望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
アトラスの一喝により、ヴィンス村への進軍が直ちに決定された。
現在、ヴィンス村を包囲しているのは三つの兵集団。アトラス達が合流した集団とは別に、二つの小さな兵集団がそれぞれ北と南に展開している。本来であれば、これにさらに西側に三つの兵集団が展開されるはずだったが、そちらは現在音信不通。期待はできない。
また、小さな兵集団はあくまで警戒網を維持する為の小規模なもの。アトラスのいる母集団も、全ての兵士を向かわせる事は出来ない。
それにシャードビースト相手には、雑兵は連れていくだけ無駄だ。兵集団の中から、腕の立つ者だけを選別し、少数精鋭で動く事になる。
アトラスと三人の仲間、そして30人ほどの兵士が馬にのってヴィンス村に向かう。なお、ヌルスは馬が怯えて暴れるので、アトラスの後ろに相乗りしている。
「あの丘を越えればヴィンス村が見えてくるはずです」
「わかった」
「お気を付けください。丘を越えて、生きて帰った歩哨はいません」
歩調を合わせて、小高い丘を目指す。話によればこの丘を越えた先に盆地が広がっていて、そこで大規模な酪農が営まれているという話だった。
周囲は、不気味なほどに静まり返っている。時折吹く風が、背の短い青草をさやさやと鳴らりながら通り過ぎていった。
そしてなだらかな丘の麓に差し掛かった時、一行は丘の境界線に異変を見咎めた。
一本線を引いたような丘の稜線に姿を現す異形の影。無数の結晶を繋ぎ合わせた蜘蛛のような、サイケデリックな色合いの異界生物。
シャードビースト。
やはり、ヴィンス村はやつらの手に落ちていた。数体の異形が丘をこえてこちらに向かってくるのを見て、一行の間に緊張が走る。
「出たぞ!」
「あれがシャードビースト……?!」
「あんなものが本当に……っ!?」
困惑する兵士とは別に、アトラス達は冷静に彼我の戦力を見定めた。
こちらに向かってくるのは、中型の集合体が5匹。そしてその周囲をとりまく無数の小型個体。こちらの数はぱっと見ではわからないが、恐らく1000には届かない。
エンシェントの里を襲撃したのとはくらべものにならない程小規模な勢力だ。
よかった、とアトラスは安堵する。
やはり、迷宮のダンジョンコアを押さえていないのが大きかったのだろう。この程度の数なら、ヌルスの力を借りればなんとかなる。
そう思って、しかし、彼は不意に空が暗くなった事に気が付いて、上を見上げた。
そして見た。
「…………。……え?」
丘の向こうから舞い上がる無数の何か。太陽の日差しを遮り、草原に影を落とす、まるで蝗害を思わせる黒い吹雪。
丘の稜線が形を変える。
なだらかに流れる境界線が歪に歪み、ぐねぐねと蠢いている。それが、無数の、数える気にもならない大型シャードビーストだと気が付いたと同時に、地面が激しく揺れた。
《ピギィイイ!》
《ピギギィ! ギギィイ!》
丘を越えて、無数の大型個体が突撃してくる。同時に無数のシャードビーストが宙を覆い、空を曇天のように閉ざした。
「う……うわあああああ!!?」
硬直するアトラスの背後で、兵士達が悲鳴を上げる。
理解不能な光景を前に、恐慌を来たした兵士達が恥も外聞もなく逃げ出そうとする。
彼らの気持ちも分からなくはない、とアトラスは思った。シャードビーストの事を知っていたつもりの彼でも、思わず現実逃避せずにはいられない、絶望の光景がそこにある。クリーグもアトソンも同じ。
ちっぽけな人間の抵抗は、虚しくシャードビーストの軍勢の前に踏み散らかされる……。
否。
一人……否、一匹だけ、それをものともしない者がいた。
硬直するアトラスの背中から、飛び降りて前に走る影。
アトラスの眼前で、黒い背中が異形の隊列に立ちはだかった。
『ライトニングトルネード!』
吹き荒れる、雷鳴の暴風雨。迸った金色の雷鳴が唸りを上げて降り注ぎ、シャードビーストを絡めとる。空に舞う無数の個体は無限に枝分かれする金色の枝に刺し貫かれ、行進する大型個体は先頭集団が足を縺れさせて転倒する。
それでも行進は止まらない。障害物となったそれらを踏み砕いて、後続の大型個体がなおも突撃してくる。それもまた、想定内。
『ファイアトルネード……そして、ビッグトルネード!!』
吹き荒れるのは炎の大渦。一息でシャードビーストの群れを薙ぎ払い焼き尽くす炎……それを、吹き荒れる暴風が後押しした。
風は火を強くする。
乾いた草原の草を燃え上がらせて、紅蓮の炎が前進する壁となる。押し寄せる集団を逆に飲み込み、炎の津波が丘の向こうまでシャードビーストを押し返した。
轟々と燃える炎を前に、佇む黒い背中。
鎧姿の魔術師は、機械杖を片手にアトラスへと振り返った。
『ぼさっとするな。行くぞ! 連中の跳梁跋扈、ここで食い止める!!』
ヌルス。
かつて最弱の魔物だったヌルスにとって、絶望などありふれた事。幾度となくそれを乗り越えたヌルスにとって、此度のそれもまた乗り越える壁に過ぎない。
「あ、ああ!」
その背中に勇気づけられて、アトラスもまた剣を引き抜き、前に走る。
炎の壁を越えて向かってくる大型個体に向けて剣を構え、説明されていた通りにスイッチを入れた。
「宝剣サダラーンよ! 我に力を……与えたまえ!」
改良を加え新造されたサダラーンV2、いうなればサダラーンMK-2。刀身に組み込まれた魔術回路が起動し、剣の切っ先から光の刃が長く伸びた。
本来ならば、長すぎて持て余すこの刃。要求仕様から触手を組み込めず、定格化した魔術回路の調整が困難な為の半ば失敗のような仕様だったが、この状況においてはこれが役に立つ。
「せいやぁっ!」
振り回される光刃が、大型個体をまとめて切り裂く。肉体を構成していたシャードビーストがばらけて離脱しようとするが、それを二度、三度と返す刃が、纏めてバラバラに切り刻んだ。
自分達の主人のその戦果に、逃げ出していた兵士の足が止まる。そこにクリーグの檄が飛んだ。
「お前ら何やってる、逃げてる場合か! 英雄みたいな活躍をしろとは言わねえ、少しは奴らの侵攻を阻止しろ!」
「無理はなさらないように! 傷をしたら後退してください、私が手当します!」
自らも剣を振るってシャードビーストを叩き落すクリーグの檄、そして支援を約束するアトソンの言葉に、混乱していた兵士達が体勢を立て直す。それを率いて、クリーグは馬の機動力をいかして撃ち漏らしの迎撃に回る。
それを見てアトラスはよし、と頷き、前線でシャードビーストを一人で焼き払うヌルスの元に向かった。
「ヌルス! このまま丘の向こうに! ここはクリーグにまかせよう」
『了解した』
ヌルスを馬に再び載せて、アトラスは一路丘へと向かう。炎の壁で押し返されたとはいえ、次々と新たな個体が姿を現し襲い掛かってくるが、その全てはヌルスの魔術で迎撃される。
がちん、と機械杖からシリンダーが排出され、新たなそれを淀みない手際で装填するヌルス。改良された機械杖は、中級魔術を連続で使用しても安定した動作を続けている。内部では、何匹もの触手がうねうねしながら魔術行使を頑張っているようだ。
「丘の上に出るぞ!」
『うむ!』
手綱を強く引き、馬を減速……向きを変えるようにして、ちょうど丘の頂点で馬を止めさせる。
小高い丘からは、その先の光景がよく見える。
果たして、そこに広がっていた光景は……。
『……これは……』
「そんな……いつの間に、こんなことに……」
ヌルスとアトラスは、言葉が見当たらず息を呑んだ。
そこに広がっていたのは、とてもこの世のものとは思えない光景だった。
《キチキチキチキチ……》
かつては牧草地帯が広がっていたのどかな盆地。だが今やそこは、サイケデリックな色合いのシャードビーストの群れに埋め尽くされ、異界の光景となり果てていた。地を埋め尽くすシャードビーストの目が草木の代わりに風にそよぎ、ところどころにそれらが集合して形成された塔のようなものが聳え立っている。空は無数の小型個体が飛び交い、気のせいか空も赤く暗く、陰鬱な空模様となっている。
一目見て、そこにあらゆる命が無い事は分かった。大地を埋め尽くすシャードビースト以外、何一つ存在しない死の荒野。
……ヴィンス村の住人や家畜たち、それ以西の住人達がどうなったかなど、もはや調べるまでもない。
あまりにあまりな光景を前に言葉を失う二人の前で、混色の平原がメリメリと盛り上がる。地を埋め尽くすシャードビースト達が次々と結合し、巨大な集合体へと変化していく。
天を突くような巨体が、身を起こす。
《ピギギギィイイイイ!》
大型個体、どころの話ではない。言うなれば、超大型個体。
創世神話に語られる巨人のような怪物が、盆地の底から丘の上に立つアトラス達に暗い影を落としている。
「……でかすぎる……」
尋常の手段では、無理だ。アトラスは冷静に理解した。
サダラーンの光刃では距離が足りない。ヌルスの歪みの魔術を用いたとしても、相手があまりにもデカすぎて威力と範囲が足りない。
これを倒すには、普通の方法では不可能だ。
そう。普通の方法では。
「ヌルス」
『わかっている』
馬から鎧姿の魔術師がよっこらせ、と地に降り立つ。兜の奥から、ぎょろり、と虹色の光る瞳がアトラスに視線を返した。
『オメガ・マギアスを使う。背後の兵士ともども、距離を取ってくれ。巻き込む危険がある』
「……すまない。いつも、最後には君に頼ってばかりだ」
『気にする事はない。頼られる方は、嬉しいものさ』
小さく頷き返し、アトラスは馬に踵を返させ、丘を駆け下りた。
今は一分一秒でも早くこの場を離れる事がヌルスへの支援になる。
駆ける馬上、風鳴りの音に交じって、ヌルスの詠唱が聞こえた。
『構造術式、展開。……魔力ライン、確保。デュアルドライブ、最大稼働』
『“創造の鍛冶場”、構築完了。物質構成式の自動詠唱、開始。機神構造式、自動読み込み、開始』
『術式エラー確認、よし。術式駆動、最大出力。称えよ、崇めよ、絶望せよ!』
『ここに、全ての可能性(みち)は閉ざされる! 顕れろ……』
『《オメガ・マギアス!》』
天を貫く光の柱が伸びる。
その光の柱の下、丘の向こうで、漆黒の何かがゆっくりと身を起こす。
黒光りする硬質の鎧、その隙間で赤く脈動する赤い光。
最初に見えたそれは、天に向けて伸ばされる巨大な腕のような、九つの首を持った巨大な怪物だった。伝説のブレインサッカー、ヒュドラ型の触手を模したような鋼鉄の怪物。
それが、人々の見守る前で変形する。九つの腕は折りたたまれて胴体をぐるりと囲む装甲となり、うち二つは再展開、逞しい両腕に。下半身を構成していた装甲は折りたたまれ、腰部から背後に広がる巨大な翼へと変わり、内部に収納されていた脚部が伸ばされ、その地響きと共に大地を踏みしめる。
最後に首の中央部分、胴体の中に埋め込まれていた頭部がせり上がってくる。
口元を露にした騎士兜のような、牙を剝き食い縛った怒れる魔人の顔。その瞳が、ぎょろり、と眼前の超大型シャードビーストを睨みつける。
悍ましき怪物の姿を守るべき人々に見せまいとするかのように、黒い翼が広げられる。その背中を頼もしく見守りながら、アトラスはその威容に息を呑んだ。
「黒い、竜人……」
それこそが、オメガ・マギアスの完成形。
伝説を越えた、究極の魔術。
『いくぞ……! 貴様らの乱暴狼藉、ここまでと知れ! いざ、参る!!』
《ピギャアアアアア!!》
それぞれのウォークライを謳い上げ、大地を揺るがす二人の巨人が正面からぶつかり合う。
大地揺れる、天焦がす。地上最大の戦いがここに始まった。