望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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第百九十六話 触手のおこしかた

 

 

 翌朝の目覚めは快適だった。

 

 寝袋で、平たい床で眠ったにしては随分と疲れが取れている事に、アトラスは奇妙な清々しさすら覚えた。

 

 周囲の風景は眠る前と全く同じ。目が覚めたのは習慣だ。

 

 傍らでは、触手の塊が膨らんだり縮んだりしながら、気持ちよさそうに眠っている。

 

「ヌルス、朝だ。起きなさい」

 

『ぬぅー……あと半日……』

 

「馬鹿言うんじゃない」

 

 もちょもちょ蠢きながら寝ぼけた事をいう触手に思わず苦笑が出る。

 

 まあ、最近まで激務で毎日徹夜も当たり前だった。たまにはゆっくり眠りたいという気持ちは分かる。

 

 もう少しだけ寝かせておいてやるか、と思いつつ、アトラスは寝袋から這い出し、荷袋を広げた。私物を点検しつつ、ちらり、と触手の塊に目を向ける。

 

 呼吸をしていないのに伸び縮みするのは、果たしてどういう理屈なのだろうか? 本人に聞いてみたい所だが、人間、寝ている間のことまでは責任は取れない。触手だって同じだろう。

 

「……ヌルス、か」

 

 改めてその名前を噛みしめて、アトラスは独りごちた。

 

 あの時。ヴァルザーク周りの問題を解決しつつ、自我を得た触手型魔物という存在をギルドに目を付けられずに外に出すために、あえてその名を悪名とする、というのは妙手ではあった。おかげで、ギルドからの深い追及を避けつつ、ヌルス……当時はヴィヴィアンだったが……をこうして辺境に匿う事が出来たともいえる。

 

 だがしかし、いま思うともっと他の手段はなかったのではないか、と思う。

 

 試しに、アトラスはヌルスを偽名で呼んでみた。結局没になった仮の名前。

 

「クラグナール。朝だぞ。起きろ」

 

『………………』

 

 反応はない。ぴくり、と触手が震えるだけだ。

 

 大分たってから、思い出したように声が上がった。

 

『……うん? アトラス、何か私を呼んだか……?』

 

「いいや、何でもない。もうちょっと寝てていいよ」

 

『そうか……Zzz……』

 

 もちょもちょ、としてから、再び熟睡し始めるヌルス。

 

 大体、呼びかけに反応するのに10秒といったところか。

 

 鎧の魔術師ヌルス。ギルドに知られているその名前を使う事は、当然アトラス自身も問題があるとは分かっている。

 

 だから、最初は別の偽名で、ヌルスには過ごしてもらおうと思ったのだ。

 

 だがしかし、上手くいかなかった。

 

 ヴィヴィアンであった時は、問題なく偽名で過ごせていたのに対し、ヌルスに戻った途端、偽名を認識できなくなってしまったのだ。

 

 トロス、ヘカトン、クラグナール。色々な名前を考えて試してみたが、いずれもぱっと通じない。ふとした呼びかけ、ちょっとした話題振り、その全てにヌルスは分かっていて反応できなかったのだ。

 

 ヌルスが自分の偽名を認識できていないという訳ではない。ちゃんと理解した上で、不意に話を振られた時、それが自分の事だと認識できない。

 

 これについてヌルスは、自分が触手の集合体に戻ってしまったからではないか、と説明していた。

 

 ヴィヴィアン、という器に押し込められていた時は、耳、目、人間と同じ感覚器官で外界を認識していた。そこに触手や魔物特有の感覚も加わっていたとはいえ、概ね人間と同じ処理プロセスなのは変わらない。

 

 しかし、触手魔物に戻ってしまった今のヌルスは違う。外界からの刺激はまず、末端の触手で処理された後、それらを統合するヌルスの意識に送られる。そしてこれが大事な事なのだが、末端の触手全てがヌルスに完全に統制されているのではなく、かなりの割合が無意識の範囲、触手それぞれでの独自判断と呼べるもので動かされている。

 

 これそのものはおかしな話ではない。人間だって、何度も何度も練習して手に覚えさせた文字は意識しなくてもさらさらかけるし、歩いたり走ったりする際のバランス調整だって無意識の領域で行っている。

 

 触手魔物は、その割合が人より多いだけだ。さらにいえば、自分から動いて何かをする場合、人間よりもかなり意識的に動きを制御できている面もある。無意識が多いからと、不器用な訳ではないし、集中すれば人間より感覚は鋭敏だ。

 

 だが、受動的な情報の取得となるとどうか。

 

「早い話が、末端の触手をコントロールする簡易的な自意識が、偽名、というものを認識できていない、という話だったな」

 

 これについては、ヌルスが辺境領に流通させてる、家畜触手が分かりやすい。これらは意外と賢く、犬猫よりはずっと話が通じる。だけど、呼びかけにちゃんと反応するようになるにはそれなりの反復練習はいるし、あんまり複雑な事を次々出来るようにはならない。あくまで単一的な動作なら、多少複雑でも覚えられる、といった程度のものだ。

 

「犬猫みたいなペットだって、自分がなんていう名前であるか認識しているのも怪しいんだ。本当の名前と偽りの名前、使い分けろという方が難しいよな」

 

 それが、多少問題があると分かった上で、ヌルス、という名を使わざるをえない理由だった。

 

 訓練すれば何とかなるかもしれないが、やはりいざという時に強い不安が残る。

 

「ま、こんな遠く辺境くんだりまでギルドが押しかけてくる事はないだろうし、万が一問題になっても辺境伯に取り込んだ以上、うちが後ろ盾になれる。権力はこういう時に活用しないとね」

 

 それにヌルスはすでに辺境伯で大きな貢献を果たした魔術師である。別に魔物が人間の為に働いてはいけない、なんていう法律もないし、実績があればギルドも必要以上には噛みついてこないだろう。事実を隠蔽した事、特に純粋核を持ち出した事には、まあ、文句を言われるかもしれないが。

 

「いややっぱ面倒だな。できるだけ気が付きませんように……」

 

 その為には、やはりシャードビーストの問題を大ごとにならないようになんとか解決にもっていかなければならない。

 

 全部が杞憂で、このまま何も起きなければ一番いいのだが。

 

「……まあ、そうなればいいな、という事で。最悪に備えておくのが、領主の仕事だしな」

 

 よし、と頬を叩いて、アトラスはしゃっきりとした。

 

 そろそろいい加減動きださなければならない。

 

 まずは、ヌルスを起こす所から始めよう。そうでなければ水も火も用意できない。

 

 アトラスは荷物の中から、砥石を取り出すと、剣の刃をしょりしょり磨き始めた。

 

「しょーり、しょーり、しょーり……」

 

 勿論、刃が欠けている訳ではない。ヌルスを起こすのには、これが一番手っ取り早いのだ。

 

「しゃりしゃりしゃり……」

 

 歯を研ぎながら、ちらり、とヌルスの方を見る。

 

 さっきまで、気持ちよさそうに伸縮していた触手。しかしそれは今や、何やら苦し気に触手を縺れさせ、ぷるぷる震えながら不規則に膨らんでいる。ねとりとした粘液が脂汗のように滲みだし、なにやら苦しそうに無数の口が呻いていた。

 

『う……うう……』

 

「しょーり、しょーり、しょりしょりしょり……」

 

『……うう……や、やめろ……やめろぉ……』

 

 段々、その呻きは強くなり。そして……。

 

『う、うわああああああああ!!! ブツ切りしてカラっと揚げても私は美味しくないよぉおお!!』

 

 がばり、と触手の塊が跳ね起きた。勢いあまってでんぐりがえり、ごろごろと転がって壁にぶつかって停止する。

 

 べちょ、と粘液質な音をたてて潰れた触手が、ずるずると床にずり落ちた。

 

『…………はっ!? 夢!?』

 

「おはようヌルス。何か妙な夢を見ていたみたいだね」

 

『あ、アトラス……ゆ、夢か?! 今の夢だよな!? そ、そのあたりに、怖い笑顔のお姉さん方が刃物片手に隠れてやしないよな!?』

 

 ぶるぶる震えながら四方に触手を伸ばし、ぎょろぎょろと目玉をむく。

 

 見慣れてないと大分グロい様子だが……訂正、見慣れていてもちょっと不気味である。

 

 一方の当触手は、この空間に正真正銘自分とアトラスしかいないという事を確認し、あらためてひと心地ついた様子で触手を丸めた。

 

『ふ、ふう……なんていう夢を見てしまったんだ……』

 

「はははは、大変だね。起きたなら早速で悪いけど、水と火をお願いできるかな?」

 

『お、おっと、そうだな。少し待ってくれ、直ぐ用意する』

 

 動き出したヌルスがじゃばばばば、と鍋に触手から水を絞る片手間で、薪を重ねて火をつける。

 

 召使数人分の作業を一人でこなすヌルスに、アトラスは笑顔のまま、そっと刃物と砥石を片付けた。

 

『良し、準備できたぞアトラス』

 

「おっけい。じゃあ、朝のメニューはそうだな。スクランブルエッグとベーコンと行こうか」

 

『わあい! あのぐちゃぐちゃかき混ぜる奴だな。私、あれ好き!』

 

 山を登る前に確保してきた野鳥の卵をフライパンに割り、火にかける。卵の殻をヌルス目掛けて投げつけると、触手の塊はたちまちそれを絡めとって飲み込んだ。分解吸収の為に一瞬だけ分泌液が酸性になり、しゅう、と白い煙が立ち上る。

 

 本当に便利な奴だなあ……アトラスは感心しつつ、ふわふわとろとろのスクランブルエッグを仕上げると皿に移した。

 

 

 

 朝食を済ませれば、すぐに出発だ。

 

 ヌルスのおかげで登山工程は大幅に短縮できたが、早く帰れるならそれにこした事はない。まだ山ほど仕事はあるのだ。

 

 荷物を纏め、迷宮の出入口たる転移陣の前に立つ二人。

 

「そういえばヌルス、私達が出た後この迷宮はどうなるんだい?」

 

『うん? ああ、今は私の体内にある純粋核で維持しているから、私が外に出れば現実の修正力に負けて消滅するよ。魔力が足りなければどんな緻密な魔術式を組んでも維持はできない』

 

「じゃあ、未確認の迷宮が増える事はない訳だ」

 

 それを聞いてアトラスは安心した。こんな断崖絶壁の壁に入口がある迷宮なんて、人間には踏破不可能である。

 

「……いや、待て。ちょっと待て、確かここって……」

 

『そんじゃ出るぞー』

 

 まずい事実にアトラスが気が付いたが時すでに遅し。手の早いヌルスが、ちゃっちゃと魔法陣を起動させる。

 

 そして視界が青い光に満たされ……気が付けば、二人は外に出ていた。

 

 そう。

 

 切り立った断崖絶壁。そのど真ん中に。

 

『あ』

 

「あじゃないよやっぱりかうぁあああああーーー!?」

 

『あ、アトラスぅううーーー!?』

 

 無を踏みしめて落下していく雇用主に、慌てて触手を伸ばすヌルス。反対側では触手が壁に粘着液を分泌して張り付いている。

 

 幸いな事にギリギリ触手が間に合い、間一髪でアトラスはぷらんぷらんと吊り下げられた。

 

『ふ、ふう……間に合った……』

 

「……ヌルス。帰ったら、三か月減俸な?」

 

『は、はひ……ごめんなさい……』

 

 普段穏やかな人ほど本気で怒らせると怖い。額に青筋をびきびきに浮かべたアトラスの笑顔に、ヌルスはだらだら(文字通りの)脂汗を浮かべながら平謝りした。

 

 

 

 

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