望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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第百五十三話 昏き貌のヴァルザーク

 

 歪みの魔術。

 

 それは、恐るべき始原の魔力を直接引き出し行使する、禁じられた魔術である。

 

 それが何故禁じられたか、それはひとえに始原の魔力が人間に扱えるものではないからである。歪みの力は魂を傷つけ、癒えぬ傷を齎す。

 

 ヌルスが知らず使っていても無事だったのは、魂無き魔物である事、千切れても裂けても新しく生えてくる触手魔物という生態のおかげで、致命的な事にならなかっただけに過ぎない。

 

 そしてそんなヌルスであっても、最小限に魔力を絞ってようやく制御できる代物である。

 

 そんな歪みの魔術を、人間の魔術師が縦横無尽に振るう。

 

 あり得ない、としか言いようがない。

 

 言葉を失うヌルスに代わってシオンがその事実を糾弾した。

 

「嘘でしょ……使ったら死ぬんじゃないの、その魔術って」

 

「はったり、と言いたい所だが……」

 

 仲間達が動揺を露にする。

 

 その声を聴いて、茫然としていたヌルスの時間がようやく動き出す。彼女は当惑を棚に上げて、切羽詰まった声でアトソンに確認を叫んだ。

 

「……アトソン、アトラスの怪我の具合は? ケガをしていないだろうな?」

 

「い、いえ。サダラーンが盾になったからでしょう、見た所怪我は……」

 

「う、ぐ……」

 

 アトソンに抱え起こされるアトラスが小さくうめき声を上げる。その苦痛の声に、常と違うものを見出す事はできず、ヌルスは大きく安堵した。

 

 かつて歪みの魔術の実験に挑んだものは、例外なく肉体ごと魂を傷つけられ、癒えぬ傷に失血死するか激痛に狂死したという。見た所アトラスにそのような予兆はなく、恐らくサダラーンが歪みの魔術の一撃を己と引き換えに受けきったのだろう。

 

 だが、逆に言えば奇跡のような力を纏っていた宝剣でさえ、一撃を凌ぐのが精いっぱいだったのだ。普通の武器で打ち合えば今度こそ命はない。

 

「く……!」

 

『ふむ。なるほど、思ったよりも位の高いアーティファクトだったか。我が一撃を受けてまだ命があるとはな。だが、それが何にもならない事を、君ならよくわかっているだろう、ヌルス』

 

「皆、私の前に出るな! いいか、間違っても奴の放つ魔術に触れるな、いいか、絶対だぞ!!」

 

 叫び、触手を展開して前に出るヌルス。

 

 それに対し、ヴァルザークは見せつけるようにゆったりとその右手を振り上げた。

 

『さあ……見るがいい! 我が研鑽の齎した、奇跡を!』

 

 振り下ろされる右手。それに応えるように、魔術師の頭上で炎が渦巻く。真っ黒な炎の塊が、のたうつ蛇のようにヌルスへと襲い掛かってくる。

 

 尋常の炎ではない。始原の魔力を帯びた、歪みの炎。

 

「ちぃっ!」

 

 それに対し、ヌルスはD・レイの同時発動で迎撃した。歪みの閃光が翼から放たれ、共鳴しながら螺旋を描いて黒炎と激突する。

 

 二人の魔術師の間で、空間がぐわわわん、と歪み、炎を巻き込んで空間が渦巻き状に捻じれ、周辺の地形を巻き込んで捩じ切りながら魔力が対消滅する。

 

 背後で仲間達の悲鳴があがった。

 

「うわわわ……」

 

「何が起きてんだこれ!?」

 

「ちぃ……!」

 

 舌打ちするヌルス。心の何所かで何かの間違いであってくれと思っていたが、こうしてきっちり相殺されてしまうと認めざるを得ない。

 

 間違いなく、ヴァルザークは歪みの魔術を使っている。

 

 だが、何故?

 

 一体、どうやって脆弱な人間の身で、あの破滅的な反動から身を守っている?

 

 それを確かめるべく、ヌルスは今度はこちらから仕掛けた。

 

 今魔術を放った二枚の翼とは別、普段は風魔術で移動用に使っている翼を攻撃に回す。激突した魔力の余波も冷めやらぬ中、2発目のD・レイをうちはなった。

 

『ほう、そんな事も出来るのか、器用だな!』

 

 普通の魔術師であれば対応できないはずの速射。しかし、ヴァルザークは動じた様子もなく、振り下ろしていた右手を今度はすっと平行に薙いだ。

 

 それに合わせて、奴の足元が急に冷気によって白く煙る。直後、紫水晶のような濁った氷の柱が爆発するような勢いで成長し、壁となってヌルスの一撃を防いだ。

 

 こちらもやはり始原の魔力を帯びている。

 

 歪みの魔術同士がぶつかり合い、空間を軋ませる凄まじい異音が響いた。空間ごと捩じ切ろうとする紫の光に、氷の防壁が抵抗している。それぞれ逆方向の回転をぶつけ合わせているような、存在そのものが相反して反発するのを、力づくで抑え込んだらこのような音になるだろうか?

 

 魂の奥底まで響くような異音に、人間達が耳を押えてしゃがみこむ。その頭上に、パラパラと煌めく氷の破片が飛び散るのを見て、ヌルスは血相を変えた。

 

「まずい!」

 

 我が身も顧みず、わっと触手を伸ばして広げる。

 

 仲間達を庇うように広げられたそれに、危険な魔力を帯びた氷の破片が降り注いだ。

 

 

 

 鮮血がしぶく。

 

 

 

 頬に散った生暖かい血に驚いて顔を上げたアトラス達が目の当たりにしたのは、自分達を庇って千々に引き千切られるヌルスの触手の有様だった。

 

 ピンク色のぷにぷにとした触手が、まるで挽肉のようにぐちゃぐちゃに引き裂かれていく。ほんの僅かな、欠片のような氷の破片に含まれた始原の魔力であっても、攻撃性を帯びたそれが解放されれば、この世の物質は強度に関係なく破壊される。

 

「ぬ……ヌルスさん!?」

 

「きゃあああああ!?」

 

「いいから……! いいから、私の後ろから動くな!」

 

 仲間達から悲鳴の声が上がる。慌てて治療しようと駆け出すのを、血を吐くような叫びでそれを静止するヌルス。

 

 彼女からすれば、この程度の負傷はまだ許容範囲だ。傷ついた触手が再生する事はないが、切断して新しいのを生やせばいい。黒槍をぶん、と振るうと、ズタズタになっていた触手が纏めて根本から切断され、ビチャビチャと地に落ちた。一瞬の後に灰になるそれらに目もくれず、次の触手をにょろにょろと生やしつつ、ヌルスは眼前の敵を睨みつけた。

 

 ヴァルザークは、変わらずその場に佇んだまま、ヌルスを観察するように見つめている。

 

 そのフードに、ぴっ、と切れ目が入った。

 

 そうだ。あの氷の防壁で防いだとはいえ、その破片の飛散範囲に入っていたのはヴァルザークとて同じ。多少の手傷は免れられないはずで……しかし、彼はその危険性を知りながらも、悠々と小破片を防ぐこともなくその身に浴びた。

 

 そして平然としている。

 

「まさか……」

 

 ヌルスの脳裏に、ついさっき、自分自身で口にした追求がよぎる。

 

 

 

『貴様、自分の肉体を改造しているな? それが主なのか別の副産物かは知らないが、人間のそれではない』

 

 

 

「……まさか、お前……っ!」

 

 そして思い返されるのは、それだけではない。

 

 思い付きを切っ掛けに、これまで見聞きしてきた記憶、記録、それらがパズルのピースのように、カチカチと音を立ててはまっていく。

 

 ヌルスがこの迷宮で自我を得て、それから過ごしてきた事。その始まりの記憶から、全てが。

 

 

 

 迷宮の中に作られた隠し部屋。

 

 そこに収められていた無数の魔術書や、魔術的物資の数々。

 

 7層で目撃した、魔物の肉片を保存した試験管。

 

 そこで行われていたと思わしき、様々な実験。

 

 ヴァルザークの作り出した、アプローチの違う三体の魔物。

 

 そして、魔術書に記されていた、走り書き。

 

 

 

《人の身で扱えぬならば、人を越えればよい。あるいは魔物どもであれば、その反動に耐えられるのでは?》

 

 

 

『ふふふ。ようやく、気が付いたか。ヌルス……我が“弟子”よ』

 

 ヴァルザークがフードに手をかけ、ゆっくりと脱ぐ。

 

 薄汚れた布がずらされた下から現れたのは、枯れ木のようにやせ衰えた老人の顔……ではない。老いさらばえた老魔術師など、そこには居ない。

 

『何故、私が君の存在を気に留め、心を砕き、手を回して装備を与えたと思う? それは君が、私の同類にして、その後を追う者だったからだ。君は知らずして、私の影を追い続けていたのだ』

 

 そこにあったのは、黒く蟠る闇そのものと、赤く燃える三つの目。

 

 野心の炎と、それによって燻ぶる黒い煙。それこそが、ヴァルザーク・ル・カインを名乗った魔術師の本性であった。

 

「あ……ぁああああっ」

 

「シオンっ」

 

 それを目の当たりにしたシオンが悲鳴を上げ、彼女の視線を塞ぐようにアトラスが彼女を抱き寄せる。クリーグとアトソンは声もない。

 

 ただ一人、対面するヌルスが震えながらも怪異と相対する。そんな彼女も、頬を伝う冷たい汗が止まらない。

 

 これは。

 

 この男は。

 

「お前……まさか、自分を……っ!?」

 

『そうだとも。脆弱たる人間、非力たる人間。それ故に魔術の深淵に近づけないというのなら、そんなものは要らぬ』

 

 業、と三眼を燃え上がらせて、ヴァルザークは己の異貌を誇る様に腕を掲げた。

 

『我はヴァルザーク……昏き貌のヴァルザーク! 人を捨て、人を越え、闇の真理に至った者なり!』

 

 その手に、赤い雷鳴が収束する。

 

「っ、皆、私の後ろにっ!!」

 

 ヌルスもまた触手翼を広げ、紫色の波動を放つ。

 

 人を捨て魔へ至った者。

 

 魔を捧げて人へ至った者。

 

 正反対の両者の放つ歪みの力が衝突し、時空間が悲鳴を上げる。

 

「ぐ、ぅ……っ!」

 

 雷鳴と閃光、その二つが互いを侵食し合い対消滅する。

 

 軋みを上げる空間の亀裂。物理法則を超える歪みの力によって、何もない中空が砕け散り、その破片は再び宙に溶ける。

 

 ある意味その光景は、迷宮の有り様に似ている。何もないはずの“無”を異界の力が打ち砕き、それによって破綻した矛盾を現実の修正力が埋め合わせる。

 

 ずきり、とヌルスの目が痛む。崩壊した次元の罅割れ、その向こうに一瞬だけ虹色の何かが見えた気がした。魔眼に何か異様な負荷がかかっている。

 

「奇っ怪な……!」

 

 その悍ましさに改めて戦慄するヌルスとは真逆に、魔と化した魔術師は感極まったように恍惚と呟く。

 

『素晴らしい……。始原の魔力同士が撃ち合うとこのようになるのか。魔術としての出力は上回っているはずなのに、相殺しあう程度が限界とは。破壊プロセスが根本的に異なるのか?』

 

 魅入られたように魔術の衝突跡に視線を向けるヴァルザーク。彼には、歪みの魔術の衝突によって発生した致命的な余波を気にする様子はない。いや、そもそもよく見れば、さきの魔氷と紫光の激突によって発生した小さな破片で、ローブには無数の穴が空いているようだ。

 

 魂を傷つける歪みの力。僅かな破片であっても命を奪うに足るはずなのに、ヴァルザークはそれを意に介した様子はない。

 

「化け物め……少しは痛がったり怖がったりしたらどうだ、研究に事故はつきものだろうが」

 

『ああ、その事かね。私とて、歪みの力を受ければ手傷を追うし、扱いを間違えれば大きな代償を支払うが……そのために魔物になったのだ、対処の一つはしているとも』

 

 ヴァルザークは愉快そうに笑いながら、羽織ったボロボロのローブの前を開いて見せた。

 

 その下にあったのは、氷の破片で引き裂かれた肉体……ではなく、真っ黒な闇そのもの。実体がないそれが、四肢に向かうにつれやがて形をなし、干乾びた枯れ木のような手足を形作っている。

 

「アストラル系の魔物……?!」

 

『そういう事だ。実体が無い故に、そもそも傷を負うという概念がない。歪みの魔術による反動も、その二次災害によるダメージも、この形を乱すだけで、すぐに復元される。ある意味では再生力に特化した魔物、という事かな?』

 

 対面した事はないが、知識だけならヌルスにもある。

 

 ゴースト、レイス、呼び方は様々だが、人間達の間に伝わる怪物によく似た姿をした化け物たち。勿論それらは怪談のように人の魂や怨念が化けて出た物ではなく、魔物……魔力によって構成されたプログラムにすぎない。だが、他と違い実体を持たないそれらの性質は、映像や現象に近い。あちらからも直接干渉できない代わりに、こちらからも干渉は困難だ。

 

 倒せない訳ではないが、その方法は極めて限定される。

 

 基本的に近づけないように対策を行う類の魔物である。そういった、アストラル系魔物の構造的な強靭さを見込んだのは、成程、理論的だ。

 

 道理で言えば、ヌルスのような触手魔物よりもよほど適性があるだろう。

 

「ち……っ」

 

 このまま撃ち合っていては背後の仲間達を巻き込む。幸いにしてヴァルザークの関心はヌルス一人に向けられているようだ。

 

 それもそうだろう。

 

 彼は人を捨て、魔へと至った。今更、弱く儚い人間になど、興味を持つはずがない。

 

 今、彼に取っての最大の関心事は、自分と同じ境地に立つヌルス、唯一人のはず。

 

 そして予想通り、赤い三眼は立ち位置を変えるヌルスを執拗に追い、他には目もくれていない。戦いに茶々を入れられないよう最低限の警戒は払っているようだが、積極的に排除しようという意思は見られない。

 

『健気な事だ。人であり魔物である君が、彼らの事を庇う必要があるのかね?』

 

「明日からの雇用主だからな。宮仕えというのは面倒が多いモノだろう?」

 

『…………はっはっはっは! それならば仕方ないか』

 

 ヌルスの冗談が何かツボにはまったのか、ザルヴァークは呵々と笑う。

 

『律儀な奴だ、生き辛くてしょうがなかろう。もっと自由に生きればいいだろうに』

 

「生憎、糸の切れた凧のような生き方は懲りたのでね。そういうそちらは、すっかり身も心も魔物という訳か?」

 

 互いに皮肉を飛ばしながら、再び魔術を撃ち合う。

 

 今度は黒炎と紫光が激突し、螺旋を描いて相殺し合う。その様子を観察しながら、ヌルスは少しばかり眉をひそめた。

 

 今は互いに様子見、というより研鑽の披露といった所か。ヴァルザークからすれば、ただ撃ち滅ぼすのではなく、その価値と意味を理解できる相手にそれを知らしめる機会でもある。

 

 それに、歪みの力が互いに殺意を以てぶつかり合うなど、今後あるかどうか。研究者としての気質が疼くのは、ヌルスも同じ事だった。

 

 だが、同じ力を振るっているとはいえ付け焼刃のヌルスと、研究と研鑽の果てにそれを掴んだヴァルザークでは大きく熟練度が違う。魔術を放つ度に疲弊していくヌルスに比較して、昏く蟠る闇そのものであるヴァルザークはいたって平然と構えている。あちらも消耗していない訳ではないのだろうが、復元に要する魔力が大きく異なるのだろう。そもそも、アストラル系魔物というのは痛みを感じるのだろうか。

 

 消耗戦ではやはり不利か、とヌルスは唇を噛んだ。

 

『大丈夫かね? 随分と辛そうだが』

 

「生憎痛い目にはなれてるのでな。思考錯誤の過程で犠牲にした触手の数を聞いたら驚くぞ? なんせ私自身も数えきれない」

 

『ほほぅ。素晴らしい覚悟と探求心だ。この力を使いこなすだけの事はある』

 

 ヌルスの冗談に、ヴァルザークは理解するようなそぶりを見せた。彼もまた、多くの犠牲を払ってこの力を手にした、その自負があるのだろう。

 

 しかし。

 

 こうやって互いに歪みの力をぶつけ合わせていると、一つ大きな違いがある事に目がいく。それはヴァルザークも同じだったのだろう、赤く燃える三眼がゆらり、と目を細めるように棚引いた。

 

『しかし興味深いな。力は互角……だが、君と私、同じ魔術でも現れ方が違うようだ。君のは……なんだ?』

 

「こちらから言わせれば、なんでそっちはそんなにバリエーションが多いんだ?」

 

 そう。それはヌルスも気になっていた事だ。ヌルスが歪みの魔術を使うと、それは紫色の魔力、空間の亀裂となって顕れる。それは既存の属性に納まるものではなく、まさに歪みの力、としか言いようがない物だ。

 

 それに対し、ヴァルザークの放つそれは、雷や炎、氷の形で表れている。一見すると既存属性のアレンジバージョンのように見えるが、歪みの力を纏っているのは間違いない。

 

 この違いは、それぞれが使う魔術式の違いだろうか。

 

 ヌルスは、それは違うと考える。

 

 何故ならば、そう。以前、アルテイシアがD・レイの試射を行ったときの事だ。あの時も、ヌルスの放つような紫色の光ではなく、黒い雷鳴のような形で魔術が発動したはずだ。ほかならぬアルテイシアも、不思議そうに首を傾げていたのを覚えている。

 

 術式の違いではない。では、一体どこの何が理由なのか……?

 

『興味深い。こうなったら心行くまで検証してみようではないか』

 

「悪いがこっちは、そのつもりはない!」

 

 再び激突する両者の魔術。空間が悲鳴のような軋みを上げる傍ら、ヌルスはこっそりと次の手を打っていた。

 

 にょろり、と触手を背後に伸ばし、地面に突き刺す。完結した自分自身を切り離し、使い捨ての攻撃端末にする……ヌルスのとっておきだ。

 

「食らえ!」

 

 素早く飛び退り、分離触手の視界に自分と、ヴァルザークの姿を入れる。分離した触手は大幅に記憶力も知能も低下し、戦術的な行動はとれなくなるが、それでもヌルスそのものである事は変わらない。その最優先事項……アルテイシアを守る、彼女の敵を排除する、というのは変わらない。

 

 血走った眼球が傷ついたアルテイシアの肉体と、それと向かい合う敵魔術師を認識すれば、“外敵”を自己の破滅と引き換えにしてでも排除する。

 

 分離触手が、致命的な歪みの魔力を解き放つ。

 

 最大出力のワープボルト。これまで数多の強敵を葬ってきた、ヌルスの最大火力だ。

 

 それに対し、ヴァルザークは……。

 

『一つ、教えておこう、ヌルス。相手に知られている手札を、切り札とは言わぬのだよ』

 

 ヴァルザークが両手をふりかざして魔力を解き放つ。

 

 この時、初めてヌルスはその事に思い当たった。最初、ヴァルザークは複数の魔術を同時展開してヌルス達を攻撃してきた。だが、歪みの魔術の撃ち合いになってから、彼は一つの魔術しか使っていない……!

 

『合成魔術(フュージョンマジック)……矛盾の瀑布!!』

 

 黒く燃える炎。

 

 暗く凍てつく氷。

 

 一見相反する反属性にして、その本質は同じ歪みの魔術。同時発動した二つの魔術が混ざり合い、調和と混沌の激流と化す。

 

 歪みの力を一点に集中させた魔力の弩と、螺旋を描く矛盾の大瀑布が正面から激突する。内に秘めた力を開放し空間を割り砕くヌルスの魔術、混沌に満ちた魔力で空間を飲み込もうとするヴァルザークの魔術、どこまでも正反対な二つの力が鬩ぎ合う。

 

 ばきばき、と音を立てて空間に雷鳴のような罅割れが走る。その音も、どこか歪んで聞こえた。現象の結果と原因が逆転を始め、音がしてから空間が割れ、空間が割れ砕けてから魔術が広がる。

 

 クォォオオオン、と聞いたことのないような鳴動が鳴り響き、亀裂の奥が虹色に輝いた。

 

 空間だけでなく、現実の物理法則までも歪み始めているのだ。

 

 ただし、その様は対等ではない。これまでと違い、中間地点よりもヌルスに大分よっている。

 

「ぐ、ぅ……、互角……いや、押し負けている……?!」

 

『その魔術は何度も見た。研究者が、脆弱点をそのままにしておく訳が無いだろう?』

 

 ヴァルザークの嘲笑うような言葉と共に、ワープボルトが押し負ける形で両者の魔術が対消滅する。 

 

 氷と炎、紫の光が掻き消えて、後には幾重にも重なって罅割れる虚空の傷跡。薄いヴェールを重ねたように、朽ちた葉の葉脈を重ねるように、癒えぬ世界の傷跡が刻まれている。破砕された空間の奥で、さらに砕けた細かい破片が、風に舞う粉雪のように飛び散る。

 

 その小さな破片の一つが、見開かれたヌルスの左目に飛び込んだ。

 

 衝撃。

 

 

 

「あ」

 

 

 

 

 

 痛みはない。

 

 苦痛も無い。

 

 

 

 ただブツリと、ヌルスの意識はそこで途絶えた。

 

 

 

 

 

 

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