望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
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「かわいい……なんてかわいいんでしょう……!」
魔術の練習をする兜かぶりを、物陰からこっそり見つめるアルテイシア。
その視線はすっかり、てちてち棒を振る兜かぶりに釘付けである。
「はわー。私は天才だから魔術の練習なんてした事がないけど、新しい事に必死になってとりくむ姿って、可愛らしいわー……じゃなくて!」
はっとして我に返るアルテイシア。頭を振って正気を取り戻すと、彼女はうって変わって訝し気な視線を兜かぶりに向けた。
「魔術を使う魔物がいない訳じゃないけど、その多くは先天的な、生態的なものだわ。でもあの兜かぶりは、明らかに後天的に魔術を習得しようとしている……?」
てちてち振り回される棒に視線が向く。ボロ布か何かで、先端に魔力結晶が括り付けられている様子を見ると、お手製の杖だろうか。
「杖を使うあたり、人間の魔術の模倣よね。魔術回路は、魔術師の落とし物か何かを利用している……? いや、でもそもそもどこでそんな知識を?」
魔眼を発動させ、アルテイシアは兜かぶりの、兜に隠された本体を透視した。
鉄兜の中に入っているのは、むにむにとした軟体動物のようなシルエット。
触手魔物だ。
どうやら、先端から生えた複数の触腕を擦り合わせて、人間の声を真似た音を出そうとしているらしい。随分と器用であると同時に、あまりに魔物らしからぬ発想だ。
一瞬、アルテイシアの脳裏に、過去の知性化魔物の類例が過ぎる。
その中における最悪の例を想起するも、彼女は違う、と首を振った。
「……ブレインサッカーは、元々が超大型のヒドラ型触手だったわ。でもあの子、2層あたりをうろついてる触手魔物がちょっと成長したぐらい。人間を殺すどころか、脳みそを丸ごと食べる能力だってありはしない。そもそも、人間のそれをコピーしたのなら、練習なんて必要ないわ。……でもだとしたら、一体どうして……?」
見ている間も、兜かぶりは一心不乱に練習を続けている。時々うまくいきかけるも、ちょっと発声がずれてしまって不発に終わる。少しだけ棒を傾けてしょんぼりしている様子に、アルテイシアの胸がきゅんきゅんする。
やはり可愛い。ではなくて。
「そういえば、人間の脳を食べた魔物が知性化する、とは言われてるけど、詳しく調べた人はいないわ。最近の医学だと、人間の脳は部位によって司る機能が違う、というし、もしかして2層で死んだ冒険者の、魔力か思考を司る部分を食べた結果、知性に目覚めた……という感じなのかしら? 獲得したのは知性や感情のきっかけに過ぎなくて、スキルが伴ってないとしたら……練習する必要もある……?」
過去の例によれば、知性化した魔物は時間経過とともに、得た知識や知性を失っていったという。忘却するというより、知性や知識を持っている状態が魔物としては異常な状態であり、正常な状態に復旧した結果だとこれは考えられている。
だが、この場合はどうなのだ?
得たのが単なるきっかけなら、そもそも忘れる知識も知性もない。ああして魔物自らが訓練して鍛えたスキルや知識も、泡のように溶けて消えてしまうものなのか?
興味深い。
今やアルテイシアにとって兜かぶりは単なる魔物、搾取する相手ではなく、非常に貴重な研究対象になりつつあった。
知性をもち、自ら選択して魔術を修練する魔物。
もしかすると、魔術世界に一大変革を起こす大発見になるかもしれない。
「どうにかして、安全な所に兜かぶりを隔離、研究できないものかしら……ん?」
そうしてじっと兜かぶりを観察していたアルテイシアは、ふとある事に気が付く。
池の畔で練習を繰り返す兜かぶり。その上で、何かがゆっくりと蠢いている。完全に背景と一体化していて気が付かなかったが、池の水面が揺れる光が、天井に不自然な影を落としていた。
そこに居たのは、一匹の両生類型の魔物。この3層で、冒険者達を回廊から突き落とそうと襲ってくる魔物の一匹が、どういう訳かこの横道に潜んでいた。
その視線は、まっすぐ眼下の兜かぶりに向けられている。照準を定めるように、その首が小さくもたげられた。
「危ないっ!」
その長い舌が矢のように打ち出されるのと、アルテイシアが杖を手に物陰から飛び出すのは全く同時だった。
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天井に潜む魔物が兜かぶりを狙っている。
それを把握した瞬間、アルテイシアの頭は真っ白だった。
ただ危ない、助けなければ、という感情で飛び出した彼女が魔術を放つ。
「アストラルレーザー!」
白い閃光が杖の先から放たれる。
それは今まさに兜頭を捕らえ、本体の元に引き寄せようとしていた舌の中心を正確に撃ちぬいた。
一瞬で焼ききれた舌が千切れる。反動で兜かぶりはでんぐり返って転がっていき、激痛に魔物は天井から剥がれ落ちて地面に転がった。
ひっくり返った魔物に、アルテイシアは冷静にとどめを刺す。レーザーで射抜かれた魔物が灰になっていくのを見届け、アルテイシアは兜かぶりの姿を探した。
「あの子はどこに……あ、いたっ!」
『(ガタガタブルブル)』
「大丈夫?! ケガはないですか? ああ、よかった。無事みたいですね……」
兜かぶりの無事を確認し、安堵したのも束の間。
はた、とアルテイシアは我に返った。
「あれ? この状況って……」
杖を手にしたその頬が引き攣る。
その答えを示すように、兜かぶりはにょろり、と触手の先を兜から外に出すと、黒っぽい粘液でふにょふにょっとした字を床に描いた。
すなわち。
『こ ろ さ な い で』
「こ、殺しませんよぉーー!?」
あわわわ、とアルテイシアは兜かぶりへの弁解を始めた。
「……という訳で、私は学術的好奇心と僅かな私欲を理由に、貴方の事を探していた、という訳です! そして貴方に人間に大して積極的な害意がないなら、今すぐ討伐する理由はないといいますか!」
『…………!』
わたわた、と手を振りながらのアルテイシアの説明を、兜かぶりはちょっと傾いたまま聞いている。
少なくとも、アルテイシアの言葉を理解しているのは間違いない。先ほどの筆談といい、かなり高い知性を有しているのはほぼ確定だ。あとはそれが、どれほどのレベルに達しているのか、それを維持できるのか、という点だが……。
「まあそういう訳なので、どうでしょう? 貴方は生き延びたい、私は貴方に興味がありかつ人間の脅威にはなって欲しくない。ここはお互い、見なかった事にするのが一番無難かと思いますが……」
『…………!』
勿論、アルテイシアとしては今後も兜かぶりを監視する前提である。何かの間違いでブレインサッカーになりかねない怪物を放置しておくことはできない、できないが、現状では兜かぶりそのものは子供でも倒せる貧弱な魔物に過ぎない。ここは貴重な研究対象として、今後も追跡調査を行いたいというのが本音だ。
そう思ってのアルテイシアの“手打ち”提案だったが、驚いた事に兜かぶりはこれに意見をしてきた。
ねちねち、と触手の先で、床に器用に文字を描く。
粘液が描いた文字の筆跡を確かめて、驚愕にアルテイシアの眼鏡がずれた。
そこには、こう書いてある。
『共同研究の提案。研究対象は、私』
それはまさかの、触手自身からの研究提案であった。
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