望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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第七十九話 広がる歪み

 

 

 でもそれは、ヌルスからすると面白くはない。筋が通らない。

 

 良きことをした人間には、好き結果が廻るべきだ。

 

《せめて。せめて私からも、アルテイシアに礼がしたいが……むぅ》

 

 ノートを前に、思い悩むヌルス。

 

 魔力結晶やら何やらを渡せば彼女は喜ぶだろうが、それはあくまでお金がもらえる、資源が増える、という喜びだ。この、存在の本質にかかわる謝礼としてそれは適切とは言い難い。

 

 彼女はヌルスの存在と、夢の為にこうして力を貸してくれる。であるならば、アルテイシアの夢に繋がるものを返さねば、到底筋の通った返礼とはいえない。

 

 が、それは難しいだろう。

 

 アルテイシアの夢、というか目標は迷宮攻略。だが、現時点でヌルスはあくまで彼女達と同じ位置を走っている冒険者であり、助けになるような事はできない。4層では地図の事で手助けできたが、あれは5層の攻略法を教えてもらった事でヌルスの中では帳消しになっている。そしてこれからも、恐らく彼女らに助けてもらう事はあってもヌルスが助けるような事はそうそうないだろう。

 

 迷宮攻略では大きな助けになれない。

 

 であれば、魔術についての知識はどうだろうか。

 

《いや論外だろ》

 

 考察したものの、光速で却下する。ヌルスは現状、アルテイシアに教えてもらうばかりだ。さらに言えば、単なる知識量だけでなく、閃きにおいても彼女は天才だ。

 

 以前貰ったノートを読み解いた今なら理解できる。あの寄生虫型ボス魔物相手にアルテイシアが放った金属を生み出す魔術、あれがどれだけの規格外の代物か。それを生み出した彼女が、どれほどの天才かという事が。

 

 ヌルスでも理解できる、魔術の前提を覆す大魔術だ。アルテイシアをもってしてもそれ相応の準備が必要という時点で実戦向きではないが、そもそも魔術師の戦場は迷宮ではなく机の上だ。何か事情があって公にしていないだけで、本来ならばこんな迷宮の中で命を懸けて戦っていていいような立場の人物ではないはず。

 

《……それを考えると冷や汗出てきたぞ。私が助けなかったらその偉大な知識が魔物の消化液に溶けていたという事か? 恐ろしすぎる》

 

 出会ったときの事を思い返して震え上がる。奇縁もここに極まれりだ。

 

 それにしても人間社会の事情はよくわからないが、そんな天才、しかも在野ではなく学院とかいう組織に属しているはずの彼女が評価される事もなくこんな場所に放り込まれているというだけで、厄介な事情がある事が伺える。

 

 やはり、お人よしというのは損をする生き物なのだ。

 

《発表してないのは……ああ、そうか。彼女が天才であるからか? 他の魔術師に使えないのなら学問としては意味が無いな、そういう事か》

 

 ちょっと考えればすぐに分かる。素人でもわかる偉業を彼女が発表しないのは、他の凡人にはそれが偉業と理解できない代物だからだ。魔術が学問というなら、独りにしか解けない公式には意味が無い。

 

 であるならば、もしヌルスが金属魔術を使えるようになれば、つまり他の誰かでもあの魔術が使えるような方法を確立すれば、アルテイシアは大手を振って世に名を轟かす事ができるのではないか? それならば、彼女の助けに……。

 

《いや、無理だろ》

 

 ぺち、と触手で自分を叩いてヌルスはヒートアップした思考を諫めた。

 

 言うまでも無いが、ヌルスにはあの金属魔術は理解できない代物だ。その事前準備の儀式詠唱すら、何を言っているのかさっぱりわからなかった。そんなヌルスが、金属魔術をアルテイシアに先んじて一般化する? 出来る訳が無い。

 

 あと考えるまでもなく著作権侵害だ。

 

 それにヌルスは魔物であるが故に、一般の魔術師と前提条件がいくつか違う。孤高の天才にしか使えなかった魔術が、ほぼオンリーワンのレアケース知性型魔物でも使えるようになりました、では到底汎用化とは言えない。

 

《うむむむ……この線は駄目か? いや、発想の転換だ。こういう時はひっくり返して考えるのだ》

 

 いいつつ、自らもひっくり返るヌルス。

 

 触手には上も下もないので気分だけだが、こういうのは形から入るものだとヌルスは固く信じている。

 

《アルテイシアだけが扱える魔術を、私が扱えるようになってもさほど意味はない。じゃあ逆に、私にしか扱えない魔術を、彼女が扱えるようにするというのは……どうだ?》

 

 大天才である彼女に扱えず、ヌルスにしか扱えない魔術。そんなものは、普通であればあり得ない。

 

 だが。事実としてそれは存在する。

 

 歪みの魔術。

 

 魂を持つ者には扱えず、傷を負う者には扱えず。されど魂を持たず、触手など何度でも生え変わるヌルスだからこそ扱う事が出来る、全てを滅ぼす諸刃の魔術。

 

 もしこれを、アルテイシアでも安全に扱う方法を編み出せば。いや、そこまでいかなくとも、ヌルス自身が使う度にいちいち自傷しなくても済むようになれば、彼女の実験にいくらでも協力できるのではないか?

 

 アルテイシア自身、歪みの魔術には酷く興味を示していたではないか。

 

《そうだ、言っていた! 私に協力してもらえれば研究が進むって……これは恩返しにならないか? なるはずだ!!》

 

 ぴょんぴょこ椅子から飛び降りて勢いのまま部屋を転がる。

 

 我ながらナイスアイディア! と言わんばかりに自分を褒めたたえるヌルスだったが、不意にその動きがビキィと固まった。

 

《……どうやって?》

 

 そう。その肝心の方法は全く思いつかない。

 

 そもそも出来るなら最初からやっていた案件である。

 

《うぅ……早とちりのぬか喜びだったか……いや、諦めるのはまだ早い! 方向性は間違っていないんだ!》

 

 一度はしなっ、となった触手を再び蠢かせ、ヌルスは本棚に突撃した。上級者用の魔術論文を抱えて机に戻ると、アルテイシアのノートも見やすいように広げる。

 

《資料はある! やればなんとかなるはず、為せば成る! 頑張るぞ!》

 

 気合を入れる為にひょいと魔力結晶を一つまみし、ヌルスは複数の資料をなぞるように触手を走らせた。

 

 

 

 それから一週間が経過した。

 

 冒険者の間ではもともと直前に三日間の休息をとっていたのもあって「最近あの人助け大好きな怪人鎧男見ないな」「死んだかね?」「でも誰も死体を見てないしなあ」というやりとりが流れたり、某所の天才魔術師が目に見えて絶不調だったり、そういう事があったりしたものの、概ねトラブルも事件もなく時間が過ぎていった。

 

 

 

 そして、8日目の昼。

 

 4層の一角を、フラフラと歩く怪しげな鎧姿があった。

 

 ヌルスである。

 

《ふふふ……ふふ……やったぞ、成し遂げたぞ……ふふふ! 何を成し遂げたかって? 偉業さ! ふっふふ》

 

 そして明らかに様子がおかしかった。

 

 普段、ヌルスは自分の言葉が誰にも届かないのを分かっているので、無口ではないが多弁でもない。ましてや、このようにその場にいない誰かにひっきりなしに語り掛けるような口調は異常であった。

 

 また人間への擬態も、ぎこちない訳ではないのだが変な動きである。人間らしくぎこちないというか、早い話が酔っ払いか数日寝てない限界突破した人みたいになっている。

 

 そしてそれはある意味ヌルスの状態を正しく示している。

 

 この一週間、ヌルスは一睡もせずに研究と考察に明け暮れていた。魔物である私は魔力さえ補給していれば大丈夫、だなんだと言いながら、魔力結晶を倉庫からひょいぱくひょいぱくしながらマルチタスクで24時間×7である。

 

 いくら魔物でも、魔力で疲労を誤魔化せると言っても、限度がある。そもそも、知性獲得型モンスターの思考が人間のそれを参考にしているならば、定期的に休息を取らないと機能が低下するのは自明の理なのだが、色々思い詰めるあまりヌルスの頭からそういった常識はすっとんでいた。いや、普段のヌルスであれば休息は大事、とわかっているのだが、自分ではなくアルテイシアの為に頑張らないといけない、という考えが、変にヌルスを追い込んでいた。

 

 結果、誕生したのがこのガンギマリ触手野郎である。多分、目があったら真っ赤に血走っている。

 

《ふふふ、なんだか空が黄色いな、おかしいな。太陽は地下にはないんだけどな……ははは、まあ目も網膜もない私になんで色が見えてるのかわかんないけど! はははー!》

 

 一人で勝手に面白くなってゲラゲラ笑うヌルス。完全に危ない人である。

 

 そんなヌルスは懐から数枚のスクロールを取り出した。それだけなら何と言う事はない、いつもの冒険装備なのだが、見る人が見れば、そのスクロールの造りが異様に雑である事に気が付いただろう。

 

 普通、スクロールは運搬の手間と保存を考えて、上質な紙を巻物状にしている事が殆どである。そうする事で強度も上がるし、空気に触れる面積も減るので劣化しづらい。そして魔術に使う際に広げる必要などは別に無いので、筒状というのは扱いやすい形でもある。

 

 だがヌルスの手にしているのは、質の悪い羊皮紙に魔術回路を描いただけの、極めて原始的かつ初歩的なもので、到底市場に流通しているような出来ではない。それに加え、描かれている魔術回路も、素人が描いたにしても単純極まりないものだ。

 

 まあそれも当然である。これは文字通り素人……ヌルス本人が描いたものであるからして。

 

《いやあ、天才というのは説明も天才、という事だなあ! すっごく分かりやすかった、それに比べて論文の方は話があっちにとんだりこっちにとんだり勝手に省略したり……まあ、それはそれで資料として役にたたなかった訳じゃないけど》

 

 ぶつぶつ言いながら、取り出したスクロールを確認し、一枚だけ手に取る。普通のスクロールであれば使用前に契約がいるが、これに関しては必要ない。

 

 すでに契約済みだ。というか、“この魔術回路そのものがヌルスでもある”。

 

 羊皮紙に描かれている魔術回路。それを描く少し紫味がかかった黒い墨……これは、ほかならぬヌルスの触手から分泌されたものである。そう、筆談に使っていた、アレである。

 

《いやあしかし、普通に出してたこの墨が、まさか魔術回路に使えるような代物だったとはねー。ただの墨じゃ駄目だろうと思ってたけど、私のもただの墨じゃなかった訳だー》

 

 以前、アルテイシアにヌルスがお手製の地図を渡したことがある。それは魔術回路でもなんでもない、落書きのような代物だったが、アルテイシアはその地図に魔力が流れている事に目ざとく気が付いた。その後写しを終えて用済みになった地図から成分を抽出した結果、魔術回路に使用可能である、という旨の話が、アルテイシアに渡されたノートに記してあったのだ。

 

 ちなみにこれはつまり、魔術師は迷宮で触手魔物をとっつかまえてその墨の原料を絞り出したりもする、という事を暗に示しているのだが、残念な状態のヌルスは気が付いていなかった。

 

《思えば、触手が炭になったり溶けてなくなっても、分泌物はそのままだったもんなぁ。理由はよくわからんけど、私達触手が分泌したものは魔物の体組織に入らないのかね? 外部から物質を取り込んだりできる関係なのかな。まあそんな事、触手を生きたまま解剖しないとわかんないだろうけど、そんなのは無理だよねーはっはっは! 灰になっちゃうもん!》

 

 真実(魔術師は生きたまま触手を解体したりする)を知らないヌルスは上機嫌に笑いながら杖を構える。

 

 途端、おちゃらけた雰囲気は鳴りを潜める。

 

《さ。実験の開始と行こう》

 

 杖の先を誰も居ない森の奥へと向けながら、ヌルスは静かに呪文を詠唱する。

 

 その手に持つスクロールに刻まれた魔術回路が、怪しく紫色に輝いた。

 

 

 

 

 

 

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