望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
そもそも、だ。
ヌルスが弱い魔物なのは分かりきった話だが、人間というのはそれよりもっと弱い。
背中に背負うアルテイシアなんてその際たるものだ。肉は柔らかく、骨は細く軽い。触手の一本を絡めて少し力を入れれば、致命的なまでに傷を負う。
だがしかし、そんなアルテイシアがヌルスより強いのは自明の理だ。戦えば万が一にもヌルスに勝ち目はない。
それはなぜか?
知性が、理性があるからだ。それを用いて、戦いを有利に運ぶ手段を知っているからだ。
そしてそれはもはや、人間の冒険者だけのものではない。それを、ヌルスはここで証明する、と決意した。
目の前に、やや距離を置いてこちらに向き直るボス魔物の姿を捕らえる。
奴が動き出すまでに、あと数秒の猶予があると考えられる。その間に、状況を要素を整理する。
あのボス魔物は、極めて高い防御力を持っている。ヌルスの魔術では直撃でもなんらダメージを与えられないであろうほどの耐魔術抵抗力と、自ら高速で外壁に衝突してもなんら痛痒を感じた様子もないほどの物理防御力。こちらの攻撃は、ほぼ無力化されているといってもいい。
そして攻撃手段は、主に肉体を用いた近接戦。発達した前足がその中核で、それによる薙ぎ払いも脅威だが、一番危険なのは前足のバネをいかした突進攻撃だ。そのバリエーションは多岐に渡ると考えられ、既に目撃した左右の足を交互につかった2連突進の他、両方を同時に使う強突進、出力を調整した突進の速射、といったものが考えられる。単純なようで意外とバリエーションが多い。
これを相手に、12秒稼ぐとなると、彼我の身体能力の差を考えてもまっとうな手段では不可能だ。徹底して相手の土俵で戦わせない。それが全てだ。
尚、このボス魔物を無視して巨大モンスターの核を狙う、というのは無しだ。あちらもこの環境を維持する為に守ってくる可能性もあるが、一番不味いのはそのつもりがない場合だ。巨大モンスターといえど魔物にすぎない以上、死ねば灰になるのだろうが、今回の場合ヌルスとアルテイシアは水中に放り出されることになる。そうなれば、見るからに泳ぎの上手そうなあのボス魔物相手に、呪文の唱えられない水中で戦う事になる。そうなった万が一にでも勝ち目はない、確実に死ぬ。
ここであのボス魔物をなんとかしなければならない。
そして状況を整理している間に、数秒が過ぎた。
ボス魔物が前足を杖のように床へついた。続いて何をするかを予想したヌルスは直ぐに行動を起こす。
「きゃっ」
アルテイシアを縛っていた触手を自切。と同時に、後生大事に抱えていた杖を床に投げ捨てる、邪魔だ。そして触手を大きく伸ばして移動の準備。
ただし移動先は左右ではない。前だ。
《うおりゃああ! ……げぶぅっ!?》
「キシュシュ……ギッ!?」
触手で体を引き寄せてスリングショットのように体を前にぶん投げる。と同時に、予想通りボス魔物がそこそこの溜めで突進を速射してきた。
互いに投射した肉体が、空中でぶつかり合う。だが、反応はそれぞれ異なる。
最初からそのつもりで突っ込んでいったヌルスと違い、ボス魔物はそのヌルスの行動は想定外だったようだ。
一度最大溜め突進の脅威を見せつけた上で、そこそこの溜め突進で追撃する、相手に攻撃のリズムをつかませないその戦術はなるほど利に叶ってはいるが、だからこそ想定は容易。一方のボス魔物は一度脅威を見せつけた突進にあえて突っ込んでくるという破れかぶれにしか見えない対応に反応が遅れた。
本来ならば突進と合わせて振りぬかれる前足の一撃、そのタイミングがずれた結果、正面から互い空中で抱き合うような形でぶつかり合う。衝撃波がビリビリと響き渡り、運動エネルギーが完全に相殺し合うまでの一瞬、空中で互いに停止する。
頑強な上に硬質なボス魔物の甲殻はそれこそ鉄塊の一撃に等しい衝撃だったが、胴鎧の防御力と合わせてヌルスの柔軟な体はその衝撃に耐えきった。
すこし意識が飛びかけたが、造りが単純極まりない触手型で助かった。これがもう少し高度な造りだったら衝撃に耐えきれず臓器を損傷していただろう。
だが代償も大きい。大質量の衝突に、ヌルスが身に纏っていた胴鎧は大きくへしゃげ、ヒビが入ってしまっていた。
二匹が空中で抱き合っていたのはほんの一瞬、一秒もしないうちに、互いの体はもみ合ったまま地面に落ちた。砕けた胴鎧の破片が飛び散り、床に埋まっている武器防具にあたってガランゴロンと音を立てた。油紙に包まれたスクロールやら戦利品も一緒に周辺に飛び散る。
《と、とりあえず1秒は稼いだ……グェフ》
あとは、もう成る様になれだ。
その背後、揺れる意識にもはっきりと響く少女の澄んだ声が聞こえる。
アルテイシアの詠唱。
「Αστέρι που τρέμει,σκύβει γη, άκου τη φωνή μου」
話に聞いたエジニアス式でも、慣れ親しんだニコライ式でもない。それらとは全く違う、ヌルスにも理解できない言葉を少女が紡ぐ。魔術師として、その言葉一つ一つに並々ならぬ魔力が込められているのを感じ取って、触手が震える。
何が何だかわからないが、切り札というだけあってとんでもない事をしようとしている。それだけは分かる。
が、それはボス魔物にも感じ取れたらしい。ショックで放心していたように動きを止めていた魔物が、アルテイシアの詠唱を聞いた瞬間、弾かれたように活動を再開する。
ここまで3秒。
「ギシュシュ!」
《ええい、くそ、もう少し寝ていろ……うわぁ!?》
身を起こそうとするボス魔物に触手を絡みつけて妨害する。と、おもむろにボスがヌルスに顔を向けたと思うと、その口から尖った口吻がシャキン! と突き出された。ある程度予想していたので咄嗟に本体を回避させるが、針というよりランスじみた口吻に触手が数本串刺しになってしまう。嫌な予感に咄嗟に触手を自切した瞬間、シュゴゴゴ! と凄まじい勢いで口吻が肉を吸引した。
《ウゲゲ!》
干物になるどころか、一瞬で針に吸い込まれてしまう触手。もし迂闊につなげていたままだったら、そのまま本体の中身も吸い上げられていたに違いない。即死の恐怖に震え上がりながらも、ヌルスは触手を巻き付けたまま離さず、ボス魔物の背後に本体を移動さえるとその両腕を全力で取り押さえにかかった。
《ええい、くそ、この! 大人しくしろ!》
「キシュアアア!」
《うべっ!? げぼっ!? おべばっ!?》
関節技っぽく触手を絡めるものの、素の腕力に差がありすぎるのがうまく極まらない。それでもある程度動きを制限できていると思ったのも束の間、ボス魔物は背後にいるヌルスを床にたたきつけるように転がって体を振り回し始めた。何度も何度も、生暖かい床と硬い甲殻の間に挟まれて、ヌルスの本体が叩き潰される。胴鎧が無いので身を守る手段がない。
ここまで6秒。
《お、おべっ。な、中身が出ちゃう、ひぎぃ!?》
背中は不味い、とっさに頭のほうに移動するが、それを見て取った魔物が今度は壁に向かって突進した。巻きつけていたはずの触手はバネの解放で容易く一瞬で引きちぎられ、視界が高速移動でブレて霞む。
《ごべっ!?》
その衝撃をなんと例えればいいのか。体の中の大事なところが、暴力的に押しつぶされた感覚。
壁とボス魔物の間に挟まれるようにして叩きつけられたヌルスは、一瞬全身の触手をピン、と伸ばしたのちに、脱力してべっちゃりと潰れた。のっそりとボス魔物が壁から身を離すと、めり込んで張り付いていたヌルスの躰が、ぐちゃりと床に落ちた。
意識はあるが言葉が紡げない。ダメージのあまり、生きてはいるが思考が回らない。剥がれ落ちてぴくぴく痙攣するだけの状態になったヌルスをボス魔物は悠然と見下ろす。
あとは前足の一撃なり、口吻の一撃なりでヌルスは確実に絶命する。
だが。
「Ο νόμος του ουρανού, ο νόμος της γης, και εναντίον τους είναι ο νόμος του ανθρώπου」
アルテイシアの詠唱が耳に届き、ボス魔物はそちらに向き直った。いつでも殺せる、あとでも殺せるヌルスより、明らかな魔力の高まりを見せる彼女の方を危険視するのは自明の理だ。
ズシャリ、ズシャリと歩行してアルテイシアの下に向かう。ヌルスの処理に前足の溜めを完全に使い切ってしまったのだ。その意味ではヌルスはよく時間を稼いだ。が、届かなければ意味はない。
ここまで9秒。
ボスの移動速度と、前足の溜めの再度チャージを合わせて考えれば、2秒あれば最小出力の突進が届く。
アルテイシアの希望した12秒には、あとわずかに届かない。
彼女は精神集中のあまり深いトランス状態に入っている。これでは目の前にボス魔物が来ても気づかないだろう。ましてや、突進を回避するなどとてもとても。
歩いて残りの距離を縮めながら、ガチリ、とボス魔物が前足を僅かに折りたたみ、力を貯めた。
ここまで11秒。
そして、ボス魔物がアルテイシアの下にたどり着き、その剛腕を振るって彼女の命を奪うのに、あと1秒も要らない。
「Προσκυνήστε τον εαυτό σας, κοιτάξτε τη φωνή μου, τα λόγια μου」
「ギシャシャシャ……」
ボス魔物が上半身を傾け、突進を繰り出そうとしたその瞬間。
その後ろ足を、何かが強く引っ張った。
思わずつんのめって姿勢を崩すボス魔物。大きく発達した複眼が、その拍子に自分の足に絡みつく、ピンク色の細い紐のようなものを目にした。
「ギッ」
《?〇 !☆ ▽》
触手。
ヌルスは前後不覚の意識朦朧状態にも関わらず、触手を伸ばしてボス魔物の足に絡みつけていたのだ。未だに意識もはっきりとせず、自分が何をしているのかもわからないにも関わらず、それでもたった一本だけ。
理性でも知性でもなく、ただの意地と執念で伸ばした、僅かなひっかかり。
それが明暗を分けた。
約束の12秒。
カウントがゼロを刻む。
かっ、とアルテイシアが目を見開いた。
「Κόσμος, γονάτισε!」
儀式詠唱の完遂により、ただでさえ膨大だったアルテイシアの制御魔力がさらに跳ね上がる。さながら湖の底を抜いたかのような勢いで魔力が彼女の体を駆け巡り、その奔流が全身に浮かび上がった。まるで銀色の入れ墨のようなそれは、術者に想像を絶する苦痛を齎しているはず。しかしアルテイシアその苦痛をおくびにも出さず、右手に杖を、左手に魔術書を高々と掲げた。
「スティール・トーテム!」
迸る魔力が、ボス魔物を取り囲むようにして凝集する。それによって生み出されるのは、五つの光の柱。超高密度の魔力の結合体であるそれらは、あるまじき事にそれそのものが質量を持ち、現実の空間を押しのけて実体化する。顕現するのは、鈍く銀色に輝く鉄の柱。ねじくれた極大のインゴットが、ボス魔物を中心に祭壇のように床へと突き立つ。振動に広間が大きく揺れた。
ボス魔物が困惑する。魔物として、彼にも最低限の魔術の知識はある。
だが、質量のある魔術など聞いたことが無い。氷魔法や水魔法は確かに質量を生じさせるといってもいいかもしれないが、あれは“ごまかし”が効くからの芸当だ。
金属などという、つじつま合わせが出来ないようなものを生み出す魔術など、在り得るはずが。
「ギ、ギィ!?」
困惑しながらも、このままの状況は絶対にまずいという事は知性が無くても理解できる。包囲を突破しようとして体当たりするが、何トンあるのかわからない鉄の支柱はボス魔物の怪力をもってしてもびくともしない。前足のバネが残っていれば話は別だが、それは転んだ拍子に外れてしまった。
複眼がヌルスを見やる。
先に。
先にアイツを殺しておけば、こんな事には。
それが単なる負け惜しみに過ぎない事を、残念ながら知性無き魔物は理解できていなかった。
「ギィィイーーッ!」
「終わりです……」
アルテイシアは判決を下す裁判官の如く、杖を振り下ろし言霊を紡いだ。
それは学院創立以来の天才と呼ばれた彼女の、世にまだ発表していないとっておき、在り得ぬはずの“金属魔術”。
「アイアン・メイデン!」