望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
魔城出現に伴う騒動も、時間経過によって落ち着き。
その橋渡しに忙しかったエンシェントの里にも、しばらくぶりに静寂が戻ってきた。
多くのエンシェントはその事にほっと安堵したが、しかしその傍ら、ずっとある事情に気を揉み続けることになる。
その、ある事情とは……。
エンシェント中央にある神殿。
その執政の間。
限られた者しか通る事を許されないその場所で、スカーシハは今日も書類に目を通していた。
世の中はある程度落ち着いたとはいえ、まだ魔城との間で人間達と取り持つべき案件は多数ある。
彼女は今日も、わき目もふらずに職務に励んでいた。
まるで、何かから目を逸らすかのように。
「あの、スカーシハ様……?」
「……何でしょうか。私は今、忙しいのですが」
「いえ、その。あまり根を詰められても。それにその、差し出がましいようですが、そんな書類にまでスカーシハ様が目を通さなくとも……。そういった仕事は、経験の浅い者達に任せてもよろしいのでは?」
そう。
仕事そのものはたくさんあるが、今現状は落ち着いているのも事実。
少なくとも、半神の女神という、エンシェントの里における最大権力者がわざわざ目を通すべき書類は、全体の中では多くはない。
にもかかわらず、スカーシハはまるで自ら仕事を増やすかのように、なんという事はない書類にまで目を通そうとしている。
はっきりいって非効率なやり方だった。そもそも、以前はスカーシハとてそういった書類は下々に任せていたはずである。
一体どういう心変わりなのか……いや、その理由も、側近のエンシェントは心得てはいた。
忠言に、ぴたり、とスカーシハのペン先が止まる。続けて、白いヴェールの向こうから、無機質な視線がエンシェントを貫いた。
……彼女が再び素顔を隠すようになったのは、いつの頃からだったか。
わかっている。あの白魔術師……アルテイシアが、ヌルスと再会できたと報告があってからだ。
「私は里の代表者です。その私が、隅々にまで気を配る事のなにがおかしいのですか?」
「い、いえ、そういう訳ではありませんが……その、働きすぎもよろしくないかと思います。そろそろ御休憩なさっては」
「休憩なら充分にとっています」
とりつくしまもないとはこのことである。
冷たく硬い半神の言葉に怯みながらも、それでもおずおずと側近が会話を続けようとしたのは、ひとえに彼女への忠誠心の篤さがなせる事であったろう。
「そ、その。魔城から繰り返し、スカーシハ様へのお誘いの手紙が来ています。是非一度、食卓を共に囲みたいと……その、ヌルス様直々に……」
「!」
「どうでしょう? 状況も落ち着いているのですし、休息もかねて魔城を御尋ねになっ「必要ありません」……スカーシハ様……」
側近の言葉を半ばで打ち切り、スカーシハは席を立った。
すぐさま侍従が駆け寄り上着を肩にかけるも、彼女は振り向きもしない。
「……少し体が冷えました。寝室で休みます。明日の朝まで、誰も私の部屋に近づけないよう」
「え……は、はい、わかりました」
「それでは」
しずしずと自分の部屋に戻っていくスカーシハに頭を下げつつ、侍従と側近は互いに目くばせした。
これは、重症である。
扉の向こうにスカーシハの姿が消えるのを見送って、申し合わせたでもなく二人ははあ、と同時に溜息をついた。
「どうしましょ……」
「スカーシハさま、あれ……」
「うん。完全にいじけてるよね……」
どうしたもんだか。とりあえず、魔城にお断りの手紙を代筆すべく、側近は机につくとペンを手に取ったのだった。
◆◆
その夜、スカーシハは一人、紅茶を傾けていた。
月がよく見える、高所のテラス。白いテーブルクロスを挟んだ反対側には、主の居ない椅子と一杯の紅茶。ここに居ない誰かを相手にした、虚しい独り舞台。
そう、ここはかつてヌルスと語らった場所、同じ銘柄の紅茶。柔らかなピンク色の幻影を視界に浮かばせて、スカーシハは己の未練に小さく自嘲した。
「全く。何をやっているのでしょうね、私は」
カップを傾け、テーブルに置く。
首を巡らせると、遥か遠方に白いお城が佇んでいるのが見えた。月光を受けて白く輝く魔城……こうしてみるとその巨大さもあって、非現実的な幻のような光景だ。
きっと、あそこでアルテイシアとヌルスは仲睦まじく過ごしているのだろう。そう考えただけで、ずきり、とスカーシハの胸は痛む。
まさか自分がここまで女々しい性根を持ち合わせていたとは。スカーシハは驚き半分、情けなさ半分に目を伏せた。
わかっていたはずだ。
ヌルスには、アルテイシアしか見えていない。彼と良い関係になったとしても、それは彼女を目覚めさせるまでの暇つぶしのようなもの。あの純粋な存在の全ては彼女に向けられていて、スカーシハに残されるものは何もない。
そしてそれを、スカーシハは愛しく思ったはずだ。あの、あまりにも一途で純粋でひたむきな、危うい在り方を半神は尊んだ。それが、自分に向けられる事はないと理解して、それでも、だからこそ。
そのはずだった。
理解と納得は程遠いものだと、千年を生きた半神は初めて知ったのである。
「恋は盲目……ふふふ、人間の詩人も上手い事を言ったものです。ああ、なんと滑稽な事でしょう」
己の浅はかさを嘲笑いながら、スカーシハはカップに紅茶を注ぐ。
今日はこのあたりにしておこうか。そう彼女が、一人きりの茶会を切り上げようとした、その時だった。
「あら。私には二杯目、注いでくれないんですか?」
「!?」
ここにあるはずの声に、スカーシハははっと顔を上げた。
テーブルの対面。誰も居ないはずの空席に、腰かける一人の少女の姿。
露出の多い黒いドレスを身に纏い、頭にはぬらりとした奇妙な質感の黒いティアラを被っている。髪は銀色混じりの金髪で、瞳は怪しげな虹色。
見覚えのない恰好だが、その顔立ちには覚えがあった。思わず目を見開くスカーシハ。
「……アルテイシアさん!? 貴方、どうしてここに。それに、その恰好と髪色は……」
「あー、これですか? いや、魔王の御后としてそれらしい恰好をしようと思いまして。あ、髪色はなんか気が付いたらこうなってました。人間成分減ったせいですかね?」
「へ、減る……人間成分……??」
御后、という言葉に胸が痛んだのも一瞬、続けて放たれたきっかいなコメントに目を白黒させるスカーシハ。確かに、こうして対面するアルテイシアからは、随分と人間の雰囲気が薄まってしまっている。以前は拮抗していたその有り様が、今や半神と魔物に大きく傾いているというか……。
どちらかというと今の彼女は、かつて半神の同胞が使役していた神獣に近い雰囲気がする。人の形をしたそれは見た事がないが。
「い、いえ、それはどうでもいい事です。一体、突然何の用です、魔城の者よ。エンシェントの里は、あくまで中立を保っています。例えヌルス様の使いであっても、無許可で神殿に立ち入る事はまかりなりません。……今なら無かった事にできます、私が人を呼ぶ前にお帰りなさい」
「いえいえ、そういう訳にもいかないというか。実はちょっと、魔王の御后らしくビッグな悪事を一度働いてみたいと思ってましてね」
「……はい?」
「半神スカーシハ様。貴方をかどわかしに来ました。という事で、大人しく攫われてください♪」
その日、エンシェントの里は何者かに襲撃を受けた。
巨大な銀色に輝く神像の手により、里の支配者であるスカーシハが誘拐されたのだ。幸いにも人的被害、物的被害は皆無に等しいものの、エンシェントの里は混乱によりしばらくの間機能不全を起こす事になる。
誘拐犯の目的は? 果たしてその正体は?
知らせを受けた周辺国は震え上がりながら、その真相について疑惑を深めるのだった。
なお、実際の所のエンシェントの里の反応はというと。
「えがった……えがった……」
「スカーシハ様も意地っ張りなんだから……」
「とりあえず神殿の倉庫から嫁入り道具引っ張り出してこい、魔城に届けに行くぞ」
混乱を名目に外部との連絡を絶ち、やっと訪れた暇にえんやわんやとお祭り騒ぎのエンシェント達。
ようやく自分達の主に春が来そうだと、彼らは上機嫌なのであった。
その相手が触手の塊であるという事は、とりあえず一旦忘れることにして。
◆◆