望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
ポララの街の大衆食堂。
10年以上に渡って冒険者達の腹を満たしてきた大食堂ではあるが、迷宮の完全攻略にともなって寂れるかというとそうではなく、むしろ、開店以来の大繁盛の真っ最中であった。
人でごったがえす食堂に、店員の威勢のいい声が響いている。
「今日限り、食堂名物魚料理が半額! 半額だよ! 今日だけだから、しっかり食べていってね!」
そうである。
迷宮を利用し、魚の養殖を行っていた食堂だったが、迷宮攻略とその消滅により、その養殖池は無くなってしまった。幸い魚は外から持ち込んだものなので消滅する事はなかったが店の生け簀で今後育て続ける事はほぼ不可能。
割り切って、破格の値段で全放出するというのは、まあなかなかの機転であるといえる。
そんな訳で食堂は人でごった返しているのだが、その片隅で、テーブルを独占する一つの冒険者パーティーがあった。
ハーベスト+α。アトラス達と、ヴィヴィアンである。
「それではー、冒険の達成を記念してー」
「「「乾杯!」」」
「か、かんぱ……?」
機嫌よく、杯を打ち合わせる一行。ヴィヴィアンだけは人間の慣習についていけず、おずおずとこちん、と杯を遅れて打ち鳴らした。
ぐびぐびぐび、とエールを煽る男三人と、ジュースを飲み干す少女。銀髪の魔術師だけは、両手で杯を抱えたまま、おっかなびっくり、ちびちびと中身に舌を伸ばしている。
クリーグが一番に飲み干し、どどん、と空になった杯がテーブルに叩きつけられた。
「ぷはあー! 冒険や厄介ごとの後のエールは格別だぜえー!」
「ははは、そうだな。でもあんまり羽目を外すなよ」
「いや、言わせてもらうぜ、今日外さなかったらいつ外すんだよ。なんせ迷宮の完全攻略だぜ! 冒険者の到達点だ、これが飲まずにいられるかっつーの!!」
飲み干したばかりでさっそく次のエールを店員に呼びかけるクリーグ。アトラスは苦笑しつつも、今日ばかりはそれを止めるつもりはないようだ。
一方、ちびちびぺろぺろエールを舐めていたヴィヴァンに、シオンはちょっと眉をひそめて声をかけた。
「その……みっともないからやめなさいよそれ。苦いの嫌なら別のに」
「あ、い、いや。皆と同じのがよかったから……す、直ぐ飲む!」
シオンが止める暇もない。
ヴィヴィアンは慌ててぐい、とカップをクリーグのように大きく傾け、ごくごくとその中身を飲み干した。数秒後、がらん、とその手から転げ落ちたカップを慌ててシオンがキャッチし、ふにゃふにゃになって崩れ落ちた彼女をアトソンが支えた。
「はらほろひれはれ」
「ああもう、いきなり一気飲みするから……!」
「いやはや、彼女、アルコールで酔っぱらうのですねえ」
感心したように呟くアトソンとは裏腹にシオンは割と深刻に顔をしかめた。冷たい水を店員に頼み、ゆさゆさとヴィヴィアンの体を揺さぶる。
何せ彼女の正体が正体だ。よっぱらってこの衆人環視の中で触手とか出し始めたらいい訳が付かない。
「ほら、ヴィヴィアン、しっかりしなさい!」
「ほらひれ……はっ!? わ、私は一体?!」
揺さぶられていた彼女が突然我に返る。しゃっきりした様子で身を起こした彼女に、シオンは心底安堵した。
「よかった、ふぅ。はい、冷たい水でも飲んで」
「あ、どうも。……今のはなんだ? 思考中枢や代謝機能に深刻な影響が出たみたいで、生体機能が自動的に分解処置を行ったみたいな感じなんだが。毒でも盛られていた?」
「毒っちゃ毒ね」
古来から多くの英雄や怪物が酒を理由に破滅してきた話は数え切れぬほどある。というか、身近でもありふれた話だ。貧民街を歩けば真昼間から酔っぱらって転がっている人間の屑などいくらでも見かける事ができる。
「はあ、毒……毒っ!?」
「おいおい、そりゃないぜシオン。酒の旨さと酔っぱらう楽しさを知らないなんて人生損してるぜ」
「価値観の違いね」
楽しそうに笑うクリーグを切って捨てるシオン。ヴィヴィアンは両者の間でおろおろと視線を彷徨わせているが、その頭の上にクエスチョンマークが乱舞しているのが見えるようだ。
「え? ん?」
「ははは、人によって色々考えが違うのさ。まあとにかくヴィヴィアンはやめておいた方がいいみたいだね。水で我慢してくれ。それともジュース飲むかい?」
「えと、じゃあ、ジュースも……」
店員に頼んで、果実の絞り汁を用意してもらう。
それに口をつけたヴィヴィアンは、それきり無言でひたすらカップを傾けた。どうやらお気に召したようである。
ひたすらジュースを飲み干すだけのマシーンと化したヴィヴィアンを一行が愛でていると、注文の品がテーブルに運び込まれてきた。
魚料理だけでなく、肉料理も山ほど。テーブルに所せましと並べられた美食の数々に、ひたすら水分を補充していたヴィヴィアンが動きを止めて目を丸くした。
「……?!?!?!?」
「あ、なんかビックリしすぎて過呼吸になってる」
「なんかもう、ありとあらゆる出来事に吃驚してないかコイツ? こんなんでこの先、生きていけんのか?」
シオンとクリーグが呆れたようにぼやくが、当のヴィヴィアン本人は色々それどころではない。
目の前に置かれた皿に目を奪われている彼女。色覚、嗅覚、そして味覚全てが、彼女に“貴女の求めるものはこれだ”と訴えかけている。
かつてヴィヴィアンは、魔力結晶を食べて美味いという概念を理解した。それは、魔力結晶が魔物としての彼女にとって必要不可欠なものであり、必要な物は美味しく不必要な物は苦く辛く感じるという人間の味覚機能による恩恵であった。
では、肉体に必要な栄養素が含まれ、かつ、“美味しい”ように調理された、本物の料理が目の前に出てきたら彼女にはどのように見えるか? それも、迷宮での栄養摂取に特化した簡易化されたそれではなく、賞味時間を30分前後と想定した出来立てほやほやの料理であったら、どのように感じられるだろうか?
早い話が。
劇薬と同義である。
「お……おぉ……?」
ぷるぷる震えながら下手な持ち方でフォークを握り、涎をだらだら垂らしながら皿に手を伸ばすヴィヴィアン。流石に、彼女の様子が尋常でないので、周囲の仲間達も「あれ?」とちょっと不安を覚える。てっきり、「うまーい!」という感じで皿に被りつくぐらいを想定していたのだが、今の彼女の反応はどちらかというと重度の薬物中毒かなにかのそれである。
仲間達が見守る中で、照り照りに焦がしたタレが光り輝く肉片をフォークで刺し、口に運ぶ。
もぐもぐもぐもぐ。
…………。
ぱたり。
味覚情報を処理しきれなくなり、ヴィヴィアンは活動を強制停止した。
「あ、気絶した」
「……がっつくぐらいは想像してたけど、そっちか……」
「初めて見ましたね……美味しすぎて失神する人……」
顔を見合わせて、仲間達はいそいそとヴィヴィアンの介抱に入る。
椅子に横向きに寝かせて、シオンがぱたぱたと顔を仰いでやる。流石に彼女をほっぽいて騒ぐ気にもなれず、アトラス達はちびちびとエールを煽りながら料理に舌鼓を打つ。
「お、この照り焼き美味いな」
「この魚のパン粉焼きもなかなか……今後食べられなくなるのが残念ですね」
「まあ、港町とかに行けば食べられるさ」
冷める前に食べてしまおう、と口を運ぶ一行。流石に肉体労働者ばかりなので、机を埋め尽くすと思われた料理も次々と消えていく。
丁度半分ほど食べ終わった所で、失神していたヴィヴィアンが復帰した。バネ仕掛けのようにがばりと半身を起こす彼女に、シオンがびっくりして仰け反る。
「??????」
「吃驚した。目を覚ますなら一声かけて」
「え、あ。ご、御免……」
理不尽な事をシオンに言われ、首を傾げながら椅子に座りなおすヴィヴィアン。彼女は口元を垂れる涎を拳で拭って、きょろきょろと周囲を見渡した。
「……??」
「おはよう、ヴィヴィアン。……その様子だと、覚えてないみたいだね。料理食べて失神したんだよ君」
「あ、アトラス、おはよう。……失神??」
テーブルの上の皿に目を向けて首を傾げるヴィヴィアン。そんな彼女に、シオンは取り皿に分けておいた料理をそっと差し出した。
「男連中が食い尽くす前によけておいたわよ」
「あ、ありがとうシオン!」
子供のように喜んで皿を受け取ったヴィヴィアンが、不器用にフォークを握りしめる。今度食器の持ち方教えないとトラブりそうだな、とアトラスはちょっと思った。
がつがつと下手くそにフォークを料理にさして口に運ぶヴィヴィアン。数度咀嚼すると、ぶわわわ、とその銀髪が目に見えて分かるほど逆立つ。
じわり、とその赤い瞳に涙が浮いてきて、隣で世話をしていたシオンが慌てた。
「う、うう、うう……」
「ちょ、大丈夫? 何か苦手な味付けがあった……?」
「う、美味い……」
がっくりとシオンが肩を落とす。心配して損した。
一方、ヴィヴィアンはまるで人生最後の晩餐に手を付ける死刑囚のように、しみじみと味わいながらゆっくりと料理を食べ進める。一口食べては涙し、一口食べてはぽろぽろと泣く。
賑やかな食堂の片隅でしとしと料理を食べる彼女に、周囲の客がドン引きで目を向けている。アトラスは苦笑いを浮かべつつ、集中する疑惑の目を逸らしにかかった。
「ははは、ごめんね。彼女、ちょっと迷宮に閉じ込められてて、まともな食事をとるのは久しぶりだったんだ。大目に見てやってくれ」
「ああ、なるほど。迷宮攻略でやっと出てこれた、ってわけか。いいさいいさ、好きなだけ食いな! おい、店員さん、このお嬢ちゃんに一品頼む!」
「俺も一つ!!」
迷宮攻略記念というお祭り騒ぎで財布のひもが緩くなっているのか、アトラスの話を真に受けた冒険者たちが次々と小皿を店員に運ばせてくる。
一品一品は大したことがなくても、みんなが頼むと結構な量になってくる。
テーブルの上に次々と並べられる料理を見て、アトラス達は顔を見合わせた。
「……どうしよ」
「食べるしかないね」
げんなりする人間たちをよそに、ヴィヴィアンはもくもくと料理を平らげるのだった。