望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
シャードビーストは滅ぼされた。
ダンジョンコアに寄生していた本体の殲滅を確認後、アトラス達は十分な休息をとってから引き返し、二層に残っていた個体を殲滅した。ビースト達も自分達の親玉が討伐された事を把握していたのか抵抗らしい抵抗はなく逃げ腰で、駆逐は容易かった。
特に僥倖だったのは、もともとエンシェント側がビーストを街に引き込んで殲滅する段取りを整えていた事だろう。
迷宮から逃げ出した個体も少数いたが、広く取られた防衛線によって捕捉され、最後の一匹に至るまで問題なく殲滅された。見落としもヴィヴィアンの魔眼による観測がある以上あり得ない。
ヴィヴィアンの殲滅完了宣言に沸き上がった歓声は、神殿の床を震わせるほどであった。
とはいえ、本当に忙しいのはこれからである。
エンシェントの里は多数の負傷者が溢れかえっているし、破壊された家屋の修復など、人手はいくらあっても足りはしない。それでも、復興作業に勤しみ、怪我人の手当てをする彼らの横顔は、希望に満ち溢れたものである。
そんな中、エンシェントの神殿には今回の件における功労者が集められていた。
すなわち、アトラス、ヴィヴィアン、シオン達である。
「この度は、我が娘達とその里を救って頂き、感謝の言葉もない。その勇猛さ、屈強さ、何よりも優しき心に、最大限の感謝を」
「いえ。同じ大地に住まう隣人として、当然の事をしたまでです」
謁見の間、もはや当然のようにカーテンが開かれた中で、上座に佇むスカーシハとアトラス達は言葉を交わす。
アトラス達は下座に膝をつき、スカーシハを見上げるように会話しているがこれは形式的なものだ。エンシェント達のみならず、人間から見ても半神相手に対等の立場など恐れ多い。
「何よりあのシャードビースト達が里の外に出ていれば、私の愛する領民達にも大きな被害が出ていた事は確実。それを犠牲を省みずに抑え込んでくれたエンシェントの里にこそ、私達は感謝せねばなりません」
「それは、結果論に過ぎないというもの。何よりも、貴方達の助けが無ければ、どのみち里は滅びていた。恩には恩を。可能な限りの謝礼を以て、気持ちばかりの感謝とさせていただきたい。生憎、そう大したことはできませんが……」
どうぞどうぞ、いいえいいえ、と言った感じのやりとり。
それを横で澄ました顔で聞き流すヴィヴィアンは、欠伸を噛み殺すのに必死だ。
実の所、エンシェントの里とどういう話で手打ちにするかは既に決まっている。段取りは一通り終わっていて、こうして褒章だのなんだのの話をしているのは儀礼的な意味合いにすぎない。早い話がお互いの面目を立てているだけだ。
人の世というのは真に奇っ怪で回りくどい、と半ばあきれながら、ヴィヴィアンは進んでいく儀式を聞き流していた。
が。
「それでは、どうしても褒章は要らないと?」
「ええ。ですが、もし許されるならば一つ……我が大切な友人の願いに一つ、応えていただけはしないでしょうか」
アトラスとスカーシハが揃って視線を一人の少女に向ける。
その視線が自分に向いていると数秒経過して気が付いたヴィヴィアンは「?!」とすまし顔を困惑に崩した。
こんな話は聞いていない。
「あ、あとらすぅ?」
「ほら、ヴィヴィアン。君には君の願いがあるだろう? スカーシハ様に申し出てみるといい」
「え、あ、ちょ」
困惑していると、いつの間にか後ろに回ったシオンがぐいぐいヴィヴィアンを前に押し出す。その顔は余所行きのすまし顔のままで、どうやら自分はいっぱい喰わされたらしいとようやくヴィヴィアンは理解した。
「は、はわ……」
「ふふ。すいませんね、不思議な人。吃驚したでしょう?」
「わわ、と、ええと……」
予定していなかった話の流れに困惑したのも束の間。
ヴィヴィアンは眉をひそめながらもゴホンと咳をして気持ちを切り替えると、ふんす、とスカーシハの前で余所行きのすまし顔を整えて見せた。
「ええと……僭越ながら、自己紹介を再度。私は、ヴィヴィアン・ル・カインと申す者です。ですが、ご察しの通りかと思いますが、これは私の真の名ではない。私は、人間であり、人間でないもの。人外としての私の名は、ヌルス。そして、この肉体の本来の持ち主の名は……」
「アルテイシア様。そうですね?」
「は、はい、そうです。……その、何故、その名前を……?」
顔を隠すヴェールの向こうで嫋やかに微笑むスカーシハに、ヴィヴィアンはおずおずと尋ねかけた。
思えば、初めてあった時から彼女はヴィヴィアンの事情を把握しているようなそぶりであった。だがそんな筈はない。アルテイシアの事は表向きは秘密で、道中でも迂闊にその事を話題にするような事はしていない。仮にスカーシハが森で起きている事を全て把握するような神通力の持ち主だったとしても、口にしていない事は知れないはず。それとも、その知覚範囲は遠く辺境伯領都まで届いているのだろうか? いくらなんでも、そんな事は考えづらいが……。
「そうですね。思わせぶりな事ばかりを口にして惑わせてしまいましたか。理由は単純です、私には、人の魂が見えるのです」
「魂が……?」
「ええ。ですので貴方達が都に入った時、神殿のテラスから姿を伺った時に、はっきりと私には見えたのです。一つの肉体に、二つの魂がある貴方の事が」
かたん、と床に何かが落ちる音。
それは……。
「二つ……今、二つの魂と、申しましたか?」
ヴィヴィアン。銀髪の魔女が、赤紫の瞳をこれでもかと見開いて、スカーシハを見つめている。
「ええ。間違いなく、貴方の中には二つの魂があります。一つは今、こうして表面に出て喋っている貴方の魂。その陰に隠れて、小さく弱ってしまっているものの、確かにもう一つの魂があります。それらの魂に刻まれた名前もまた、私は見通す事が出来ます。私は出来損ないといえど、半神ですよ? その程度の事、なんという事はありません」
どこか得意げに語るスカーシハ。
しかし、その言葉はすでにヴィヴィアンの耳には届いていなかった。
茫然と膝をついたまま、自らの胸に手を当てるヴィヴィアン。胸の奥でとくん、とくんと鳴り続ける鼓動を感じる彼女の瞳から、一筋の涙が伝った。
「ヴィ、ヴィヴィアン……?」
「アルテイシア……本当に? 彼女の魂は、本当にここに?」
「……ええ。何も心配する事はありませんよ。彼女の魂は、ずっと貴方の傍にありました。貴方が、彼女を殺してその肉体を奪ってしまった、なんていう事実は、どこにもありません。安心してください」
スカーシハのその優しい言葉を聞いて、くしゃり、とヴィヴィアンの顔が歪んだ。彼女は顔を押さえて、その場に蹲る。小さな泣き声が聞こえてきて、アトラス達はちょっと困ったように眉をひそめながらも、優しく彼女の様子を見守った。
ヴィヴィアンは……ヌルスは、ずっと不安だった。
その懸念は最初からあった。アルテイシアは、迷宮のあの暗闇の中で本当に死んでしまって……今ここに居るのは、彼女の肉体を乗っ取った化け物なのではないかと。死者の尊厳をただ悪戯に踏みにじっているのではないかと。
その疑惑は、歪みの力で傷ついた右手の刻印によってますます深まる一方だった。それでも、可能性を信じてここまでやってきた。
それは、間違いではなかった。
アルテイシアは取り戻せる。
それだけで、ヴィヴィアンは全てが報われたような気持ちだった。
一しきり涙を流して、ようやく落ち着いてきた彼女はくしゃくしゃになった顔をハンカチで拭いながら、まだ動揺に震える声でスカーシハに謝る。
「す、すまない……気が動転して……」
「いいえ、いいえ。大切な人の為に涙を流す時間が、無為とは思いませんよ」
「ありがとう。……ですが、一つ疑問が。二つの魂、と仰いましたが。……私はあくまで魔物です、魔物に魂はないのでは?」
正直な疑問をぶつけてみると、スカーシハは顔を隠すヴェールの上からでもはっきりと分かるほど、きょとん、とした。
数秒硬直した後、何がおかしいのか、口元を押さえてくすくす笑い始める彼女。ヴィヴィアンは首を傾げた。
「あの……?」
「ふ、ふふふふ、おっかしい。貴方、それだけ感情豊かに振舞っておいて、まさか自分に魂が無いなんて思っていたのですか……? ふふふふふ」
「あ、いえ、それは、その。魔物ってそういうものでは……?」
魔物はあくまで生き物のように振舞うプログラムである。その感情や思考はそのように見えるだけで、計算式の結果に過ぎない。
が、改めて指摘されると、ヴィヴィアンは自分で自分がその範疇にいないような気がしてきた。ぶっちゃけた話、計算式で動く存在が退屈な儀式に暇して欠伸したり、姉貴分と漫才に走ったりするだろうかと問われると、客観的に見てNOである。
横で話を聞いていたアトラス達も、しみじみと頷く。
「ああ、やっぱり、そうだよね……」
「あれで実は情も心もない人形でしたー、と言われるほうがビビるわ」
「同意」
何故か護衛のエヴィリンまで混じってしみじみと頷いている。おかしい、彼女とは知り合って三日と起っていないはずなのだが、とヴィヴィアンはちょっと拗ねた。
「魂とは、名に宿るものです。最初から、ではなかったでしょうが、ヌルスと名乗り、己の有り様を自分で決めた時点で、貴方は魔物ではなくなっていたのでしょう。全く自覚が無かったのには驚きですが」
「い、いや、しかしそれでは話がおかしくありませんか? 魂ある者は、歪みの力に耐えられないはず」
「歪みの力?」
明らかにキョトンとするスカーシハに、エヴィリンが走り寄って耳打ちする。禁忌の力の事だと説明された彼女は、納得したように頷いた。
「ああ……なるほど。そういう解釈をしていたのですね。まあ確かに、魂を傷つける禁忌の力に、魔物はそれを持たないから使っても大丈夫……一見筋が通っているようですが、肝心な所を見落としてますよ」
「肝心なところ?」
「魔物でも禁忌の力を打ちこまれたら死ぬでしょう?」
あっけらかん、と言われて、確かに……と一同は納得した。
「ヴィヴィアン様、貴方が禁忌の力に触れても大丈夫なのは、単にその魂の出所が普通の命よりもあちら側に近いからです。他の生き物が生きていけない毒の泉でも、そこに生まれた命はなんともないような話ですよ」
「い、いやしかし、ヴァルザークは人間から魔物になった事で、歪みの力を使えるようになっていた。やはり魔物に魂はないのでは……?」
「ええ? そんな事やった魔術師が居るんですか? ……まあ、それについてはその……なんていいますか。そもそも、私はこうして魂を観測できますが、貴方達はできないでしょう? 何をもって、魂がある、無いを判断するのですか?」
半神の指摘に、ヴィヴィアンは唖然としたまま首を横に振った。
言われてみればそうである。
魔物が自律した魔術式であり、現象に過ぎない、というのは道理的な話である。だが、それに少し考えを縛られすぎていたのかもしれない。そもそも、アルテイシアの肉体と融合したヴィヴィアンは、その定義においてももはや魔物ではない。
これまで当たり前のように前提にしていた事を突如ひっくり返されて、ヴィヴィアンは正直混乱していた。疑おうにも、相手はエンシェントの里が保証人をしている半神である。魔術という学問が出現するよりも昔から生きている存在の意見は流石に無視できない。
「口を横から突っ込むが……遥か東の果てでは、付喪神、という概念があるそうだ。唯の道具であったものが、長年使い込まれることによって使い手の命を吸い、やがては魂を持った存在になるという。こちらでいうインテリジェンスウェポンともまた違うものらしいが……魂がある、無い、などという話自体が、神ならぬ我々の身で語りきれるものではないのかもしれないな」
「エヴィリン……」
だから気を落とすなよ、と言わんばかりのエンシェントの友人のフォローらしき豆知識が、心の傷にじんわりと染み入る。さっきとは別の意味でヴィヴィアンはちょっと涙した。
「ぐすん……ちょっと嬉しい……」
「良かったわね。これである意味、魔物権は認められたみたいよ」
「うん……」
地味にこれまで魂が無い云々に傷ついていたヴィヴィアンである。彼女がさっきまでとは違う意味合いで流す生暖かい涙を、一行はほっこりしながら見守った。
「をほん。失礼しました。……それでその、私の願いはその、アルテイシアを目覚めさせて彼女にこの肉体を返す事なのです。スカーシハ様、何とかなりませんか……?」
気を取り直して、己が願いを嘆願するヴィヴィアン。
その健気な願いに、スカーシハは白いヴェールの向こうで、優しく慈母のように微笑んだ。
「ええ。勿論。貴方の願いを、私達は叶える事が出来ます。……どうぞ、こちらに。エンシェントの里の最秘奥を、ご案内しますわ」