望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
辺境伯御付きの魔術師となったヴィヴィアンは、そんなこんなで忙しい日々を過ごしていた。
かといって、それが苦痛だとか大変とか、そういう感覚は彼女にはなかった。
毎日毎日、研究と勉強三昧。辺境伯の書庫からなら唯でいくらでも関係書物を読み漁る事が出来る上に、身内には正体ばれしているので触手を隠す必要もない。
でっかい椅子に座って論文を読み漁りつつ、伸ばした触手でカリカリと実験用の魔術式を書いたり、なぞの溶液をビーカーに満たして煮詰めてたり、人外ならではのマルチタスクをフル活用して好きな事を好きなようにしていた。
まあ、実験で失敗して消滅した触手から出てきた魔力結晶をおやつと言わんばかりにパクパクしているのは、アトラスやシオンといった一番近しい身内からも変な顔をされるのだが……(彼らはこれが共食いの範疇に入るのかに頭を悩ませている)。
概ね、ヴィヴィアンはこの世の春を謳歌していた。
とはいえ、宮仕えは宮仕え。
実験や研究よりも、お上から何か指示があればそれを優先せざるを得ない。
その日、ヴィヴィアンはとある理由で、辺境伯閣下の元に呼び出されていた。
「エンシェントへ使者を送る、ですか」
ヴィヴィアンが呼ばれたのは、貴賓を招き入れる応接室らしき部屋。
部屋の中央には大きな大きな木製のテーブルがどどんと置かれ、それを挟んで体がすっぽり沈む程のやわらかーい革製のソファが並べられている。辺境伯閣下の対面で、なかばソファにふかぶかーと沈んで身動きが取れなくなりつつあるヴィヴィアンは、聞きなれない単語に軽く首を傾げた。
対面のクラウスも、小さく頷く。
「うむ。……時に、君はエンシェントについてどのぐらい知っているかね?」
「本に書いてある事なら、一通り」
エンシェント。
それは、人に似て人と異なる者達である。エルフ、バーバリアン、ニンフなどと呼ぶものもいるが、それはどちらかというと差別用語に近い。
彼らの起源ははっきりとしない。ただ、明確に人間と先祖を別にしているらしい、というのは分かっている。彼らは人に似ているが、あまりにも違う生き物であるからだ。
外見上の違いは、一目みて分かる範囲では耳が尖っているぐらいだとされる。だが関節や内臓の位置、臓器の種類など調べれば調べるほど差異は多く、また生物的にもエンシェントは人間より遥かに強靭だ。その寿命は人間がせいぜい60年なのに対し、彼らは数百年以上だともいわれ、身体能力も当然人間以上。他にも精霊魔術と呼ばれる独自の魔術を行使することでも有名だ。
そんなエンシェントは主に、人の立ち入らない森の深部に都を作る。故に、人と普段、触れ合う事はない。これが、彼らの好みの結果であるのか、人間という異種族との接触を避けたかは、識者によって意見が分かれるところだ。
早い話が、普通に生きている限り関わる事のない存在である。
そんなエンシェントに、使者を出すという。妙な話である。
「実はな。ヴァーシス領内には古くから、エンシェントの住まう森が隣接しているのだ。伝説によれば、初代ヴァーシス家当主がこの辺境に派遣された時、彼らエンシェントから友誼を持ち掛け辺境伯の安定に協力し、その見返りとして、彼らの住まう森林部への不可侵条約を結んだとされている。勿論、領民は御伽噺だと思っているし、表向きその森林は危険な獣が住まう禁足地、という事にしている」
「長い付き合いなのですね。もしかすると、閣下も?」
「うむ。辺境伯の当主が代替わりする度に、使者団を送り込み、エンシェントの長老にお目通りをするのが伝統だ。私も、今代の長老と面識がある。エンシェントの寿命を考えれば、今も現役のはずだ」
話を聞いて、ヴィヴィアンは納得した。
当主の代替わりであいさつをするなら、アトラスが戻ってきた事でその時が近い、という事か。その場合、彼の側近ともいえる立場であるヴィヴィアンにも話を通しておくのは自然な流れだ。
そこまで考えて、しかしヴィヴィアンはむ、と違和感に眉をひそめた。
だとしても、聊か性急すぎないか?
「……気が付いたようだな。そうだ、今回の件は、アトラスの当主就任ではない。もっと別の問題だ……正確には、エンシェント側で何かが起きている。それを調査したい」
「根拠は?」
「これはアトラスもまだ知らぬ事だが、当主にのみ許されたエンシェントとの連絡方法がある。それによってアトラスが返ってきた事を伝えたのだが、もう一月も返事がない」
なんか、家の秘奥のような事をあっさり言っている気がするが、ヴィヴィアンは気にしない事にした。なんだか深く考えすぎるとちょっと怖いので。
それはともかく、今開示された情報が全て真実だとすると、なかなかに物騒な話である。
彼女は即決で承諾した。
「了解しました。もとよりエンシェントなる存在、実在するなら話してみたいと思っておりました。私に異存はありません」
「それは助かる。では、ヴァーシス家当主として命じる。アトラス、シオンと共にエンシェントの森へ赴き、異常を調査せよ。これは勅命である」
「承りました」
ヴィヴィアンは頷き、その後、ソファの上でもがもがと呻いた。
しばしの静寂が流れる。
厳粛なやりとりをしたその空気のまま、銀髪の魔女はソファの上で蠢いて、やがてぐったりとあきらめて脱力した。
「……起き上がれません。ちょっと手を貸してくれませんか……」
「……ちょっと柔らかくしすぎたか?」
よっこらせ、と手を引っ張ってもらって、ようやくヴィヴィアンはソファから脱出した。直後にさっとソファから距離を取る。
「まさに人食いソファです。ずっぽりはまったら脱出不可能、職人技ですね」
「ははは……」
苦笑いを浮かべるクラウス。最近は彼も、この生き物がみょうちきりんである事を理解しつつあった。
そういう訳で急に決まった冒険話。
久しぶりにアトラスやシオンと冒険できると聞いて、ヴィヴィアンはるんるん気分で準備を整えた。その気になれば一週間ぐらい迷宮に泊まり込めるぐらいの準備をして、水も小さな池一つぐらい貯め込んでおく。横で見ていたお手伝いさんが、明らかに水位が下がった川の流れとヴィヴィアンの間で視線を往復させて正気度チェックにやや失敗ぎみだったが、まあ些細な事である。
ほとんどピクニック気分のヴィヴィアンだったが、実際の所楽しみにしていたのは彼女だけではなかったようだ。
アトラスやシオンもすぐに準備を整え、出発の用意が出来たのはなんと、話がきてから三日後の朝であった。
まだ朝霧が立ち込める中、領事館の馬車亭に真っ先に姿を表したのはヴィヴィアンである。彼女は、柱に紐で括り付けられている見覚えのある馬に目を止め、気安く腕を振って挨拶した。
「やあ。今回の旅も君が担当か。またよろしくたのうべべべべべべ」
「(ふんすふんす)」
気安く近づいた途端、顔をべろべろと嘗め回されて悲鳴を上げるヴィヴィアン。そのままぐりぐりと力強く顔を擦りつけられてたじたじになった彼女を、誰かが背後からくいっとひっぱって救助した。
「うべべべべ。た、助かった……」
「ははは。すっかり好かれたみたいだね」
「アトラス!」
そこに居たのは、貴族の御曹司らしい、豪華な飾りのついた軍服を身に纏ったアトラスである。紺色の生地に、金色の紐飾り。腰には、真新しい剣をぶら下げている。髪をオールバックに撫でつけた彼は、顔を涎でべしょべしょにされたヴィヴィアンに苦笑いを浮かべている。
「ほら、顔がぎとぎと。早くきれいにしなさい」
「う、うむ(じゃばばばばば)ふぅ。シオンは?」
触手から水を勢いよく噴射して顔を洗い流し、鞄から取り出したタオルでごしごしと顔を拭く。ひと心地ついた所で見ない顔について尋ねると、返事は直ぐ横からあった。
「私ならこちらです」
ぎょっとして振り返ると、そこにはいつの間にか佇む軍服の麗人が一人。緑色の髪をポニーテイルにした、いかにも出来る、といった雰囲気の怜悧な雰囲気の少女。
シオンである。
久方ぶりに対面する友人に、しかしヴィヴィアンは「んぅ?」と小首を傾げた。
「なんだ、どうした。そんな硬い顔して。久しぶりの三人顔合わせなのだから、もっとリラックスしていこう」
「(溜息)ヴィヴィアン様。私は今現在、ヴァーシス家にお仕えする家来でございます。立場としては、ヴィヴィアン様の方が上でいらっしゃいます。礼を逸する訳にはいきません」
「え、ちょ」
まさかの様付けである。
姉貴分に畏まった態度を取られて、ヴィヴィアンはひどく動揺した。
正直いって、気持ち悪い。
「ど、どうしたシオン? 何か悪いもの食べたか? 水飲む?」
「……いや、ですから。立場というものが」
「はっ。もしかして虐められているのか?! 本で読んだぞ、一般家庭出身の主人公が教育係の悪い奴らにネチネチ嫌がらせされてる奴! なんて奴らだ、一度私の手で思い知らせてやる! 心配するなシオン、君との友情に比べれば家での立場なんてうべべべべべべべ」
何やら勝手に盛り上がっているヴィヴィアンが、何やらヤバイ事を言い始めたところで、シオンが遠慮なくその両ほほをひっつかんだ。その額にはびきびきと血管が浮き上がっている。激おこである。
アトラスはあちゃーと頭を抱えた。
「わ、た、し、が!! 礼儀正しく振舞うのがそんなに変?! アンタみたいに面白愉快なお気楽生物じゃないんだから!! きちんとした振舞を覚えるのは当然! でしょうが!!!」
「うべ、べべべ、うべえ!?」
「少しはあんたも人の世に適合しなさい! たてたてよこよこまるかいてばちーん!!」
言葉通りに上下左右に頬を引っ張ったあげく両ビンタ。頬を真っ赤に腫らしたヴィヴィアンが、涙目で崩れ落ちる。
「ひ、ひぃん……」
「ふんっ」
「はははは……まあ、今のはヴィヴィアンが悪いね。反省する事」
まさかのアトラスにも怒られて、ヴィヴィアンは酷く落ち込んだ。
そんな気心の知れたやりとりをよそ眼に、馬はもっちゃもっちゃと飼い葉を貪っていたのだった。