望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
「敵襲?!」
「何ごとだ!?」
叫びを聞いた直後、シオンはそれまでの怠惰な振舞いが嘘のように俊敏に動いた。寝袋から飛び出すと同時に枕元のダガーを掴み、疾風のようにテントから飛び出す。
まだ他の兵士が対応に動き出すよりも早く、真っ先に叫びの元に駆け付けたシオンは、そこで見た。
槍を手に、腰が引けつつも警戒態勢を取る兵士達。
そんな彼らに、闇の向こうからにじり寄る、異形の姿を。
また一歩、にじり寄った姿が闇の中から焚火によって照らされる。赤く燃える炎の光を照り返すその体は、鈍い銀色。
昆虫のような外骨格。幾重にも甲冑を連ねたような外殻に、大きく発達した前足。地を這う地虫が身を起こし二足歩行しているような、独特の前傾姿勢。頭部には、大きな複眼が何所を見ているのかもわからぬ虹色の光を放っている。
その異形に、シオンは見覚えがあった。
他ならぬ、巣窟迷宮エトヴァゼル4層で戦った、イレギュラー。ヌルスの救援がなければ全滅していた恐れもあった、異常なまでに強固な外殻と怪力を誇る怪物。
そう、魔物だ。
迷宮の中でしか生きられないはずの怪物が、今、シオンの目の前にいた。
「嘘でしょ、魔物?!」
「魔物……ですか!? あの、迷宮の中に出現するという、怪物の!?」
「間違いない、巣窟迷宮エトヴァゼルの4層で戦った事がある!」
シオンの言葉に、兵士達が顔を見合わせて槍を構える。
にじり寄ってくる怪物に向けて、彼らは雄たけびと共に突進した。
「魔物だかなんだか知らないが、4層程度なら……!」
「たった一匹、我々の敵ではない!」
「っ! 駄目っ!!」
シオンの静止も間に合わず、兵士達は魔物へと突撃する。4層、という具体的な数字を聞いて、自分達でも対応できると思ったのだろう。
それは間違ってはいない。
この魔物が、本当に4層の適正レベルの強さであったのなら、だが。
『ギシュアアッ!』
「うわああ!?」
銀腕、一閃。
突撃してくる兵士達の一撃を、怪物は無造作に前肢を振り回して薙ぎ払った。超大型の大剣を振り回すに等しい一撃に、槍はあっさりと砕け散り、兵士達は後方へと軽々と吹き飛ばされた。
へし折れた槍の柄が、シオンの足元に転がってくる。
ちっ、と彼女は舌打ちを鳴らす。見間違いであって欲しかったが、どうやら覚えのある相手で間違いないようだ。
「このパワー、スピード……見た目だけじゃなく、実力に違いはないって事ね」
「シオン様!? 魔物というのは、ここまで強力な存在なのですか!?」
「こいつはイレギュラーよ! 事情はよく知らないけど、階層と明らかに強さが釣り合わない異常個体! アトラスや、他の仲間二人と組んでてもやられかけた、私もその時殺されかけてる!」
ええっ、と驚く兵士を他所に、シオンはくるり、と手の中で刃を回して逆手に構えた。
そう。確かに、シオンはかつて、この魔物相手に手も足も出ず殺されかけた。
だが、それは過去の話だ。
今のシオンならば、勝てない相手ではない。
「下がれ! 私が対応する」
部下に短く命じ、シオンは深く身を屈めた。直後、彼女は疾風となる。
ベテラン兵士でさえ、残像を残して消えたとしか思えないような超高速ダッシュ。一瞬にして彼我の距離を詰めた彼女に、しかし銀の魔物は迅速に反応した。
複眼を煌めかせ、前腕を振りぬく。大剣の一撃に近い一撃は、しかし空を切り、地面を穿った。
大地を掘り返す剛腕。その腕が次の瞬間、関節から断たれてばらばらになった。
ほんの僅か、刃を振りぬいたシオンの姿が露になる。その彼女目掛けて反対側の腕が振りぬかれるが、それが貫いたのは残像だけだった。
超高速、それに加えて複雑なステップを踏み、対象の距離認識を誤認させる。かつてのシオンでは使いこなせなかった高等技術を、今の彼女は当然のように踏みこなす。
不規則に周囲を攪乱し、怪物を幻惑するシオン。その刃が、残された片腕を肘から切り落とす。
かつて手も足もでなかった強力な魔物。それを、今シオンはたった一人で圧倒していた。ごとり、と切断された前足が地に落ちる。
『ギギィ!』
しかし、非力な彼女では関節といえど切断には全力を要するのか、その瞬間動きがとまる。それを狙って、怪物の口から鋭い口吻が伸びた。
レイピアの如き一撃。それが、動きを止めたシオンの額目掛けて突き出される。
「ふっ!」
それを、シオンはその場で身を捻り、回転するようにして紙一重で回避した。その手にした刃からは、燃え盛る赤い炎が吹きあがるようにして吐き出されている。
炎を最大出力で放出する事による強制機動。完全に死に体の状態から推進力を得て、カウンターの一撃を回避する。
そして流れるままに閃いた刃が、口吻を半ばから切断。最後の武器にして、急所を切り落とされた怪物が、苦悶するように仰け反った。
その頭上に、ひらり、と少女が身を翻した。軽く相手の肩に手を置いて、大きく跳躍しての宙返り。とん、とその両肩に足をつけたシオンが、両手の刃を鋏のように交差させて怪物の首に突き付ける。
「バイバイ」
じゃぎん。
硬直する怪物の体から、ころり、と首が地に堕ちる。どしゃり、と膝をついて倒れ込む魔物をよそに、シオンは跳躍して距離を取った。
倒れた魔物は、もう、動く気配はない。
「はい、おしまい」
数秒、その場に沈黙が満ちる。やがてシオンの勝利と、その鮮やかすぎる手際を認識した兵士達から、わっと歓声が吹きあがった。
「……お、おおお?」
「すげえ、流石シオン様だ!!」
「あの化け物をあっさり倒した! やっぱすげえ!!」
シオン様、シオン様! と兵士達が称賛の声を上げる。
しかしそれをよそに、シオンは訝し気に手にしたダガーの刃を見つめていた。
刃毀れは、ない。だが、とてもではないが、生き物を切った感触ではなかった。確かに魔物は生物ではないが、傍から見たらそれと区別がつかぬ程度には生っぽかったはず。しかし、今の手応え……まるで詰まった鉛を切り分けたようだった。
それともこの魔物は、こういう手応えなのだろうか? 外殻の強度は言うまでもない、いくら柔らかい、といっても関節も常人基準では十分すぎるほど硬い、というのはあり得る話だ。あり得るが、イマイチ納得がいかない。かつての戦いでは、一太刀も入れられずにダウンした事が悔やまれる。
見ている前で、怪物の体は急速に朽ちて、無に帰っていく。死ねば、原形も残さず朽ち果てる……確かに、よく見た魔物の最後と、それは同じではあるが……。
「……まあ。倒した以上は、どうでもいい話か……」
「お見事です、シオン様。見事な戦いぶりでした」
「ん。別に誇るような事ではないよ。一度戦って、手の内を見ているしね」
特に、口吻の一撃はそれと知らねば危うい攻撃だが、知っていればそうではない。奥の手とは知られていないからこそ意味があるのだ。
「しかし、厄介な事になりましたな。まさか、魔物が迷宮の外に出てくるとは……。この朽ち方といい、シオン様の知識が通用した事といい、もはや疑う余地はなさそうです。逃亡兵よりもよほど厄介な問題が現れましたな」
「ええ。……ここは魔城から離れすぎている、魔王の関与とも考えづらい。ただのワンダリングモンスターという可能性もあるけど……調べてみる必要はありそうね」
ただの嫌がらせの遠方出張が、ろくでもない事になったようだ。
やれやれ、とシオンは肩を竦めつつも、とりあえずは何事もなく乗り越えられた事に安堵した。
だが……。
「う、うわあああ?!」
「?!」
悲鳴と共に、テントを突き破って兵士が転がってくる。傍らの兵士長が慌てて彼を開放する前に、刃を抜いて前に出るシオン
そこには……。
「嘘、でしょ」
「そ、そんな、一匹じゃなかったのか!?」
「こんなにたくさん……?!」
驚愕の声を上げる兵士達。
彼らの視線の先では、5匹の銀色の魔物が、その甲殻をキシキシならしながら、野営地を今まさに蹂躙している所だった。
『ギシュギシュ』
『ギチギチ』
感情の伺えぬ複眼が、ぎょろり、と人間達を睨みつける。
悪夢の夜は、始まったばかりだ。
それを見下ろす、女が一人。
「まさか、一匹とはいえ、倒されてしまうとは。弱く作った覚えはなかったのですが……シオンさん、お強くなられましたね」
白いフードから一房の金髪を夜風になびかせ、虹色の瞳を怪しく輝かせながら、高見から地上を見下ろす彼女。その視線の先では、野営地を襲撃する銀色の魔物に、伯爵家の兵士達が武器を振るって抵抗している。その中に、雷と炎を纏った刃を振る、疾風の如き少女の姿を認めて、女は眦を緩めた。
「残念ですが、おかわりといきます。貴女には、ここで死んでいただきますよ、シオンさん」
口元に、歪んだ笑みを浮かべる女。
それは、冷笑である……。