望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
ヴァルナ山は、標高はそれほどではないものの、ヴァーシス領屈指の登山難易度を誇る難所として知られている。
その理由は、この山が非常に急角度で聳え立つ岩山である、と言うのが大きい。その為、この山を登るためには比較的平坦な場所を探して螺旋上に歩く必要がある為、実際の移動距離は普通の登山の数倍にもなる。そして硬く鋭い岩の地肌は足腰に大きな負担をかける為、登山に慣れている人でも体力配分を間違える事が多々ある。緑も少なく休憩する所も少なく、風景も変わり映えしないためこの山を登るのは忍耐との勝負になる。
が。
そんな事は知ったこっちゃないと言わんばかりに、その切り立った壁面をよじ登る奇怪なシルエットがあった。
ウネウネと蠢く、ピンク色の肉塊。それは触手を伸ばして岩の凹凸にひっかけ、あるいは隙間に触手を差し入れると、ずるり、ずるり、と体を持ち上げ、垂直の壁面をよじ登っている。それの通った後には接着剤のようなネバネバした粘液が糸を引き、しばらくたつと乾いて消える。
その背中? に、一本の触手で胴を絡めとられ、ぷらぷら手足を揺らしている金髪の青年の姿があった。
アトラスである。
彼は遠い目で、非現実的な場所から見下ろす領地の風景をぼんやりと眺めていた。
「……ああ、地面が大分遠ざかってきたな……」
『よいしょ、うんしょ。ふう、あと少しで全体の三分の二ぐらいかな。大丈夫か、アトラス?』
「ああ、うん。私は大丈夫だ、多分」
手足をぷらぷら揺らしながら、力なく応えるアトラス。
大分前からこの調子である。
岩山を前に妙案がある、とか言い出したヌルス。果たしてどうするつもりなのか、お手並み拝見と任せてみたのがこの状況である。確かに効率的なのかもしれないが、一歩間違えば壁から真っ逆さまである。恐ろしくて下を確認する気になれないアトラスであった。
「こ、高所恐怖症はなかったはずなんだが……完全に他人に命運を握られるってこんな感じなのかな……」
『なんだなんださっきから、それだったら最初の内にやめておけばよかっただろう』
「いきなり触手に絡め取られて吃驚したんだよ! その、ろくすっぽ説明せずにまず行動に入るの控えてくれ、頼むから!」
どうにもヌルスは魔術師らしくないというか、言葉よりもまず行動で示す傾向がある。それはある意味とても潔いというか男らしいのだが、他人も巻き込む場合はもうちょっと配慮して頂きたい。
オメガ・マギアスの時だってそうだ、ろくすっぽ説明の無いままいきなり驚天動地の切り札を展開された人間の身にもなって欲しい。
『む。それは済まない……。どうにも言葉を喋れなかった頃のノリでやってしまう』
「とりあえず、万が一落ちた時の対策とかはしてあるんだろうね……?」
『それは勿論。就任直前の当主を死なせたら大ごとだからな、万が一落下しても私が君を包んでクッションになれば大丈夫だろう。実績もある』
ヴィヴィアンだった頃、その手で致命ダメージを何度も防いだ経験があるヌルスは自信満々に保証した。まあそれに最悪、風魔術で飛翔する手もある。二人分の重さでは高度は取れないが、落下速度を相殺しつつ滑空するぐらいはできる。万が一の備えは二重三重に用意してある。
『しかし、大分昇ってきたが、まだ頂上は遠いな。そろそろ休憩するか?』
「ああ、それは、確かに頃合いかもしれないが……」
アトラスは太陽が傾きつつある空を見上げてそう判断するが、同時に周囲を見渡して眉をひそめた。
「ここ、まだ崖のど真ん中だぞ?」
『なあに、問題ない。ちょっと待ってくれ』
まさか崖に張り付いたまま一晩過ごすつもりか、と戦々恐々するアトラスに、ヌルスはにょろり、とさらに複数の触手を壁に張り付かせて姿勢を固定した。
と、ここでさっきの忠告を思い出したのか、ヌルスはアトラスに変な事を言い出した。
『おっと、そうだ。雇用主に確認しておこう。休憩場所はどんなのがいい? 要望があったらいってくれ』
「?? いや、別に、平らな地面があればそれでいいんじゃないか? テントさえ張れれば」
『もう少し贅沢をいってもばちは当たらないと思うが……まあいいか』
おかしなことを言うヌルス。と、突然、ヌルスは厳かな口調で呪文の詠唱を始めた。
『構造術式、展開。……魔力ライン、確保。デュアルドライブ、最大稼働』
壁面に、光り輝く魔術陣が展開される。ぶつぶつとヌルスが呟く言葉に、アトラスは聞き覚えがあった。
オメガ・マギアス。
迷宮そのものを鎧と化し、黒鉄の魔神を呼び出すヌルスの究極魔術である。
間違ってもこんな所で唱える魔術ではない。が、アトラスはある事に思い当たって、額に冷や汗を噴き出した。
「え、ちょ、まさか、オメガ・マギアスの手のひらの上でキャンプしろとでも……!? ぬ、ヌルス、ちょっとタンマ、それはいくらなんでも……!」
『“創造の鍛冶場”、構築完了。物質構成式の自動詠唱、開始。セット、セット、セット、セット……!』
アトラスの制止も間に合わず、術式が完成する。
『“仮初の宿”、展開……!』
視界が光に包まれる。魔術式から噴き出した光の粒子が、ヌルスを、アトラスを取り込んでいく。
オメガ・マギアスではない。
思わずアトラスは顔を庇い……次の瞬間、彼を取り巻く環境は一転していた。
「え? あ、え? ……これは?」
脚の下に、しっかりとした地面の感触。困惑しながら、アトラスは身を起こした。
さっきまで、彼はヌルスの触手に崖からぶら下げられていた。それが今はどういう訳か、石造りの神殿内部のような場所にいる。
壁には松明が小さく燃えて周囲を照らし。ところどころに立つ、牛頭の獣人のような彫刻に不気味な影を落としている。
そしてその空間の真ん中に、うぞうぞ蠢く肉塊があった。
ヌルスである。
『よぅし、成功成功。ちょっと私の生まれ故郷に似せてみたぞ』
「生まれ故郷?」
ヌルスの生まれは巣窟迷宮エトヴァゼル……いや、聞いた話からすると正確にはその2層。確かに、あの階層も石造りの壁で彫刻のようなものが刻まれていたが……そこまで考えて、アトラスははっとした。
「ここ……迷宮の中なのか!?」
『うむ。そもそもオメガ・マギアスが、鎧の形に形成した迷宮そのものであるならば、当然普通の迷宮だって作り出せる。その形状や仕様だって自由自在……とまではいかないが、ある程度コントロールは出来る。驚くべき事ではない』
「いや、驚くべき事ではないって……」
つまり人為的な迷宮である。十分に驚嘆に値する。
ちょっと落ち着かない感じでアトラスは周囲を見渡した。
『今は壁の中に埋め込むような形で迷宮を展開した、崖が崩れるような事はないよ。魔物も出現するような設定にしてない』
「もうなんでもありだな君……」
『なんでも、ではないよ。例えば、ユグドラシルの泉みたいに、魔物は出現しないけど魔力結晶は手に入る、みたいな都合のいい設定にはまだ出来ない。あくまで、即席でこういった部屋を作る事が出来る程度だ』
アトラスからすれば十二分にインチキである。ヌルスの目標が遥か彼方すぎてもう魔術知識の無い彼には想像もつかない。
なお、魔術知識があったほうがよりヤバイ事が分かってしまうので、今回は幸せだったといえる。魔術学院関係者がこれを目の当たりにしたら正気度にマイナス判定が入るのは間違いない。
『設計もそうだが、とにかく魔力が足りない。本気でやるなら私の体から純結晶を取り出す必要があるが、そしたら私が迷宮から出れなくなるので勘弁してほしいかな』
「いや、まあ。とりあえず、今回はゆっくりできるならそれでいいよ……」
『そうか。寛大な評価で助かる』
いやー、雇用主をがっかりさせずに済んでよかった、と触手をわきわきさせるヌルス。アトラスはなんかもう驚き疲れてぐったりと腰を下ろした。肉体的にはそんなに動いていないはずなのに、どっと疲労が噴き出してくる。
「まあいいか、これならテントも要らないし、直接寝袋しいて寝ようかな……」
『なんなら私の体をクッション代わりにするか? 石の上だと痛いだろう』
「気持ちは有難いがやめておくよ……」
流石にそれはやばい夢をみそうなので、アトラスは謹んで遠慮しておくことにした。
そして、就寝。
アトラスは寝袋の中でぼんやりと迷宮の天井を見つめていた。
視線をずらすと、傍らで丸くなっている触手の塊が見える。ピンク色の肉塊は、分かりやすく膨らんだり縮んだりして、今まさに安眠の最中にあるようだった。
「…………。魔物も、寝るんだな……」
いやまあこれはヌルスがあまりにも特殊な例だからかもしれないが。
じっと見ていると、もぞもぞ、と触手の先端に開いた口が、緑色の粘液を垂らしながら何ごとか呟いた。寝言らしい。
『ううーん……アルテイシア……そんなに触手をちぎらないで……あっあっ、スカーシハ様、そんなに花粉を振りかけても私は受粉できません……』
「どんな夢を見ているんだ……?」
とりあえずカオスな夢である事には違いない。
まあしかし、夢の中でもヌルスはやり込められる方らしい。とことん無害な生き物である。この世界の迷宮や魔物が全部、ヌルスみたいな奴だったらなあ、とアトラスは遠い目をした。
「……いや。それだと搾取されて、奴隷や畑みたいに扱われて終わりだな。もし、国の重鎮や他国がヌルスの事を知ったら、放ってはおくまい」
さらっとおだしされたが、出し入れ可能で設定が自由で、なおかつ安全な迷宮なんてとんでもない代物だ。しかも本人の言では、今後の設計改良次第では魔力結晶をはじめとする資源も収穫できるようになるらしい。
今現在、魔力結晶は巣窟迷宮エトヴァゼルの件で値段が乱れているが、本来かなり高価なものである。そしてあれだけの量があっても、国家規模での産業や計画にはまるで足りないのが実情だ。ギルドがそうならないように、うまく立ち回ったからでもあるが。
結局、国家間のパワーバランスを大きく変えてしまうほどではない。
だがヌルスの力は、それを一変させうる。その気になれば、エトヴァゼルの8層のような魔力凝縮迷宮を作り出し、かつ魔物を出現させずに命の危険なく無制限に高純度魔力結晶を得る事すら可能だ。
それに加え、本人が傑出した魔術師でもある。ヌルスの生み出した触手を組み込んだ機械兵器と組み合わせれば、それは野心のある者からすれば世界を手に入れる力、とみなされてもおかしくはない。
あまりにも危険だ。
もしヌルスの事が公になれば、確実に戦争になる。誰もがヌルスを手に入れようと、あるいは排除しようとする事だろう。
その危険性を……恐らく、ヌルス本人はピンと来ていない。
「……守ってあげないと、な」
だがヌルスは、ただの一匹の魔物なのだ。大それた野望もなく、ただ大事な人と毎日を穏やかに生きていたいだけの、小市民の一人でしかない。
アトラスは、友として、そしてこの地の領主として、ヌルスの幸せを守ってあげたいと思う。権力者としては甘い考えかもしれないが、賢い考えなど興味はない。
ヌルスは、アトラスとの友情の為に命を懸けてくれた。
それに報いるのは、当然の事だ。
彼は瞳を閉じて、本格的に眠りに入った。明日も朝は早い。ヌルスのおかげで時短できたのなら、その分早く戻るべきだろう。
瞳を閉じて数秒。すぅ、すぅ、と穏やかな寝息が零れた。