望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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第百四十四話 アトラスの心配

 

 

「よし、そろそろ交代だ」

 

「わかった」

 

 砂時計の砂が落ち切ったのを見て、クリーグが申し出てくる。普段の態度とは裏腹に几帳面なこの友人が、実際は少し前から備えていたのをアトラスは知っている。

 

「あまり無理はするなよ、クリーグ」

 

「はっ。名誉挽回の機会ぐらい用意してくれよ」

 

 軽口をたたいて見張りを交代する。

 

 しかし、名誉挽回と来たか。あまり気負いしないで欲しいのだが……まあ、言うだけ野暮だろうと、彼の背中を一瞥して自らも壁際に向かう。

 

 そこでは、微笑ましい光景が広がっていた。

 

 語りあかしている間に疲れが出てきたのだろう、ヌルス……いや、今はヴィヴィアンと呼ぶべきなのか? が、シオンに寄りかかるようにして小さな寝息を立てている。その隣では、シオンが静かにするよう、口に指をあててジェスチャーしてくる。

 

 軽く頷き返し、物音で起こさないよう少し離れた毛布の端に腰を下ろす。アトソンがそっと歩み寄ってきて、カップを手渡してくれた。

 

「“暖め”で用意したものです。ちょっとぬるいかもしれませんが」

 

「いえ、助かります」

 

 受け取って口をつける。カップに満たされていたのは、暖めたスープだ。少し、ぬるいぐらいの温度だが、疲れた体にはちょうどいい。

 

 一息で飲み干してカップを返し、ヴィヴィアンの寝顔に目を向ける。女子の寝顔をまじまじと見るのは失礼な行為だが、彼女が安らげているのかどうしても心配だった。

 

 だがそれは杞憂のようだった。眠る彼女は穏やかな顔で、もごもご口を蠢かして何かをつぶやいている。

 

 銀色の髪に、赤紫の瞳。起きている時はぞっとするほどの、言葉通り人間離れした刃物のような美貌が印象に残るのに対して、眠る今の彼女は肉体年齢よりもずっと幼く見えた。

 

「……ルテイ……ア……」

 

 耳を澄ますと、アルテイシアの名前を呼んでいるようだった。

 

 幸せな夢を見ているのだろうか。それだと、嬉しいが。

 

 そっとアトソンが耳打ちしてくる。

 

「……あまり、よい状態とはいえませんね。極端な自己犠牲に走る傾向があります。人間でいうならば、重度の鬱病に近い。それを、使命感で無理やり動かしています。感情の躁鬱が激しいのはそれによるものでしょう」

 

「やはり、アトソンさんもそう思いますか」

 

「ええ。こんな状況でなければ、一度しっかりケアをしたい所なのですが、難しいところです」

 

 痛まし気に眉を顰めるクレリックに、アトラスも同意する。

 

 ヴィヴィアンが無理をしすぎているのは一目瞭然だ。あの8層での戦いのあと、明らかにこれ以上の戦闘続行は不可能な状態でそれでも槍を向けてきた彼女の姿は、強く目に焼き付いている。

 

 あの時の彼女は明らかに言動に破綻をきたしていた。確かに、ロションの裏切りがあった以上、人間を信じられないのは分かる。だが、そうであるならば、何も言わずに9層途中でアトラス達の不意を突けばよかったのだ。

 

 そうせずに、堂々と正面に立ちふさがり、決闘を求めてきたのは彼女の誠実さと高潔さの表れではあるが、同時に視野が狭くなっている事も指し示している。

 

 彼女の境遇を考えれば、仕方ない話なのだが。むしろ、十分に理性的ともいえる。本来ならば、人間すべてを敵として恨み貫いてもおかしくはないのだから。

 

「アルテイシアさんとの交流が彼女の心を育み、それ故に苦しめている。運命とは無慈悲なものです」

 

「……ああ。アトソンさんも気が付いていると思いますが、彼女、以前に比べて明らかに言動が幼くなっています。人間の肉体に引っ張られた結果、人としての精神年齢に近づいているのでしょう。魔物でも人でもなく、人であり魔物であり……彼女の居場所は、世界にあるのでしょうか」

 

 本来ならば、アルテイシアがその居場所になれたのかもしれない。だが、彼女は失われた。

 

 正直を言うと、アトラス個人としてはアルテイシアの意識はもう戻らないと考えている。彼女は無意識にか、その事に目をそらしているようだが、全ての主導権を譲ったにも関わらずヌルスの意識が表に出ているというのはつまりそういう事だ。アルテイシアの意識はもう死んでしまったか、あるいは死と変わらぬほどに深い眠りにあるとみるべき。恐らくヌルスがどれだけ努力しようと、自然に彼女の意識がよみがえる事はないだろう。

 

 だがその気持ちも痛いほどわかってしまう。ヌルスから見たアルテイシアは、親しい友人を越えた相手だが、その気持ちは親愛よりだ。母親のように思っていた事が伺える。

 

 だが、アトラス達が接したアルテイシアが件の“人助けの魔術師”に向けていた感情は、明らかに恋慕の色を含んでいた。友人に裏切られ、迷宮まで付き合ってくれた二人の友を失い、そして自らを生き返らせる為に恋心を抱いていた相手が命を犠牲にした。いくら優れた魔術師といえど十代の少女が、そんな残酷な現実に耐えられるだろうか。現実を拒否するあまり、闇の世界に逃避したとして、責められるべきではない。

 

「とにかく。今は、彼女を見守るしかない。言っては何だが、この迷宮の攻略にも彼女の助力は不可欠だ。可能な限りその望みに沿う形で、迷宮を踏破しよう。なぁに、後から追い上げてくるパーティーは居るだろうが、まず間違いなくそいつらは8層で足止めされるさ。私達も、ヌルスさんを追いかけなきゃ、あそこで石堀してただろうね」

 

「はははは、確かに。神に仕える我が身ですが、世俗の苦難とは無縁ではいられませんからな。あの魔力結晶の山は、ふふ、確かになかなかに魅力的でした」

 

 半分冗談、半分本気で笑い合う。

 

 しかし、先の事を考えると、どうしても気は重くなる。

 

「……ですが、やはり。9層のフロアガーディアンは……」

 

「間違いなく、これまでで一番の激闘になるでしょうな」

 

 単純に最下層だから、というだけではない。

 

 アトラス達が8層で戦ったのは、肉じみた岩で出来たゴーレムだったが、ヌルスは巨大な地竜と戦ったという。彼の話を疑う訳ではないが、語られた通りのスペックだと、もはや冒険者ではなく軍をもってして当たるべき怪物だ。強い弱い以前に、冒険者の装備で対応できる規模を越えている。いくらなんでも無理が過ぎる。

 

 それに9層で戦った、魔力結晶の合成獣。ヌルスの持つ黒い槍の一撃がなければ、アトラス達にあれを倒す事はやはり不可能だったろう。飛行能力に、頑強な肉体、そして連鎖爆発を起こす魔力のブレス。やはり、冒険者の装備で対応できる範疇にはない。不意打ちで翼を潰せなければ、ヌルスの協力がなければ、100回戦って100回全滅するのは請け合いの強敵だった。

 

 その事が指し示すのは何か。

 

「この迷宮を支配する何者かは、冒険者が最下層に到達できないようにしている。物理的に塞ぐ事が難しいのか、その代わりに異常に強力な魔物を、フロアガーディアンを上書きする形で配備しているんだ」

 

「そして恐らく、9層もそうでしょうね。8層で戦ったクリスタルキマイラと同じかそれ以上の怪物が、この先に待ち構えている。いえ、恐らく確実にそれを上回るでしょう、迷宮の支配者からすれば最後の門番です」

 

 そして、それが何であるかは、ある程度想像がつく。

 

 肉に覆われた回廊の最後に待ち受けていたのが、巨大な地竜。

 

 魔力結晶で出来た回廊の最後に待ち受けていたのが、結晶の合成獣。

 

 であるならば、悪魔が徘徊する、奇怪な迷宮の最後に待ち受けるのは……。

 

「悪魔の王。ロード・オブ・デーモン、という所ですかね」

 

「いやはや、聖職にある身として、悪魔とは常に相対する立場ではありますが、それは概念的、精神的な物であって、怪異としての悪魔と対面するものではないのですがねえ」

 

 とほほ、とアトソンが肩を落とす。全く持ってアトラスも同じ気持ちだ。

 

 迷宮踏破は、あくまで現実的に考えて達成可能な名誉として選んだつもりだったのだが、まさかその過程で悪魔退治をする事になるとは。まるで楽したければ回り道、というような、児童向けの寓話そのものである。全く。

 

 しかしながら、負けてやる訳にはいかない。アトラスは腰に帯びた、今も鞘の中で光り輝いているであろう宝剣サダラーンを見やり、小さく苦笑する。

 

 運命の時に光り輝くという伝承。なるほど、確かに今この時を以て光らねば、何のために存在しているか分からないというものだ。

 

「ま、逆に考えましょう。悪魔の王を倒したとなれば、箔もつくってもんです」

 

「あくまで魔物であって、紛い物ですけどね。まあ、今更抜けるというのも無しです。非力ながら、助力させていただきましょう」

 

 人の良い笑顔を浮かべるアトソンに、謙遜も過ぎると嫌味だなあ、とアトラスは苦笑した。相手が悪魔という事で、これからも彼は頼りになるだろう。

 

「……ところで、アトラスさん。そろそろあれ、やめさせた方がいいと思うのですが……」

 

「……やっぱそう思います?」

 

 そして、そろそろ目を逸らすのも限界そうだった。

 

 アトラスがため息をついてヴィヴィアンとシオンに目を向ける。

 

 相変わらず、毛布で包まれてすやすや眠っているヴィヴィアン。だが、毛布の下からは、無意識にか無数の触手がにょろにょろと伸びてきている。元が触手魔物なのだから、おかしい話ではない。

 

 そしてそれを、シオンは手慰みに、かたっぱしから結び合わせている。三つ編みにしたり、リボンにしたり。やりたいほうだいである。

 

「……その、シオン。流石にそれは可哀そうだからやめてあげたら……?」

 

「つい。なんか、たくさんあったから……」

 

 てへぺろ、とシオンが悪びれずに舌を出す。一方、ヴィヴィアンはそれだけ弄ばれても気にすることなく、すやすやとお眠である。

 

「君ねえ……」

 

「おらっ、交代の時間だぞシオン。さっさと代われ」

 

「あ、はーい」

 

 クリーグがどかどかと戻ってきて、シオンが慌てて立ち上がる。その拍子に寄りかかるものを失ったヌルスがどさっと地面に倒れて、ぱちぱちと目を瞬かせた。あちゃー、とアトラスはこの後に起きるトラブルを想像して顔を抑えた。

 

「は、はひっ、あれ、寝てた? いつの間に……ぶべっ。な、なんだ……うわあああ、私の触手がああああ!? ひ、ひぅ、ほ、ほどけにゃ……むべべべっ」

 

「ああ、ヌルスさん、パニックになって蠢かないで、よけいに絡まりますからっ」

 

「あー、どうすんだこの惨状。おい」

 

 半泣きで自らの触手ともつれ合ってるヴィヴィアンに、慌ててそれを助けに入るアトソン。クリーグはそれを目の当たりにしてシオンにジト目を送り、シオンはそっと目を逸らした。

 

「……ははははははっ」

 

 そしてアトラスはとりあえず爆笑した。笑うしかなかった。

 

「た、たすけてーーっ」

 

「ちょ、ヌルスさん、私に絡みついてこないでくださいっ」

 

 

 

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