望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
満月の夜。
魔王城の上空を飛ぶ、銀色の影があった。月の光を受けて煌めくそれは、巨大な女神像のような金属の巨人のように見える。
途方もない重量が、まるで雲のように空を舞う。仮に目撃する者が居たとしても、なんだ夢か、と片付けてしまうような、それは荒唐無稽にも程がある光景だった。
だが、その巨人は幻想ではない。
その名を、アルファ・マギアス。金属魔術の最果てにある究極の奥義にて、新しい魔術理論の始まりを体現するもの。
そしてそれは即ち、魔妃アルテイシアの意思の体現であり……その手の中に一人の半神を捕らえているのも、また彼女の意思であった。
「ひ、ひぃ、高い、怖い、早い~~~」
『暴れないでくださいねスカーシハ様。おっことしちゃうので』
銀色の指の中で、スカーシハは見た事も感じた事もない高度と速度に小さく震えていた。
いくら巨木の神殿の上に住む彼女とて、それを遥か眼下に望むような空の上は流石に恐ろしい。ましてや、得体のしれない巨人の手の中、という状況。冷静でいろというのが土台無理な話である。
「な、なんなのですかこれは?! アルテイシアさん!?」
『あ、そういえば外の人は知らないんでしたっけ、これ。アルファ・マギアスです。うふふふ、ヌルスさんのオメガ・マギアスとおそろいという事で』
「あ、アルファ・マギアス……?!」
冷たい鉄の中指にしがみつきながら、スカーシハは顔を青くする。
あの魔城の中で何が合ってどういう経緯でいい感じに話が落ち着いたのかは知らなかったが、もしかして自分の思っていた以上に大ごとになっていたのではないか、という想像が今更ながらに頭をよぎる。
そもそもヌルスの覚悟と石頭は筋金入りだ。そのヌルスが考えを曲げてアルテイシアを受け入れたのだから、それ相応のしっちゃかめっちゃかがあったと考えるべきだった訳で、その事に思考を向けていなかった自らの浅慮をスカーシハは今更ながらに後悔した。後悔しつつ、しかしいじけたように唇を尖らせる。
「で、でも、しょうがないじゃありませんか……」
だって考えると虚しくなるばっかりだった訳であるし。
そうこうする内に、馬車であれば数日かかる距離をひとっとびに飛び越えて、アルファ・マギアスは魔城の中枢部、天守閣の近くにまで接近した。
本来ならば空から近づいた所ですさまじい数の迎撃に晒されるため、迷宮内部を通らなければ近づけない魔城の最重要区画。その天守閣のこれまた途方もない大きさのベランダに、アルファ・マギアスが静かに降り立った。膝をついてスカーシハを床に降ろすその指から、命からがら彼女は降り立って安堵の息を吐く。
「ふう……これほどまで心臓に悪い思いをしたのは、雷神ドゥアハの騎竜に乗せられた時以来ですわ……」
「それってどれぐらい昔の話です?」
「ざっと一万年ぐらい……?」
問いかける声にスカーシハが振り返ると、ちょうどアルテイシアがアルファ・マギアスの額から外に出てくるところだった。そのままひょいと、当たり前のような顔をして人間ならば墜落死する高さを平然と飛び降りる。
何事もなかったようにつかつか歩いてくるその背後で、アルファ・マギアスが急速に劣化し、灰になって消滅していくのが見えた。仮初の質量が大気に融けていく様を呆然と見やるスカーシハの前で、アルテイシアはぎこちない動きでスカートを摘まみ、へたくそなカーテシーを見せた。
「という訳で、ようこそ魔城へ。スカーシハ様」
「……な、何がようこそですか!? これは立派な誘拐ですよ、アルテイシアさん!? エンシェントの里と戦争をするつもりですか?! 今なら間に合います、私を里に戻しなさい……早く! そうでないと……」
言葉を荒げたスカーシハがそこまで言った、その時だった。
魔城の奥から聞こえてくる聞き覚えのある声を耳にして、彼女の言葉はぴたりと止まった。
『……な、何事?! アルテイシア、一体何が……何でアルファ・マギアス動かしたの?!』
振り返った先、廊下をもちゃもちゃと転がってくるピンク色の塊。その姿を見た途端、スカーシハの胸がきゅんと疼いた。
そう。
魔城の主。黒鉄の魔王。望まぬ知恵の王。
数多の悪名を欲しいままにする、存在の名は……。
「ぬ、ヌルス、様……」
『って、スカーシハ様ぁああああ!?』
それは、互いに愛しく思いながらも道を違えた二人の、久方ぶりの再開であった。
◆◆
『ちょっ、どうしてスカーシハ様がここにって、アルテイシア!? まさか彼女を里から攫ってきたの?! 違うよね、違うといってよね!?』
「えへへへ」
『可愛らしく笑っても駄目ぇっ!? うわああああ!!! どうしよ、これどうしよ!! あばば、あばばばばっ!』
流石というか、ヌルスはすぐに状況を理解した。理解した上で、文字通り触手を七転八倒させて苦悶に呻いた。
エンシェントの里は立派な一勢力である。そこのトップを、問答無用で誘拐した。しかもたぶん武力に物を言わせて。
立派に宣戦布告と同義である。しかもエンシェントの里は今現在、外部との融和政策における中心であった。そこを敵に回せば、すなわち魔城の外全部が敵になるも同然。
さしものヌルスのピンク色の肌も、たちまちドドメ色に濁っていく。
『あ、あば、あばばば、ど、どうしてこんな事に……』
「ぬ、ヌルス様。大丈夫です、私は気にしておりませんから、ね? 悪いようにはしませんので……」
『す、スカーシハ様ぁ……』
そこに、助け船を出したのは当のスカーシハである。みるみる間にどす黒く染まっていく思い人を黙って見ている訳にはいかず、里のトップとして太鼓判を出す。でないと、本当に目の前でヌルスが灰になってしまいそうだった。魔物は精神に左右される存在なので、あまりに気を病みすぎると普通に命に係わるのは関係者の間では知られた事である。
というか、しばしばヌルスはそれで死にかけている。おそらく今も死ぬところだった。
「ほーら、ヌルスさん。スカーシハ様もこういってるんだし、大丈夫ですよ♪ 気にしない気にしない♪」
「あ、アルテイシアさん……貴方ね……?」
そして当の加害者はこのノリである。全く良心の痛痒を覚えていない様子で、スカーシハの横でご機嫌なアルテイシア。ヌルスを前にすればスカーシハも受け入れざるを得ないという計算込みでの確信犯っぷりに、思わず頭痛を覚えて半神の女神はおでこに手を当てた。
「……まあ、いいでしょう。里の事は心配しなくていいです、さっきはああいいましたが、私が口出しせずとも問題にはならないでしょう」
『そ、そうなの? で、でも、その……』
「元より。再三の誘いを断っていた私にも問題がありましたので。……遅れましたが、ヌルス様。願望成就、おめでとうございます。ふふ、貴方の願いが叶って、私も我が事のように嬉しく思います」
『スカーシハ様……』
半神の心からの祝辞に、ヌルスが浮かべた無数の瞳をうるうるとさせる。傍から見るとぞっとするような光景だが、それを目の当たりにした半神の胸はきゅんとするばかりだ。
どうやら彼女の目には、とてもらぶりぃな光景に見えてるらしい。手遅れである。
「ははあ。成程……私も横からみたらこんな感じか……まあどうでもいいですけど」
「? 何か、アルテイシアさん」
「いいえ別にー」
ぴゅー、ぴゅぴゅー、と目を逸らして下手な口笛なんぞを吹いて誤魔化すアルテイシアに、スカーシハは小首を傾げた。彼女の知っているアルテイシアは、もっとこう影のある、見た目大人し気な危険人物であったはずだ。
今の彼女はなんていうかその……浮かれポンチというか、果てしなく調子に乗ってるというか、この世の春を謳歌しまくってる若者というか。
どっちにしろ危険人物だという印象は全く変わらないが。
「……ふう。まあどうでもいいでしょう。不本意な形での来訪になってしまいましたが、来てしまったものはしょうがないです。せっかくだから、しばらく滞在していく事にしましょう」
『やった! で、ではこちらにどうぞスカーシハ様! 貴方様の為の滞在区を随分前から用意していたんですよ、うわあい! もう手ぐすね引いてお待ちしていたんですよぅー!』
「そ、そうでしたか。それは悪い事をしました……待って、滞在……区?」
ヌルスが言の葉に乗せた単語に、スカーシハは首を傾げた。部屋の言い間違いだろうか?
言い間違いではなかった。
『それでは、この辺り一帯はスカーシハ様のお好きなように、どうぞ! あ、侍女とか召使は、急遽手配をかけますので、しばらくは私の分身達をこきつかってやってください!』
「そ、そうです、か……?」
ウッキウキで案内するヌルスに、スカーシハはちょっとドン引きであった。
なんせ、ヌルスがこちらですー、と案内したのは、魔城の天守閣に聳える尖塔の一つだったのである。広さにして、エンシェントの里の神殿の倍以上。それが丸ごと、来るかどうかもわからないスカーシハの為だけに用意された区画であると聞かされれば、さしもの半神もドン引きである。
しかも調度も内装も超一流。あくまで魔術で生み出したものとはいえ、これほどまでに緻密な装飾を施した内装を用意するのにどれだけの手間をかけたのか。スカーシハは天井に煌めくステンドグラスや壁に賭けられた壮大なタペストリーにくらくらしながら考えた。もしかしなくてもこのタペストリーに描かれてるのは、自分達が出会ったエンシェントの里での一件だろうか?
「あ、あの、ヌルス様? 私はべつにその、そんな何年も滞在する訳では……?」
『? いえ、別にそこはもうスカーシハ様のご自由に。明日にでも帰られるというなら、残念ですが送迎させて頂きます。で、でも、せっかくいらっしゃったので、数日ぐらいは滞在していかれたら嬉しいな、なんて……えへへへ……』
触手を絡ませてもじもじさせつつ、そんないじらしい事を口にするヌルス。口調ではこういってるし間違いなく本心なのだろうけど、その数日の為に用意する手間暇ではない。
気持ちは嬉しいのだけど……とスカーシハは口元をひきつらせつつ、アルテイシアに目を向けた。
その視線を受けて、重々しくアルテイシアは無言でうなずいた。
ヌルスさんの愛情表現って超ヘビー級だから覚悟してくださいね?
……もしかしてあなたも?
そもそも魔城そのものがヌルスさんから私へのビッグラブみたいなもんなので……。
そんな無言でのやり取りを通して、アルテイシアとスカーシハは過去の遺恨を水に流し、深く意気投合したのであった。
お互い大変である。
『え、えへへ。そ、それで、スカーシハ様が気に入るかなー、って、お茶の品種も100種類ぐらい用意しててね……?』
「そ、そうですか……」
まあ本人が幸せそうだし別にいいか、とスカーシハはそれ以上深く考えない事にした。
思考停止ともいう。
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