望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
「う……うぅ……?……」
ヌルスは、何か柔らかいものに支えられ、温かく照らされている中で目を覚ました。
視界が定まらない。魔物としての感覚は麻痺している。
回らない思考の中で重い瞼を必死にこらえていると、甲高い少女の声が耳にこだました。
「ヌルスさん! 良かった……!」
「シオン……?」
焦点が定まった視界に映りこんだのは、シーフの少女。彼女は泣き笑いのような顔で一瞬言葉に詰まり、ぎゅぅ、とヌルスを強く抱きしめた。
「よかった……よかった……!」
「……??」
少女の柔らかな腕に抱きしめられながら、ヌルスは困惑した。彼女の中で記憶が連続していない。
視線を泳がせて、ぼんやりと自らを暖かく照らす光を探す。見れば、傍らにアトソンがしゃがみ込み、ヌルスの細い指を手に取って頭を下げている。彼の手からは蝋燭の炎のような、ゆらゆらと暖かい光が放たれており、それに包まれた指がじんわりと温まっているのを感じる。
右手。黒焦げになった指の表面がぽろぽろと崩れ、その下から新しい白い皮膚が現れる。
アトラスやシオンが治療されているのは何度か見たが、自分が受けるのは初めての事だ。なんだかじんわり体にしみいるような、心地よい光だ。
それにしてもと、ヌルスは感嘆した。表面真っ黒こげになっていて一見すると炭化しているように見えるのに、これを治せるというのはすごい。クレリックは何やら冒険者の間では貴重だが重宝される存在だと何かで聞いたが、それも頷ける。
「……うん?」
はて。なんで指がこんな真っ黒こげなんだったっけ……そこまで考えて、ようやくヌルスの思考の歯車がかみ合って回り始めた。
「……悪魔王!! どうなった!!!」
「わ、びっくり」
がばっ、と身を起こすヌルスの頭がぶつからないように、仰け反って回避するシオン。一方、ヌルスはきょろきょろと周囲を慌てて確認する。
傍らにはシオンとアトソン。少し離れた所で、岩を椅子にしてアトラスとクリーグが談笑している。ひび割れ砕けたステージの片隅では松明が焚火のようにもやされ、傍らで携帯食料が温められている。その隣には簡易キャンプが広げられており、明らかに休憩の構え。
自分の最後の記憶と状況が連続していなくてヌルスが首を傾げた。
「????」
「あらら、全く覚えてない感じ?」
「全く……」
ふるふる首を振るヌルスに、「はいもうちょっと横になってましょうねー」とシオンは肩に手をあてた。大人しく再び寝転がされる彼女に、アトソンが治療を再開する。今度は左手だ。
一見すると傷はないが、よく見ると妙に左手指だけ痩せこけたようになっている。アトソンが柔らかな光を当てて、少しずつ癒していくのを見ながら、ヌルスは記憶を手繰った。
「ええと……悪魔王に体を操られて、変な魔術使わされて……そうだ、そんでもってその術式を使って撃ち返したんだった……」
「ぼるてっくす・でぃすらぷたー、って叫んでたわよ」
「まじか……記憶にない……」
何だかやたらと脳を酷使していた記憶だけがある。ところでこの場合の脳とはアルテイシアの方になるのだろうか、魔物にはそういう臓器はないし、とヌルスはどうでもいい事を考えた。酷使しすぎるあまりにアルテイシアが馬鹿になっていたらどうしよう。
「それで、どうなってた……? 言われてみたら確かにそんな気がするし、一瞬打ち勝ったような覚えがあるんだけど……」
「普通に左手で握りつぶされてたわ。まあそれで限界迎えたみたいで勝手に消滅したけど」
「ええ……」
ドン引きするヌルス。確かあの時は始原の魔術で放った筈だが、空間を歪める魔力の断層をどうやって抑え込んだのだろうか。流石に悪魔王と呼ばれるだけの事はあって、こちらには想像もできないような能力をお持ちらしい。
というか冷静に考えるとヌルスも考えなしに恐ろしい事をやっている。実証も無しに未知の魔術系統で、歪みの魔術を放つとか自殺行為もいいところである。追いつめられすぎて頭がぱーになっていたのだろうか、思い返すとそういう事はよくある。
「その、アトソン。左手に傷とかはあったか? 血が流れていたとかは……」
「いえ、ありませんでしたよ。触手で腕を保護したからですかね? 酷く衰弱してはいましたが」
「そうか。ならいい」
どうやら歪みの魔術で腕を傷つける、といった最悪の事態にはならなくて済んだようだ。ほっとするヌルスに、じとりとシオンが咎めるような半目を向ける。ヌルスはたじろいだ。
「な、なんだ?」
「いやさあ。前から思ってたけど、ヌルスさん、ちょっと自爆特攻多すぎ。アルテイシアさんを助けたいっていうならせめてその体から抜け出てからやってほしい」
「やりたくてやってるんじゃないんだよぉ」
痛すぎる所を突かれてヌルスは顔を抑えた。
「ていうか何、魔術ってそんな自爆前提のおっかない技能なの? アルテイシアさん達は普通に使ってるように見えたけど、なんかヌルスさんの使う黒いの、使う側も爆発してない?」
「え゛っ。い、いや、そんな頻繁には……」
「だって4層で助けてくれた時もなんか籠手の下血塗れだったじゃん」
ヌルスの目が高速で左右に泳いだ。
「そそそそんな事はないけどどどど。いやそんな事実はないけど、え、分かるのそういうの? いやそんな事実はないけどね??」
「人間馬鹿にしてない? 匂いで分かるよ。まああの時は魔物の返り血凄いな、ぐらいにしか思わなかったけど」
ヌルスは羞恥のあまり再び顔を抑えた。はい、馬鹿にしていました。
そりゃあ、そうである。魔物の血にだって匂いはある、無味無臭とはいわない。つまりあの時はアトラスにもモロバレだったという事である。恐らくその上でヌルスが隠したがっているのを察して大人の対応をしてくれたという事なのだろう、全く持って紳士である。
「まあ、迷宮の中での事ですからね。それだけなら皆気にしませんから……」
「目の前で爆発されたら話は別だけどね」
アトソンのフォローになってないフォローをシオンが真っ向から切り落とす。大分ご立腹のようである。助けてー、とアトソンに視線を向けたが、彼はそっと目を逸らした。
「……い、いやな。私の使っている魔術は属性がちょっと特殊でな? 色々事情があって初期魔術しか使えないから、それを補うために色々と、ね?」
「じゃあ説明して。噛み砕いて、分かりやすく。門外漢だからと誤魔化さないように。あ、アトラスも呼ぶからね。アトラスー、ヌルスが目を覚ましたよー。説明会始めるー」
「あ、よかった。目を覚ましたんだね」
忽ち一行が集合する。
逃げ場はないらしい。ヌルスは天を仰いだ。
結論から言う。
滅茶苦茶怒られた。
「頭おかしいんじゃないのヌルスさん??」
説明を聞き終えたシオンの第一声がそれだった。言葉にこそしないものの、他のメンバーも全く同じ意見らしい。アトラスの白けた視線は初めてだった、心に割と突き刺さる。これまでも彼らの前で歪みの魔術を使いその反動を受けた事はあったが、その度に適当言って誤魔化してきた代償である。
「人間が? 迂闊に使うと? 反動で死ぬ属性ぃ?」
「なあヌルスさんよ。人間にも諸刃の刃、って言葉あるけどさ、それは刃掴んで振り回すって意味じゃないんだぜ?」
「わ、私だって使わずに済むなら使いたくないやぃ……」
涙目で抗弁するヌルス。そこのところはホントだ。いくらなんでも初級魔術しか使えないのでは選択肢が少なすぎるのである。あとイレギュラーばかりに遭遇するし。
「そうは言うけど段々敷居が下がって来てない?」
「使わないと突破できない局面ばっかり押し寄せてくるんだから仕方ないじゃないか! さっきの悪魔王とか! 地竜とか合成獣とか! 私だってもっと平穏な冒険者ライフ送りたかったよ!!」
「まあまあ……」
癇癪を起すヌルスを宥めに入るアトラス。実際問題、ヌルスから事の経緯を聞く限り仕方ない面はある。それはそれとして、ちょっと自己犠牲に走りすぎなのは彼も気にしている点ではあるが……。
「ところで、あの最後の凄い魔術。あれはヴェル=ザラゴスが使っていたのと同じ系統の魔術に見えたけど、もしかして悪魔の魔術なのかい?」
「あー。そういう事になるのかなあ、ニコライ式でもエジニアス式でもなかったし」
「どんな魔術だったんだい?」
好奇心でアトラスが尋ねると、んー、とヌルスは視線を上にむけて考え込むような仕草を見せる。
「手の中で、こうさ」
「うん」
「爆弾を爆発させる感じ?」
一行が胡乱な目を一斉にヌルスに向ける。流石に例えが不味かったのは自覚があったので、ヌルスは気まずそうに視線を逸らした。
「ヌルスさん?」
「まてまてまて、例えが悪かったかもしれないが本当にそういう感じなんだ。普通、魔術というのは触媒から引き出した魔力を肉体に通して術式回路、スクロールに通して発動するんだが、あれは違う。こう、空間に魔術式を展開してだな、術式から肉体を通さずに直で回路に魔力を流し込むんだ」
「話聞く限り、すごく単純ね? それでいいならもうそれでいいんじゃない?」
シオンが首を傾げつつも、「思ったよりも普通ね」と説明に頷く。ここに居るのは全員、魔術に関しては門外漢だが、そうおかしな代物ではないように聞こえる。だが、一応魔術師であるヌルスは苦笑いしながら勘違いを修正した。
「そんな訳ないぞ。そもそも人間の魔術が肉体を通すのは、それによって魔力を適量に調整するためなんだ。そういった調整をせずに魔力を直接魔術式にぶち込んだら出力の調整ができない。火薬に火を放つようなものだ」
「……よく無事だったわね、それ」
「全くだ、いきなり人の体を操って強制的に使わせるんだから吃驚したぞ! おかげで体の魔力ラインがボロボロだ。ちょっと休まないと普通の魔術も使えそうにない」
ヌルスの記憶がちょっと曖昧だったり、二発放った所で意識を失ったのはそのせいだ。アルテイシアの魔力耐性でもそんな有様なのだから、普通の人間では一発が限界、下手したらそれで爆発四散だ。多分触手だったころのヌルスでも一発が限度だろう。人の体だと思って無茶苦茶やりやがって、とヌルスは改めてヴェル=ザラゴスに憤慨した。
「しかし、悪魔なんてもんが実在するんだな。概念は知っていたが」
「あー、それに関しては俺らも全く同じ感想だわ。信仰と一緒で、実在を信じる人、信じない人それぞれだと思ってたんだが……」
「あははは……」
クリーグとヌルスにじろりと視線を向けられて、アトソンはちょっと引き攣り気味の愛想笑いを浮かべる。
「……説明、やっぱいります?」
「当たり前じゃん」
「ですよねぇ。ええと、なんていうか。確かに悪魔は実在します。悪魔が住む世界も。それはこの世界と隣り合った、しかし決定的に分かたれた世界だと言われています。このあたりは魔術師であるヌルスさんの方がお詳しいのでは?」
そのあたりは魔術の基礎でもあるのでヌルスも理解している。魔術に必要不可欠な魔力、それはこの世界にもともと存在しているものではなく、違う世界からこの世界に染み出しているものらしい。魔術の触媒も、それを通してアチラ側から魔力を引き出すためのものだ。つまり魔術の世界では、異世界の存在が実証されている。
「まあ、うん。つまり地獄だか魔界だかが存在してる訳か」
「ええ。ですがその世界の存在は、基本的にこちらに来る事は出来ません。世界線を跨ぐには大きな力が必要だそうですが、力が強ければ強いほど、こちらの世界から拒絶されるのです。ただ数少ない例外が……」
「生贄やら似姿やらを使ったポゼッション、という訳か」
顎に手をあてるようにしてアトラスが考え込む。
「……なるほど。表向き、悪魔の存在が空想で片付けられているのはそれが原因ですか。呼び出し方がはっきりしてしまえば、それを試す者が増えてしまう……」
「そういう事です。ですので、皆様も出来れば今回の事はご内密に。興味があっても試すなんてもってのほかですからね、ヌルスさん」
「名指し!?」
がーん、とヌルスは涙目になった。そんなに信用が無いのか、と肩を落とす。
「まあそれでも悪魔王なんて大物が出てきたのはビックリしましたけどね。普通は下から数えた方が早いような小物なんですが……」
「それだけ触媒になった魔物が強大だったという事だろう。そういえば、本物と偽物、よく似ていたが……いやまあ、存在感は別物だったけど。あの魔物を用意した黒幕は、悪魔王を見たことがあるのだろうか?」
「恐らく逆でしょう。悪魔王が、あの触媒に似た姿でこの世界に顕れたのかと。根本的に異なる世界、物理法則すら共通か疑わしいものです」
つまり、あの姿が真の姿ではないだろうし、真の姿などというものがあるのかどうかも怪しい、そういう話だ。
まあ、どっちにしろ今後、二度と出会う予定はない。正体がどうとか、ヌルスにとってはもはやどうでもいい話である。
……会わないよな? ちょっとだけ彼女は不安になった。
「ま、不幸なトラブルだったと諦めるしかないか。幸い乗り越えられたことだしな」
「そうだな。何はともあれ、9層は突破したのだ。しっかり休息を取ったら10層に踏み込もう」
「だな。なーに、あんな化け物相手にしたらもう怖いもんはないさ。それに、あとは最奥で引きこもってる老人を引っ張り出してギルドまで連れていくだけの話だ、大して苦労する事もないだろうよ」
からからと笑うクリーグだが、ヌルスも同意見だった。
そもそも、三体の規格外魔物を番犬として配備していたのだから、その奥にいる本人がそれより強いという事はあるまい。黒幕がいつから迷宮を私物化していたかは不明だが、少なくとも10年や20年ではあるまい。相当な高齢であるはずで、いかな優れた魔術師であっても肉体的には限界が来ているはずだ。
なんだったらとっくの昔に本人は寿命で逝去していて、迷宮の機構だけが残っていた、というのも考えられる。仮に何かしらの抵抗があったとしても、先の悪魔王ほどの脅威ではあるまい。
終わってしまえば、あっけないものだ。
胸元を押さえ、ヌルスは少しだけ感慨に浸った。
あと少し。あと少しで、迷宮の外に出られる。
結論を出すにはまだ早いが、少し期待するぐらいは許されるだろう。
「アルテイシア……あと少しだ」