望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
「なんだこいつは!?」
目の前に現れた怪物。それを前に、アトラスは言葉に迷った。
見た所、小さな家ほどもある四足獣タイプの魔物に見える。だが、奇々怪々な姿をそろえた魔物としても、その怪物は異様な見た目をしていた。
毛もなく、甲殻もなく。代わりに、その体表を様々な色の鱗が覆っている。赤、青、黄色、白、そういった模様が、罅割れのような境界線で仕切られて全身を覆っているのは、さながら教会のステンドグラスのようだ。
そしてその模様も一定ではなく、常に蠢き、形を変えながら、丸い文様のようなものがひっきりなしに蠢いている。最初、アトラスはそれが、ヒョウ柄とか、馬の流星のような、毛皮の模様のようなものだと解釈した。
だが、すぐに気が付く。模様は動かない。
あれは、瞳だ。
あの怪物は、全身を無数の眼球で隈なく覆われているのだ。ぎょろぎょろと蠢き流動する無数の瞳が、アトラス達一行を捉える。
ぐわ、と瞳孔が拡大した。
《ピギギギィイイ!!》
「来るぞ!」
「シオン、馬を逃がせ!!」
雇い主の一喝に反応したシオンが、即座に馬と馬車を繋ぐ鎖を切り落とす。半ば恐慌状態になった馬が即座に走り出し、アトラス達はその反対側に退避する。直後、突っ込んできた怪物の一撃が、馬車を粉微塵に粉砕した。
バラバラと飛び散る破片を踏みしめて、怪物がアトラス達に体全体で向き直る。どうやら、逃げ去った馬には関心が無いらしい。
「あの巨体であの速度! 実力的には深層の魔物と同等か!?」
「無駄に兵を連れてこなくてよかったな。何人犠牲になるかわかったもんじゃない」
得体の知れない怪物の強襲に、しかし三人は冷静に対応した。相手が何なのか不明だが、迷宮の中で魔物に襲われていると解釈すれば、冒険者としてのルーチンに従って処理できる。
見た所、相手は尋常の生命体ではない。同様の不可解な形態をとった魔物の場合、その対処方法は……。
「体内に核があればそれを狙う、あるいは行動不能なまでに砕くぞ」
「で、どうなのよヴィヴィアン。それっぽいの見える?」
「無いな。とりあえず、手足を落として胴体を砕く」
虹色の魔眼を輝かせて観察するヴィヴィアンが方針を決める。
もともと魔力の流れを可視化できる彼女だが、眼前の怪物はどうやら魔力を伴ってはいない。それでも断言できるのは、ヴァルザークとの戦いの中で変化した虹色の魔眼のおかげだ。
それが何か、はヴィヴィアンには分からない。だが、右目では見えないものが、この左目では見る事が出来る。そして左目の視界に映る怪物の力の流れは、極めて均一だった。まるで、獣の形の器に水を満たしたよう。
コアのある魔物の場合、肉体の中で極端に魔力濃度が高い部分があるので、それに準じて考えればこの怪物にはそういったものがない、と考えるべきだろう。
「了解した」
「何をしてくるか分からん、一撃離脱を徹底しろ」
「りょーかい!」
方針が決まれば、あとはいつも通りやるだけだ。
剣を抜いたアトラスが前にでて、その後ろにヴィヴィアンが続く。シオンは少し二人から距離を置いて、機を伺いつつ怪物の気を逸らす。
《ピギギギギィイイ!》
怪物がどこから出ているのか分からない、不協和音のような雄たけびを上げる。頭部のように突き出ていた部分がばくりと裂け、口のように開かれた。眼球の牙が並ぶ奥には、渦巻き状に螺旋をえがく無数の目。前衛芸術のような有様に、正面から対峙していると目がちかちかしてくる。
《ピギギギィ!!》
「なんの!」
牙をむいて飛び掛かってきた怪物の一撃を、アトラスが回避しすれ違い様に剣で切りつける。ヴィヴィアンも反対側に飛び退りながら、怪物の側面にファイアボルトを連続で叩き込む。
響くのは、到底生物のそれとは思えない破砕音。ガラスが割れるような硬質な音を立てて、砕けた破片が飛び散った。
《ピギュギュ!》
「まだまだ!」
側面から痛打を受けて苦痛にあえぐ怪物。その背中に、アトラスを踏み台にして跳躍したシオンが飛び乗った。その両手に握られた機械剣が魔力の輝きを帯びる。
背中に突き刺した刃から、魔術の力が迸る。亀裂から炎と電撃が噴き出し、怪物が断末魔のようにのたうった。
「よぉし! 効いてる効いてる……」
「シオン!!」
ヴィヴィアンの警告が、間一髪で間に合った。咄嗟に飛び退ったシオンの残像を、隆起した無数の棘が串刺しにする。ぎょろり、と棘の表面を瞳が移動し、離れた所に着地したシオンの姿を文字通り目で追った。
「助かった、ありがとヴィヴィアン」
「なんの。だが、どうやら奴は不定形生物に近いようだ。見た目で判断すると足元を掬われるぞ」
「となると、砕いたところで仕留められるかどうかは怪しいな……」
アトラスの言葉を肯定するように、動き出した怪物の姿がぐずりと崩れる。見ている前でそれは無数の破片の渦巻きとなり、その勢いのままに肉体を再構成した。
今度は、鎌首をもたげる蛇のような姿。とぐろを巻き、長く伸びた頭部が、頭上からアトラス達を睥睨している。
「どちらかというと群体か。……ヴィヴィアン、何か手はあるかい?」
「いくらでも。高出力の雷魔術で纏めて感電させてもいいし、氷魔術で氷漬けにするのもよい。炎で焼き払うのも、大量の水で圧殺するのもいいだろう。だが、お勧めはもう一つあるな」
がちゃり、とシリンダ-の一つが排出され、それをヴィヴィアンは懐から取り出した別のそれと入れ替える。底に紫色の魔力結晶が組み込まれたシリンダーが、機構内部に吸い込まれる。ごぽり、と垣間見える内部の溶液が泡立った。
「歪みの魔術で纏めて粉砕する。あれが何の力で動いているのか分からないが、歪みの魔術は世界のルールそのものを破壊する禁術。高度な存在ほど、致命傷になる」
「了解した。シオン、奴の動きを封じる、手伝え!」
「おっけー!」
蛇の噛みつきを回避した二人が二手に分かれる。
アトラスの長剣が、一つずつ、丁寧に怪物の目を潰していく。流石にこれは嫌だったのか、首を振り回してアトラスを叩き潰そうとする怪物。
その反対側に回り込んだシオンが、炎と雷を纏った刃で切りかかろうとするが、尾らしき部分が的確に彼女を強襲した。とはいえ容易く当たる事はなく、逆に属性を帯びた斬撃が、槍のように突き出された尾先を輪切りにする。切断面から迸った炎と雷が、破片を忽ちに焼き尽くす。
その様子を見守りながら、ヴィヴィアンは魔術の準備を行っていた。
この相手を丸ごと滅ぼす出力のワープボルトとなれば、従来は切り離した触手の自爆特攻しかなかった。
だが、今は自ら誂えた機械杖の存在がある。これをもってすれば、通常出力のワープボルトであっても、身を削る事なく発動が可能、なはず。
全ては理論でしかない。
調整がギリギリまでずれ込んだ事が悔やまれるが、何。迷宮の時だってそうだった。いつもの事と思えばよい。
『α γ β』
「ワープ……ボルト!!」
始原の魔力が、シリンダーの中の溶液を沸騰させる。ごぽごぽと杖の内部も泡立ち、激しく触手がのたうちまわる。がちん、がちんと杖の機構が展開し、リミッターが過剰なフィードバックを抑え込もうとする。
不安定に軋む機械杖。
果たして、魔術は起動した。
突き出した杖の先端に、紫色の魔力が収束する。一本の槍のような形状を取ったそれを、ヴィヴィアンは杖を振りぬく仕草で打ち出した。
タイミングを合わせて、シオンとアトラスが同時に離脱する。その両者のどちらかを追うか、考えあぐねたように動きを止めた怪物のその中央に、歪みの魔弾が突き刺さった。
《?!??!??!》
声にならぬ絶叫が響き渡る。
空間を捩じり、割り砕いていく歪みの魔術。渦を巻く亀裂に巻き込まれた怪物の全身が、パリンパリンと音を立てて砕けていく。
そして収束。完全に空間を捩じ切った歪みの魔力は一点に収束し、紫色の閃光を放った。ばきばきに砕かれた空間の亀裂が、逆再生のように消えていく。
あとに残るのは、原形をとどめないほどに破壊されつくした、怪物の残骸だけだ。かつては色鮮やかであったそれらは、今は灰色一色に染まり、ぶすぶすと煤けていた。
「よし。なんとかなった……」
「相変わらずおっかないわねえ……」
魔術の成功に満足そうに頷くヴィヴィアン。彼女は己の両手をまじまじと見つめているが、フィードバックがあった様子はない。右手の傷口が広がるような事もない。
ただ、機械杖のほうはちょっと駄目そうだ。明らかにオーバーヒートしてます、といった有様で、各部の放熱弁が開ききり、中の溶液はごぼごぼと泡立っている。中に収納されていた触手は、哀れな事に負荷に耐えかねて灰になってしまったようだ。熱々の粘液がぴゅぴゅ、と飛び出してきて、あちちちち、とヴィヴィアンは杖を取り落とした。
「大丈夫?」
「なんとか。ううむ、あとで分解してみてどこに負荷がかかっていたか洗い出さないといけないな、これは……」
じゅううう、と音を立てて草むらに転がる杖を諦めて、ヴィヴィアンは仕留めた怪物の残骸に目を向けた。
動き出す様子はない。
間違いなく、これは完全に滅びている。
「で、なんだったんだ、これは」
「魔物じゃない……よな。灰にならない。かといって、まともな生物でもなさそうだが」
「歪みの力で即死したって事は、このナリで魂があるって事?」
一同、ううん、と首を傾げる。
特に、ヴィヴィアンはかなり納得しがたい。この怪物を動かしていた力が魔力ではなかったというのもそうだが、もしこの怪物に魂があったとしたら、それは彼女達触手魔物より高等な存在という事になる。
これが。この目ん玉の集合体みたいな生き物がである。
とても受け入れがたい。
「まあいい。こいつはエンシェントの森から出てきた。当人たちに聞いてみればわかるだろう……」
「……ヴィヴィアン!」
アトラスの警告。
とっさに振り返ったヴィヴィアンの目に映ったのは、今まさに空中から飛び掛かろうとする、蜘蛛のような形をとった小さな怪物の姿だった。
馬鹿な。奴の破片は全て焼き切った……加速する時間の中で訝しんだヴィヴィアンだが、すぐに気が付く。
一番最初の攻防。アトラスとシオンが挟撃した時、アトラスはただ普通に切りつけただけだった。その時の破片が、密かに集結して活動を再開したのか。
まずい。今のヴィヴィアンは無手だ。反撃する手段がない。
視界の端で、アトラスとシオンが動き出すのが見えたが、恐らく間に合わない。
せめてもの抵抗で、伸ばした触手を盾にしようとするが、恐らくそれよりも相手の爪がヴィヴィアンの体を引き裂く方が早い。
こんな所で……絶望と諦観に歯を食いしばる。
ゆっくりと、怪物の爪が迫る。その爪を構成する瞳が、じっとヴィヴィアンを覗き込んでいる。
不意に。それがぎょろりと、明後日の方向に向けられる。
キラリと冷たい輝きが、怪物を横から撃ちぬいた。
どさり、とヴィヴィアンの横に弾かれた怪物の体が落ちる。
途端に、通常の時間間隔が戻ってくる。触手を伸ばしかけで身を固くしていたヴィヴィアンは、驚いたように草むらの中でもがく怪物を見下ろした。
その体に突き立つ、一本の矢。
直後、矢から電撃のような魔力が迸り、怪物の全身を焼いた。声もなく痙攣した怪物が、今度こそ本当に動かなくなる。
「え……」
「ヴィヴィアン、無事か!?」
驚嘆する彼女を、アトラスが抱きしめるように後ろから支えた。間近に迫る必死な彼の顔に、ヴィヴィアンはあらためて自分が命の危機にあった事と、それを脱した事を自覚した。
「あ、ああ。無事だ……なんとか、助かった。いや、助けられた?」
「今の矢は……」
視線を向けるのは、エンシェントの森だ。と、森との間に、立ちはだかるようにしてシオンが割って入る。壁になるように佇む彼女の肩越しに、ヴィヴィアンはその人影を目撃した。
森の中、大きな木の枝の上に、一人の少女が佇んでいる。
金色の髪。緑色の瞳、白い肌。身を包むのは、萌黄色の簡素な衣服。上半身には革の胸当てと籠手をはめ、手には今しがた矢を放ったばかりの弓が、その弦を揺らしている。
そして何よりも特徴的なのは、その耳。
木の葉のように鋭くとがったその耳について、ヴィヴィアンは事前に聞かされていた。それは、ある人に似て人ならざる者達の、一番大きな特徴であった。
「エンシェント……」
呟くような独り言に、きっ、とエンシェントの少女が睨むような視線を返した。
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