望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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第二百四十三話 存在意義

 

『ぐあああ!?』

 

 ヌルスの苦悶の声と共に、切り落とされた左腕が床へと落ちる。

 

 地響きと共に横たわるそれは、今やぴくりとも動かない。さらさらと崩れ落ちる残骸には目もくれず、オメガ・マギアスは赤い液体を血のように滴らせる腕を庇いながら後退した。

 

 アルテイシアは、それを敢えて追わずその場に佇む。その右手から伸びる黒い刃が、静かながらも異様な存在感を放っていた。

 

『この、痛み……まさか、本当に?! あの時、たった一度、歪みの魔術を使っただけで!?』

 

 確かに、ヌルスはアルテイシアに歪みの魔術についての研究結果を伝え、デチューンした魔術の試射にも付き合った。だがそれはたった一度の事だ。たった一度、歪みの魔術に触れただけで、これだけの魔術を習得したとはとてもではないが考えにくい。いくらアルテイシアが天才でも、扱いを間違えれば命に係わるような魔術をそう簡単に研究できるはずがないからだ。

 

「あら、あれだけ資料を見せてもらって、出来ない、なんて。私を甘く見すぎじゃないですか?」

 

『無理がある! あの時の私は、魔術師としても未熟で……まだ虚無の答えにも辿り着いていなかった! あんな中途半端な論文で、それだけの完成度の魔術が構成できるはずが……っ!』

 

「それだけ、ではありませんよ。……私は、少しだけ覚えているんです。ヌルスさんが、私を助けるために融合してから、エンシェントの里で分離するまでの間の事を、一通り」

 

 それは、アルテイシアにとっても思い出す事に苦痛を覚える記憶。

 

 自らを罪人と定め、贖罪の為に自ら魂を刻むような真似をするヌルスの行いを思い返すと、それだけで苦しみに心が軋む。ヌルスに一体どのような罪があったというのか。全ては、アルテイシア自身の愚かさによってもたらされたものだというのに。

 

 それでもヌルスは、ロションを殺さないでいてくれた。

 

 それでもヌルスは、人を嫌いにならないでいてくれた。

 

 それが、どれだけ尊い事なのか、アルテイシアには正しい言葉選びが分からない。それでもだからこそ、ヌルスがこのまま、たった一人で魔王の名を背負って沈んでいく事を、許容する訳にはいかなかった。

 

 例え、その為にヌルスを傷つける事になったとしても。

 

「極限を越えた歪みの魔術。ゼロ地点まで圧縮された黒の鋼。悪魔の魔術。歪みと一体化した五大属性魔術。……そして、その果てにある零にして無限を示す黒の槍。あれだけのものを見せられて、理解できませんでした、では無能にも程がありますね」

 

『……っ! そういう……事、かっ! だ、だが、それでも君は人間だ……脆く、柔らかく、繊細な人の魂が、そんな出力の歪みの魔術に耐えられるはずがないっ! 大体そうだ、そんな魔力、一体どこからひっぱってきている!?』

 

 困惑のあまり、喪った左腕を換装する事も忘れて糾弾するヌルスに、なるほど、とアルテイシアは小さく納得に頷いた。

 

 愛は盲目、いや、ヌルスにはその自覚はないようだけど。

 

 相手を思うばかりに、大切な事をヌルスは見落としている。それは……。

 

「それなら問題ありません。私、もうまともな人間じゃありませんので。ああ、別に自虐じゃないですよ。純然たる事実ですので」

 

 そういって、彼女は己の右手を差し出した。その手の甲には、ヌルスがヴィヴィアンだった頃、歪みの魔術の反動で刻んでしまった刻印がある。今もふさがる事無く、うっすらと血をにじませる聖印(スティグマ)……。

 

「ヌルスさんも知っているでしょう? スカーシハ様の見立てだと、この傷は私とヌルスさんの魂が混じってしまった結果刻まれた傷です。つまり、この右手の傷を通して、今もヌルスさんと私の魂は繋がっているんですよ。その意味が、おわかりですか?」

 

『まさか……それを通して、私と同じように純結晶から魔力を引き出しているのか!?』

 

 胸に手を当てて、ようやくその事に思い当たるヌルス。

 

 いま、純結晶はヌルスの体内に無い。この魔城を維持する為のダンジョンコアとなってヌルスの手を離れている。故に、ヌルスは魔城そのものを中継装置として用い、自らの存在維持や魔術行使の為の魔力を引き出している。それと同じことをアルテイシアがしていたとすれば、魔力量の問題にも説明がつく。

 

 とんだ誤算である。

 

『ぐ、ぐぅう……!』

 

 悔恨の失敗と苦痛に呻きを上げながら、切り落とされた左腕を換装するヌルス。その気力は衰えてはいない。

 

『まだだ……まだ! 私は負けてはいない!』

 

「ヌルスさん……!」

 

 ぐわあ、とオメガ・マギアスの胸部装甲が顎のように開かれる。そこから引き抜かれるのは、ヌルス最大の武装である魔槍アルテイシア。自分自身の名を冠した黒き槍、その穂先に輝く紫色の魔力結晶の怪しい輝きにアルテイシアもまた息を呑む。

 

『づぁっ!』

 

「はぁっ!」

 

 繰り出される穂先を、アルファ・マギアスは巧みなステップでいなし、時に火花を散らして受け流す。あの穂先の超圧縮された魔力結晶は、歪みの刃そのもの。まともに打ち合えばアルテイシアとて一溜まりもない。

 

 一方で、ヌルスの槍裁きそのものは凡庸の息を出ない。間隙を突いたアルファ・マギアスが一気に接近して、掌底を叩き込んでその巨体を突き飛ばした。

 

『ぐああっ!?』

 

「もう……もうやめましょう、ヌルスさん! わかっているでしょう? 貴方はとっくに……!」

 

 同格、あるいはオメガ・マギアスが上回っているはずの戦いは、しかし今や白い魔人が優勢な展開となっている。壁に背を預けてへたり込む黒い魔人に対し、アルテイシアの側は消耗こそあれで大きな損害は無い。

 

 ……確かに、ヌルスはどちらかというと研究者であり、戦いが得意な訳ではない。その肉体強度の優位性と奇抜な発想、人間には不可能な身体的特徴を生かした魔術によって戦ってきた彼は、同じ土俵で同条件で戦えばどうしても一歩劣る。

 

 それでもこうまで一方的な展開になったのは、ヌルス自身に迷いがあるからだ。

 

 躊躇い。過ちへの確信は、その思考を、指先を鈍らせる。もはやアルテイシアと並び立つ大魔術師に成長したはずのヌルスが後塵を喫するのは、全力を出せていないからに他ならない。

 

 それでもヌルスは立ち上がる。

 

 ぎこちない動きでオメガ・マギアスを立ち上がらせるヌルスの戦意は、今だ衰えてはいない。地面に魔槍の石突を突き立てて、杖のようにして身を起こす。苦痛に喘ぐ人のように、頭部のスリットが放熱の為に展開される。

 

「なんで……?」

 

 二人の戦いを見守っていたニコリが、口元を押さえて疑問を呈した。

 

「どうして、そこまでしで……」

 

『私は……私は! 折れてはいけない、曲げる事など許されない!! この道を……こうと決めた道を、進むしか、他には……!』

 

 ぐあ、とオメガ・マギアスの形が崩れる。身を捩る様にして、変形するのはヒュドラモード。巨体をのたうたせる怪物の姿を取ったオメガ・マギアスの頭部で、残り七本となった腕が一斉に華のように開き、それぞれの手のひらに極彩色の魔力の輝きを灯らせた。

 

 そして一斉に放たれる無数の魔術砲撃。矢継ぎ早に放たれる攻撃に、さしものアルファ・マギアスも気圧されて後退する。

 

「くっ!」

 

『そうでなければ……そうでなければ! 彼らは何のために命を落としたというのだ! 何のために!!』

 

「ヌルスさん……!」

 

 地響きを立てて迫りくる巨体が、身体を持ち上げてアルファ・マギアスを押しつぶそうと振り下ろされる。それを受け止めた白い魔人だったが、足元の床が耐えられなかった。まるで撃ち込まれる釘のように、白い巨体が腰まで床に埋まる。

 

『彼らは、アトソン達は、私を信じてその命を犠牲にした! 私が折れれば、彼らの犠牲が無駄になる! 私が過ちを正せば、彼らの生きた意味が消えてしまう! それだけは、それだけは、断じて!! 断じて許される事ではない……っ!! 私はこれからも、過った道を突き進むしかない、そんな道に……君を、巻き込む事だけは出来ない!!』

 

 血を吐くような叫び。

 

 それが、ヌルスの真実だった。

 

 大切な人を守るために魔王を演じ、その為に失われた命を思う為に、魔王で居続ける事を自らに定めた悲しい魔物。大切な人の犠牲を無駄にしないために、自ら大切な人を切り捨てようとするその矛盾、破綻。分かっていても止められない、止める事が出来ない。

 

 それは、正しく人の有り様だった。

 

 感情に振り回され、理論を見失い、正しいと信じて間違った道を進まざるを得ない、人間という愚かしい生き物の生き様。

 

「あの、馬鹿……っ!」

 

 シオンが呻くように吐き捨てる。吐き捨てて、しかし何も言う事が出来ない。

 

 彼女にはヌルスの気持ちが痛いほどに分かる。分かるが故に、ヌルスを納得させる言葉が出てこない。自らを否定し拒絶する言葉は。

 

 人間達が言葉を失い立ち尽くす。

 

 その中で、一人、敢えて空気を読まずに気迫を叫ぶ者がいた。

 

「それが……どうだっていうんです!!」

 

『グゥ!?』

 

 アルテイシア。彼女は裂ぱくの気合と共に、自らを押しつぶそうとする怪物の腹を殴り飛ばした。太い巨体が宙に浮き、そのまま横殴りに吹き飛ばされる。地面にバウンドしながら転がっていく巨躯を尻目に、アルファ・マギアスは深く突き刺さった地面から半身を引き抜いた。

 

「間違えたなら……次は間違えないようにするべきでしょう! いつだって、人生には取り戻せない事ばっかりで……! 自分の愚かさ加減に死にたくなっても、それでも生きていくしかないんです! 過ちを抱えて、後悔を抱えて、次は正しくやってみせるって厚顔無恥に嘯いて!」

 

『アル、テイシア……!』

 

「思い上がるな、魔王ヌルス! 一人で出来る事なんて、たかが知れてる! そんな簡単な事もわからないで、世界の全てをわかったつもりか!!」

 

 アルファ・マギアスが構えを取る。腰を深く落とし、右手を突き出して掌を開く。その手中に膨大な魔力が集結し、反対に肘からは余剰魔力がブースターのように噴出する。

 

 それを見て、オメガ・マギアスも再び竜人形態に変形。差し出した右手に、魔槍を呼び寄せる。ひとりでに戻ってきた魔槍を構えて、翼を大きく展開。背後に向けて魔力を噴射する。

 

「これで、決める……!」

 

『終わりにする……この茶番も……!』

 

 必殺の構えを取り、互いに睨み合う両者。

 

 静寂が両者の間を通り過ぎ……合図もなく、どちらからともなく、ほぼ同時に仕掛ける。

 

 互いに衝撃波で背後の空間を崩壊させながら、突進する黒と白の魔人。

 

 片方は白い腕を振りかぶり、片方は黒き槍を振りかざし。

 

 速度は全くの互角。それでも、リーチの差でほんの僅かに、黒き魔人の一撃が先に届く……その、瞬間。

 

『ああ、そうだとも。そんな事は分かっている』

 

 黒き魔人の指が緩む。漆黒の魔槍を取り落とし、しかし速度を落とすことなくオメガ・マギアスは前に出る。白き拳の前に、自らの体を差し出すように。

 

『私は間違えた。過ちは正されなければいけない』

 

 シオンが息を呑む。

 

 ニコリが目を覆う。

 

 ストライフは間に合わぬと分かって駆け出す。

 

 その、三者三様の目の前で。

 

『……君が来てくれたなら、きっともう大丈夫』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『私の役目は、ここまでだ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルファ・マギアスの一撃が、黒き魔人の胴を真正面から貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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