望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
のどかな街道を、一台の馬車がかっぽかっぽと進んでいく。
白毛の馬を操るのは、金髪のまだ若い青年の御者。ラフだが仕立ての良いシャツを羽織った彼は、碧眼を柔和に微笑ませてのんびりと手綱を操る。
そして馬車の中では、二人の子女が、のんびりと馬車旅を楽しんでいる所だった。
「おぉ……」
「うぇぇえ……」
訂正。楽しんでいるのは一人だけだった。
馬車の中に居る子女は、銀髪の髪を靡かせた色白の少女と、緑色の髪をツインテールに結んだほっそりとした少女。見た目では銀髪の少女の方が年上に見えるが、実際の所はその逆、小さく小柄な緑の少女が姉貴分という不思議な関係である。
だが今は、その力関係も逆転しているようだ。
銀髪の少女、ヴィヴィアンが窓から見える街道の様子を楽しむ一方で、対面に座る緑の少女、シオンは座席につっぷして車酔いに呻いていた。
「シオン、シオン。あの遠くに見えるのはなんだ、山か? 白いぞ!」
「ちょ、ちょっとまって……あぐぅっ!」
ガタン、と馬車が揺れる度に、シオンが苦痛の呻き声を上げる。一方ヴィヴィアンはそんな事は全く関係ないとばかりに、先ほどからずっと外の光景でわあわあはしゃいでいる。
まあ、それも仕方ない話である。
御者の青年、アトラスが手配したこの馬車、決して安いものではなくそれなりに値が張るものではあるが、それでも馬車というのは割かし揺れるものなのである。板バネの発明によって大幅に減衰されたとはいえ、ただの木枠にすぎない車輪には衝撃吸収能力などなく、道の途中でちょっとした石に乗り上げるだけでその衝撃は馬車を突き上げる。
それが数日も続けば、そろそろ辛くもなってくる。
孤児院育ちでもともと馬車になんて乗った事の殆どないシオンは、不規則に続く突き上げるような衝撃の連続で三半規管をやられてしまい、ぐったりとしている。さらにそこになおも無慈悲に追撃が続く訳で、すっかり弱り切っていた。
対して、同じように馬車なんて初めて乗るはずのヴィヴィアンはケロリとしたものだ。突き上げる衝撃を全く意に介する様子の無い彼女に、流石にシオンも疑惑を抱いた。
「ね、ねえ、なんかおかしくない? あんた、馬車初めてなんでしょ、なんで平気なの?」
「ん? ああ、その事か」
シオンの疑問に、ヴィヴィアンはちょっと考えると己の羽織るローブを捲った。その下にはシオンから借りたお古の服を着ているのだが、捲った下では、それ以外にもうにうに動くピンク色の触手が蠢いていた。
そう、ヴィヴィアンは触手少女なのである。彼女は本来ヌルスという名前の魔物であるのだが、諸事情あってアルテイシアという少女と融合している。現在主人格はヌルスにあり、アルテイシアの意識を呼び覚まし彼女に肉体を返すのが彼女の目標だ。
それはともかく、今はヴィヴィアンが馬車の衝撃に平気な秘密だ。ぬるぬる蠢く触手にぎょっとしたシオンだが、すぐにその触手が螺旋を描きながらヴィヴィアンの体を支えている事に気が付いた。
つまり、自前の肉バネである。
「ひ、卑怯だわ!! 触手をクッションにしたのね!?」
「な、なんだ、人前で触手を出すなと言ったのはシオンだろ!? 馬車の中なら問題ないはずだ」
「そうじゃないわよ、自分だけずるい! ずるい!!」
どたんばたんと馬車が揺れる。御者のアトラスが不思議そうに振り返った。
「わ、わかった、わかった! シオンも座ればいい、それでいいな?」
「わーい」
もみ合った挙句ヴィヴィアンが折れ、シオンの分も触手を伸ばす。よいしょ、とその上に飛び乗ったシオンの軽い体を、ぷにぷにとした感触が支える。
「あら、よい感じじゃない!」
「……その。仮にも触手なのに抵抗感とかは……」
「え、別に。ぷにぷにしてるし、ちょっと表面がしっとりぬめぬめしてるのも座りやすくていいわよ。色合いも健康的だし」
そういってさわさわと触手を優しく撫でるシオン、その感触がダイレクトに伝わってきてヴィヴィアンはぶるる、と背筋を震わせた。
なんか癖になりそうな感触である。
「は、はぅ……」
「……真面目になんかよいわね。ちょっとひんやりしてるし……ねえ、ヴィヴィアン、アトラスの故郷にいってちょっと落ち着いたら、馬車の運行サービスで天下狙って見ない? ひんやりクッション、割といけるんじゃない?」
「いや、それは流石に……いや、そうでもないか? 分裂触手が長持ちするようになれば、一週間や二週間ぐらいのクッション、やれない事はないか……?」
捕らぬ狸の皮算用、しょうもない想像できゃっきゃとはしゃぐ二人。放っておくとどこまでも話が大きくなりそうだったが、妄想の翼が羽ばたく前にちょっと待ったをかける声があった。
「なんか楽しそうだね君達」
御者席から振り返ったアトラスが、ちょっと呆れたように声をかける。小さなのぞき窓から覗く彼の目には、車内一面に張り巡らされた触手クッションが視えているので、まあ大分アレな光景である。心臓の弱い人間ならびっくりしてひっくり返るのではないだろうか。こんなのを市井に解き放ったら、商売するまえに新手の怪異として噂になってしまうのは間違いないだろう。
勿論、ヴィヴィアンにそういう悪意の類は全くないのは疑いようもないが。
咎められたと思ったシオンが口を尖らせる。
「だってー。車内でゲロ吐くよりはましでしょ」
「そういう問題じゃないんだけど、まあいいか」
「なんだ、アトラスも羨ましいのか? 座る?」
少女の腕ほどの太さの触手をのばして、ヴィヴィアン。流石にアトラスは苦笑しつつ首を横に振った。
「触手の扱いについてはもうとやかく言わないけど、流石に人目につくと不味いからやめておくよ。それより問題が発生した」
「問題?」
「ああ。どうやら、この先の道が塞がってるみたいだ。他の馬車が立ち往生してる」
ヴィヴィアンとシオンは顔を見合わせた。
馬車は、いつのまにか山の中を進んでいた。森の中を切り開かれた道を進み、崖を越えて先に進む……わけなのだが。
アトラスの操作でゆっくりと馬車が減速し、停車する。完全に止まったのを確認して素早く降りたヴィヴィアンとシオンは、進む予定だった道の惨状に絶句した。
「あらまあ」
「こいつは……」
山道は、まっすぐ大きな崖に向かい、そこで消えていた。崖の下には大きな川が流れており、とても渡れそうにはない。周囲を見渡してもどこまでも岩壁が続くばかり。立ち昇る霧の向こうに、対面の山の岸が視えた。
見事なまでの断崖絶壁だ。
その絶壁に、大きな橋がかけてある。馬車も通れるような幅が広くしっかりしたもので、恐らく近隣の流通を支えてきた重要なインフラであるのは間違いない、のだが。
その大事な橋が、流れてきた土砂によって倒壊していた。損壊が酷く、仮に馬車をここで捨てても渡れそうにはない。
見れば、同じように橋を利用するつもりで来て、立ち往生している馬車が他にもいるようだ。アトラスに率いられて、ヴィヴィアン達も事情を聴きに行く。
「どうも。お互い災難ですね」
「ん、ああ。君達もここを通る予定だったのか。見ての通りだ、ここまで損壊していると、我々ではどうにもならないな。一応、管理している領主の元にはもう連絡がいっているが、補修部隊が来るには数日かかるようだ」
「そうですか……」
すでに出来るだけの対応は済ませてあるらしい。
会話を続けるアトラスを置いて、ヴィヴィアンは慎重に崖に近づくと、落ちないように下を覗き込んでみた。
「ひやっ……」
思ったよりも高い崖に背筋がぶるっとする。遥か下では轟々と音を立てて大量の水が流れている。大量の水なら迷宮内にもあったが、それらがこの勢いで動いているというのはヴィヴィアンには初めて見る光景だ。激しく流れる水に落ちたら溺れるどころではないのは明白で息を飲むと当時に、これだけの流れに耐えうる建造物を作り上げた人間の技術力に感嘆する。まあそれも今は壊れてしまっているのだが。
見た所、上流から流れてきた岩やら土砂やらが直撃した衝撃で、基礎から曲がってしまっているようだ。岩は人間の背丈の数倍もあるようなものまであり、確かにこんなものが川の流れにのって転がってきたら耐えられるようなものではないだろう。迷宮のフロアガーディアンだって一溜まりもない。執行者とやらの一体、地竜が全力で突撃してきたようなものだ。
そこまで見て、はた、とヴィヴィアンは疑問を抱いた。もう一度川の流れに目をむける。
激しく流れて白く泡立っているが、川の水そのものは澄んでいる。大量の土砂が混じっている様子はない。
記憶が正しければ、ここ数日、雨が降った覚えはない。
土砂に目を向ける。大岩等は水に塗れていて、苔などが生えた様子はない。見る限りでは、土砂が橋を襲ったのはここ数日の事のように見える。
おかしい。
つじつまが合わない。
「……?」
「ヴィヴィアン、そんな川を覗き込んでどうした? 何か気になる事が?」
「ああいや。……まあいいや、後で話そう。そっちは何か進展が?」
何やら地図を広げているアトラスに合流する。彼は地図の一点を指さし、ここが現在位置だ、と伝えた上で、少し離れた山の中腹を指し示した。
「この近くに村があるらしい。今晩はここに泊って、別の道を迂回して先に進もうと思う。橋の修理を待っていたらいつになるかわからないからね」
「了解した。ただ、少し気になる事が……」
ヴィヴィアンは自分の目で見て考えた事を伝える。大した事ではないのだが、こういう些細な情報伝達の欠落が後々大ごとになる可能性を考えると、話すだけ話した方がいい。
彼女の話を聞いたアトラスが、ぴく、と眉を顰める。
その反応にヴィヴィアンはちょっと不安そうに確認を取った。
「……やっぱり誇大妄想だと思うか?」
「いや、むしろ逆だね。わかった、すこし伝手を通して話をしておこう」