望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
『さて、有意義な時間であったが、そろそろ終わりにしよう。そろそろ刻限が近いのでな?』
「刻限?」
ヌルスの問いには答えず、ちらりとヴァルザークは三眼で天井のダンジョンコアに視線を向けた。
どくどくと脈動するダンジョンコア。その内部で、キラキラと純結晶が輝いている……思えば、先ほどから何か、脈動が遅くなっている気がする。
『私には私の予定もあるのでな。叡智を分け合った代価として、我が最高の魔術でもってお前達を葬り去ろう』
ゆっくりとヴァルザークが両腕を広げる。それに呼応するように、彼の背後にいくつもの巨大な魔力の塊が出現する。
黒を纏う赤い雷鳴。黒く燃える炎の渦。黒く凍える氷の塊。黒くうねる汚泥の濁流。黒く渦巻く真空の渦。
歪みの力によって変質した五大属性。本質としては歪みの力が五大属性に似た現れ方をしているものだが、どちらにしろ五種類もの魔術を容易く顕現させて見せるのはまさに大魔術師と形容するほかはない。
「な……」
『いっておくが冒険者達。先ほどのように、大量の魔力結晶を誘爆させて相殺する、だなどと考えない事だ。今度の魔術は、その程度など歯牙にもかけぬ』
「そんな方法で凌いでたのか……」
成程、よい手段だとヌルスは感嘆する。
魔力結晶は高密度の魔力の集積体だ。それを一気に解放すればなるほど、単純な魔力密度で対抗できるかもしれない。8層の魔物との闘いで閃いたのだろうか。
「よくもまあ、そんな手段を。魔術師では逆に思いつかないな」
「いや、呑気に批評してる場合じゃねーだろ!?」
「そうだよヌルスさん!? 何かやばいよあれ!?」
呑気とも取れるヌルスの言葉に仲間達から突っ込みが入る。が、彼女はいたって冷静、どこ吹く風、といった様子でヴァルザークの魔術に相対した。
「なに。今更じたばたしても何にもならない。どのみち手持ちの魔術ではあれに対抗できない。だったら……せっかくだ、全力で無茶をやる」
「ヌルスさん、何を……?」
「なぁに、駄目だったらどの道死ぬんだ、かえって気が楽というものさ」
という訳で皆そろって腹を括ろう。後ろ向きなポジティブさで、ヌルスはしばし目を閉じた。
……悪魔の魔術なら、ヴァルザークに対抗できるか?
可能性はある。
だが、あれを使えばヌルスは魔術を使えなくなる。可能な限り最大出力で叩き込まねばならないが、そうしたら恐らく反動に耐えられない。
では、どうすればいいか。
「爆発する前に、相手に撃ち込めばいい」
す、と黒槍を持ち上げる。短くも濃密な時間を共に過ごした相棒だが、どうやらその時が来たようだと、ヌルスは先端の刃に目を向けた。
いまだかつて見た事が無いほどの超高密度の紫魔力結晶。純度、という意味ではヴァルザークが作り出そうとしたものにははるか遠く及ばないが、触媒としては超一級品だ。
その力を解き放つ時が、どうやら来たようだ。
目を閉じ、脳に刻み込まれた悪魔の魔術の記憶をなぞる。意識せずに穂先が翻り、闇の中に輝く紫色の軌跡を刻んだ。
『ほぅ?』
ヌルスがまた何ごとか面白い事を始めた、とヴァルザークは邪魔を入れず、その様子を観察する。仲間達もまた、息を飲んでヌルスの魔術行使を見守っている。
『なんだ……既存の、人間の魔術様式ではないな? 君は、いったいどこでそんなものを……』
興味深そうに呟くヴァルザークだが、その言葉はヌルスの耳には入っていない。余りに深い集中にトランス状態に入ったヌルスの唇が、謳うように呪文をつぶやいた。
「揺蕩う星よ 蹲る大地よ 我が声を聞け」
「天の理 地の理 それに抗うは 人の理」
「平伏せよ 仰ぎ見よ 我が声 我が言葉に 世界よ 跪け」
それは、いつぞやアルテイシアが口にした儀式詠唱の原文。何故自分がそれを口にしているのか、何故知っているのか、ヌルスにはその自覚も意識もない。
謡う声に合わせて、きらきらと青い光がヌルスの体を包み込む。……人間と違い、魔物は魔力によって肉体を編まれた存在だ。見ようによっては、自前で魔力を持っているとも取れる。その魔力が、儀式詠唱によって増幅され、ヌルスの体を満たしていく。
そして歌の終わりと共に、輝く切っ先が描く刻印もまた完成した。
ぴたり、と槍の穂先の動きが止まる。
くわ、とヌルスが目を見開く。右目は赤に、そして左目は“虹色”に輝いていた。
『来るか!』
応じて、ヴァルザークもまた左右に広げた両手を、胸の前で強く握り合わせた。見えない何かを押しつぶすようにして、言霊を解き放つ。
対するヌルスは黒槍を大きく振りかぶる構え。何度も窮地を救ってくれた相棒との別れに幾ばくかの寂寥を覚えながらも、彼女はそれを振り切る。
『全知収集……森羅万象を微塵と化せ!』
「穿て……」
『ギャザリングストーム!!!』
「魔槍・アルテイシア!!!」
魔に堕ちた賢者が放つのは、五属性を混合して生まれた混沌の濁流。闇よりもなお深い、世界の断絶のような汚泥が渦を巻いて迸る。その軌道上にあるもの全ては虚無へと飲まれ、まるで黒い消しゴムで世界を擦るよう。
それは歪みの魔術の最果て。この世界を侵す、魔力の最も混沌たる有り様。現実世界の修正すらも塗りつぶし、全てを零に還す始原の泥である。
対して、銀色の魔女が放つのは、紫雷纏う漆黒の槍。悪魔の魔術によってその規格外の魔力を解放された一撃を発射直前で待機させ、触手を絡みつかせての人外の魔力で射出する。暴走寸前の魔力によって、触手は次々と千切れ飛び、手は焼き爛れた。
混沌の濁流と、魔槍の一撃が正面から激突する。
拮抗は一瞬、混沌が黒雷を迸らせる魔槍をその渦の中に取り込む。濁流は勢いを衰えさせる事無く、そのまま銀の魔女へと押し迫った。
勝った。
そう思いながらも、ヴァルザークは闇の中に呑まれたはずの紫の輝きから目を離せない。
光が。
全てを無に帰す渦の中で、消えない輝きが燃えている。
それは瞬く間に膨れ上がり、闇の渦を内側から焼き尽くしていく。全てを闇に還す混沌の泥が、それを越える無限のエネルギーによって膨れ上がる。
直後、闇を焼き尽くして、紫色の火柱が四方へと飛び散った。炸裂する星のように、破壊的な魔力の奔流が暗闇を眩く照らし出す。
『うぉおおお!?』
その奔流の一つが、ヴァルザークの体を掠める。それだけで彼の右腕は消し飛び、半身がごっそり消滅した。防御など何の意味もなく、消し飛ばされた躰は再生しない。
全てを消し去る闇の中でも消えない輝きと、触れた全てを零に消し去る破滅の力。相反する存在と消滅の力こそが、魔槍・アルテイシアである。その前に、ギャザリンスストームは打ち消されたのだ。
『こっ、これが……始原の魔力の本質だというのか!?』
ヴァルザークは、歪みの魔術を全てを葬り去る終焉、無そのものだと定義した。それによって生み出された終焉の泥は、存在を、空間を、概念を無と化す。だが、ヌルスはそこにまた違うモノを見出した。
無からこそ、有は生まれる。
意味がないからこそ、意味がある。
魔物という、魂無き虚空から生じた存在だからか、それとも霊視によって得た知見か。
それはヴァルザークの最終回答を否定する、より高次の解答である。
だが。
『素晴らしい、素晴らしいぞヌルス君、私の勝利で終わる事が惜しいほどにな!』
半身を消し飛ばされながらもヴァルザークは残った左手を握りしめた。ヌルスの懇親の一撃は、彼の存在を消し去るには足りなかった。そしてヴァルザークは多少の時間さえ置けば再び、それこそ何発でもギャザリングストームを放つ事が出来るのに対して、ヌルスはとっておきの武器を使い捨てての一撃。
もはや次はない。二大魔術の激突で生み出された空間の乱れが収まり次第、次を放ってそれでおしまいだ。
ヴァルザークは勝利の確信を込めて前を向き、そして見た。
千切れ飛ぶ触手を盾にして、歪みの嵐の中を走ってくる銀色の魔女の姿を。その焼けただれた右手が手刀の形に固められ、歪みの炎を宿しているのを。
「オールオーバー……」
『む、ぅうぅう!?』
咄嗟にヴァルザークは最後の切り札を切った。首元、ローブの下に括り付けていたタリスマンを素早く引き千切る。
それによって仕込まれていた七重もの防御結界が起動する。本来であれば、彼であっても数秒の詠唱時間を必要とするほどの強固な防御陣を一息で発動させるアーティファクト。最後の最後、ヴァルザークのとっておきだ。
それを前にして、ヌルスはひるまない。一息でヴァルザークとの距離を詰めて、右手を振りかぶる。
悪魔の魔術の反動と、それを防いだ相殺魔力。儀式詠唱によって辛うじて後者が勝り、原型を留めたヌルスの手にはその二つの相反する魔力が鬩ぎ合いながら残っている。誰に教えられずとも、ヌルスはそれが戦闘者として自分が持ちうる最大の攻撃であると理解していた。
触れる全てを滅ぼす、必滅の手刀。
壱を零に、零を壱に。世界の理を指し示すその奥義の名は。
「ヌルブレイド!」
超越せし零の刃(オールオーバー・ヌルブレイド)。
その一撃は防御結界を突き抜け、堕ちた魔術師を貫いた。
◆◆
最近できたばかりの、小さな木造の学び舎。
物好きな領主が投資して出来た小さな学院の教室で、二人は出会った。
「僕はヴァルザーク・ル・カイン。君は?」
「……ニコライ・ルクスリア」
青みがかった銀髪を整えた端正な顔の少年が、うつむきがちの少し暗い雰囲気の金髪の少年に語り掛ける。
金髪の少年は一見すると嫌がっているように見えるが、実の所そうではない事を銀髪の少年は知っていた。ただ、彼はあまり人と付き合うのが上手ではないだけで人が嫌いな訳ではないのだ。
それが勿体ないな、と彼は思う。
「これから数年の付き合いになるけど、よろしく頼むね、ルクスリア」
「……ニコライ、でいい。代わりに私も……ヴァルザーク、って呼んでも、いいかな」
「勿論だとも! よろしく、ニコライ!」
人嫌いであれば、このように勇気を振り絞る事はないだろう。ヴァルザーク少年は、精いっぱいの気持ちを込めたであろうニコライの申し出を笑顔で受け止め、右手を差しだした。おずおずと、しかしはっきりと、ニコライ少年もそれを握り返す。
きっとこれから、ニコライ少年にも多くの友人が出来るだろう。そのうち、ヴァルザーク少年も、数多いる友達の一人になり下がるかもしれない。それはそれで、きっと良いことだ。だが……。
ヴァルザーク少年は知っている。このニコライ少年が、人知の及ばぬほどの魔術の才能を秘めている事を。
彼はきっと大成するだろう。隔絶した才能を思うがままに発揮し、誰も及ばぬ魔術の深奥にたどり着くに違いない。
だが、その時、彼は孤独でいられずに済むのか? 誰もが彼を崇め湛え、本当の意味でその隣に立つ対等な友人は居ないのではないか?
どれだけ叡智を、栄誉を極めても、たった一人の孤独な人生は、辛く寂しいものではないだろうか。
「僕が、君の友人になろう」
それが、ヴァルザーク少年の目標になった。ニコライ少年がどれだけ遠くへ羽ばたいても、どれだけ高見に上り詰めて、必ずその隣に追いついて、他愛ない話を彼とかわすのだ。彼に追いつく事ができなくとも、その理解者になれるだけの叡智を、自らも求めよう。
それが、ヴァルザーク・ル・カインという一人の魔術師の源流であり。
そして、長い時の果てに忘れてしまった初心であった。
そんな、百年以上昔の懐かしい思い出を。
遠ざかってしまった教室を、昏き貌のヴァルザークは、懐かしむように垣間見る。
『ああ』
『走馬灯というのは、こういうものか』
ぴしりと。
その燃える三眼が罅割れた。