をひそめて集中する彼に、クリーグがアホを見る視線を向けている。

 

「ん? でもあんた今は普通に人間としてふるまってんだろ? 視界に頼ってるんじゃ?」

 

「中身は魔物だし、普通にこうすればいいだけだ」

 

 にょろりん、と触手を伸ばして見せると、背後でシオンがぎょっとした顔をする。その様子も、ヌルスには顔を向ける事なくはっきりと認識できている。

 

「……もしかして、魔物って俺らが思っているよりもこっちの事を把握してんのか? 怖いなそれ」

 

「いや。目を持っている魔物は普通に視野に依存しているし、これは私が恐らく特殊なだけだ。それに、視覚と比べるとなんていうか……情報の彩度が低い。初めて視覚を得た時は、世界の情報密度の高さに感動を覚えたものだ。どちらが劣っているという事ではないと思う」

 

「……あの。ヌルスさん、先ほどから気になっていたのですが……貴方の口ぶりだと、まるでアルテイシアさんと融合する前に、目が見えていたみたいに聞こえるのですが……」

 

 そこで、何かずっとひっかかっていたような顔のアトソンが訪ねてくる。ああ、とヌルスは頷いて、ぎょろりん、と触手の先に目玉をはやした。

 

「ある段階でな、こうして自由に目玉を……おい、どうした。急に距離を置いて」

 

「い、いや……吃驚したので……」

 

 突然、バックステップするような勢いで距離を空けた仲間達にヌルスは首を傾げた。皆は奇襲を食らったかのように目を白黒させながらも、ガチャガチャと音を立ててヌルスの周りに再び集まってくる。肩をすくめたシオンが半目で、きょろきょろするヌルスの目玉と視線を合わせた。

 

「……なんか。アルテイシアさんがヌルスさんに構ってた理由、分かってきた気がする……」

 

「え、そうなのか? 是非教えてくれ」

 

「そういう所だよ……」

 

 げんなりとした顔で呻くシオンにヌルスは首を傾げた。

 

 アトラスはそんなやり取りに困ったような笑顔を浮かべている。人間というのはよくわからぬ、とヌルスは何度目かわからぬ疑問に首を捻った。

 

「そんなに私の言動はおかしいのか? むぅ……」

 

「おかしいっていうか、なんていうか……。まあいいや、それなら索敵はもうヌルスさんに任せきりにした方がよさそうだね。僕らが気を揉んでいても足をひっぱりそうだ」

 

「いやそれは流石に割り切りすぎだろう?」

 

 別に嫌ではないが、それでいいのか。しかし、ヌルスの困惑とは裏腹に、他の三人も異論はないらしい。

 

「賛成。それでいこ」

 

「……私が言うのもなんだが、一度は槍を向けてきた相手をよくそんなに信用できるな……?」

 

「ヌルスさん、一つ教えておこう。人間の間では、川辺で殴り合って深める友情というものが、あるのですよ」

 

 したり顔で語るアトソンの言葉に、本気で理解できなくてヌルスは首を傾けた。

 

「……人間は、よくわからん……」

 

 

 

 とにもかくにも、休憩は終わり、探索再開。

 

 ヌルスが触手を前後に長く伸ばして索敵する横を、人間の御一行がカツカツとついていく。皆、臨戦態勢を維持しながらも、それぞれにリラックスした様子である。アトラスに至っては剣の柄に手を置きながら、薄く目を閉じてすらいる。

 

 ちらつく影に気を取られない為だろうが、いくらなんでも短時間で私の事信用しすぎではないか、とヌルスは妙な気分になった。人格的にも、能力的にもだ。ヌルスの索敵が、敵の襲撃を完全に察知できるという保証はないのだが……。

 

「……アトラス。そんな事してると、転ぶぞ」

 

「ははは、本当に目を閉じている訳ではないから大丈夫だよ」

 

 そうか、と釈然としないものを感じながら頷き返すヌルスだったが、不意にびりっとしたものを触手に感じ取って脚を止めた。

 

「これは……」

 

「ヌルスさん?」

 

 彼女の動きを見て、一瞬困惑するもアトラス達は直ぐに状況を理解した。揃ってガチャガチャと武器を抜き放ち、前方に警戒する。

 

「敵だ。気をつけろ」

 

 ヌルスが警告を飛ばす。

 

 見れば前方、松明の明かりが照らしきれない闇の向こうが、白く霞み始めている。霧だ。ただ、闇の中では霧もまた見えないはず。物理的な可視光のそれを上書きする白い靄が立ち込め、一行の下まで伸びてくる。

 

 ヌルスはかつて読んだ書物の記載を思い出す。

 

 迷宮を人間達が躍起になって攻略するようになった切っ掛け。放置された結果、発生した迷宮の魔素災害によって滅びた王国の話。

 

 その王国は今は深い霧に包まれ、その中に悪魔型の魔物が出没するのだという。

 

「……悪魔(デーモン)か」

 

 その言葉に応えるように、キケケケ、と嘲笑を伴ってそれらは姿を現した。

 

 一見すると、肌の赤いゴブリンに見えるような小柄な影。だが、その頭部は倍以上に長く伸び、側面からは蜘蛛の足のような、牛の角のようなネジくれた角が生えている。額には髪もコブもなく、得体の知れない入れ墨。目は黒目で、虹彩に当たる部分が白くぼんやりと光っていた。

 

 手には、ネジくれた剣が握られている。完成した剣を、無理やり捻ったような、前衛芸術のそれを思わせる異様な造形は、9層の回廊と同じくじっと見つめていると気分を害する。

 

 言うなれば、レッサーデーモン。そのような怪物が、3体。

 

「魔素が濃い、って聞いてたからなんとなく予想していたが、やはり悪魔型か……!」

 

「噂に聞く、大陸の濃霧の中に出るっていう化け物どもか」

 

 ヌルスと同じような事を思い返したのだろう、アトラスとクリーグが警戒を口にする。そんな二人の機先を制するように、ヌルスは触手翼を広げて宣告した。

 

「先制攻撃を仕掛ける」

 

 言うが早いか、ファイアボルトの魔術を放つ。

 

 最下級の攻撃魔術だ、一撃とはいかなくとも、ある程度のダメージは通るはず。その通り具合で、ヌルスは今後の対応を決めるつもりだった。

 

 だが……。

 

「ケケケケ」

 

「何!?」

 

 命中したファイアボルトが、不可視の防壁にはじかれるように霧散する。直撃したはずのレッサーデーモンには傷一つない。

 

 訝しみつつも、ヌルスは再度魔術を放つ。今度は魔眼も起動させて、魔力の流れを確認する。

 

 またしても消滅する炎の矢。だが魔眼はその瞬間、ファイアボルトを構成していた魔力が四散するのではなく、レッサーデーモンの方に吸い寄せられているのをヌルスに見せた。まるで、魔力と何かが引き合うように……。

 

「魔力と魔素の関係か。高濃度の魔素が、魔力と引き合っている……?!」

 

「ヌルスさん、駄目だ! 悪魔に、魔術は通じない!」

 

「それを先に言え!?」

 

 何やら一般常識のように言われてもそんなものは知らない。ヌルスは思わず叫び返した。

 

 一方、レッサーデーモンは嘲笑うようにファイアボルトを棒立ちで受けると、次は自分達の番だと言わんばかりに駆け寄ってきた。

 

 早い。よく見れば足は獣のそれと同じ逆関節だ。捻れた剣を手に、笑いながら切りかかってくる。

 

「となれば俺達の出番かね!」

 

「見せ場があって何よりだ」

 

 軽口を叩きながら応戦するのはアトラスとクリーグだ。クリーグが蛮刀でレッサーデーモンの突進を受け止め、アトラスは金色に輝く剣でレッサーデーモンを得物ごと両断する。

 

 残る一匹はアトラスの視線を受けて怯みつつも、素早く壁を駆け上って跳躍した。前衛を飛び越えて、中央のヌルスを目掛けて飛び掛かってくる。

 

「ケケケ! ……ケ?」

 

「はい残念」

 

 だが、その躰は伸びてきた触手に空中で捕縛された。咄嗟に剣で触手を切り裂こうとするその腕を、ぬるぬると伸びてきた無数の触手が絡めとって押さえる。さながら蛸に背後から捕らえられるサメのように、レッサーデーモンは抵抗できずに取り押さえられた。

 

 あとは黒槍で一突きすれば終わりだが、ヌルスはあえてそうしなかった。構えていた黒槍を肩に担ぎなおし、じたばたともがくレッサーデーモンを見上げている。

 

 そんな彼女に、クリーグと協力して最後の一匹を切り倒したアトラスが怪訝な顔をした。

 

「……あ、あの、ヌルスさん? 何をするおつもりで……」

 

「ふむ。確かに魔術は一見効果が無かったように見えるが、魔素に魔力が溶け込んでしまうというなら一定以上ぶち込めば効果があるのではないかと思ってな。ちょっと試す」

 

「試すって、まさか……」

 

 ドン引きするシオンの目の前で、触手翼がうにょうにょと四枚展開される。その全てに違う色の魔力結晶を装填して、ヌルスはレッサーデーモンを見上げながら、ふむ、と頷いた。

 

「まずは炎魔術を続けて10発いってみよう。満足な結果が出る前に死ぬなよ?」

 

「ケ、ケケケケーーッ?!」

 

 

 

 9層の迷宮の奥で、赤い輝きが何度も煌めき、その後、水色、黄色、緑色と移り変わった所で、その輝きは途絶えた。

 

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