望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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第二百十六話 高潔なる未亡人

 

 パヴィエ村に向けて出発した兵士達。それを率いるシオンは、しかし馬上で兵士長の馬の背中に甘んじていた。

 

 草原を駆ける馬の上、鞍にベルトで身を預けた彼女は、鈍く輝く胴当ての背中に声をかけた。

 

「悪いわね、ほんと」

 

「いえいえ。疲労のあまり、落馬でもされたら事ですから」

 

 そういって笑うのは、繰り上げで兵士長になった若い男。つい先日まで兵士長をやっていたベテラン兵士は、資材管理の不行き届きの罰則で降格させられ、今は一兵士をやっている。

 

 勿論、その裏にあった出来事をシオンは把握している。

 

 どいつもこいつも馬鹿ばっかりなんだから、と彼女は嘆息した。だから、見捨てられないのだが。

 

「それで、どう思う? 不審な集団って」

 

「十中八九、言いがかりでしょう。先の戦争における逃亡兵が、あんな所まで逃げ延びている筈がないというか。それだったら道中の村落に被害が無いのがおかしな話です。どうせ、獣の影を見た、とかの話を大仰に盛り立てて、大げさな話にしてるだけですよ」

 

「私もそう思うわ」

 

 そもそも、先のシャードビースト襲来に端を発する混乱で多少荒れてはいるが、伯爵領は元々治安のよい土地だった。全く山賊盗賊の類が居なかったという訳ではないが、そういった元々いた害悪は、シオンがヴァンダイン家に入った時に根こそぎ駆逐されている。

 

 武を重んじるヴァンダイン家。そこに迎え入れられるに当たって実力を証明せよ! という流れになった結果である。そして、シオンは伯爵家の人達に気に入られた。

 

 そもそもが、シオンは迷宮踏破者である。エトヴァゼル9層で交戦した悪魔達に比べれば、唯の山賊、盗賊など、鼠も同じ。片目を閉じていても相手にならない。

 

 さらにシオンには、ヌルスから与えられた最新の装備がある。復元サダラーンと同じ製法で作られた魔術武器。汎用性はなく単一の魔術効果しか発動できないが、触手を制御に用いない事で魔力結晶があれば半永久的に運用可能な、雷撃と火炎の魔術ダガー。それを手にした今のシオンなら、例え深層のフロアガーディアンだってソロで撃破できる自信がある。

 

 だが、疲労だけはどうにもならない。

 

 休む暇もなく押し付けられる仕事は、着実にシオンの能力を削いでいた。

 

「とはいえ、油断は禁物よ。あんた達の手に負えない相手が出てきたら、私を殿にして後退なさい。いいわね」

 

「ははは、了解であります。流石に、身の程は弁えていますので」

 

 顔合わせの時、女と侮って刹那でのされた兵士は、体験談も相まってほがらかに笑った。

 

 と、そこに兵士の一人が馬を寄せてくる。

 

「そろそろ、キャンプ地点に到達します」

 

「む、そうか。シオン様は設営は我らに任せて、御休憩を」

 

「……ご厚意に与るわ」

 

 本来なら、キャンプの設営は身分関係なく手伝うのがヴァンダイン流。しかし、数時間の仮眠で疲れが取れるはずもなく、自らの体調を顧みたシオンは、しぶしぶ小さく頷いた。

 

 見れば、草原はそろそろ終わり。向かう先には黒黒とした森が広がっている。乾燥地帯であるこのあたり、森があるという事は泉が近くにある、という事だ。

 

 テントを張るには都合がいい。

 

「よぉし! 馬を止めろ、今日はここをキャンプ地とする!」

 

 

 

◆◆

 

 

 

 テントの設営が終わり、一通りの準備が終わる頃にはすっかり日は暮れ、月が宙に浮かぶ頃合いだった。

 

 ぱちぱちと燃える焚火を囲んで、兵士達が談笑している。

 

 それをテントの中から聞き流しながら、シオンはおとなしく寝袋の中で横になっていた。

 

 ……寝袋には慣れている。迷宮の中ではふかふかのベッドなどあり得なかったし、そもそも孤児院育ちの彼女は劣悪な環境のほうが馴染み深い。

 

 それであっても、体の芯に降り積もる疲労は抜けそうにない。

 

 人間、ずっと馬の上で揺られていると駄目になるんだな、とシオンはぼんやりと思った。

 

「シオン様、体調の方はいかがでしょうか」

 

「……なんとか。何か?」

 

「夕食の方をお持ちしました。食べやすく汁物にしましたので、どうでしょう」

 

 天幕の外に人型の影がかかる。

 

 しばし考えて、シオンが返事をすると、入口から器を手にした兵士が中に入ってきた。彼は笑顔でしゃがみこむと、湯気の立つ器をシオンの前に置いた。

 

 身を起こして中身をあらためると、どうやら携帯食料をお湯で溶いたもののようだ。

 

 冒険者にも馴染み深い、動物の干し肉と脂肪と野菜を固めたもの。見ればちょっと乳も加えてあるようだ。ナマモノはあしが早い、出立当日だからこその贅沢である。

 

「ラフィリエ様が、かねてから作っていたものだそうですよ。流石というか、我々が普段食べているものよりもよっぽど味が良いです。是非」

 

「そっか、あの子が。ありがとう……」

 

 受け取って器の中身を口に運ぶ。

 

 ……多少渋かったり、えぐみがあるのがお約束だが、これは驚くほど味がまろやかだ。

 

 恐らく材料を相当吟味して選別したのだろう。貴族のお嬢様、という見た目の割に、こういうワイルドな物にも理解があるのは、流石武闘派貴族といった所か。あれでいて剣の腕も立つ。

 

 ま、私程じゃないけど、と内心で呟きつつ、シオンは器をもう一度傾けた。

 

「ん。確かに、結構いけてる」

 

「でしょう? ラフィリエ様は、よい奥様になられるでしょう」

 

「そうね……私と違って、あの子は良縁に恵まれるといいわね」

 

 ぼそり、とシオンが何の気なしに呟くと、目に見えて兵士が顔を曇らせた。

 

 しまった、とシオンは失言に気が付いたが、こうなっては仕方がない。

 

「大丈夫ですよ、きっと。アトラス様はご無事でいらっしゃいます。いつか必ず……」

 

「……本当に、そう思う?」

 

 シオンは器の中の、濁った乳白色のスープを見つめながら呟いた。水面に映る女は、酷く草臥れた顔をして、どんよりと瞳が濁っている。

 

「ヌルスは、誠実だし賢いけど、政治にはまるで向いてない。腹芸が出来ないのよ。にも関わらず、一連の事件の間、ずっと対応していたのは彼だった。……アトラスは、一度も出てきていない」

 

「シオン様。きっとそれは、何か事情が……」

 

「だとしても。……ヌルスは、人間よりも序列を大事にするような、そんなクソ真面目が触手の形に固まったような奴だったわ。そんな彼が、アトラスを蔑ろにして、自分で政治の舵を取る? あり得ない、あり得ないわ。ましてや、人類に対する大虐殺なんて、アトラスが生きていたら許すはずが無いわ……きっと、そういう事なのよ……っ」

 

 シオンの声が震える。堪えていた涙が、じわり、とその双眸に浮かぶ。

 

「きっと、アトラスはもう……っ。だったら、だったら私なんて、このまま……っ」

 

「シオン様。落ち着いてください」

 

 言ってはいけない事を口にしようとするシオンを、兵士はやんわりと、しかしはっきりと咎めた。

 

「そこから先は言ってはいけません。私どもだけでなく、伯爵様も、ラフィリエ様も悲しまれます。我々は、貴方がアトラス様の婚約者だから、お慕いしているのではありません。貴方が、ヴァンダイン家の一員として、相応しいお方だからこそ、我々は槍を捧げお慕いしているのです。そのような悲しいお言葉、おっしゃらないでください」

 

「……ゴメン。変な事を言った。今のは、忘れて」

 

「ふふ。忘れろ、とは、何の事やら。私はラフィリエ様へのお褒めのお言葉以外、とんと聞いておりませぬが」

 

 しれっととぼける兵士に、シオンも唇の端に苦笑を浮かべる。

 

 ヴァンダイン家の者達は、兵士も含めて気のいい奴らだ。そんな人々だから、自分の為にこれ以上迷惑をかけたくないのだが……同時に、酷く厳しくて、我が儘な面もある。

 

 意固地な奴らめ、とシオンは親しみを込めて毒づいて、器を一息で煽った。

 

「ん。まあまあね。せっかくだから、もう一杯頂こうかしら」

 

「是非是非。まだたくさんありますので」

 

 笑顔で兵士が空になった器を受け取る。

 

 その時だった。

 

 兵士の怒号と共に、緊急事態を告げる笛の音が鳴り響いたのは。

 

「敵襲ーーーー!!」

 

 

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