望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
「ふーんふふふーん、ふふーん」
早朝。早くから起きたアルテイシアは、部屋の鏡の前で髪を梳いていた。丁寧に櫛を何度も通して髪を整えると、今度は化粧水を手に取り、ぱしゃぱしゃ、と顔を潤す。最後に軽く白粉で顔色を整えると、次は冒険装束。魔術学院の制服に袖を通し、胸元には真っ赤な宝石の嵌ったブローチ。魔力結晶をはめ込んだそれはただの飾りではなく魔術師の実戦道具でもある。もっとも、はめ込まれている結晶は頂き物であり、これを使うのは生きるか死ぬか、という極限状態に限るとアルテイシアは決めているが。
「るーんららー」
一通り準備を整え、携帯食料やサバイバルアイテムをポーチに詰めると、最後にアルテイシアは部屋の隅に置いていたバスケットのようなものを手に取った。箱型で取っ手がついているそれは、上ではなく側面に蓋がついているかわった形。見る者が視れば、ペットを持ち運ぶためのケースであるとすぐに理解できるだろう。
アルテイシアは上機嫌でその中身をあらためている。ペットケースの中には、ふわふわでつやつやな白いクッションが敷き詰めてあり、多少揺さぶったり振り回しても中に入った生き物が傷つかないように気が配られている。まるで子犬か子猫を持ち運ぶためのケースだが、当然、アルテイシアは冒険者であり、そんなものは飼育していない。
「ふふーん、準備完了! 今日も頑張りますよー」
一通り準備を終えたアルテイシアは、ローブの下に隠すようにペットケースを持って、勢いよく宿を後にした。早朝の街を小走りで走り、一路真っすぐ迷宮に向かう。
その途中で、顔見知りになった売店のおじさんと顔を合わせた。道行く人に朝食の屋台を出していた彼は、通りがかったアルテイシアに声をかける。
「おはよう、アルテイシアさん。今日はなんだかお洒落だね。もしかしてデートかい?」
「おはようございます、おじさん。えへへー、そう見えます? でも残念、今日も冒険三昧の予定です!」
「あら、そうなのかい。別嬪さんなのに、世の中の男は見る目がないねえ」
ほれ、お食べ、と藁半紙に包んだ焼き物を手渡す屋台のおじさんに、アルテイシアはわーいと喜んで受け取り、銅貨を渡した。
「ありがとうございます!」
「気を付けていっておいでー」
「はい! それではまたあとで!」
るんるんステップを刻みながら走り去っていくアルテイシアを、屋台の前で朝食を食べていた客が首を傾げて見送る。店主のおじさんは苦笑いだ。
「ありゃー、冒険者仲間にいいひとが出来たか、今現在アピール中ってとこかな。あの時期が一番楽しいんだ」
「あれだけ器量よしで魔術師としても腕がよい、性格も悪くない、となったら世の中の男が放っておかないと思うんだがなあ」
「魔術師として腕が良いってのは、機嫌を損ねたら炎が飛んでくるって事だからな。軟弱な軟派野郎にはハードルが高いのさ」
訳知り顔で鉄板に生地を流して焼き物を作る店主。じゅう、と音を立てて焼き上がるそれを見ながら、客は自分の分の最後の一口をパクリ、と飲み込んだ。
「あるいは相当な好きものなんじゃないか? ああいう一見、可愛らしくていい子ほどエグい癖があったりするもんだぜ」
「ははは、まさか」
巣窟迷宮エトヴァゼル3層。
今日も冒険者の悲喜こもごもを飲み込んで、昏い水面が微かに揺れている。
その地底湖回廊の隅っこを、一目を気にしながらこそこそ歩いている少女の姿がある。
アルテイシア。彼女は周囲に冒険者の姿が無い事を確認すると、小声で闇の中に呼びかけた。
「ぬ、ヌルスさーん。私です、アルテイシアです。いらっしゃいますかー?」
返事はない。
しかし、暗闇の中からテチテチと粘液質な音が近づいてきて、彼女はぱっと顔をほころばせた。
『キュキュ』
「ヌルスさん!」
ひょこん、と岩陰から顔をだすのは、小さな触手型魔物。九つに枝分かれした先端をわきわき、ゆらゆらさせながら、まるで挨拶のように、ぬるぬるする体を擦り合わせて鳴き声のような声を出している。
「ふふふ、今日もよろしくお願いしますね。ほら、こちらにどうぞ」
アルテイシアがペットケースを地面におろすと、うんしょうんしょ、と地面を這ってその中に納まるヌルス。ケースのなかでとぐろを巻くようにして体を落ち着かせたヌルスは、もぞもぞ、とケースの中から短い杖を引っ張り出してくると、器用に触手でそれを抱えた。
「それじゃあ、今日も一日、よろしくお願いしますね!」
『キュゥー』
ヌルスの入ったペット鞄を手に、てこてこと歩くアルテイシア。
それは一見すると、町を歩くお嬢さんに見えない事もないが、ここは巣窟迷宮エトヴァゼルの第三層。当然、町の中のような安全地帯ではなく、行く手には魔物がその姿を現す。
早速回廊の下から這い上がってきた大型両生類型の魔物が、口を薄く開いてアルテイシアを威嚇する。自分の数倍の質量を持つ魔物に、しかしアルテイシアは微塵も怯む事無く、杖の代わりに鞄を差し出すように掲げた。
「ヌルスさん! ファイアボルト、です!」
『α γ β』
鞄の中から響くのはキンキンした声の魔術詠唱。放たれた炎の矢が、立ちはだかる両生類魔物を黒焦げにする。
いくら魔物とはいえ、所詮3層。全身を炎で焼けた魔物はその場で灰に還り、ころりと魔力結晶をその場に残した。
「ふふ、よくできました。はい、ご褒美です」
その魔力結晶を拾い上げ、鞄の中に放り込むアルテイシア。大粒の魔力結晶を、ヌルスはうまうまと吸収する。その間アルテイシアは周囲に冒険者が居ないか確認すると、手近な岩を椅子代わりにこしかけて鞄の中を覗き込んだ。
『キュキュ キュ』
「ふふふ、大分魔術も上手になってきましたね。そろそろ、次の魔術の勉強も始めてみましょうか。確か、中級の魔術は教科書が駄目になっちゃってるんですよね?」
『キュキュ』
わーい、と言わんばかりに鞄の中で体を揺らすヌルスに、にっこり目を細めるアルテイシア。
最近の二人はずっとこんな感じである。
ヌルスからの共同研究の提案。それを受けて、アルテイシアはヌルスと共に行動しながら、魔術を教え、共に冒険している。
それは監視を兼ねての事ではあったが、アルテイシアにとっても多くの実入りがある事でもあった。
まずはっきりしているのが、ヌルスは既知の知性獲得型魔物とは全く性質を異にしている、という事である。従来の知性獲得とは同時に知性の略取であり、奪ったあるいは残留した知識・記憶・技能しか使えなかった。だがヌルスはあまり物事を知らない代わり、教えられた事を湯水のように吸収し、新しいスキルをどんどん増やしていく。時間経過しても知性が衰えるどころか、そうやって新しい知識を詰め込む度に人格らしきものが安定している様子もあり、間違いなく、これまで発見されてこなかった未知の変異体だ。
そして何より、人間に対して好意的。意図的にアルテイシアが無防備な隙を見せても、ヌルスは何かアクションをおこすでなく『?』と見つめているだけだった。大型の触手魔物に見られがちな、雌の恒温動物に対する偏食性も見られない。
つまり、無害、というのがアルテイシアの出した結論だった。
むしろ有益といっていい。触手魔物は、その分泌物などが魔術の触媒になるのである。
「はーい、ヌルスさん。おやつもありますよ」
『キュ キュ』
ビーフジャーキーを差し出すと、触手をわさわささせて受け取るヌルス。どこに口があるのかよくわからないが、元々触手型魔物は迷宮内のスカベンジャー、有機物を分解吸収する能力がある。美味そうに干し肉に絡みついて味わうヌルスを微笑ましく観察していたアルテイシアだが、人の気配を感じてぱたん、と篭の蓋を閉じた。
誰か。
こっちに近づいてきている。
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