望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
「こちらで、昼食の準備をすすめております。皆さまも、そちらでお待ちです」
風呂場に案内してくれたのと同じ使用人に引き連れられて向かった先は、大広間らしき区画だった。天井のステンドグラスから光が降り注ぐ下、大きなテーブルに白いクロスと無数の花瓶や燭台が並べられている。その席に、ヴァーシス辺境伯一家はすでにそろって待ち受けていた。
その中にアトラスの姿もある。彼はフォーマルな装束に袖を通し、金髪を綺麗に整えオールバックに撫でつけていた。それ以外はいつもの彼と同じはずなのに、初めて見る髪型と服というだけで別人に見える。いや、実際に感じるオーラが違う気がする。冒険者としてではなく、次期辺境伯、貴族としてのアトラスがそこにいた。
ヴィヴィアンがほぅ、とその姿に感じ入り、シオンが目を奪われて足を止める。その頬がほのかに赤く色づいていた。
「やあ、湯はどうだったかね? 自慢なのだが」
「素晴らしい時間を過ごさせていただきました。湯加減もちょうどよく」
柔和に話しかけてくるクラウスに、ぺこり、とヴィヴィアンが頭を下げる。その様子を見て、慌ててシオンも横にならう。
その様子をみて、クラウスはははは、と朗らかに笑った。
「そう畏まらないでくれたまえ。さて、どうぞテーブルについてくれたまえ。ぜひ、うちの自慢の料理を召し上がっていただきたい。他の家ではいざ知らず、我が家では遠方からの旅人は、風呂と料理でもてなすのが決まりなのでな」
「それはありがたい! 旅の途中はあまりおいしい物を食べられなかったので。嬉しい!」
目を正直な欲求に輝かせてヴィヴィアンが席につく。その横にシオンがおずおずと続き、こっそりと周囲を見渡した。
「オードブルをどうぞ」
二人が席につくや否や、ウェイターが皿を運んでくる。小さな皿の上には、焼いたパンの上に様々な具材を乗せたものが乗せられている。
貴族の料理にしてはわりかし庶民的だ。これが自分たちを気遣ってのことか、辺境伯では当たり前なのか、判断しかねてシオンはアトラスをちらり、と盗み見た。
その視線を受けて彼は柔和に微笑む。
「思っていたのと違ってがっかりしたかい? でもうちでは昔からこれなんだ、僕は好きだよ」
「あ、いえ。その。……わ、私も、好きです、こういうの……」
もじもじとするシオン。一方、ヴィヴィアンは目をきらきらさせて今にも待ちきれない、といった様子を隠そうともしない。
「わくわく! これ食べていいのか? な?」
「ちょっとヴィヴィアン、落ち着きなさい。行儀悪いわよ」
「はははは、すまない、待たせてしまっているかな。勿論いいとも、ぜひ召し上がってくれたまえ」
クラウスの言葉を受けて、ヴィヴィアンがたまらずといった様子でパンを手に取る。上に乗った具材ごと、一口で半分を口にする。
もぐもぐもぐ、とよく咀嚼して、彼女の目がきらきらと輝いた。
「んまーい!! はぐはぐ、はぐ」
「そんな慌てなくても、別に誰も急かさないよ」
「い、いや、焦ってはないぞ? ただ口が止まらなくて……はぐはぐ」
あっという間に皿の上を空にしてしまうヴィヴィアン。そんな彼女の食いっぷりに目を丸くしながらも、他のメンバーも食事を勧める。
クラウスやマリーシア、アトラスはあくまで上品に。テオスは、目の前の食べっぷりに触発されたのか多少わんぱくに。シオンは、周りの目を気にしてちびちびと齧るようにして食べている。
「うむ、今日もよい仕上がりだ。季節の具材をよく使っている」
「ヴィヴィアンさんは、健啖家でいらっしゃいますのね」
「うむ! しかし、お前たちはこれで足りるのか? 私は到底物足りないのだが……お代わりがあるのか?」
きょとん、と無垢に首をかしげるヴィヴィアン。それを見て、クラウスは意味深な視線をアトラスに向ける。彼はそれを受けて頷き返し、優しく彼女の勘違いを訂正した。
「ヴィヴィアン。これはフルコースといって、いくつかの皿が順番に出てくるコース料理なんだ。最初の一品がこれで、次がすぐに来るからちょっと待ってね」
「なるほど! たくさんの料理を順番に出来立てで提供するという工夫なのだな! 待っている間はおしゃべりをしよう、という事でもあるのか」
知識はなくとも、説明された瞬間にその意図や意味をすぐさま理解するヴィヴィアン。その頭の回転の早さに、彼女の事情を把握しているアトラスでも内心驚かざるを得ない。
やはり、根本的に知性が高いのだ。足りないのは知識だけ。
「その通り。だから、あまり急いで食べると次があいちゃうよ」
「なるほど。これは失敗したな。てへぺろ」
小首をかしげてポーズをとるヴィヴィアン。そんな彼女を、向かいの席からテオスがじーーっと好奇心たっぷりの視線で見ている。
やっぱり彼女は年下と相性がいいらしい、いや、年下でもないのか、とアトラスは内心ちょっと困った。あまり弟に変な影響を与えないでほしいのだが。
「ふむ。ヴィヴィアンさんはフルコースは初めてだったのだな。今アトラスが説明したように次の料理が出てくるまで少しかかるから、ぜひ話を聞かせてほしい。積もる話はいろいろあるのだろう? 改めて自己紹介といこう、クラウス・D・ヴァーシス。ヴァーシス辺境伯現当主である。最も、じきに元、がつく予定だがな」
「自己紹介が遅れてしまっていたわ。わたしはマリーシア。アトラスとテオスの母でございます」
「私はテオスです!」
改めて自己紹介をかわす。応じながらも、ヴィヴィアンは視線でちらり、とアトラスに確認を取った。
(どこまで話して大丈夫か?)
(とりあえず当たり障りのないところまで)
一瞬で意思疎通し、ヴィヴィアンは改めてクラウスに向き直った。
「確かに、話すべき事、話したい事は色々ある。だがやはり優先されるは、聞きたい事、ではないだろうか?」
「ほう?」
「大切な嫡男の連れて帰った女が二人。父親としては、我々の素性こそが気になるのではないか?」
どストレートなヴィヴィアンの切り込みに、横でシオンが顔を真っ青にして百面相をしている。横からゆさゆさとヴィヴィアンの体を揺さぶる様子からは、言葉がなくとも彼女が何を考えているのか簡単に見て取れた。
(ばっか何言いだしてんのよ相手は辺境伯よ!? 貴族様よ!?)
(かといって話題をさけてもどうしようもなかろう?)
そんな風にやりとりしている二人だったが、クラウスは特に気分を害した様子もなく、むしろ気分がよさそうに声をあげて笑った。
「ははは! まっすぐ物事をいう娘だ。いや、しかしな、こちらとしてはそういうつもりはない。先ほどは少しテオスが勘違いしたが……」
ちらり、と視線を向けられて、小さな男の子はびくっと肩を震わせた。顔を赤くして、愛想笑いを浮かべている。
「勿論、そのような意図で息子が君たちを連れてきた訳ではない事はわかっている。アトラスはあれで筆まめでな、手紙で君たちの事はよーく聞いているよ」
「ほほう?」
興味深そうにヴィヴィアンがぴくん、と反応する。明らかにそわそわし始めた彼女を、シオンはちょっと不安そうに見つめた。
「どのような事が書いてあったのだ?」
「ふふふ。それを本人の前で聞いちゃうのかね? 変わった子だ。まあ、例えばシオン君については、とても物覚えのよい子だ、教えられたことを水のように吸収し応用する、頭の回転が速くて応用が利く、彼女が秘書をやってくれたら仕事も楽だろうな、みたいな感じの事が書いてあったね」
「ふむふむ」
なんだかんだ言いながら容赦なく手紙の内容を暴露するクラウスに、興味深そうにうなずき返すヴィヴィアン。
勿論、アトラスとシオンは顔を真っ赤にして手で隠していたが。テオスが「おそろいー」と騒ぎ、マリーシアが「やめなさい」とたしなめた。
「それでヴィヴィアン君の事も書いてあったよ。優れた魔術師で、ちょっと幼い言動に騙されがちだが深い叡智の持ち主であると」
「いやあ、そんなことは……あるね! ふふふん!」
自分の事を褒められてまんざらそうでもなさそうに胸を張る。
が、そこで彼女はぴく、と眉をひそめて何かに感づいたようだった。
「……ふむ。なるほど。それで、私の事は“旅に出てから”手紙が届くようになった訳か」
「ははは。話が早くて助かるよ。手紙通りだ」
穏やかに笑いながらも、クラウスの放つ重圧が増す。傍らであわあわするシオンには、にわかに周囲の空気が張りつめていくのがヒシヒシと感じられた。
「アトラスは筆まめでね。迷宮探索の進展について事細かに教えてくれていたよ。道中で出会った、不思議な魔術師の事についても、よく聞いている。だが、そういった情報は途中で途絶え……迷宮攻略と同時に、それまで存在しなかった人物について急に触れるようになった。まるで私に対する説得のようにね。君の事さ、ヴィヴィアン君」
「ふむ。まあ、そうなるな。私がアトラスと接触したのは、それこそ迷宮攻略の最終段階だ。8層のボス戦で孤軍奮闘し命を落としかけていた私を、アトラスが助けてからの仲だ。そこから一気に最下層まで突入したから、手紙が届いていないのは仕方ないだろう?」
「私も最初はそう考えていた。だが、いざ君たちのやりとりを目撃して、大きな違和感を覚えた。君は……何者だい?」
じろり、と戦士の瞳でクラウスがヴィヴィアンを見る。
そういえば、と彼女は思い返した。
アトラスは、後継者としての試練のために迷宮攻略という難題に挑まざるを得なかった。
であるのならば。
現当主であるクラウスもまた、似たような経験があるのではないか? 一人、貴族としてではなく戦士として過酷な試練に立ち向かった経験が。
ふむ、と小首をかしげながらも、彼女はその瞳を禍々しく輝かせた。右目が金色に、左目が虹色に輝く。
異形のオッドアイとクラウスの視線がぶつかり合い、その間の空間が捻じ曲がっていく……少なくとも息を呑んで見守る周囲の者にはそう見えた。
が。
緊迫した空気は、突如として霧散する。
「君は尋常の存在には見えない。もし、アトラスに取り入り辺境伯を脅かそうというのなら容赦はしない……そう思っていたが」
やれやれ、と苦笑してクラウスが背もたれに背を預ける。その視線は、不肖の息子に向けられていた。
「まさか、うちの愚息が正体を知らせていないとは思わなかったのでね。その線は自動的に消失したという訳だ、鎌をかけて悪かった」
「うむ。私はあくまでアトラスという個人に入れ込んでいるのでな。貴族とか王族とか辺境伯とか、人間の事情はややこしくてわからぬ。ただ、アトラスに害をなす者ではない、それだけは我が麗しの君に誓おう。私という存在がある限り、決してアトラスの敵になる事はない」
麗しの君。ヴィヴィアンにとって、それはアルテイシアの事だ。彼女にとっては、命よりも重い誓いである。
その事情を知っているアトラスが、思わず目を見張る。
「ヴィヴィアン……」
「ふふ、わかった。まあ、そのあたりはまた時間があるときにゆっくり聞かせてもらおうじゃないか。今の両目の事も合わせて、ね」
「おっとこれはしたり」
やっちまった、と頭に手を当てて苦笑いするヴィヴィアン。アトラスとシオンも引きつったような苦笑いだ。
と、そこに、空気が読めないのかあえて無視しているのか、すました顔のウェイターが次の皿を持ってきた。
「ポタージュでございます」
一同は顔を見合わせて、とりあえず食事を勧める事にしたのだった。