望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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第百四十七話 Vel=Zaragos

 

 

『フム……ロード・オブ・デーモンガ敗レタカ……』

 

 闇の中、ソレは暗くなって何も写さなくなった水晶玉を前に、腕を組んで思案していた。

 

『案外ト脆イモノダナ。イヤ、アノ黒イ槍ガ例外ナノカ。アノヨウナ物、一体ドコデ手ニ入レタノカ興味ハ尽キナイガ……』

 

 思い返されるのは最後の瞬間、自爆覚悟で突きかかってきた少女の姿。

 

 銀色の髪に赤い瞳、背中から触手を伸ばす異形の女。プレゼントした服もどうやら気に入って貰えたようで何よりだ。美しい者には美しい服がよく似合う。

 

 せっかく、触手を伸ばしやすいように背中を開けておいたのに何かポンチョを被っているのはがっかりしたが、まあいいだろう。

 

 その妖艶なまでの佇まいとは裏腹に、魔物如き苛烈さを誇る彼女だが、だとしてもロード・オブ・デーモンを倒されるのは予想外だった。

 

 規格外の魔力量に加え、戦術を練れる高い知性も与えた自信作。伊達にかの《天蓋の翼》を模した訳ではなかったのだが。

 

『イヤ、伊達ダッタトイウ事カ。私モマダマダダナ』

 

 それきりソレは水晶玉から興味を失い、席を立った。

 

 時期に冒険者達がこの部屋に押し入ってくるだろう。その時に彼らを迎え入れる準備をしなければならない。

 

『フフ。人ト会ウナド久シブリダナ。少シ楽シミニナッテキタ』

 

 クカカカ、と笑いながら、ソレは闇の中に姿を消した。

 

 

 

 だから。

 

 黒く閉ざされた水晶玉。それが、にわかに闇色のオーラを放ち、机の上を蝕んでいる事に、ソレは最後まで気が付かなかった。

 

 ピシ、と水晶玉の表面に亀裂が走る。

 

 一瞬、酷く悍ましい翼を広げたシルエットを映し出し、水晶玉は音もなく砕け散って消滅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場に、静寂が訪れる。

 

 ヌルスが槍を突き刺したまま、息を吐いた。

 

 立ち尽くす偽王は、ぴくりとも動かない。仁王立ちしたままのその瞳からは、赤い炎は消え失せていた。

 

 ずるり、と槍の穂先が引き抜かれ、ヌルスが膝をつく。倒れ込むその体を、駆け寄った金髪の剣士が支えた。

 

「ヌルスさん」

 

「やった……やったぞアトラス……!」

 

 疲労の極みにありながらも、ヌルスは悦びに煌々と赤紫の瞳を輝かせて笑いかけた。金髪の剣士も、温和に微笑んで頷き返す。

 

 その周りに、ふらふらと仲間達が集まってくる。

 

「いたたた……骨が砕けるかと思ったぜ……」

 

「クリーグ、タフね」

 

「いやあ、皆さんご無事でよかったです」

 

 互いに健闘を称え合う。立ち直れないほどの傷を負った者はいないようだった。だが、振り返れば短い戦いで、戦闘要員は皆ボロボロになっている。唯一無傷なのはアトソンだが、クレリックである彼が手傷を負っていたら負けも同然だ。

 

 短くとも濃密な時間だった。あれがあと少し長引いていたら、死者が出ていてもおかしくはない。

 

 短期決戦を挑めたのは、ヌルスの持つ二つの切り札のおかげだ。しかし、彼女が最後にやった事を思い返し、アトラスは顔をしかめた。

 

「しかしヌルスさん。あまり自分を切り売りしないでくれ、といった筈だけど」

 

「し、仕方ないだろ。あそこで仕留めなかったらどれだけ被害が出ていたか」

 

「それはそうだけど……」

 

 納得しながらも、アトラスは不満そうに唇を尖らせた。他のメンバーも、無言ながらも批判的な視線を向けてくる。ヌルスはむくれた。

 

「ふんっ、全く、過保護な連中だ! 大丈夫だといっているだろう」

 

「でもなあお前。千切れても生えてくるといったって、痛いんだろ?」

 

「……それは、まあ」

 

 確かに、触手が千切れるのはだいぶ……いや、すごく痛い。

 

「それにアルテイシアの体、もうちょっと大事に使った方がいいんじゃない?」

 

「うぐぅっ!? だ、だが、その為にも触手をだな……」

 

 シオンに痛い所をつかれ、ヌルスは呻いた。彼女的には触手を酷使しているのは彼女の躰を傷つけない為のつもりだったのだが、仲間達にはそうは見えなかったようだ。言い募るヌルスに、シオンはざくざくと言葉のナイフを刺した。

 

「普通の人間は、触手とかにょろにょろ生えてこない。体の中、どうなってんだろうね」

 

「うぎぐぅっ!?」

 

「ははは、シオン、そこまでにしてあげて……待て」

 

 容赦なくめった刺しにされているヌルスを見かねて、仲介に入ろうとしたアトラス。だが、不意に彼の視線が鋭さを帯び、警告の言葉が飛んだ。

 

 談笑ムードだった皆が、そろってアトラスを見返した。

 

 代表してクリーグが彼に尋ねる。その指は、すでに腰の蛮刀にかけられている。

 

「どうした」

 

「……ボスの死体。おかしくないか? ……なんで消滅しない?」

 

 アトラスの言葉に、皆がはっとして距離を取る。

 

 彼の言葉通り、ボスは最後の姿勢のまま、両手を胸の前で交差させた防御の構えのまま佇んでいる。だが、絶命しているのは間違いない。似たようなシチュエーションで不覚を取った事のあるヌルスだからこそ、活動停止はしっかり確認した。悪魔の王はその瞳から光を失い、完全にその活動を停止している。

 

 ここから活動を再開するなど、万が一に似もあり得ない。

 

 なのに。

 

 その死体は、一向に灰に戻る気配がない。

 

 嫌な予感がした。

 

「……ヌルスさん。試しに聞くけど、似たような状況に経験は?」

 

「仕留めたと思ったら生きていた、はあったが、こいつは完全に死んでいるはず。わからん」

 

 皆が臨戦態勢で骸から距離を取って武器を構える。緊張感に満ちた視線の先、動かないままの骸から、もわり、と闇色の霧が噴出した。

 

 全身の傷口から吹き出したそれが、滝のように地面に流れ落ち、周囲を闇色に染めていく。漆黒の池の中に佇む悪魔の石像のような光景。

 

 不意に、ヌルスが違和感を覚えて顔を上げ、周囲を見渡し、そして驚愕に目を見開いた。

 

「な……なんだ、これは!?」

 

 気が付けば、周囲の環境は一変していた。

 

 切り立った剣山のような岩盤、流れる血のような溶岩……それらは、気が付けば氷山の如き有様へと変化していた。岩は白く凍り付き、流れる溶岩は青白い氷へと変化している。たちまちフロアに寒風が吹き荒れ、軽装のシオンがくしゅん、と鼻を鳴らした。

 

「さ、さぶっ。ナニコレ、いつの間に!?」

 

「おいおい、魔素ってのは、凝縮されたら溶岩みたいになるんじゃなかったのか?」

 

「わ、私に聞くな……!」

 

 そろって困惑する前で変化は続く。立ち尽くす骸に、びし、びしと亀裂が入り、その奥から生命力に漲る漆黒の肌が現れたのだ。さながら脱皮するように、灰色の体を砕いて、漆黒の悪魔が新生する。

 

 形状としては、以前とそう変わらない。多少、角が大振りになったり、体躯そのものはむしろちょっと小さくなっただろうか。肌は相変わらずの漆黒だが、随所に黄金の装飾品を身にまとい、品の良い派手さを演出している。だが、それはあくまで光学的な情報。その存在感を肌で感じ取ったヌルス達は、背骨が氷になってしまったかのような怖気を覚えて、一歩、知らぬ間に後ずさっていた。

 

 歯の根が合わない。ガチガチと震える体を辛うじて律して、ヌルスは眼前のそれに目を向けた。

 

 身を軽くゆすって古い体を振り落とした悪魔が、一歩前に踏み出す。威圧感が突風のように押し寄せてきて、ヌルス達は息苦しさに顔を押さえた。

 

 モゴモゴと、悪魔が歯を剥いて笑う。

 

《Bene, id praeterirem si tantum similitudo esset. Cogitare eum me imitatum fuisse, et tamen tam misere victurum esse》

 

 その牙の向こうから、聞いたことのない音の流れが流暢に流れ出す。ヌルスにも理解できないが、それは恐らく、言葉だった。

 

「しゃ……喋った!?」

 

「魔物だぞ!?」

 

 困惑するアトラス達。だが、その背後、アトソンだけが顔を蒼白にして尋常ではない様子である事に、ヌルスだけが気が付いた。

 

「アトソン。どうした、何か心当たりがあるのか」

 

「……ポゼッション……」

 

《Bene, bene. Propter hanc stultitiam tales ludos ludere possumus. Liberalis sum. Non ignoscam tibi》

 

 流暢に呟きながら、悪魔の王がヌルス達に視線を向ける。その眼窩には、青白い炎がゆらゆらと燃えていた。その視線を浴びた体が、たちまち骨まで燃え尽きるような幻覚を覚え、ヌルスは目を逸らす。代わりに、何か知っていそうなアトソンに怒鳴るように問いかけた。

 

「おい、何か知ってるなら説明しろ!? 目の前で起きているこれはなんだ!?」

 

「……この世界に、悪魔が極めてまれに、顕現する事がある、と聞いたことがあります。ほとんど御伽噺のような話で……私も経験はなく。ただ、邪教が数多の生贄を捧げ、悪魔を模した邪神像に、悪魔を憑依させるのだと……」

 

「おいおい、悪魔って空想の産物じゃなかったのかよ?」

 

 クリーグが呆然としたように呟く。その額には、大量の汗が滝のように流れている。その視線は泳ぎ、明らかな動揺を隠せない。

 

 生贄。似姿。

 

 その条件を、この状況は満たしている。伝承の悪魔を真似て生み出された魔物、その躯。膨大な、純粋な魔素に満たされた環境。悪魔型モンスターが跋扈する、パンデモニウムの最奥。

 

「冗談だろう?」

 

 遅れてヌルスも理解が及び、そのふざけた現実に眩暈を覚えた。

 

 ヌルス達が倒した悪魔の魔物は、ある存在を真似ていたという。伝説に語られる、悪魔の王。《天蓋の翼》。《闇覆う覇王》。《永久に昏く輝けるもの》。

 

 数多の異名を恣にする、その存在の名は。

 

 

 

 ヴェル=ザラゴス(Vel=Zaragos)。

 

 

 

 ばさり、と翼が大きく広げられる。それは物理的なサイズを超越し、闇の帳のように戦場を包み込んだ。世界が暗黒に閉ざされ、その中で、星々のように無数の輝きが煌めいている。その光は、闇の中で明滅を繰り返し、消えては生まれ、生まれては消えていく。星空すらも我が物とし、悪魔王はその下で牙を剥いて笑みを浮かべた。

 

《Bene. Homines. Fortasse me paulum delectabit?》

 

「く……くるぞ! 備えろ!!」

 

 アトラスが声を上げて前に出る。その背中を見て、ヌルスも隣に並んだ。

 

 勝ち目があるかどうかと言われたら、無いとしか言いようがない。だが、何もせずに殺される訳にはいかない。

 

 ゆっくりと、悪魔王が歩み寄ってくる。その歩みは、まるでステージの上のダンサーのように優美で、気品に満ちていた。思わず目を奪われそうになるのを意識して抑え、しかし目を合わせる事もできず、ヌルスは相手の胸元の魔法陣を強くにらみつける。

 

 背後から、アトソンの絞り出すような声が聞こえた。

 

「ぽ……ポゼッションは長くは続かないはずです!! 本物の悪魔が、この世界に長く留まる事はできない! 時間さえ、時間さえ稼げば……きっと!」

 

「その時間稼ぎが無理難題だろうがよ、こいつは」

 

 いつも飄々とした態度を崩さないクリーグが、力なく返す。その手は、腰の蛮刀にそえられてはいるが、引き抜かれてはいない。武器を抜く事すら、無駄のように感じてしまう。その隣では、シオンが顔を真っ青にして、力なく地に両手をついていた。

 

 二人はダメだ。心が折れている。ヌルスは冷静に戦力外通知を下した。

 

 気持ちは分からなくもない。今も、ヌルスは黒の槍の切っ先を悪魔王に向けられずにいる。そうしたら最後、悪魔王の敵と認識されれば、たちまちのうちに自分は骸となって横たわるだろうという確信がある。それでもその恐怖を押さえて、ヌルスは槍の切っ先を悪魔王に向けなおした。

 

 となりでアトラスも、黄金の剣を悪魔王に向ける。

 

 その様子を目の当たりにして、ほぅ、と悪魔王が片眉を吊り上げるのが見えた。

 

《Oh, vos primi ludere vultis?》

 

 そして面白い、と言わんばかりに、その両手を両脇に緩く広げる。

 

 その、無防備な有様にヌルスとアトラスは息を飲んだ。

 

 ……切りかかってこい、と言っているのだ。悪魔王は。傷つけられるのなら、傷つけてみろと。

 

「う。……うおぉおおおおお!!!」

 

 先に動いたのはアトラスだった。唸り声のような叫びをあげて駆けだす彼に続き、ヌルスも走る。

 

「宝剣サダラーンよ!!」

 

「アルテイシア……!」

 

 二人、思い思いに裂帛の気合を込めて、得物を振りかざす。

 

 それに対面する悪魔王は余裕しゃくしゃくの態度を崩さず、迎撃の構えも取らず鷹揚に相対した。代わりに、悪魔王の周囲の闇が、色濃くその深さを増した。

 

 対応といえば、ただそれだけ。

 

 ただそれだけが、あまりにも致命的だった。

 

「あ、え?」

 

 闇の中に、距離が消え去る。

 

 力が消え去る。

 

 意識が消え去る。

 

 気が付けば、体の半分が闇に飲まれていた。得物を握る手の感触が無い。地面を踏みしめる大地の感触が無い。目の前にいたはずの、悪魔王の姿が見えない。

 

 いや、手の感触とはなんだったか? 大地とはなんだったか? 自分は何と向かい合っていたのか?

 

 

 

 武器とは。 大地とは。 敵とは。        自分とは?

 

 

 

 すべ てが曖 昧に闇に   溶け ていく。

 

 

 

 理由 記憶 黄金      アル  テイシア。

 

 

 

 

 

「ば、馬鹿野郎……っ!!」

 

 全てが消える寸前に、何かがヌルスの背中を引っ張った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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