望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
「湖開き?」
いつものように、冷やした涼しい自室にこもっていたヴィヴィアン。
そんな彼女をシオンが呼びに来たのは、あるイベントのお誘いだった。
「そうよ。水温が一定以上に上がったから、湖での遊泳を解禁するんだって」
「ふーん」
シオンの言い分に頷き、彼女は興味なさげに手元の本に視線を落とした。ちなみに呼んでいるのは、『猪でも分かる魔術入門・中級編』である。
「そっかそっか、じゃあ楽しんでおいで。私は部屋で魔術書を読んでる」
「そっかじゃないわよ、あんたも泳ぎなさい」
本を取り上げるシオン。ああー、とヴィヴィアンは情けない声をあげて本を取り返そうと手を伸ばした。
「か、返して欲しい。大体、なんで湖で泳がないといけないんだ」
「気持ちいわよ、泳ぐの。あんたもいつまでも部屋に籠ってないでたまには運動しなさい、運動」
「冗談じゃない、何が悲しくてアルテイシアの白い肌を日差しで痛めつけないといけないんだ」
なんていうか、迷宮の中で生きる触手らしい視点の反論である。
しかし、こう見えてこの生き物、割とチョロイというのをシオンはよくしっていた。
「あらそう? でもアルテイシアも、こういう時は素直に泳いだと思うわよ」
「なんっ」
「女の子にとって夏の水場はバカンスみたいなもんよー。彼女、運動神経も良かったらしいし、こういうチャンスは逃さなかったと思うわ。でもあー、残念だなあ。肉体を誰かさんが使ってるせいで、貴重な夏の一時を棒に振ったとしったら、彼女、がっかりするだろうなー?」
わざとらしーく煽って見せると、目に見えてヴィヴィアンはムギギギ、と懊悩の表情を見せた。あまりにもちょろすぎる、一周まわって心配になる。
「わ、わかった。アルテイシアも元に戻った時、夏も部屋に籠っていたモグラのように言われるのは不本意だろう。すこしは人間らしく振舞うとしよう」
「素直でよろしい。で、ほら。水着はこっちで選んでおいたから、ちゃっちゃと試着しなさい。試着」
「わかったわかった、そう背中を押すな」
そして、湖。
領主直轄地にある湖だが、夏の一定期間、領民も使用を許される。
何せ大きな湖だ、領主一族だけで独占するのはもったいない。なんだったら民に解放して、楽しく使ってもらおうという訳だ。
利用する方も、マナーには気を遣う。何せ領主様の土地である、ゴミのポイ捨てなどもってのほかであり、楽しみながらもある程度の緊張感は残っている。
結果、観光地としては極めて理想的な、気配りの行き届いた環境がそこにはあった。これが気楽な一般観光地だとこうはいかない。多少の束縛が、好い方向に働く好例である。
勿論時折度を越えた馬鹿は出てくるが、その場合はすぐさま衛兵によって連行される。夏の炎天下でそれでも装備を脱げない衛兵には割と気の毒な話ではあるが。
そんな湖畔の畔で、水と戯れる一人の美少女の姿があった。
「あははは、ふふふふっ。気持ちいいー」
ヴィヴィアンである。
あれだけ渋っていたのはどこへやら。童女のような笑みで、心の底から彼女は水と戯れていた。ぱしゃぱしゃと水を巻き上げたり、ぶくぶくと潜ってみたり、心の底から満喫している。
彼女が身に纏っているのは、シオン直々のセレクションによる、黒ビキニである。アトラスに好意を持つ彼女的に、スタイルの暴力といっていいヴィヴィアンをどう彩るか、というのはかなり悩ましい問題だったが、実際の所アトラスは“そういう目”で彼女を見ている可能性は皆無であるため(いくらなんでも中身が犬猫すぎてそういう気にならない)、思い切って素材を生かす方向で選んだ。
その見立ては正しく、湖に集まった観光客は、水の妖精もかくやという彼女の姿にすっかり目を奪われている。今も、彼女同伴でやってきたらしい男性が、頬をつねられながら引きずられて退場していくところだ。
これで目標は達した。
明日からは、凄い美人がいる、という噂目当てに観光客は倍増する事だろう。
「ふふ……我ながら良い仕事をした……」
そういうシオンは、健康的な肌色に生える白い水着にパレオを巻いている。アトラス以外に肌を安売りするつもりはないがTPOも読んだ彼女のギリギリの妥協の選択ともいえる。これが辺境伯爵家のプライベートビーチとかなら肌の露出も厭わないのだが、いやしかし、しかしあまり肌を露出するのも下品だろうか……シオンの悩みはつきる事はない。
尚、アトラスはああ見えて結構色事に興味津々な所があるのだが、今の所シオンには隠しきれているようだ。これはこれで、気になる相手の前ではカッコつけたい、という男の意地なのだろうが、アンジャッシュしていると言わざるを得ない。
そもそも、彼女を領地に招いている時点でそういうつもりなのだが、気が付いていないシオンなのだった(ヴィヴィアンはもはやペット枠なのは言うまでもない)。
そしてそんなアトラスはというと……。
「そうだね。相変わらずシオンは良いセンスだ」
「そうでしょ、そうでしょ……ってアトラスぅーーー!?」
うんうん頷いた後、一瞬遅れて反応して飛び上がるシオン。
そんな彼女を微笑ましく見つめて、彼は波打ち際で戯れるヴィヴィアンに視線を戻した。
「ちょちょちょちょ、きょ、今日は執務が忙しいって話じゃ……?!」
「うん、だから抜け出してきた。皆が湖で楽しんでるのに一人机で汗を流してるなんてばかばかしいじゃないか。あ、仕事は大丈夫。一日抜けたぐらいで大変な事になるようないい加減な仕事、普段からしてないから」
「あ、そ、そうですか……。はい……」
不意打ちに、何も言えずに俯いて黙りこくってしまうシオン。その頬は、空に輝く灼熱の太陽に負けない程耳まで赤い。
そんな彼女を微笑ましく見つめるアトラス。夏の日差しや湖の波よりも、彼には彼女を見ている方が楽しかった。
そしてそんな二人を、遥か後方で家臣団が監視している。お世継ぎの誕生は早いかもしれないですぞ、と一団を率いる爺やが内心にこにことつぶやいた。
「……あれ? ヴィヴィアンは?」
「………………え?」
そして気が付けば、波打ち際で遊んでいたはずの彼女の姿が無い。
まさか溺れたのか、と身を起こす二人の前で、ずももももも、と湖の湖面が盛り上がる。きゃーきゃーいって逃げ出す観光客達。
そして盛り上がった水面を割って姿を表したのは……
『も゛も゛も゛』
「……何、あれ」
「あ、あれは……まさか! 伝説の……ヴァッシー!?」
ヴァッシーって何よ。思わずつっこみかけてシオンは言葉を飲み込んだ。
それよりも問題は目の前の怪物だ。
現れたのは、鼠色の肌をもつ巨大な怪物だった。湖面につきだした山のような体から、柱のように長い首がのび、その先端には十字に裂ける大きな口がある。身体からは他にもいくつも太い触手のようなものが伸び、そのうちの一つがヴィヴィアンを絡めとって捕まえていた。
「た、たすけてー。おたすけー」
「ちょ、ヴィヴィアン掴まってる?!」
でもなんで? 二人が困惑しながら見ていると、ヴァッシーがその十字に裂けた口をそっとヴィヴィアンに近づけると、舌を伸ばしてちろちろとその頬を舐める。絡みつく触手も、感応的にくねくねしているようで、これは……。
「……あれ、もしかして求愛されてる?」
「ひぃいいいい?! た、助けて、おたすけー! 貞操の危機ーー!!」
「ええい、今助ける、まっていてくれヴィヴィアン!」
アトラスは走り出す。
彼の勇気が、湖の危機を救うと信じて!!
なお最終的にキレたヴィヴィアンが魔術でぶっとばして事なきを得ました。