望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
優しく降り注ぐ朝日の光。
そよそよと靡く柔らかな風。
凡そ考えられる限りの最高の朝を迎えて、スカーシハはベッドから身を起こした。
「……ふぅ」
信じられないほど肌触りのよいシーツから身を起こし、用意された部屋着に袖を通す。自動的に水が出てくる流しで顔を洗い、化粧水で顔を保湿しているとこんこん、と部屋をノックする音がした。
「どうぞ。鍵は開いています」
『すかーしは様、オハヨウゴザイマス』
「はい、おはようございます」
キコキコ、と部屋に入ってくる動く台車。その荷台には、焼き立てのクロワッサンや湯気を上げるコーヒーが並べられている。台車の下で操作をしていた触手がうにょりんと伸びて、それらを机に並べていく。それを眺めながらスカーシハは台車に歩み寄り、働き者の触手を優しく撫でた。
「ご苦労様です」
『ワァイ』
ぷるぷるぷる、と震えて喜びを露にする触手。それでも朝食の配膳が終わると、『マダオ仕事アリマスノデ……』と速やかに部屋を出ていく。
本当に働き者である。主人に似たのであろう。
その姿を見送り、スカーシハはテーブルについて食事に手を付ける。
簡素だが、手の込んだ朝食である。恐らく朝摘み野菜であろうサラダは瑞々しく柔らかく、ドレッシングなどなくても仄かに甘い。クロワッサンはバターたっぷりでサクサク、コーヒーは薫り高くほろ苦い。
基本的に小食のスカーシハであっても、普段の倍ぐらい食べてしまうのも無理からぬことである。
言うまでもないが、外の基準でも超高級品。物資に困窮している魔城内では、その価値が数倍に跳ね上がる見込みである。
それが、毎日である。勿論残すのは論外ではあるが……。
いや。ヌルスからすれば、これでもまだ「質素なもので申し訳ない」という事になるのだろうか。
「……ふむ」
スカーシハが魔城に招かれて三日。
その間、彼女はこれでもかというぐらい贅を尽くした歓待を受けており……そろそろ体重が気になってくる頃合いであった。
「それで。ちょっと運動しようと?」
「え、ええ。少し歩こうとおもいまして……」
そしてその日の御昼前。
スカーシハは広い広い魔城の傍らでへばっていたところを、シオンに救出されていた。
「油断しました。魔城がこれだけ広いとは……」
「まあ、一応迷宮ですからね。時空間ひんまがってるから……」
息も絶え絶え、といった様子のスカーシハの肩を支えて、手近なテーブルに座るシオン。彼女はテーブルの上にあった小さな呼び鈴をチリン、と鳴らすと元に戻した。
「それは?」
「これ鳴らせば小さなヌルスがやってくるようになってます。覚えておいてくださいね」
「なるほど……」
言うが早いが、キコキコ、と台車がどこからか姿を現した。ぎょっとするスカーシハをよそに、シオンは当然のような顔で台車の上に置かれたティーセットを受け取ると、テーブルの上に並べた。
「こんな感じですね。魔城はそこら中にヌルスの分身がいるので、今後困ったらとりあえず適当に鈴を鳴らすといいですよ。……まあ、スカーシハ様の場合、呼べばヌルス本人がすっとんでくるでしょうけど……」
「それは……困りますというか……」
「ふぅん?」
遠慮しなくてもいいのにねー、とシオンは眉をしかめた。
一方、スカーシハはきょろきょろと周囲を見渡すと、声を潜めるようにしてシオンに問いかける。
「それで、その。今日はヌルス様は……?」
「ギルドの依頼ですね。若い連中の鼻っ柱を魔王としてへし折ってほしい、と」
「は、はあ……?」
シオンが説明してくれるが、よく意味が分からない。首を傾げるスカーシハに、彼女は苦笑いを浮かべた。
「今、魔城が実質的に新人冒険者の為の訓練場になってるのはご存知でしょう? んで、優秀な奴の中にはやっぱり調子乗っちゃう奴もいるんですよ。そういうの、ほっとくと予後があまりよろしくないので、魔王たるヌルスが出向いて行って若い奴のプライドへし折ってくるんですよ。手加減上手ですしね」
「それはその、普通に再起不能になりませんか?」
スカーシハの脳裏に、魔王スタイルの時のごつい鎧に身を包んだヌルスの姿が思い浮かぶ。あれはあれでカッコいいと彼女は思っているが、それはそれで多数の大魔術を駆使し、人間をこえた怪力で迫りくる魔王のバトルスタイルは、まだまだ経験の浅い冒険者にとってトラウマになりはしないだろうか?
「意外とギルドからは好評なんですよ。手加減が上手っていったでしょう? 適度に攻撃を受けて、ちょうどいい感じで傲慢をへし折ってくれるんで有難いそうです。明らかに、ヌルスの教育受けた後だと才能ある若いのが無謀に出て命を落とすケースが減ったとかなんとか」
「はあ……」
ついでに言えば、ヌルス本人も戦闘の勘を鈍らせたくないので助かっている。当初はアルテイシアが引き受ける予定だったが、そちらはまあ、諸事情で断念した。理由は言うまでもない。
天才は人の強度が分からないらしい。
「ちなみにアルテイシアは一緒についてって、こっちは迷宮に潜り込んでくる暗部とかスパイとかそのあたりの連中を殺して回ってますね。怖い怖い」
今度はスカーシハが苦笑いを浮かべた。どうやら、魔王と妃では妃の方が過激派のようだ。
「……それ、どちらかというと、アルテイシアさんが暴走しないようにヌルス様が抑えにいっていませんか?」
「そうとも言いますね」
やっぱりそうらしい。
共通の友人の話題で話が弾み、スカーシハは乾いた喉を潤そうとカップを傾ける。
そのタイミングで。
「ところで、婚約発表はいつ頃なさるので? できれば早めに教えて欲しいのですけど」
「ブブブブウウーーーーーッ!?」
放り込まれた爆弾発言に、スカーシハは半神らしからず口の中のお茶を噴き出した。
◆◆
「げほっ、ごほっ」
「だ、大丈夫ですか、スカーシハ様?」
突然の事にむせるスカーシハを、慌ててシオンが介抱する。
粗相の痕跡をタオルで拭って、彼女は表向きは冷静さを取り戻した。
「失礼しました、すこし取り乱しました」
「少しには見えなかったんですけど……」
「いいえ、少しです」
かたくなな彼女の態度に、シオンも訝しみながらもそれ以上の追求はとりやめる。
それよりもスカーシハには重要な問題があった。
「ところで、なんですか、婚約発表とは」
「え? そりゃあ、ヌルスとスカーシハ様のですけど」
「どうして私とヌルス様が結婚する流れになっているのです!?」
思わず叫んでから、ああ、いや、とスカーシハは片手で顔を隠しながらもごもごと付け加える。
「いや、べつにその、嫌という訳ではないのです。ただその、ヌルス様はアルテイシアさんをすでに妻に迎えているのでは、と……」
「え、それは別に問題ないのでは? 神様って多夫多妻制でしょ?」
「それはまあそうですが……」
半神達の割と自由な性事情は、伝承などにおいてかなり現代にも正確に伝わっている。一夫多妻どころか、兄妹が結婚しているのも当たり前で、時には夫が女装して別の誰かの妻になっていた、なんて話もある。
もちろん伝承なので詳細については異なっているという事をスカーシハは当人であるがゆえによく知っているが、それでも何故ここまで正確に……と呆れる程度には詳しく伝わっている。
まあなので当然、スカーシハも夫一人に妻二人、なんていうのを不思議には思わない。ただ、現代の認識ではそれは許されざる事のはずだ。
「そういうのは現代にそぐわない考えといいますか……」
「そうはいっても、一夫一妻を決めてるのは教会の教えで、魔王城はその教会に真正面から喧嘩売られてますからねえ。まあ売ってきたのはあくまで教会という組織なので、教えそのものには信じている者が多くいますけど」
「で、でしたらやはり問題なのでは?」
もじもじしながら、スカーシハ。この人、結婚したいのかしたくないのかわからんな、と眉をひそめながら、シオンは彼女の勘違いを否定した。
「ええと。一応、確かにアルテイシアがヌルスの奥さんですー、って顔してふるまってますけど、正式にはまだですよ」
「えっ」
「ていうか、アルテイシアが結婚はスカーシハ様と一緒じゃないと嫌だー、とか抜かしておりまして」
そんな。話は。聞いていない。
驚愕のあまり変顔になるスカーシハに、あちゃあ、とシオンは頭を抱えた。
「あー。やっぱそのあたり聞いてませんでしたか」
「まったく。全然。な、なぜそのようなことに……!」
「だってアルテイシアの奴、「私が先に結婚式を挙げたらなんだかんだで理由つけてスカーシハ様が距離を取ろうとするに決まっていますので!」とか言ってまして……正直こっちも困ってるんですよ。なのでさっさと結婚式挙げてくれません?」
うんざりした顔で、シオン。彼女はエキセントリックな同僚の行動には慣れっこだったが、だからといって受け入れた訳ではない。さっさと面倒ごとは終えてほしいというのが正直な感想である。
一方、当のスカーシハは半分樹木、半分美女の顔を真っ赤に茹で上がらせて、舌を縺れさせながら異論をはさんだ。
「な、何故、その、私がヌルスさまと結婚する前提で、その!? 話がすすんでいるんですか!?」
「あれ、嫌なんです?」
「いいいいいいい嫌ではないですけど、その……なんていうか……」
意思を確認された途端勢いを失って、指をつんつん突き合わせてもじもじするスカーシハ。これをいじらしいと取るかめんどくさいと取るかでシオンは若干葛藤した。
「その……はしたなくはありませんか。数万年一人でいながら、ふと知り合ったばかりの10年も生きていない魔物に本気で懸想するなど……その……腰の軽い女と思われてはいやしないかと……」
「その辺の価値観は私にはよくわかりませんが……ぶっちゃけ自分からぐいぐいいかないとヌルスは駄目ですよ? 現状だって、アイツの内心を明文化すると「スカーシハ様大好き! だけど好意があんまり押しつけがましくなったら嫌われちゃう!!」とか考えてますよアイツ。押し倒してベッドに引きずり込むぐらいの勢いでいかないと」
「そそそそそんなはしたない!!」
顔を真っ赤にしてあわあわ慌てるスカーシハ。が、好奇心には勝てなかったのか、指の間から目を向けながら、シオンに小さく尋ねた。
「……その、アルテイシアさんはもしかして……」
「もしかしてもヌルスの奴を引きずってベッドに連れ込むのは魔王城の風物詩になってますよ。子供の教育に悪いんでやめてほしいんですがね」
「あわわ……」
想像していたよりもはるかにワイルドな旧知の行動に、ますますスカーシハの顔は首筋まで真っ赤にゆだった。
この時、一体彼女が何を想像したのかは丸わかりだったが、シオンはまあ深く考えない事にした。
もう色々と面倒くさかったので。
「(どうせこの人も奥手そうに見せかけて一線超えたら肉食獣なんだろうなあ……)」
「あの、シオンさん? 何か?」
「いいえ、なんでも」
◆◆