望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
第二層を被害を出さずに強行突破したアトラス一行。
だが、背後を塞ぐ氷の壁とていつまでも持つものではない。幸い、敵の亡骸を巻き込む事ができた事で想定以上に大きくなった事もあり、数時間ではおそらく溶けない。だが、一日は持たないだろう、というのがヴィヴィアンの見立てだった。
「魔術によって生み出されたものは基本、まやかしだからな。氷は解けて水になり、水はどこかに染み込んで消える。最低限の自然現象らしいつじつま合わせは行われるが、その本質は自然のそれではないのだよ」
「そういうものなのか……」
目の前でシンと聳える氷の壁を前に、アトラスは実感がないものの、専門家の言う事だしそうなのだろうと納得せずとも理解はした。
こんこん、と叩いた氷の壁の存在感はかなりのものだ。これが一日も経たずに溶けてしまうというのは俄かには想像しがたいが、ヴィヴィアンが言うのだから間違いはないのだろう。
「そうだ。エヴィリンの精霊魔術でどうにかならないかい? 聞いた話だと、精霊魔術は精霊の力を借りて自然現象を引き起こすのだろう? 完全な氷の壁で覆ってしまえないのか?」
ダメ元でエンシェントの弓使いにも尋ねてみる。軍服の上着を羽織ってぬくぬくとしていた彼女は突然話を振られて吃驚した様子だったが、しばし考えて首を振った。
「すまない、期待には応えられそうにない。精霊魔術は確かに自然現象を操るが、その規模はそう大きくはないんだ。あくまで、大自然のお目こぼしに預かっているに過ぎない。それに今の迷宮内は精霊の力がどうにも希薄で」
「そうか、それなら仕方ない」
「となると、あとは時間との勝負ね」
今現在、迷宮内にはシャードビーストがひしめき合っている。彼らは魔物ではない以上、魔物の基本原則……階層を越えて移動しない、転移陣に近づかない……といったルールから逸脱している。この氷の壁が解けてしまえば再び追撃が始まるだけでなく、第三層での決戦にも介入される恐れがある。そうなったらかなり面倒だ、勝ち目がない、とは言わないが。
「いや、もっとてっとり早い方法がある」
「え?」
首を傾げる一行の前で、ヴィヴィアンはにゅるりん、と触手を伸ばした。まだ慣れてないエヴィリンがぎょっとする前で、触手がぷくぷくりん、と先端を膨らませる。
直後、大量の水がその先端から噴出した。
どぼぼぼぼ、と大量の水が氷の塊に吹きかけられ、たちまち凍り付いていく。
数秒後には、本物の氷がカチコチに道を塞いでいた。元々あった魔術の氷と合わせれば、もうちょっとした城塞並みの分厚さである。
「ふぅ。これでよし、そうそう簡単には突破されまい」
「え……水……え? どこに? え?」
「気にしない方がいいわよエヴィリン、この不思議生物に物理法則当てはめないほうがいいわ」
ヴィヴィアンの細い腰と、通路を塞ぐ氷の壁の間で視線を行き来させるエンシェントをシオンがとりなす。その目は、細かい事を考えるのを放棄した魚の目をしていた。
アトラスの方はというと苦笑しつつ、率直な感想を口にした。
「でもこれ、もしヴィヴィアンが三層の戦いで倒れたら僕ら全員閉じ込められるよね? いくらなんでも私やシオンではこんな分厚い氷の壁割れないんだけど」
「あっ」
「あっ、じゃないわよお馬鹿」
どうやら後の後までは考えていなかったらしい。
ちょっと顔を赤くしつつ、をほん、とわざとらしく咳き込んでヴィヴィアンは態度を取り繕った。
「まあいいじゃないか、どの道勝って生きるか、負けて死ぬかだったんだ」
「そりゃそうなんだけど……」
シオンは半眼でヴィヴィアンをねめつけていたが、はあ、と小さくため息をついて気分を切り替えた。
今はそんな事を問い詰めていてもしょうがない。
「とにかく、敵の親玉さえ仕留めてしまえばあとは何とかなる。このまま第三層に突入、ダンジョンコアを抑えている敵を撃破する。やる事は変わらないな」
「その……もし、本当に駄目そうなら、その時は構わない。ダンジョンコアごと破壊してくれ」
「いいのか?」
エヴィリンの発言にヴィヴィアンが目を丸くする。
話を聞く限り、ユグドラシルの泉、そしてそれが座する世界樹という大樹はエンシェント達の心の拠り所のように見える。聖域といっても過言ではないだろう。それを失っても構わない、と言い出した彼女は、こくん、と決意を込めた顔で頷いた。
「族長としてのケジメだ。もはや、事態は我らエンシェントのみで解決する事は叶わず、そして貴方達外部の来客の力を借りなければもう我々には未来はない。そして優先されるべきは、自らの力で己を守れなかった我らの誇りなどではなく、来賓である貴方達の命だ。ダンジョンコアがある限り連中が増殖するというのなら、その破壊ももはや厭わない」
「随分しおらしい事を口にするのね。ついさっきまで人間どもめー、とか、人間の助けなど不要だー、とか言ってなかったかしら」
「うぐ……」
エヴィリンの言葉に、眉をひそめてシオンがここぞとばかりに言い返す。一連の言動に腹を立てていたのは彼女も同じであり、大分根に持っていたようだ。
痛い所をぐさぐさと刺されて呻くエヴィリンに、まあまあ、とヴィヴィアンが庇いに入った。
「よせよせ、今はそんな事を言い合っている場合ではないだろう。とにかくエヴィリンの誠意は受け取った。もし駄目だ、と思えば歪みの魔術でダンジョンコアごと吹き飛ばすが、そうなるまでは可能な限り努力しよう。アトラス、それでいいな?」
「勿論。異論はないよ」
アトラスが頷いた事で、一同の目的意識は一つとなった。
別に、今更改めて目標を確認するまでもない。一連のやりとりは、死地を前に僅かに残っていた蟠りを解消するための儀式のようなものだ。
もはや一行には何の躊躇もない。
「いくぞ。得体の知れない怪物達には、闇の底にお帰りいただこう」
アトラスの言葉に頷き、一同は青く輝く転移陣の輝きに飛び込んだ。
ユグドラシルの泉、第三層。
転移陣から出た一行は、待ち伏せを警戒して即座に武器を構える。
だが、しばらく様子を伺ってもその気配はない。
警戒しつつも臨戦態勢を解いた彼らは、改めて周囲の風景に視線を向けた。
「こいつは……」
ユグドラシルの泉、つまりこの迷宮の最深部。そこは、緑色のツタが複雑に絡み合って構成されたドーム状の空間だった。
迷宮の深部であるにも関わらず、外壁を通過して柔らかな光が届き、周囲は比較的明るい。地面は木の根のようなものが複雑に絡み合って床を構成しているようだ。ただ、なんだろうか。ヴィヴィアンにはそれが、どこか荒れ果てているように見えた。
背後に光る転移陣は、そのドームの壁際にあるようだ。そしてドームの中央部分は大きくくぼみ、そこには大量の水が称えられている。
そして、ドームの反対側。転移陣と逆の壁際に、大きな水晶の木のようなものが生えている。ドームの天井を突き破って伸びているらしきその木の根元に、何か光る輝きが見えた。
それを見たヴィヴィアンの左目が虹色に輝く。高濃度の魔力を感知して視界が勝手に切り替わり、彼女に渦巻く不可視の力を垣間見せた。
「見えた。あれがダンジョンコアだ。……正常な状態のコアを見るのはそういえば初めてだな、あんな感じなのか」
「それは私もだな。シャードビーストの姿は……いまの所みえないな。エヴィリン、どうだい」
「酷い……」
周囲を警戒しつつ、この場を一番知るであろうエヴィリンに声をかけるアトラス。だが彼女は、茫然としながら第三層を見渡しているばかりだ。
「エヴィリン?」
「あ、す、すまない。あまりの荒れ果てように目を奪われていた……」
「……そんなにか?」
肩眉を顰めるアトラスに、こくり、と彼女は頷いた。
「第三層は、本来なら魔力結晶を実らせる花々で一面が覆われていたんだ。それが今や、見る影もない。全部毟り尽くされてしまっている……。あの泉だって、本来なら湖面が見えないぐらいに柔らかな水草が生い茂っていて、緑の羽毛のようだったんだ。ひどい……どうしてこんな……」
「ふむ。植物食……だったようには見えなかったから、魔力か。とにかく根こそぎ、手あたり次第に魔力資源を食い漁ったという訳だな。分かってはいたが、芸術を理解する頭は連中にはないらしい」
エヴィリンの言葉にかつての第三層の景色を夢想しながら、ヴィヴィアンは肩を落とした。出来れば、その美しい光景を見てみたかったが……。
「まあいい。ここを取り返せば見られる事だ」
「ヴィヴィアン?」
がちゃがちゃと準備をする彼女に、アトラスが訝し気に尋ねる。
彼女はそれには応えず、背中から触手翼を展開しながら正面へと向き直った。その視線の先には、波紋ひとつ立たない湖が見据えられている。
「アトラス。巣窟迷宮エトヴァゼルの第8層の事を覚えているか?」
「え? あ、ああ。一面魔力結晶で出来た結晶回廊だったね。それが何か?」
「そうそう。その魔力結晶の回廊だが、どうやって魔力を抽出、結晶化していたか、知っているか?」
妙な事を言い出すヴィヴィアンに首を傾げるアトラス。
とはいえ彼女が意味のない事を言うはずがないので、うーん、と記憶を探って答えを探す。風呂周りで確か、彼女が8層で湯汲をしていた、みたいな話を聞いたことがある。その時に話していたような。
「ええと、確か4層から水を下まで運んできて、その過程で水に溶け込んだ魔力を抽出してた、って仮説だったよね。……水?」
そこでようやくピンときて、アトラスはユグドラシルの泉第三層に存在する、文字通りの泉に目を向けた。
それは、つまり。
「こういう事だな……!」
ヴィヴィアンが、触手翼から中級の雷属性攻撃魔術、ライトニングトルネードを放つ。文字通り渦を巻く黄色い閃光が泉へと降り注ぎ、激しく帯電させて湖面を青白く発光させた。忽ち水が泡立ち、沸騰する……よりも早く、湖面が激しく泡立ち、何かが湖の中でのたうち回った。
《ピギギギギギィイイイ!??》
それは、無数のシャードビーストだった。湖の底に潜伏していた、数えきれないほどの欠片達が超高圧電流に感電してもがいている。
だがそれも数秒の事。雷のそれには及ばないとはいえ、生物を絶命させるに十分な威力の電撃を叩き込まれ、たちまち灰色の残骸になって湖面に浮き上がる。
まともに交戦していれば苦戦は免れられなかったであろう数のシャードビーストに、アトラスの額にたらり、と冷や汗が伝った。
「まだこんなに潜んでいたのか……!」
「泉に溶けた魔力を糧に増殖していた訳だな。で、ようやく親玉のお出ましという訳か」
油断なく杖を掲げるヴィヴィアンの視線の先、光り輝くダンジョンコア。その周辺に、一体どこに潜んでいたのか、滲みだすように無数の欠片が這い出して来る。
それは瞬く間にダンジョンコアを、水晶の樹を覆いつくし、さらに膨れ上がった。内部に取り込んだコアから魔力を吸い上げながら不気味に蠢くそれは、異界の植物、あるいは深海の軟体生物のようにも見えた。
シャード・ヒュドラ。
これこそ、ユグドラシルの泉を蝕む怪異の中枢。
無数の鎌首をもたげた不定形の怪物が、耳をつんざく嘶きを上げる。
《ピギギギギギイイイ!!!》
「来るぞ!」
「私達の泉を、平和を! 返してもらう!」
エンシェントの弓使いが、引き絞った弦から矢を放つ。
それに対し、ヒュドラは無数の破片を礫のように射出する。
両者の攻撃が空中でぶつかり合い、泉の上で真っ赤な爆炎を上げる。
それが、ユグドラシルの泉における最後の戦いの狼煙となった。