望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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第百五十七話 記憶の中の故郷

 

 

 最初に感じたのは、肌に触れる冷たい空気の感触だった。

 

 目を開く。

 

 きらきらと輝くような光が、目に差し込んでくる。痛いほどの輝きに思わず目を閉じ、おっかなびっくり、ヌルスはゆっくりと目を再び開いた。

 

 そこは、どこかの森の外れのようだった。

 

 4層でいくらでも目にしたような、木々の生い茂る森と、その狭間にある途切れた空間。

 

 だが、何もかもが違う。

 

 地面は柔らかく、ふかふかとしている。揺れる梢は、朝露に濡れてたっぷりとうるおい、爽やかな香りを風に乗せて運んできている。濃厚な緑の匂いが肺の奥まで染みわたって、思わずヌルスはむせ返った。

 

 顔を上げる。

 

 頭上には、天井はない。代わりに、どこまでもどこまでも続く、透き通るような青い青い天蓋。その中に、綿のような白い雲が浮かび、ゆっくりと流れていくのが見える。

 

 そして。

 

 東の空からつんざくような光を注ぐ、炎の球。確か、太陽だと言っただろうか。

 

 言葉でしか、文字でしか知らなかったものが、今、目の前に広がっている。

 

 それは、つまり。

 

「あ…………」

 

 

 

 

 

 外だ。

 

 

 

 

 

 迷宮の、外。

 

 

 

 

 

 

 

「…………おお」

 

 じんわりと身体を温める日の光に、くすぐったそうに身を震わせるヌルス。自らの身体を見下ろすが、アルテイシアと融合した肉体が消滅する気配はない。肉体に循環する魔力が、現実との間に一枚の薄膜を張っているような、奇妙な感覚がある。

 

 どうやら、見込み通り純結晶を取り込む事で現実空間に適応しているようだ。試しににょろりん、と触手を一本生やしてみるが、灰になる気配はない。

 

 触手を引っ込め、ゆっくりと周囲を見渡す。

 

 握りしめた両手の先にアトラスとシオンが意識を失ったままであるのを確認し、彼女は彼らの体をゆさゆさと揺さぶった。

 

「おきて、おきて。おきろ」

 

「んぅ……?」

 

 寝ぼけ眼でシオンが身を起こす。遅れてアトラスが意識を取り戻し、さらに彼らが手を結んでいたクリーグとアトソンが引っ張られて目を覚ました。

 

「ふわぁ……ん?」

 

「おやおやこれは……」

 

 皆してぼんやりと身を起こして周囲をきょろきょろ。ぱん、とアトラスが自分の頬を叩いて気合を入れた。

 

「っし。……どうやら、無事に外に出られたようだな」

 

「の、ようだな」

 

「迷宮は……?」

 

 シオンの問いかけに、ヌルスは黙って背後を指さす。それにつられて皆が振り返った。

 

「うへあ……」

 

「これ、8層と9層のか?」

 

 そこには、巨大な魔力結晶の山と、黒く濁った色合いの岩山があった。見た所、8層と9層を構成している物質化した結晶体のようである。恐らく、迷宮が消滅してもこれらはその範囲に含まれず、そのまま排出されてしまったようだ。よくみると、岩山の麓に、崩れた砦のようなものがある。状況的に、あれが巣窟迷宮エトヴァゼルの入口だったのだろうか、とヌルスは推察した。

 

 さらに周辺には、様々な装備の冒険者達が転がって気を失っている。

 

 迷宮内部に居た人間は、その崩壊によって軒並み外に吐き出されたようだ。あとは、迷宮内で力尽きた冒険者の残した残留品と、何故かピチピチ跳ねている魚ぐらいなものか。魔物の姿は見当たらない。

 

 アトラスが額に手を当て、呻くように呟く。

 

「……これは……不幸中の幸いか? あの量の魔力と魔素が固体化してない状態で排出されたら、確実に魔素災害が起きていただろうな。物質化していて助かったという事か……」

 

「でもこれ……別の意味で不味くない……?」

 

 シオンの言葉に、一行が「あー……」と同意する。

 

 そうこうしている内に、周囲が騒がしくなってくる。意識を取り戻した冒険者が、自分が外にいる事、目の前の巨大な魔力結晶の山に気が付いて騒ぎ始めたのだ。さらに、何か怒鳴り声を上げて接近してくる多数の人の気配。すぐ近くにある町から、異常を察したギルドの人員が送られてきたのかもしれない。

 

 状況が混沌とし始める予兆。

 

 これは不味い、とアトラスは顔をしかめた。

 

「とにかく一度撤収だ。間違いなく大騒ぎになるから、その前に一度離れよう。特にヌルスさんの事がギルドにバレるとヤバイ」

 

「まあ、そうだな……。流石に正体が魔物ってまでは把握してないだろうが、得体の知れない冒険者の存在はギルドも掴んでたからな」

 

「え、まじで?」

 

 自分が有名人だと全く思ってなかったヌルスがきょとん、と首を傾げる。

 

「ヌルスさん、手あたり次第に冒険者助けてたでしょ。そういうもの好き、珍しいの。噂になってた」

 

「不審人物として捕まったら根こそぎ調べられるからな。そしたら魔物って事もバレて、最悪、監禁されて研究材料に……」

 

「ひぃいいいいいい!?」

 

 クリーグの半ば冗談のような言葉に、ヌルスは本気で心の底から震え上がった。

 

 薬液に浸されてシリンダーの中にぷかぷか浮いているアルテイシアの体を想像し、慌ててその場を逃げ出そうとしたところを、アトラスに首根っこを掴まれて停止する。

 

「落ち着いて。ここで逃げ出してどうするんだ」

 

「い、いや、しかしだな……」

 

「大丈夫、考えがある。とりあえずは一旦、街に行こう。皆もそれでいいな?」

 

 リーダーの力強い言葉に、皆も頷く。異論はない、という事で、一行は騒がしくなる迷宮跡地から逃げるようにしてその場を離れる。

 

 最後に、一瞬、ヌルスは名残惜し気に背後を振り返る。

 

 視界に映るのは、山のようにそびえる魔力結晶と魔素の山。

 

 ……ダンジョンコアの機能停止により、巣窟迷宮エトヴァゼルは完全に消滅した。内部に生息していた無数の魔物も、特徴的な迷宮構造も、ありとあらゆる全ては、幻のように消えてなくなった。もう、ヌルスの故郷と呼べる場所は、この世界どころか、虹色の泡のどこにも存在しない。

 

 脳裏を駆け巡る、これまでの思い出。巣窟迷宮エトヴァゼルを探索した記憶が、鮮やかによみがえる。

 

 1層。チンピラ横目に歩いて回った。

 

 2層。生まれ故郷で、女冒険者に死ぬほど追い回された。

 

 3層。アトラス達と初めて出会い、見逃された。

 

 4層。初めてアルテイシアと出会い、クソデカ魔物に飲み込まれたり、色々あった。

 

 5層。アルテイシアとその仲間達と、賑やかに冒険した。

 

 6層。暗闇の中で、悲劇に抗おうとした。

 

 7層。不気味な肉の回廊の中、新しい冒険が始まり、そして初めての執行者と戦った。

 

 8層。輝く結晶の回廊で、真に仲間と呼べる者達に助けられた。

 

 9層。絶対的絶望に、心ひとつで立ち向かった。

 

 そして10層。すべての黒幕にして、自らの運命の師と呼べる魔術師との出会いと別れ……。

 

 本当に。本当に色々な事があった。

 

 その全てはしかし、もはやヌルスの胸の内にしかその存在を残す事はない。すべては過去、過ぎ去った情報に過ぎない。

 

「……さようなら。私の、過去よ」

 

 最後に一片の里心を滴と零し、ヌルスは先を行く仲間達へと追いつくべく前を向く。それきり、彼女は振り返る事は二度となかった。

 

 

 

 ポララ、とその街は呼ばれていた。

 

 巣窟迷宮エトヴァゼルから、丘一つ向こうにある小さな町。元々は単なる宿場町だったそれが、大きく発達したのは迷宮の発見が原因だ。以降、この街は迷宮探索を行う冒険者達の拠点として発達し、それに伴い、外壁も補強され石造りの壁に覆われている。

 

 しかしながら、一方で人の出入りの管理はひじょうに緩い。

 

 迷宮探索というか、魔力結晶回収の大半を担っているのは、チンピラ紛いの冒険者崩れのような連中だ。あまり出入りを厳格に管理するとトラブルが多すぎる、という事で、冒険者が出入りする分にはそこまできっちりと管理されていない。勿論、街の中で揉め事を興せば非常に厳しい処罰が行われる、という前提あっての事だが。

 

 それに加え、今は迷宮の消失という一大事件が起きている。ギルド関係者が忙しく走り回り、兵士が大勢行き交っている中、普段の業務はほぼ停止状態にある。

 

 故に、冒険者登録をしていない、いかにも怪しげな女がアトラスのパーティーにしれっと増えていても、それを見咎める者はいなかった。

 

「おぉ……」

 

 門をくぐり、街の中に入る。途端に広がる、人間達の暮らす世界。茶色や白、赤。煉瓦や漆喰を塗りたくって積み上げられた外壁が居並ぶ様子に、ヌルスは目を輝かせて魅入り、すれ違う人や出店に目を奪われ、フラフラきょろきょろ、パーティーの一番後ろを危なっかしくついていく。その様子に、アトラス達が初めての散歩に出た子犬の様子を重ねたのはまあ仕方ない事だろう。

 

 子犬には紐が必要である。すすす、と忍び寄ったシオンが、その首根っこをひっつかんで引きずってくる。

 

「うろうろ。しない」

 

「ぐぇー」

 

 そのまま、彼らがまっすぐに向かったのはギルド支部……ではなく。アトラス達の止まっている宿だった。赤い煉瓦造りの立派な建物、入口で受付に軽く頭を下げて堂々と乗り込む。金髪の剣士一行をニコニコと見送る受付の女性が、首根っこを押さえられて引きずられるヌルスを見て目を丸くする。とりあえず、愛想よくヌルスは手を振っておいた。

 

 そのまま、借りている部屋まで連れていかれる。

 

 ガシャガシャと皆が荷物を降ろし、ついでにヌルスはぽーんとベッドの上に放り投げられた。

 

「わふ」

 

「よし。じゃあ今後の事を相談しようか」

 

 アトラスが目くばせすると、シオンがそっと扉に顔を寄せた。数秒たって彼女が首を縦に振ると、今度はアトソンが懐から蝋燭を取り出し、ぼそぼそと何ごとかをつぶやきながら一枚の護符をその炎で燃やした。

 

 途端、ヌルスの肌を不快とも言い難いぬるりとした感触が襲い、ふかふかのクッションを堪能していた彼女はガバリと身を起こす。

 

「!?」

 

「あ、びっくりさせてしまいましたか。外との音の繋がりを断つ結界のようなものです。ひそひそ話にはもってこいでして」

 

「はあー。祈祷はそんな事もできるのか……」

 

 吃驚した、と首を傾げる彼女に、何故かアトソンは苦々しく笑った。

 

「さて、これでようやく今後の事が話せるな」

 

「で、まずはどうすんだ? 巣窟迷宮エトヴァゼルは攻略された、今頃ギルドは事実確認にてんてこ舞いだろうぜ」

 

「ああ。まずは俺達がエトヴァゼルを攻略したと名乗り出ないと話が進まないだろう」

 

 アトラスはクリーグの確認に頷き返すと、懐から一つの魔力結晶を取り出した。

 

 心臓のような形の赤い結晶。見覚えがあるそれに、ヌルスはあっと声を上げた。

 

「ヴァルザークの……! いつの間に」

 

「流石に、証拠品は必要だからね。普通はダンジョンコアを破壊した際に内部にある胚か何かをギルドに示すらしいんだが、エトヴァゼルのそれは改造されてしまっていたからね。代わりに、黒幕であったヴァルザークの遺品であるこれをギルドに提供する事で証拠とする。いいかな、ヌルスさん」

 

「いや、まあ。異論はないが……しかし、そんなものが証拠になるか?」

 

 今回のケースは、いくらなんでもレアケースが過ぎる。迷宮が恐らく百年近く何者かによって私物・改造され、私的に運用されていただけでなく、その黒幕は自らを魔物に変じて人外の存在となっていた。説明されてもホラ話と一笑に付されてもおかしくはないのでは。

 

「そこは問題ないと思う。迷宮でも話したけど、ギルドは、かなりの精度で状況を把握していた。一方で、その解明にはアルテイシアさんの協力がかなり大きいと聞いている。この意味がわかるかな、ヌルスさん」

 

「……つまり。私の事は、意図的に情報が伏せられている、という事か?」

 

 アルテイシアは、ヌルスの事を大切にしてくれていた。

 

 その事は信じたい。そう思ってのヌルスの答えに、アトラスは優しく微笑みながら首を縦に振った。

 

「ああ。彼女と話した時にも、君について触れた事はない。ギルドから提供された資料にも、違和感は全くなかったが……真相を知った今では、ヌルスさんの事を意図的に隠していたのはほぼ間違いない。勿論、その方針はこちらで引き継ぐ。その上で、ヴァルザークが魔物と化していた、という事実はとても有利に働く」

 

「あー、成程。小事は大事の前に霞むという奴?」

 

 シオンが納得したように口を挟む。

 

 巣窟迷宮エトヴァゼルの顛末を語る上で、ヌルスの存在に触れない訳にはいかないが、あまりにも意図的に情報を隠すとギルドにも不審を持たれるだろう。そもそも、ヌルスは人助けしまくっていたので有名な割に、ギルドがその所在を把握していないという事でかなり悪目立ちしていた問題がある。

 

 だが、ヴァルザークという存在がある事で、その違和感は大分払拭される。

 

 そう。ヌルスの事を隠しても、ヴァルザークがいれば、魔物の魔術師が巣窟迷宮に居たという事実に矛盾は生じないのだ。

 

 二人が同じ歪みの魔術を使うというのも、事実誤認を誘うには都合がいいだろう。

 

 ……まあ、アルテイシアと同じ顔のヴィヴィアンというノイズはあるが、似顔絵を知っているのはごく一部の冒険者だ。仮にギルドが把握していても、顔を見せなければ問題ないだろう。あちらも、少し引っかかる程度で動けるほど今は暇ではない。

 

 だから強いて問題を言えば、魔術師ヌルスが悪者になってしまう、という事だろうか。

 

「まあ、その。ヌルスさんの行動が、別人によるもので、全部裏があった、って事にされちゃうけど……」

 

「いいんじゃないか。なるほど、それなら襤褸は出なさそうだ」

 

 申し訳なさそうなアトラスだったが、ヌルスは別に気にしていない。そもそも、冒険者を助けて回っていたのは個人的な、それこそ自分勝手な理由だ。それが他人にどう解釈された事でヌルスには大した問題ではない。

 

 むしろその事が巡り巡って助けになるなら、大歓迎である。

 

「わかった。ヌルス、という魔術師は存在したが、それはヴァルザークが扮していた、という事で話を進めるのだな? 代わりに、ヴィヴィアンという魔術師がアトラス達の助けになったと」

 

「うん。あとはヴェル=ザラゴスとの闘いとかも伏せた方がよさそうだね、話がややこしくなるし証拠もないし。そのあたり含めて少しカバーストーリーを整えて、ギルドに説明しようと思う」

 

「いいな、いいな。そういう話は大好きだ」

 

 いそいそと触手を伸ばして筆記の構えに入るヌルスに、アトラス達は思わず苦笑。きょとんとするヌルスに、忍び寄ったシオンがぺこん、とげんこつを落とした。

 

「いてっ」

 

「迷宮の外で。触手を。出すな」

 

 人目が無いんだし細かい事を気にするなよう、とヌルスは涙目でシオンを見返したが、返ってきたのは深ーい溜息であった。

 

「なんだよぅ」

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