望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
そして、アトラスの当主就任の式典まで、あと数日と迫った夜。
館のリビングで、アトラスはソファでくつろぎ、その対面ではヌルスがリラックスした様子で蠢いていた。この館の人間は皆、ヌルスの正体を知っているので鎧を脱いで、本来の姿で寛いでいる。
そんなリビングは、蝋燭もないのに明るく照らされていた。燭台の代わりにぶら下がっているのは、光素を用いた照明装置だ。魔術の工業的応用、ちょっと魔術をたしなんでいる者であれば利用できる簡単な仕組み。ヌルスがかつてエトヴァゼルに潜んでいた時に利用していた隠し部屋と同じ仕組みだ。とはいえ、部屋に入ってきた者に反応して起動するような高度な式は作れなかった為、装置にはヌルスの分身が入って管理している。同時に警備装置も兼ねて一石二鳥だ。
……まあ、あまり小さな分身では動物的本能が強くて、夜は普通に寝ているのであんまりあてにはならないが。時々人が来ても点灯しなくて、こんこんすると慌てて明かりがついたりする。
「……ん。今日はここまでにしておこうか」
そういって、アトラスは読んでいた書物を机の上に置いた。蝋燭の明かりで本を読むのはともすれば目を悪くするが、光素の照明ならば十分だ。
『ん、もう寝るのか、アトラス?』
「いや、本を読むのをやめただけだよ。どうにも頭に入らなくてね。そういうヌルスは?」
『何もしないをやっている』
つまりひたすらぼーっとしているだけらしい。まあ、一週間の謹慎の間、研究を禁じられた分只管論文やら設計図やらを引いていたらしいから、頭を使ったのだろう。いや、触手の頭がどこに値するのかは知らないが。
「ずいぶんお疲れだね」
『うむ。まあその甲斐あってな、かねてから進めていたシャードビースト封印用迷宮の理論が纏まってな』
「……ヌルス?」
アトラスは米神を押さえつつ、襲ってくる頭痛に呻くようにヌルスを問いただした。
「そういう大事な事は事前に話せとどれだけいったらわかるんだい? あれか? 記憶力も虫並なのかい? なあ?」
『ごごごごご、ごめんよぅ。いやその、謹慎中に思いついたアイディアだったから、その、うん。ごめんなさい』
アトラスの怒りに触れて、ぷるぷる震えあがる触手の塊。
この問題児め……とアトラスはきりきり痛む胃を押さえながらも、気持ちを切りかえて領主として問いただした。
「で? 何がどういう事なんだい? 説明して、簡潔に」
『う、うむ。そもそものきっかけは、エンシェントの里での出来事だ。シャードビーストは、そもそもどうして、迷宮の中に顕れたのだと思う?』
ヌルスの対面に座って、全部話してもらうぞ、と態度で示すアトラス。そんな彼にヌルスが放ったのは、なぞかけのような話だった。
「なんで、って……。そりゃあ、奴らは魔力が欲しいから、迷宮のコアを狙うのは当然だろう?」
『その通り。だが、コアを押さえた後は迷宮内に執着する必要はなかったはずだ。奴らが魔力を用いて空間を割いて現れるなら、迷宮の外に直接裂け目を開いて外に出てくればよかったのだ。にも関わらず、奴らは律儀に迷宮を逆走して外に出てきた。これはなんでだと思う?』
「それは……確かに」
言われてみれば、その通りだ。空間を割いて出入口を作る、という能力がもはや人間の認識の外にあった故深く考えた事はなかったが、シャードビーストが本当に異世界から来た生物で、空間に穴を開けて通るというなら、目的を達成したなら迷宮に固執する必要はなかったはずだ。
ダンジョンコアを押さえたまま、あの裂け目を迷宮の外に開けば、エンシェントの里は一日も持たなかったろう。
ダンジョンコアにしか興味が無かった? それも違う、事実ダンジョンコアを押さえた後、連中は外への侵略を開始した。それがエンシェント達の魂が狙いだった事は言うまでもない。
奴らの欲望は底なしだ。魔力であろうと魂だろうと、際限なく求め食らう。
ならば、最大限効率が良いと思われる方法を取らなかった理由は……。
「……やらなかった、ではなく、できなかった?」
『うむ。私はそう考えている。奴らがどういう風に、あちら側からこちら側を認識しているかは不明だが……迷宮はそもそも、魔力の作り出した異空間と、現実の修正力が互いに作用して生まれる場所だ。その境界線を、奴らの目は越える事ができないのかもしれない。恐らく、まずは単純に魔力の多い場所を求めて迷宮に奴らは現れた。そして迷宮を押さえたが、迷宮の壁に阻まれ外が見通せなかった為に、迷宮の出入口を目指した』
「つまり……奴らは、迷宮に引き寄せられる性質があり。そして迷宮からは、自由に出られない?」
アトラスは呟きつつ、話に聞いたユグドラシルの泉の構造を思い出した。
確かあの迷宮は魔物が出現せず、最深部には大量の魔力結晶が実る不思議な草木が生えるのだという。今はシャードビーストに荒らされて見る影もないが、平時のそれは、もしかすると奴らから見て灯台のような目印になったのかもしれない。だからこそ逆に言えば、連中は他のどこか、ではなく、真っ先にエンシェントの里を襲撃した。
理解はできる。だが納得がいかない点もある。
「でもそれならば、他の迷宮も襲撃されないとおかしいんじゃないのか?」
そう。迷宮は、この世界に数限りなくある。かつての巣窟迷宮エトヴァゼルのように、大量の魔力結晶を蓄えている迷宮もあるだろう。だとすると、エンシェントの里が襲われたのは、不幸な偶然だったのか?
『いや。私は、恐らくすでに襲撃はなされていると考えている。そしてそれらは全て失敗したのだと』
「え?」
『考えてみろ。……普通の迷宮には、魔物がいる』
あっ、とアトラスは手を口にあてて納得した。
そうだ。
普通の迷宮には、魔物、そして守護者がいる。そしてダンジョンコアの直近でそれを守護するのは、その迷宮における最強の魔物。シャードビーストの強さはあくまで群体によるもの、数にものを言わせたものであり……数が揃っていなければ、大した脅威ではない。この世界に裂け目を開いてやってきたとしても、魔力補給がなければやってこれる数はたかが知れている。増える前に、ボスに駆逐されておしまいだ。
そう。魔物が人間を襲うのは、それが迷宮の存在を、ひいては自分達の存在を脅かすからだ。そういう意味ではシャードビーストも変わらない。
「なるほど……確かに」
『文献を見る限り、エンシェントの里のような、無害で唯利益をもたらすだけのような迷宮は、聞いた事もない。もし人間の国家がそのような迷宮を抱えていれば、今頃その国が大陸を席巻しているだろう。つまり、ユグドラシルの泉は、連中が増殖する上であまりにも都合の良い条件が揃ったレアケースだったという訳だ』
ただ魔物が居ないだけ、という迷宮なら他にない訳でもない。だがそういった所は、大した資源もない。魔物が居ない上に大量の魔力結晶を蓄えているというユグドラシルの泉の構図が、ピンポイントでシャードビーストを呼び寄せる条件が揃っていたのだ。
『そして、私はそれを利用できると考えた。つまりだ、不必要に強い魔力反応を放ち、かつ、内部に強力な魔物が生息する、いうなれば監獄迷宮というべきものを作り出せば、仮にシャードビーストに居つかれてもそれを封じ込めるのではないのか、とな。あるいは、異界からやってくるであろうシャードビーストの出現先を、その迷宮に限定できれば、以降の被害拡大を防ぐ事が出来る、と。勿論、本気でやる訳ではないぞ。人為的に迷宮を作り出す事は大罪だからな』
「そうだね。だが君に限っては話が違う。……触手ハウス、あれは簡易的な迷宮だったはずだよね」
そう。最長で一か月も持たないとはいえ、本体から分離した触手を生かして置けるあれらの装備は、小さな迷宮のようなものだと、ほかならぬヌルスが言っていた。その理屈を応用すれば、シャードビーストを誘引、封印できるのではないか。
しかし、アトラスのその見込みを、ヌルスは触手をぷいぷい振って否定した。
『あははは、流石に無理だよ。あれは迷宮のようなものであって、迷宮そのものではない。この二つの間に引かれた線は、曖昧なようで絶対だ。現状では、それそのもの、を作る事は私には無理だ。何百年かかるかわかったもんじゃない』
「そうか。意外と難しいんだな」
『そうだとも。……が、研究する事自体は無駄ではない。そもそも、シャードビーストの次の襲来が1年後なのか10年後なのか、それとも100年後なのかも現状では断定できない。近いうち、といっても、本当に再度このヴァーシス領を襲うかもわからない。その間、ずっと来るか来ないか分からない襲撃者を警戒し続ける事は無理だ。だからこそ、抜本的な対策を考える必要がある。今は無理でも、いつかはできるかもしれない。それそのものが役に立たなくても、いつか別の研究に合流するかもしれない。そういった地道な苦労の積み重ねというものさ、研究というのは』
そのあたりは、学者ではないアトラスには門外漢だ。だが、いいたい事は分かる。領主もまた、同じように、今は安定していても将来不足するであろう要素に対応する必要がある。冷夏による不作、過剰な豊作による単価の低下、人口の変動による税収の上下……ある意味では、ヌルスのいう研究と似たようなものだ。
今、利益にならずとも将来の為に種を蒔く。
それこそが、豊かな未来を約束する。
「なるほど。流石は辺境伯筆頭魔術師、これからもぜひ励んでくれたまえ。ただし、今後はちゃんとそういうのは私に話を通す事。話によってはちゃんと予算を別に組んであげるから」
『え? しかし、ただでさえたくさんもらってるのにこれ以上は悪いよ。私は人間と違ってお金払ってご飯食べる必要ないし』
「優秀な人材にお金払わないとウチがドケチの悪党みたいに思われるの!! 金払いの悪い所には優秀な人材はよってこないんだからさ」
痛い所をつかれて、へにょり、と触手の塊がへしょげる。
前から言っていた事である。というか現時点で、ヌルスが必要以上に仕事を頑張るせいで、幹部からも「そういえば、ヌルスさんのお給料とか予算は……え? これだけ? ええ……?」という顔をされるのだ。アトラスとしては頭が痛い。
『人間社会は大変だなあ』
「ええい誰のせいだと……をほん! それはともかく、これ以上隠してる事はないだろうね? ほんとにないね? 絶対だろうね?」
『な、ないない、流石にこれ以上抱えたら私が持たない! わ、わかったから、今後なんか思いついたらまずアトラスに相談するっ!』
触手をぷるぷるさせて言い切るヌルス。ならばよし、とアトラスはとりあえず溜飲を降ろした。よかれでやらかすしうっかりも多いが、基本的には誠実な生き物なのがヌルスである。ここまで言わせたからには次の心配はいらないだろう。
多分。そこはかとなく。
まあ、それはそれとして。アトラスとしては、先ほどの話が実はとても気になっていた。
「と、ところで、ヌルス。さっきの話だと、つまり、迷宮を自分でデザインして展開できるような準備をしている、という事なのか?」
『? あ、ああ。実際にはやらないが、まあ理論上、という事でお遊びのようなものだな。なんだ興味があるのか?』
「ま、まあな。少しだけ」
勿論、少しではない。アトラスとて男である、一国一城の主には憧れる。辺境伯では王家との契約でお城は立てられないのだが、その分館に力を入れている。そのうち建てるであろう新居も、それっぽい感じにしたいなーとか考えているのである。
「やっぱ、二層みたいな石造りの回廊にするのかい? こう、彫刻とかそういう……」
『それもいいんだが、そもそも迷宮が地下にできるのはいろんな要素が重なった上での偶発的なものだろ? 意図的に展開するなら、地上に展開して城みたいにした方がいいんじゃないかなって。外から攻めてくる敵を防ぐんじゃなくて、中から出てくる敵を封じ込めるみたいな』
「ほうほう! 興味深い……じゃあさ、こういうのはどうだ? ホールみたいな所に罠とかしかけて……そうそう……」
触手と領主、顔をよせてのひそひそ話は夜遅くまで続き。しかめっつらのメイド長に「仕事もないのに夜更かしとは何事ですか」と怒られるまで、趣味人二人の秘密の話は続くのだった。