望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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第百九十四話 使命無き旅

 

 

『し、失礼した……』

 

「その……大丈夫か? 質量が十分の一になってるけど……」

 

『生命維持には問題ない、大丈夫だ』

 

 そう告げるヌルスは、しかし、傍から見るとどう見ても消滅寸前の有様であった。ヌルスが正体を隠すために装着していた黒い鎧は今や手足や胴体が床に散乱し、辛うじて兜だけが今、椅子に乗っている。

 

 それはつまり、ヌルスはいまこの兜に納まる程度の質量しか残っていないという事である。先ほど受けたあまりの精神的衝撃に、ヌルスの肉体の大半は灰に還ってしまい、その後部屋の換気扇にいずこかへと吸い出された。今頃、中庭あたりに栄養として降り注いでるのではないだろうか。また変なキノコが生えてきそうだな、とアトラスは思った。

 

「……とてもそうは見えないんだが……」

 

『純結晶がある限り、外的要因さえなければ私は死なない。人間でいえば純結晶を取り込んだ部位が、脳であり心臓であり全てだ。後は、時間さえあれば伸びてくる爪や髪の毛のようなもの。生命活動に支障はない』

 

「……人間でも毛や爪が全部毟られるって大ごとだけど?」

 

 あと、その兜だけの状態で喋られると、なんだか昔に似たようなものに出会ったような気がして、どうにもアトラスはむず痒い気分だった。思い出せそうで思い出せない、こんな喋る生首と対面したらそうそう忘れられないと思うのだが。

 

『心配性だな。なあに、一日もあれば半分は戻るさ』

 

「ならいいけど……。それで、さっきの話だけど……」

 

『アトラス』

 

 妙に神妙なヌルスの声。アトラスは思わず佇まいを直した。

 

『アトラス、私は君の事をかけがえのない友人だと思っている。決して、私を裏切る事はないと。それだけはこの不確かな世界において、唯一絶対の真実だと硬く信じている』

 

「ヌルス……君は、そんなに……!」

 

『うむ。だから……その、なんだ……』

 

 急に、かしこまったヌルスの口調がへにゃった。

 

『この話は、その、また今度……これ以上はマジで死ぬ、天に還ってしまう……ほんとに……』

 

「う、うん……分かった。また今度ね……」

 

『ありがと……』

 

 本当に死にそうなので、ヘタレと罵るのはやめておく事にしたアトラスであった。精神活動と生命活動が直結しているというのは不便なんだなあ、とあらためてしみじみ、感じ入る。

 

「分かった。まあ、それはそれで、シオンとの事なんだけど……実は、手伝ってほしい事があってさ……」

 

『う、うむ。先ほどは取り乱したが、実に目出度い事だ。私で手助けできる事ならなんだって手伝うぞ。というか私でいいのか? もっとこう、人間の誰かに助けてもらった方が……』

 

「い、いや、ヌルスに助けて欲しいのは戦力的な意味合いなんだ」

 

 ヌルスは器用に、兜だけで首を傾げた。

 

『戦力? なんだ、もしかして現当主様には反対されているとか? それで力でわからせようという感じ? おお、それなら相談する相手として正しい選択をした、アトラス。私であれば何のためらいもなく、当主様を叩き潰してご覧に見せよう』

 

「違う違う、さらっとクーデターおこさないで。戦力といっても助けて欲しいのは下克上じゃなくて、その、ある物を取りに行くのを手伝ってほしいんだ」

 

 さらっと訪れたヴァーシス領壊滅の危機を慌てて取り消すアトラス。何せ、彼は《オメガ・マギアス》を目の前で見ている。あれから完成度を増しているであろうあの超絶級魔術を使えば、文字通り一日で辺境伯領を滅ぼす事だってヌルスには可能なのだ。多分。

 

 ともかく、彼の望んでいるのはそんなバイオレンスな話ではない。どちらかというとロマンティックな話である。

 

 そして自分の事になると恋バナ一発で消滅するか弱き命は、今度は反対側にこてんと兜を傾げて見せた。

 

『取りに行く?』

 

「うん。ヴァーシス領では伝統的に、婚約者にエアリアル・ストーンと呼ばれる宝石を送る風習がある。だけどこれ、もう採掘場所が限られていて……危険な動物も出没する、山の高所でしかもう取れないんだ」

 

『ああ、なるほど。それで私か』

 

 さしものアトラスでも、一人でそんな場所に行くのは危険である。かといって、そこらの兵士程度を連れて行っても足手まとい。シオンはプレゼントを贈る相手なので当然除外、クリーグとアトソンにはそもそも他にやってもらう大事な仕事がある、そうなるとヌルスが適任と言えば確かにそうだ。

 

『確かに、今の私は比較的手が空いているな。忙しいと言えば忙しいが、研究、開発は小さな積み重ねだ。さぼるのは論外だが、別の用事で一日、二日開けた程度で絶望的に進行が遅れるわけでもない。ましてやそれがスポンサー様のご用件ともあればな』

 

「すまない、助かる!」

 

『うむ。大船に乗ったつもりでまかせてくれたまえ!』

 

 兜に納まった小さな触手が、ひょい、とその腕の一つを振り上げた。それと指先で握手をして、それはそれとして、とアトラスは呟いた。

 

「……とりあえず、出発は何日後がいい?」

 

『み、三日くれ。それまでには元に戻っておく……』

 

「了解した」

 

 その後、目的地の場所や詳細なスケジュールを確認して、アトラスはヌルスの研究室を後にした。

 

 なお。

 

「にいさまにいさまにいさま! みてみてみて、小さくて可愛くてへんなの捕まえました! これなんでしょう!? ヌルスさんに聞いたらわかるかな!?」

 

「……それがヌルスだ。放してあげなさい」

 

「え?」

 

 テオスがヌルスの収まった兜を両手で抱えてアトラスの部屋を訪れるというトラブルがあったが、まあ、些細な事である。なお当のヌルスは、背後からいきなり取っ掴まったあげく遠慮なくしゃかしゃか振り回されてすっかり目を回しており、弁解する猶予がなかったと供述している。

 

 

 

 そして、出発日当日。

 

 久方ぶりに馬車を繰り出すアトラスと、その荷台に乗るヌルスの姿があった。ヌルスはすっかり元の質量を取り戻し、何食わぬ顔で荷台に乗っている。

 

 アトラスはというと、上機嫌な様子で御者台に腰かけ、手綱を引いていた。かっぽかっぽと馬が馬車を引き、アトラスは上機嫌に口笛なぞを吹いていた。

 

 目指すはエアリアル・ストーンが産出する、唯一の山。領都からはそう離れてはいないが、一日で帰ってこれる距離でもない。

 

 猶予は三日。三日の間に山に向かい、宝石を持って帰る。それが現状で許された猶予になる。

 

 かなりの強行軍だ。今更ながら、少しヌルスはアトラスの体調が心配になった。

 

『本当に大丈夫なのか? 当主引継ぎが終われば、余裕も出来るだろう。それから改めて宝石を探しに言った方がよくないか?』

 

「当主をついでからだと遅いというか、意味合いが変わっちゃうんだよ。あんまり時間をかけると、周辺の領地から厄介なお見合い話も来るだろうし。出来れば、当主引継ぎの前に婚約は済ませておきたいんだ」

 

『ふぅむ。まあ、アトラスがそれがいい、というなら私はスポンサーの意向に従うだけさ。ただし、無理はさせないからな。駄目だと思ったら私一人で山を昇る。いいな?』

 

 わかっているさ、と軽く返事をするアトラスにちょっと訝しむ目を向けつつ、ヌルスは窓から外の風景に目を向けた。

 

 見渡す限り、平穏な辺境の光景が広がっている。最近寒くなってきたせいか、広がる草原の草木はやや色あせているが、それもまた季節の巡り。遥か遠くの山の中には、雪をかぶり始めているものもある。もしかするとそういった季節柄の問題も、今行こうという理由の一つなのかもしれないな、とヌルスは考えた。

 

 しかし、この平和な景色のどこかに、今まさにシャードビーストが這い出しているのかもしれない、そう考えたヌルスはぶるり、と身を震わせた。

 

 この穏やかな辺境が、エンシェントの里のようになるのは見たくはない。気が付けば、この地に愛着が湧いている自分がいる事に、ヌルスはあらためて気がついた。

 

『……この平和を、守りたいものだな』

 

 魔物がそのような事を考えるのはおかしい事だろうか。ヌルスは軽く自問実して、頭を振った。

 

 

 

 

 

 そして昼過ぎ、太陽が頂点から傾いたころに、ヌルス達は目的の山の麓までたどり着いた。

 

「到着。ここからは徒歩でいくよ」

 

『ほぉう……』

 

 近くに流れる川の畔で、馬車を木につなぐアトラス。留守の間の飼い葉を用意する彼を他所に、ヌルスは高い山を仰ぎ見るようにして観察した。

 

 普通、麓まで来てみると山と平地との繋がりというのは分かりづらい。山の麓には森が広がっており、それによって平地と融合しているのが一般的だからだ。故に知らぬうちに山に迷い込み、遭難するという事も多発するのだが……この山に関してはその心配はなさそうだった。

 

 平地に広がる林は、しかし山に近づくにつれて木の間隔が広がっており、麓となると疎らで殆ど視界を遮らない。代わりに足元の緑も山に近づくにつれて禿げ上がり、代わりに黒いごつごつとした岩肌が覗いている。山の中腹までで緑は完全に消えてなくなり、そこから上は削り出したような岩盤が只管続いているようだ。

 

 恐らく、植物が根を張れるような地質ではないのだろう。文字通りの岩山、という訳である。

 

「これがヴァルナ山さ。今現在、エアリアル・ストーンの最大産出地になる」

 

『の、ようだな。……しかし、その割には採掘拠点のようなものが見当たらないが』

 

 きょろきょろと周囲を見渡すヌルスだが、鉱山とか、山小屋のようなものは見当たらない。ただただ、無人の岩肌が続いているだけだ。

 

 アトラスが苦笑する。

 

「エアリアル・ストーンは今は宝石としての価値は殆どなくてね。この辺境伯での古い風習でのみ使われている、縁起物のようなものさ。昔はそこらへんで取れたらしいんだが、そのせいで元々綺麗な石ころ程度の扱いだったみたいでね……」

 

『しかし今はこの山でしか取れない、と。それなら逆に希少性から値段が付くのではないか?』

 

「どうだろう。都会の事情は知らないが、エアリアル・ストーンに高値がついた、なんて話はあまり聞いた事はないね」

 

 ふうん、とヌルスは首を傾げた。

 

 まあ、人の世の仕組みに元々詳しい訳でもない。ましてや資産とか経済とか、そういう難しい話はヌルスにはさっぱりだ。アトラスがそういうのならそういうものなのだろうと納得して、ヌルスは岩山を見上げた。

 

「さて。ここからは徒歩だが、見ての通り切り立った厳しい山だ。一応登山コースはあるんだけど、結構大変だぞ。覚悟してくれ」

 

『ふ。アトラス、私を見くびってもらっては困る。というかてっきりそのつもりで私を連れてきたと思ったんだが……遠回りの道など必要ない。最短コースをまっすぐ行こうじゃないか?』

 

「え? でもここからいったら、切り立ったただの崖……」

 

 ヌルスの言葉にアトラスが首を傾げる。そんな彼に応えを示すように、にゅるりん、とヌルスは鎧の隙間からピンクの触手を伸ばして見せた。

 

 その触手の表面が、やたらとネバネバした粘液に覆われている。

 

『ふ。ここは辺境伯御付きの魔術師にまかせてくれたまえ』

 

 自信たっぷりにヌルスはそう宣言した。

 

 

 

 

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