望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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第百九十八話 その日を夢見て

 

 

 さて、多少のトラブルはあったものの、鉱石を手に入れたアトラスとヌルスは山を降りる事にした。とはいえ、切り立った断崖絶壁を昇るのと下りていくのはまた勝手が違うらしい。

 

 多分降りる方が大変、という事なので、帰りは二人仲良く山の斜面を下っていく。ヌルスは登山者と遭遇したら大変、という事で鎧姿だ。

 

 しかし、歩いての登山となるとヌルスは本物の素人である。何度もふらつき、その度にガチン、とヌルスの足裏が岩山とすれて火花が飛び散る。

 

『おっとっと、なかなか、降りるというのも、楽ではないな』

 

「大丈夫かい?」

 

『なんのこれしき……といいたいが厳しいな。大人しく杖使います』

 

 三つ折りにして荷物にしまい込んでいた機械杖を取り出して組み立て、がんがん、と岩山につっかえさせながら降りていくヌルス。その杖の中でこぽこぽ溶液が波打ち、中で小さな触手魔物がゆらゆら揺られているのを見て、アトラスはちょっと妙な気持ちになった。

 

 彼の手にする剣にも、ヌルスの分身が入っている。

 

 人間ではまずありえない事だ。少し、どういう感覚なのか彼は気になった。

 

「ヌルス、そういえば前から気になっていたんだけど……それ、気にならないのかい?」

 

『うん? ……ああ、分身体の事か』

 

「ああ。その、自分自身が消耗品扱いされている事に、こう、違和感とかはないのかい……?」

 

 少なくともアトラスが同じ立場だったら耐えられない。

 

 こういうのを識者はアイデンティティだとか、自己同一性だとか、そんな風に言うのだという。人は、自分がこの世界でたった一人であるという自認があるから生きていられるのであって、もし自分に代わりがいるとか、あるいは自分の生に何の意味もない、と思い知らされると発狂してしまう、というものだ。

 

 例えばアトラスには、ヴァーシス辺境伯の長男、という強い自負がある。これがもし、実は長男ではなく次男で、出奔した長男が別にいました、そいつが家を引き継ぐのに誰も文句を言えないような成果を上げて戻ってきました、とか突然なったら、少なくとも平静ではいられない。

 

 しかし、ヌルスは自分自身の分身である触手を触手ハウスだなんだと大量生産して出荷しているし、武器に使ったりしている。

 

 勿論その事自体はアトラスが推し進めた事であるし、ヌルス本人は全く気にしていない様子だったのだが、なんだろうか。大事な準備も終えてシオンへの告白と婚約を前にして、精神が揺らいだからだろうか。ふと、気になってしまった。

 

『そうだな。この際だから言っておくが、そもそもだな。私自身、実は本体ではないんだ』

 

「…………。……え?」

 

『ヌルスという魔物の本体は、アルテイシアを救おうとした時に消滅した。自分の持つ魔力を全て触手として彼女に融合させたその魔物は、彼女が目覚める事を夢見ながら灰になった。今の私は、その記憶を引き継いだ、千切れた触手の先に過ぎない』

 

 思わぬ真実に、アトラスがぽかんと口を開いて足を止める。

 

 そう。アトラスは、ヌルスが触手魔物だった頃の姿を見ていない。だから、その変化に気が付かなかった。

 

 アルテイシアであればすぐに気が付いただろう。かつてヌルスは、球状の本体から無数の触手を生やす、という形状の魔物だった。だが今のヌルスは、触手だけが無数に絡み合った不定形の形状をしている。純粋核も、ある一本の触手の中にあり……ある意味では、その触手こそが今のヌルスの本体と言えるだろう。

 

 この世界にその概念は未だ存在しないが、所謂、集合意識知性体、という表現が、ヌルスの現状を示すのにふさわしい。

 

『複数の触手が意識を共有し、今のヌルス、という人格を形成している。私からすると、切り離されて武器や道具に組み込まれても、私自身の一部、という感覚は変わらないかな。勿論接触しなければ意思の共有は出来ないし、切り離されて規模が小さくなった触手はそんな難しい事を考えられないが』

 

「…………」

 

 ヌルスの語る言葉を、自分達人間の視点で置き換えて理解しようとするアトラスだったが、最終的に諦めて首を振った。

 

 少なくとも人間の価値観で理解できる考えではなさそうだ。

 

 ただ、一つ分かった事がある。

 

 ヌルスは。

 

 ヌルスという魔物は、アルテイシアを救う為に本当に、言葉通りの全てを差し出した、という事だ。

 

「君は……怖くなかったのかい? アルテイシアを救う為だからって、そんな……」

 

『そうだな。当時の私は自分を、魂のある存在だとは認識していなかったが、それでも恐怖という感情は持っていた。そもそも、死にたくない、消えたくないから、冒険者の真似事をして自衛を始めたわけだしな。恐ろしかったさ、自分が消えてなくなる、この世界に何も残せず消滅する。ならば、自分の存在に何の意味があったのだ? 死ぬ事以上に、生まれてきた意味が見いだせないのが恐ろしかった』

 

 だが、とヌルスは続けた。

 

『それでも、アルテイシアには生きて欲しかった。私自身のそんな恐れより、彼女を失うほうがよっぽど恐ろしかったんだ』

 

「…………ヌルス……」

 

 アトラスは言葉を続けようとして、それは無粋だな、と自分の心の内にしまい込んだ。他人がとやかく言う事ではない。

 

 だけど、人間であるアトラスには。今から思い人に気持ちを伝えようと決心した一人の若者からすれば。

 

 それは、愛、だとしか思えなかった。

 

 ヌルスはきっと、アルテイシアを愛していたのだ。その為なら自分の命を投げ出せるほどに。

 

『だから、感謝しているんだ、アトラス。彼女を取り戻せる可能性を手繰り寄せる事ができたのは、君のおかげだ。8層の絶死の戦場で助けられた事だけじゃない。その後の事も、ずっとずっと。君の好意がなければ、私はエンシェントの里に、スカーシハ様と知り合う事など絶対になかった。そのおかげで、彼女が救われる道が出来た。感謝している。言葉では言い表せない程に』

 

「……まだ気が早いんじゃないかな? 彼女が目覚めるのは、いつになるかわからないし……」

 

『何年だって待てる。何十年でも、何百年でも、何なら何万年だって。可能性が0でないなら、それが100になるまで待ち続ける。未来があるというのは、素晴らしい事だ』

 

 兜が空を見上げる。あくまで人間らしい仕草をしているだけにも拘わらず、アトラスにはそれが一瞬、本当の人間……長い年月を生きた賢者が、遠い時間を見透かすような仕草に見えた。

 

『私は待つさ。望む未来がくるまで、いつまでも。その為にも、辺境伯領の皆には平和であって欲しい。そして出来るなら、もっと幸せになって欲しい。その為の手伝いが出来て、私は嬉しい』

 

 ぐっ、と親指を突き出してジェスチャーするヌルス。一体誰に教わったのか……ふと考えて、候補が多すぎる事に気が付いて、アトラスはなんだか嬉しくなった。

 

 ヌルスはもう、喪われた愛を求めて迷宮の中を彷徨う一匹の魔物ではない。

 

 辺境伯領の皆に頼りにされる、鎧の魔術師ヌルスなのだ。

 

「そうだな。今回はありがとう。ふふ、早く戻って原石を職人に磨いてもらわないとな。ヌルスは良い石が見つかったかい?」

 

『うむ! ……だが、少し思ったんだが、アトラスがシオンにプレゼントする大切な指輪の石を私が拾った、というのは不味くないかい? アトラスが選んだ石だけでいいんじゃ……』

 

 案の定、恋愛事になると察しが悪い触手である。アトラスは苦笑してネタ晴らしをした。

 

「何言ってんの、それヌルスが自分で渡す分だよ」

 

『……え?』

 

「相手がスカーシハ様かアルテイシアかになるかは知らないけど。大事にとっておきなさい」

 

 びしり、と固まるヌルス。最初のように爆裂四散するほどではなかったが、まだまだ心の整理が追いついていないらしい。

 

 大分遅れて、ヴァルナ山の空に男か女か分からない、奇妙な響きの叫びが轟いた。

 

 

 

 それから1週間後。

 

 アトラスがシオンを、街の一番大きな教会に呼び出した。

 

 その日はたまたま、だれも教会に用事がなくて、たまたま無人であった。あくまでも、たまたまである。街の喫茶店の店員がやたらと忙しくしていたが、それは教会とは関係ない。

 

 まあそういう事である。

 

 そこで何が起きたか、覗き込むような野暮をヌルスはしない。

 

 ただ、返ってきたシオンとアトラスの距離が近くて、二人がぎゅっと指を絡めるようにして腕を抱き合っていたのが、何よりもその結果を物語っていた。

 

『よきかな、よきかな』

 

「次はヌルスの番だけど、わかってる?」

 

『う゛っ』

 

 

 

 ヌルスの研究室。

 

 研究資料が積み上げられた机の引き出しの一番奥に、小さな化粧箱がしまわれている。

 

 その中には、ぴかぴかに磨き抜かれて青空のように光る石がはめ込まれた指輪が二つ。

 

 それらは、いつか誰かの指に通される日を夢見て、今日も眠り続けている……。

 

 

 

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