望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
そんな感じで魔城で過ごしていたスカーシハだったが、やがてついに事態が動いた。
ヌルスからの、食事の誘い。それも夕食、ヌルスの自室のテラスでどうか、という話である。
これはもうそういう事である、他に解釈の仕様がない。流石のスカーシハも理解して覚悟を決めた。
お城の侍女にも手伝ってもらって、めいっぱいのおめかしを決める。
そうして招かれた夜の会食。空に煌々と無数の星が煌めく空の下で、城から大きく張り出したテラスの上でディナータイムである。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます、ヌルス様」
『いえいえこちらこそ。せっかくお越しいただいているのに、あまり持て成せずに申し訳ありません』
テーブルの対面、椅子に腰かけたヌルスがウネウネと触手を蠢かせながら畏まる。その隣にアルテイシアの姿がない。
式は挙げてないとはいえ、事実上の妻帯者が妻を従えずに女と会食……グッ、とスカーシハはテーブルの下で拳を握りしめた。
つまりそういう事ですね? 訂正は許しませんよ。
にっこりと力のある笑顔を浮かべながら、スカーシハも席につく。それを見計らったように、二人の侍女が台車を押してテラスに姿を見せると、料理をテーブルに並べ始めた。
「それでは、ごゆっくりどうぞ」
空になった台車を押して下がっていく侍女達。正真正銘、ヌルスとスカーシハの二人だけが残される。
スカーシハは緊張をほぐすべく一呼吸すると、軽く水を煽り、続いて夜空に目を向けた。
「……美しい光景ですね。しかし冷たい風を感じない、魔術ですか?」
『うむ、そんなところですね。風魔術の応用でこのテラスは部屋の中と同じ状態が保たれています。見えない壁があると考えて頂ければ』
このテラスは魔王城の中央、天守閣の中でもかなり上の方にある。本来であれば身も凍え息が白くなり、吹きすさぶ烈風に会話などままならないが、魔術で保護されている御蔭か無風かつほんのりと暖かい。
そしてそこからの眺めは素晴らしいものだった。
夜空を埋める満天の星空は勿論、星空と地平線の交錯する地平線、地上に輝く白亜の城壁とそこで営まれる人々の灯、そしてはるか遠くには近隣の街の明かりも垣間見える。天空と地上の星、その両方を目にする事ができるこの光景は、どんな王侯貴族でも知らぬ景色だろう。なんせこの高さの建造物が人間界には存在しない。
ヌルスはきっとこの景色を毎晩目にしては、光の元で日々を送る人々の事を思っているのだろう、そう考えるとスカーシハの胸はきゅっとした。
『このテラスは私の我が儘で追加したものでしてね。なんなら皆にも開放したいのですが、場所が場所なのでそうもいかず……』
「それは仕方ありませんね。天守閣は、魔城の存在意義に関わっていますので」
つい、と見上げると、まだまだ上空、それこそ雲の上まで伸びている城の上部が見て取れる。あちらは生活空間ではなく、魔城から集めた魔素を空の果てに放逐するための設備になっているという。
話に聞いた巣窟迷宮エトヴァゼルにおいては、収集した魔力と魔素を分別し、結晶化させる事で迷宮災害を阻止していたという。しかし、それではやがていつか限界がくる。その為の設備という訳だ。
当然、一般人は愚か、関係者でもごく一部しか立ち入りは禁止されているという。
しばし天守閣を眺めたスカーシハは、視線を戻して夕食に目を向けた。
「それでは、冷める前に頂きましょう」
『うむ、うむ』
ピンクの触手がナイフとフォークを手に取り、器用に料理を切り分けていく。
その様子を微笑ましく眺めてからスカーシハは自分の皿に手をつけ……少しだけ、頬を赤らめた。
ディナーの品目はあまりにも露骨なそれだった。
メインの肉料理にはイチジク。魚料理は池の蛇のような魚を蒸したもの、サラダの上には薬草が千切って飾られており、酒は珍しい花を漬け込んだもの。
一万年も生きていればそういうものの目端は利く、いずれも精力増強に効くとされる食材ばかりだ。
明らかに狙っているとしか言いようがないというか、一周回ってやりすぎて不躾である。
ヌルスがこの献立を考えたとは想像しずらいが……だがしかし……とスカーシハは悶々としながら、料理をゆっくりと口に運んだ。
『うむうむ、この魚も美味しい。そうは思いませんか、スカーシハ様?』
「え、ええ……そうですね……あ、ヌルス様、お酒をどうぞ」
『おっとこれはかたじけない。グビグビ』
◆◆
食後、スカーシハは“その時”に備えて湯を浴びに向かった。
高貴な身分である彼女は、入浴において侍女を伴うのが常識。それで魔城の者に傍付きの者をよこすように頼んだのだが……。
「それで何故貴女が来るのですか、アルテイシアさん」
「まあまあ、いいじゃないですか」
それでやってきたのは、何故かアルテイシアであった。しかもいつもの妃服ではなく、露出の少ない侍女服に袖を通すと準備もばっちりである。
どう見ても待ち構えていたとしか思えない。スカーシハは小さな頭痛を覚えて頭を抱えた。
「道理でなかなか姿を見ないと思ったら……」
「えへへへへ。まあ、気にしない気にしない」
そんな彼女の背中をグイグイ押して、アルテイシアは湯舟に押し込んでいく。扉を開くとむわあ、と白い湯気が立ち込めた。
魔城の浴室は、湯気が立ち込めているとはいえ向こう側が見えないほど広かった。床は全面つややかな石張りで、湯舟は木製。迷宮産なのか、嗅いだことのない香りがする湯舟には、並々と湯が満たされている。
エンシェントの里では水浴びが中心であるため、スカーシハとてこれほどの量の湯を贅沢に使うのは聊か驚愕を禁じ得ない。これも魔城の脅威のメカニズム、という奴であろうか。
「ほらほら、スカーシハ様。お背中お流ししましょうねー」
「全く貴方は……」
呆れつつも、浴衣姿のスカーシハが椅子に座るといそいそとアルテイシアが石鹸を泡立てる。領民からの献上品であるキメの細かいスポンジで白い泡を立てると、そっとスカーシハの背中に滑らせた。
「ひゃん」
「あ、びっくりしました?」
「い、いえ……思ったよりも柔らかかったものですので……」
頬を赤くしながらも顔を背けるスカーシハ。そんな彼女にくすっと笑って、アルテイシアは続けて彼女の腕を洗っていく。
「これはねー、ある植物の実から果肉だけを除いて、繊維だけ残したものなんだそうです。作るのに手間がかかる高級品だそうですよー」
「そ、そうですか……」
「ええ! それにこの石鹸は、牛のお乳から作った特産品という事でして。お肌がすべすべになるでしょう?」
語りながら、いそいそと甲斐甲斐しくスカーシハの体を清めていくアルテイシア。一方のスカーシハも、思ったよりも真面目なアルテイシアの仕事ぶりに落ち着きを取り戻し、堂々たる仕草で彼女に身をまかせていく。流石は半神、ご奉仕されなれてる、とアルテイシアは変な処で感心した。
「それにしても、妃を名乗る者がこのように傍使えなどして、いいのですか?」
「いいも何も、スカーシハ様は由緒正しい半神様であらせられますし。ぱっと出の魔妃なんぞよりもよっぽど御身分が高くていらっしゃいますから、うふふ」
「そうですか、貴女が気にしないならいいのですが……」
いいつつ、ちらちら、スカーシハの視線が泳ぐ。不思議に思ったアルテイシアだが、その視線の先に揺れる自分の髪がある事に気が付き、首を傾げた。
「……やっぱり気になります?」
「あ、ええ。すいません。その……昔のヌルスさんと融合していた時の貴女が、似たような髪色をしていたので、つい」
「あー。まあ、そりゃそうですね。原理は多分一緒ですし」
アルテイシアは己の髪の毛をつんつん、とひっぱって苦笑した。
「どうも、魔素の影響を強く受けると銀色になるみたいなんですよね、私の髪の毛。平常時は金色ですけど、ヌルスさんが融合してた時はその影響を受けて根本から銀色になったみたいです。で、今は、私自身が魔に近づいてるからこういう色、なんですかね?」
「……そういえばここに来た時も言っていましたけど、魔に近づくとは? 貴女はあくまで人間だったはずですが……」
今更ながらに思い出してのスカーシハの質問。それそのものはまっとうなもので在る筈だが、質問を受けたアルテイシアはキャーと恥ずかしそうに顔を赤くして手で隠した。
「え、それ聞いちゃう? 聞いちゃいます?」
「え、え……?」
「まあでも、スカーシハ様と私の仲ですものね。隠し事はなし、という事で。えへへへ……」
何やらスポンジを手ににじり寄ってくるアルテイシア。その視線によこしまなものを感じて、スカーシハは椅子の上で身動ぎした。
なんていうか。身の危険を感じる。貞操的な意味で。
「い、いえ、別に説明されなくても結構……」
「いーやー聞いてくださいよ、私とヌルスさんの、ひ・み・つ……♪」
「ちょ、ちょっと、アルテイシアさん?」
引け越しになったスカーシハに、ぬるりと絡みついてくるアルテイシアの腕。背後からスカーシハを羽交い絞めするようにして、アルテイシアはその耳元に口元を寄せた。ぺろり、と蠱惑的に舌先が唇を嘗め、その瞳が嗜虐的な色を帯びる。
「ふふ。実はヌルスさん、ああ見えて……って見たまんまか。とにかく、初心な態度をするくせにスキものでしてね……なんと、ごにょごにょごにょ……」
「え、ええ……そ、そんなっ、そんな事っ」
「それだけじゃありませんよ……他にもピーッだったり、ピーッしたり……」
「え、ええええ……?!」
その後。女同士の秘密の話は長々と続き。
風呂から上がった時には、すっかりスカーシハはのぼせて真っ赤になっていたという。
なお、半比例してアルテイシアはツヤツヤしていた為、使用人の間ではあらぬ噂が流れる事になったのだが、まあ、それは別の話である。
◆◆
「…………よ、よし」
湯汲を終え、アルテイシアの手を借りて身だしなみを整えたスカーシハは、覚悟を決めて部屋に戻った。
風呂に入っている間に夕食の食器は片付けられ、ヌルスの私室はいかにもあとは寝るだけ、といった感じに整えられている。窓は閉ざされカーテンが降り、暖炉には柔らかな魔術の炎がゆっくりと燃えている。
そして、開かれたままの寝室の扉。
「ごくり」
スカーシハは脈動する心臓を胸の上から押さえ、ゆっくりとヌルスの寝室に入っていった。
薄暗がりの中、ベッドの上で不定形の物体が蠢いているのが分かる。
「ぬ、ルス様……スカーシハ、参りました……」
『…………』
「その。以前に仰いましたよね、ヌルス様。私に花粉を受けて欲しいと思わぬ雄花はないと。でも私にも、受けたいと思う、雄花はありますのよ……?」
そっとベッドの上に昇るスカーシハ。質の良いベッドは、彼女一人の体重を受けても軋みもしない。
「どうか。どうか、この雌花に、愛を振りまいてくださいませんか……」
『…………』
「……ヌルス様?」
『……スカー。プスー……スピー……ピヨヨヨヨ……』
思い返せば。
確かに夕食の場で、スカーシハは気恥ずかしさを誤魔化す為に、ヌルスにしこたまお酒を飲ませたのはまあ事実である。
しかしながら、それは魔物が、それも触手魔物であるヌルスが酔っぱらう、なんてことはないだろう、と思っての事である。事実、ヌルスはこれまでお酒でヘロヘロになった事はあっても、即座にアルコールを有害物質として分解してのけた。
が、しかし。
なんだかんだでヌルスの魔王生活も長い。ストレスもたまる事の多いヌルスは次第に、お酒の酩酊状態を楽しむようになり、アルコール分解をしないようになっていった。
その結果がこれである。
規定量以上のお酒を飲まされたヌルスは、すっかりいい気持ちで酔っぱらって、爆睡してしまっていた。
「…………」
ピキ、とスカーシハのこめかみに青筋が浮かぶ。笑顔のまま、赤く火照っていた彼女の肌が白く凍えていくのが見て取れるようである。
言うまでもないが、スカーシハとて緊張に緊張、覚悟に覚悟を重ねてこの場に来ているのである。一万年守り抜いた貞操を、これと好いた殿方(?)に捧げる大切な夜。
恥ずかしさと恐れと何より期待に胸を脈動させて訪れた結果が、これである。
勿論、スカーシハがお酒を飲ませすぎた、という因果の帰結は彼女もまた理解している。理解しているが、まあ、それはそれ、これはこれである。
「ヌルス様の……」
ぐっ、と握りしめた拳に魔力が集う。
肉体的にはミソッカスの運動音痴のアンポンタンであるスカーシハだが、魔力と魔術の扱いにおいては半神の名に恥じる事はない。寝こける触手目掛けて、一万年の間磨き続けた、今となっては知る者も居ない神代の魔術が阻む者もなく解き放たれる。
「おたんこなすぅうーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
『グポラパギャアア???!!!!』
その夜。
魔城に住む者達は、天守閣から鳴り響く女の叫びと、魔王の断末魔の悲鳴を聞いたという。
「それで。あの有様?」
「そういう事みたい」
翌朝。
朝食の場に出てきたアトラスとシオンは、珍妙な光景に首を傾げた。
大広間の大きなテーブル。普段、魔王であるヌルスが座る上座にその席はなく、代わりに声をかけるのも憚られるほど不機嫌そうなスカーシハが座っている。では魔王はどこに、と思って探すと、良くみればスカーシハが椅子にしているのが、その魔王本人であった。
「…………(ムスー)」
『え、えと。朝食のフレンチトーストでございます、スカーシハ様』
「…………(口ぱくぱく)」
『あ、はい。それでは、お口を拝借させていただきます、はい』
不貞腐れたまま無言のスカーシハの口元まで、触手がフォークで一口サイズに切り分けた朝食を運ぶ。それを無言のまま食したスカーシハが、ん、と顎をしゃくって指示を出した。
『あ、はい。次はサラダ……痛っ! す、すいません、間違えました、次は紅茶を……痛っ! ごめんなさい、コーヒーでしたか? はい、それでは砂糖を二杯……痛っ! 申し訳ありません、三杯でした!』
「…………(ふんす)」
指示を受けてヌルスが動くが、間違えると容赦なくヒールが触手を踏みにじる。それでもヌルスは平身低頭、ヘコヘコしながらスカーシハにされるがまま。
そのあまりに情けない有様にアトラスは困り果てて、テーブルにつくアルテイシアに視線を向けた。
「あのー……アルテイシアさん?」
「ああ、気になさらないでください。たまにはいい薬です」
「は、はあ……」
嗤っているけど目が笑ってない。
どうやらヌルスは余程の逆鱗を踏みしだいたらしい、と理解して、アトラスは思わず天を仰いだ。
「どうしよ……」
「とりあえず一週間ぐらいはヌルスは使い物にならなさそうね……」
「そっかあ……」
文字通り女に足蹴にされて甲斐甲斐しく世話をするヌルスを、二人して遠い目で見つめる。
今日も魔王城は平和であった。