望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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第百八十九話 シンパシー

 

 

 突然の提案。

 

 それに、ヌルスはしばしなんと答えたらいいのか戸惑い、沈黙した。

 

 ややあってヌルスは、まず正直に応える事にした。

 

《まず、はっきりと言えば、興味はある。興味はあるが、しかしスカーシハ様が何故そのような事を言い出したのか、そちらの方が私にとっては大事だ》

 

「うふ。ご興味はもっていただけているのですね」

 

《もちろん。だけど、そうやって普段からヴェールで隠しているという事は、何か訳アリなのだろう? 見た所、このエンシェントの里の者達も貴方の素顔は知らないように見えた。そんな秘密を、いくら恩人とはいえ昨日今日見知ったばかりの触手に伝える、その意味合いが気になる》

 

 うねうね、と触手をくねらせながらヌルスは正直な気持ちを伝える。

 

 別にスカーシハの事を疑っている訳ではない。

 

 が、それはそれとして相手は半神だ。人間の事もよくわからぬヌルスに、人ならざる半神の事など分かるはずもない。

 

 これで素顔を見た相手は一生里に閉じ込められる掟があるとか、そういうのがあったら困る。流石に。

 

「いえ、私も突然の話で申し訳ありません。本当に、深い意味はないのです。ただ、人と魔物、その両方を知る貴方なら、私の素顔を受け入れてくれるのではないか、そう思ったのです」

 

《……エンシェントの里は貴方の事を受け入れていると思うが?》

 

 仮にスカーシハの素顔がとんでもない醜女だったとしても、エンシェントの里の者達は気にしないだろう。

 

 そんなヌルスの言葉に、スカーシハは小さく首を振り、そっと顔を隠すヴェールに手をかけた。

 

「そうですね。きっと、そうでしょう。……でも、この顔を見ても、まだそう思えますか?」

 

 ゆっくりと、白いヴェールが捲られていく。ヌルスは無数の目を瞬きさせて、真正面から彼女の素顔と向き合った。

 

 そして、隠されていた彼女の顔が明らかになる。

 

《…………》

 

 顔立ちは、ヴェールの上からでもわかっていた事だ、実に整っている。

 

 肌は白く、しかし仄かに桃色に色づいた頬。瞳は若葉のような淡い緑に煌めき、目鼻の筋も整っている。柔和に微笑むスカーシハの素顔は、まさに万人の想像する女神そのものであり……同時に、それは半分だけだった。

 

 彼女の素顔の右側半分。

 

 それは、老婆のそれとも岩とも知れぬ、焦げ茶色の荒れ果てた肌に覆われていた。唇は単なる切れ込みで、ほほはゴツゴツとして岩のよう。美しいエメラルド色の瞳は変わらぬが、それは人のそれではなく蟲の単眼のようなもので、一つではなく三つほど不規則に顔に並んでいた。よくよく観察する内に、ヌルスはその荒れ果てた肌が、年経た樹木のそれである事に気が付いた。そう、世界樹の樹皮のような。

 

 半人、半樹。

 

 それが、スカーシハという半神の本性であった。

 

 ふと、ヌルスの脳裏に彼女の言葉が思い返される。半神と知って頭を下げるアトラス達に、彼女はたしかこう言って頭を上げさせたのだったか。

 

 『梢を揺らす風、森に注ぐ日差しが、肉を持ったものだと思って頂ければ』と。あれはたとえ話でもなんでもなく、ただの事実だったという事である。

 

 そしてそんな彼女の正体を見た、ヌルスの正直な感想というと。

 

《……なるほど? 人は勿論、草木や花にも好かれそうな顔立ちだな》

 

「あら、お上手」

 

 心を読んで会話する彼女相手におべっかなど成立しない。ストレートな好意に、スカーシハは指で口元を隠しながらくすくすと笑った。

 

《少し驚いたが、まあ道理の範疇である。世界樹の化身、という事か。世の中の雄花が君を見れば、花粉を受けてほしいと思うのかもしれないな。ほかならぬ魔物の私にさえ、美しく見えるのだから》

 

「まあまあまあ、もしかして口説かれているのですか、私? どうしましょう、永い時を経てはじめて……という訳でもありませんが、とても珍しい事です。正直困ってしまいますわ、本気になっていいですか?」

 

《素直に褒めただけなんだが……?》

 

 そういうのはちょっと……と触手をへにょりと引っ込めるヌルスに、スカーシハは今度こそ隠しきれない笑いを零した。くすくすくす、と両手で口元を押さえながら上品に笑う彼女は、気持ちを落ち着けるのにしばしの時間を要した。

 

「ふ、ふふふ……ご、ごめんなさいね。ふふ。こんなに笑ったの、久しぶり……ふふふふ……」

 

《構わないんだが、なんでどいつもこいつも。私の事をお笑い芸人かなんかだとおもってやしないか?》

 

 ぷんぷん、と一本の太い触手を振り回して遺憾の意を示すヌルス。残念ながら、横から見ている限りだと天然の本物としか思えない、と思ったスカーシハだが、深い森のような器でその言葉は飲み込んだ。

 

「だとしても樹木の気持ちになりきって誉め言葉を贈られたのは初めてです。新鮮な誉め方でした。こんど娘達にもお願いしてみましょう」

 

《無茶ぶりやめてあげて》

 

 エヴィリンが困り切った顔で硬直するのが目に浮かぶようだ。それでもあの生真面目な女性は、うんうん頭を捻って無理にでも誉め言葉を絞り出そうとするのだろう。多分、とんちんかんな内容だろうけど。

 

《エヴィリンは彼女なりに真剣なんだ、そりゃあまあ、見てて面白い空回り方をしてるようだが……》

 

「そこが良いのですよ」

 

《だからってからかっちゃ可哀そうだろ》

 

 お互いに軽口を叩きながら、カップを傾ける。舌を湿らすしばしの間、会話が止まった。

 

 カタン、と皿の上にカップを戻しつつ、ヌルスは納得したように呟いた。

 

《しかし、成程。世界樹の涙……スカーシハ様は、あそこから生まれたのか? もしかして。妙に詳しいのを少し疑問に思ったが》

 

「あら、ご明察です」

 

 嬉しそうに人面を微笑ませて、スカーシハは頷いた。

 

「私が初めて自分を認識したのは、あの滴の中でした。何かの拍子であそこに世界樹の涙が溜まり、そこに生じた神性が私だったのでしょう。生まれながらにして完成した存在である私でしたが、その精神は未成熟。たまたま私を見つけたエンシェントの女性に保護されて、そこで数百年を過ごしました。ふふふ、30年もしたころには私はその事をほとんど忘れて、すっかり自分はエンシェントの一人だと思い込んでいたのですけどね」

 

《そりゃあ、周りが自分と似た姿で、かつ自分に好意的ならそうもなるな……》

 

「まあ、それでもこの顔の事がありましたから……どうして私だけこんな顔なんだろう、とはずっと思っていました。当時の私にはこの顔は忌まわしいもので、育ての親以外には隠していました。ですから、私の出生と正体をあらためて教えられた時、吃驚するより何だかしっくりきたのをよく覚えています」

 

 懐かしそうに過去を語るスカーシハ。そのゆらゆらと揺れる瞳の輝きに、ヌルスはぼんやりと見入りながらこう思った。きっと、そのエンシェントは良い親だったのだろう、と。

 

「そして、私は半神として、エンシェントの里を離れて同胞達の元に向かいました。正直ちょっと不安でしたが、彼らは何の力も持たない私を、快く同胞として迎え入れてくれました」

 

《他に半神はどのような者が居たのだ?》

 

「私が向かったのは、ここからさらに北にある、ロンドヴルム山脈に集う半神の城です。そこに居たのは、雷神の息子や息女、半神半獣の戦士、氷雪の女神。いずれも天変地異の如き力を駆使する、半神と呼ばれるに相応しい存在でした」

 

 かつての仲間達を誇らしげに語るスカーシハ。だが、その横顔に、不意に影が差す。

 

「……最も、仲間だと思っていたのは、私だけだったかもしれませんが」

 

《伝説では、半神達はある時を境にふと姿を消したのだったな。……理由は一体なんだ?》

 

 ヌルスの問いかけに、しかしスカーシハは首を横に振った。

 

「わかりません。彼らは私には何も告げず、ある日突然姿を消しました。城の仲間達だけでなく、この世界に点在していた多くの拠点に居た半神達もまた、恐らくほぼ同時期に。そして、半神を生み出した神々も、それ以降この世界に干渉してくる事はありませんでした。人々は想像を膨らませてこの事を物語にしていますが、本当にある日突然の事だったのです」

 

《……半神や神々の間で、申し合わせての事だったと?》

 

「間違いないでしょう。……でも、彼らは、私に、何も伝えてはくれなかった」

 

 

 

「私には。何も。言葉一つ残さず。……私一人を置いて、彼らはどこかへ消えてしまった」

 

 

 

 それは。

 

 邂逅からずっと、女神としての表情を崩さなかった女の、血を吐くような恨み言だった。

 

 結局。

 

 彼らは、自分を仲間だと思っていなかったのだと。

 

 文字通り世界に一人残されて、孤独なまま、彼女は今日まで生きてきた。

 

 きっとこの里の誰もが知らない顔で俯いて怨念を口にする彼女に、ヌルスは黙ったまま、カップに残された紅茶の残りを吸い上げた。

 

《そうか。貴方が、私を気にしてくれたのは、それが理由か》

 

「……そういう事に、なりますね」

 

 魔物でもない、人間でもない。どちらにもなれない半端もの。ただ唯一の理解者にすら取り残されて、この世界を彷徨う孤児が一人。

 

「もっとも、それは私の勘違いだったようですが」

 

 無理に取り繕ったような笑みを浮かべて、スカーシハは首を振った。

 

「貴方には、アルテイシア様の他にも、アトラス様も、シオン様も居る。きっとエヴィリンも貴方の事を受け入れてくれるでしょう。私とは違う。……娘と呼んだ里の者達にも心の底を見せる事ができない、卑怯者で臆病者の私とは」

 

《……スカーシハ様、一言、ご無礼を言う事を許していただきたい》

 

「?」

 

 す、と触手が佇まいを直す。まあ、混沌の塊に姿勢を正すも何もないのだが、触手を綺麗に撫でつけたようにそろえたそれは、そのように言えなくもない。

 

《貴方はもう少し、自分を高く見積もった方がいい》

 

 先ほどの自分の言葉をそっくり返されて、スカーシハは目を丸くする。

 

「ヌルス様?」

 

《秘密の一つや二つ、どんな親しい相手にもあって当たり前の事。私が心の奥底をアトラス達にあけすけにしているのは、私が単純で、まだ長い時を生きていないから隠し事が無いだけだ。貴方は永い永い、私には想像もつかないほどの年月を、ずっと誇り高く生きてきた。その裏に、人には言えぬ苦しみの一つや二つ、あってしかるべきだ。それは、貴方が賢明に生きてきたからこその、傷なのではないでしょうか。隠し事も持たない若輩者としては、そう思う》

 

「ヌルス様……」

 

 もし、他の誰かがそれを口にしたなら、スカーシハは笑顔の仮面をかぶって耳を貸さなかっただろう。口先でなら、どんな綺麗ごとも言えると、彼女はよく知っている。

 

 だがヌルスは。

 

 言葉を持たぬ存在が、その心の内を明け透けにして語るのならば。

 

 そこに、欺瞞や嘘が無いのなら。

 

《私はきっと、貴方のように人から尊敬や思慕を受ける事は出来ない。エンシェントの里の者達が貴方を敬愛しているのは、ただ半神というだけではない。貴方が相応しい存在として、永年振舞って来たからだと思う。偽りの尊敬など、永い年月の前では唯の鍍金にすぎない。……私と貴方は違う生き物だ。私と貴方の苦しみも喜びも、また違ってしかるべきだ。……その、上手く伝えられているだろうか? 私が言いたいのはだな、スカーシハ様も凄い人という事で、その……ううぬ……ど、どういったらいいのか……》

 

「……ふ、うふふふ、ふふふふふ!」

 

 最終的に畏まった言葉はどこへやら、触手をもちゃもちゃさせながら言葉に詰まり、うんうん悩み始めるヌルス。その絡まった毛玉のような存在を前に、スカーシハはいつしか、口元を押さえて笑みをこぼしていた。

 

「ふふ……ふふふふふ! ああ、おかしい! 必死になりすぎですよ、ヌルス様……うふふふふ!」

 

《ぬ、ぬぅ……》

 

 口元を押さえて華が咲くように笑うスカーシハに、ヌルスは触手を縮こまらせて小さくなった。ピンク色のその肌が、俄かに赤く染まっていく。

 

 羞恥に茹で上がってしまったヌルスの様子に、悪いと思いつつもスカーシハは笑いを止められなかった。

 

 しばらく、夜闇にくすくすという、爆笑というには細やかな笑い声が響いた。

 

「ふ、ふふ……ごめんなさいね。でもおかげでなんだかすっきりしました。そうですね、親しき中にも礼儀あり。全てを詳らかにする事が、信用という訳ではありませんね」

 

《そ、そうその通り! 物事はポジティブに考えるべきだ! 悪い方に考えると際限がないからな本当に……》

 

 話題を切り替えるチャンス、とヌルスは触手をわたわたさせて勢いよく捲し立てた。よっぽど恥ずかしかったらしい。

 

 そんなヌルスの様子をみて、スカーシハも少し、前向きに考えてみる事にする。これまで、敢えて考えずにいた可能性。

 

 半神達の仲間達が自分に何も告げずに去ったのは、きっと理由があるのだと。

 

 例えば、スカーシハには戦う力が無い。何か荒事があって、だからこそ、彼女を連れて行かなかった、とか。

 

 あくまで可能性の話だ。ならば何故戻ってこなかったのかとか、だからといって何も言わずに行く事はないだろうと、論理の穴はいくらでもある。

 

 でもそうやって都合のいいように考えると、気持ち、心が軽くなった気がした。

 

「ふふふ、そうですね。前向き、前向き」

 

《うむ! というか私なんぞそう考えないとキリがないぞ。これからヴァーシス領に戻る訳だが、今後は文字通り触手一貫だからな……。どこまで受け入れてもらえるか心配だ、見た目だけでも人かどうかというのは大きいだろうからなあ》

 

「あら、何なら里に永住を前向きに検討してみては? 歓迎しますよ?」

 

 半ば本気でスカーシハがそんな事を口にしてみると、ヌルスは《いや、まだ恩返しできてないし……置いてきた実験設備も気になるし……》と口ごもる。

 

 案外これは脈ありかな? とスカーシハはにんまりと笑った。

 

 

 

 そんな感じで、人外同士の夜は更けていくのだった。

 

 

 

◆◆

 

 

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