望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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第八十三話 すっかりお馴染みの

 

 

 巣窟迷宮エトヴァゼル第五層、瘴気の洞窟。

 

 折り返し地点という事もあって、この五層は冒険者の道を阻む難関の一つである。

 

 特に厄介なのが、人間が長時間滞在するにはとても不適な場所であるという事だ。

 

 例えば4層は、木々に視界を阻まれた不明瞭な構造に、環境に適応した魔物の不意打ちに注意しなければならないなど人間にとってアウェーではあったが、天井からの太陽と見まがう日差しや夜間活動しない魔物の性質など、人間にも利する要素が多く存在した。

 

 だが、5層には人間に利する要素は何一つない。

 

 漂う瘴気が発光しているためか完全な暗闇ではないものの、松明が無ければ遠くまで見渡す事はできず、またその漂う瘴気は有機物を腐食する。それに加え湿度が高く空気には不快な臭気が混じり、その影響で食料は早く腐敗する。迷宮の構造も立体的で、ただ探索するだけでも肉体に重い疲労を蓄積していく。

 

 魔物の数が少ない、瘴気に対する対策が完全に確立している等の要素はあるが、それはマイナスがゼロに近いというだけであってプラスではない。

 

 それにより、そう広くはない階層であるにも関わらず、多くの冒険者がこの階層で4層に引き続き足止めを食らっているのが実情であった。

 

 しかしながら、それは人間の場合。

 

 他ならぬ人ではなく魔物であるヌルスにとっては、そういった悪環境の殆どが意に介する必要もない。唯一の問題点であった瘴気への対策も判明した今、ヌルスの進行を阻む問題はそう多くはなかった。

 

《よっし、撃滅完了》

 

 最後の魔物を打ち倒し、ヌルスはパチパチと燃える炎の傍らでパンパン、と籠手を払った。足元では殴り倒された虫型魔物の残骸が、速やかに灰へと還っていく。周囲を漂う瘴気も、手駒を失った事を悟ってかずるずると迷宮の奥へと去っていく。

 

 あとには静寂が残されるのみ。

 

 壁に立てかけておいた松明を手に取ると、ヌルスは燃える油を足裏で踏みつけて消火にかかった。

 

《下準備さえばっちりならなんという事はないな。纏まって出てくるから錯覚するが、階層全体で見ると魔物の数はかなり少ない。……いや、あの瘴気も魔物カウントだとダントツで多いのか?》

 

 きょろきょろと周囲を念のため警戒しつつ、地図を確認する。最初は白紙だった地図は、すでにかなりの範囲の探索が進んでいた。

 

 確かにこの環境は人間には活動しづらいだろうが、ヌルスからするとどうという事はない。暗闇を彼はものともしないし、そもそも人間より遥かにタフだ。高い段差を飛び降りても怪我する事はないし、段差を越えるのも周辺に人目さえなければ触手を伸ばしてひとっとび。食事も魔力結晶を取り込めばいいので、長期滞在も余裕である。

 

 腐食してくる瘴気への対策さえ確立していれば、4層より簡単だというのがヌルスの体感だ。さらにいえば大量の松明を持ち歩く必要のある人間と違い、ヌルスは可燃性の液体を自前で生成できるというのがあまりにも有利だった。魔物相手への攻撃手段にするには量が心もとないが、瘴気を払うぐらいの用途にはちょうどいい。

 

 問題があるとすれば、それこそ魔術の触媒ぐらいの話だ。ここでは炎属性が有効というか必須すぎて、どうしても消費が偏る。

 

《階層一つで維持できる魔物の総数というか総魔力量が決まっているとかだったら、5層はあの瘴気に相当なリソースを取られているのかね》

 

 魔物の数が少ないのはいい事ではあるが、同時に不安要素でもある。

 

 ヌルスは足元に散らばる灰の中から魔力結晶を拾い集め、松明の明かりに照らしてみた。

 

 色は青。水属性か氷属性。

 

《これで10個連続、赤はなし、か》

 

 魔力結晶の属性は精製する魔物とは関係が無く、どう見ても水属性の魔物から黄色の魔力結晶が落ちたりもする。体感的にはほぼランダムで、だからこその偏りも生じる。

 

 隠れ家にはまだまだ、魔力結晶や天然の宝石を問わず赤い触媒は残されているが、それを全部使い切ってしまうと不味いのは言うまでもない。持ち出したのは5つ程、それを現地調達も合わせて使い切れば帰還する目安としているが、こうも立て続けに出ないと少し不安になってくる。

 

《長期間滞在できるかどうかは私でも運になってくるな。人間でもなおさらの事か》

 

 さらに言えば人間の冒険者に魔術師は少ない。5層はなんていうか、これまでで一番人間お断りという感じが強いと言える。

 

 これからもずっとそんな感じの階層が続くのだろう。

 

 それを乗り越えていくつもの迷宮を平定してきた人間の粘り強さには感嘆するほかはない。

 

《うーむ。次の交戦で炎属性拾えなかったら引き返すか? 帰りの事も考えないといけないしな。……お》

 

 地図とにらめっこしつつ感覚を周囲に飛ばしていたヌルスは、ふと覚えのある魔力反応を察知してぴん、と触手を漲らせた。

 

 この感じ。大きな魔力反応が四つ、重なるようにして移動している。

 

 間違いない。

 

《アルテイシア達か。ちょうどいい、合流して地図情報を照らし合わせよう》

 

 ルンルン気分で踵を返す。見た所、ヌルスの帰り道と交差するような移動ルートだ。少し足早で道を引き返すと、暗闇の中にぼんやりと光る松明の明かりが見えてきた。

 

 声を掛けられないので手にした松明をブンブンと振る。ゆっくりと移動していた向こう側の明かりが、ぴたりと足を止めた。

 

 ヌルスは杖を一度背中に背負うと松明を右手に持ち直し、左手で日誌のページを開いて突き出すようにしながら駆け寄った。

 

『やあこんにちは。調子はどう?』

 

「ヌルスさん!?」

 

「あ、ヌルスさん。どうもー」

 

「妙に陽気な奴がいると思ったら……」

 

 やはりアルテイシア達であった。

 

 彼女らは最初、少々警戒気味に構えていたが、走ってくるのがヌルスだと気が付くと杖を収めた。気心の知れた間柄、雑で気やすい挨拶が飛び交う。

 

 ただその中で一人、アルテイシアは何故かやたらとそわそわしていたが。ただこの間怒られたのも踏まえて、前に積極的に出てくる様子は無い。

 

「お久しぶりです。一週間ぐらい姿を見なかったのでちょっと心配してましたよー」

 

『ああ、そうか。そんなになるか。ちょっと引きこもってたのでな』

 

「引き籠ってたって、どこにです? そこそこ心配したんですよ、ギルドに問い合わせても知らないっていうし。まさか迷宮に引き籠ってる訳ないし」

 

 波打つような髪の少女……確か名前をエミーリアといった……のある意味真実を言い当ててる言葉に苦笑する。ちらり、と兜の視線をアルテイシアに向けると、彼女は引き攣ったような苦笑いを浮かべていた。

 

『まあ、その辺は秘密という奴だ。心配をかけて悪かった』

 

「別にいいですけどー。んー、本当に何ともなかったんですよね?」

 

「アルテイシアが毎日のように心配していましたよ。迷宮探索の為に潜ってるのかヌルスさんを探していたのかわかりませんよね」

 

 友人の言葉にアルテイシアの顔がぼっと真っ赤に染まった。

 

「ちょ、ちょっとロション! それは黙っててって……!」

 

「ははは。いいや、言わせてもらいますよ。付き合わされたのは僕らなんですからね」

 

「おいおい、意地悪言うなよロション。俺達だって少しはヌルスさんの事心配してただろ、顔見知りだもんな」

 

 まあ顔は知らないんだけどよ……とエルリックが付け足す。

 

 ヌルスはちょっと困ったように兜に指をあてて、アルテイシアを見た。彼女は帽子のツバを引き下ろして、真っ赤になった顔を隠している。

 

 そんなに照れなくていいのになあ、と思いつつ、ヌルスは日誌を脇に挟んで彼女に近づくと、ゆっくりとその右手を手に取った。

 

 そして、静かにシェイクハンド。

 

 手を離すと、困惑したようにアルテイシアがヌルスを見返してくる。

 

「あ、あの……?」

 

『ありがとう。心配をかけた。この通り全然元気だ』

 

「そ、それなら、それは、それで……モゴモゴ」

 

 うむ、と頷き返し、ヌルスは彼女の学友たちに振り返る。皆一様に、やれやれ、と肩を竦めていた。

 

『どうやら心配をかけたようだが、本当になんでもないんだ。しょうもない事で引き籠って、未だに結果も出ていない』

 

「まあ、それはそれでいいんですが。ちょっと気になりますね。アルテイシアが気に掛けるほどの魔術師が急に一週間以上も籠って何を研究していたのか、は。出てきたという事は何かしらの成果がでたのでしょう?」

 

『到底人に見せられるような段階ではない。ただ、成果が出たらお披露目はするつもりだ』

 

 シャカシャカと速筆で日誌に返事を書く。三本の指をそれぞれ個別に走らせて一度に三文字ずつ書いていくのを見て、エルリックとエミーリアが何やら困惑顔でひそひそ話をしている。

 

「……随分器用っすね、それ。前からちょっと思ってたけど」

 

「やっぱどこかの大魔術師なんじゃ……」

 

『無い無い。私程度がそんなものを名乗るなんて烏滸がましい』

 

 実際ヌルスからすれば本当に大したことは無いのだ。100本近い触手を個別に制御して人間の真似をするほうがよっぽど難しい。これだってその気になれば五本指全部を筆記に使えるが、流石にそれは非人間的すぎてどん引かれるだろうと自重しているのだ。

 

『それより、地図の照合をしよう。これでもそれなりに進んだつもりだ』

 

「ほほーう、威勢がいいのはいいけど、どうかな? 一週間引き籠ってた奴に、負けるつもりはないぜー?」

 

 ニヤニヤ笑いながらエルリックが地図を見せてくる。いざ勝負、と松明の明かりに二人はそれぞれ記してきた地図をオープンにした。

 

「……え、まじ?」

 

「うそ、負けてる!?」

 

 驚愕の声を上げて一同がヌルスの地図に目を通す。ヌルスはふふん、と胸を張ってふんぞり返った。

 

「うっそ、マジかよ。こっちの方がさきに5層に入ったし、この一週間で随分進んだはずなのに!」

 

「これは驚きましたね……何か秘密が?」

 

『ちょっとしたコツだな』

 

 他の階層ならともかく、この5層においては条件がヌルスに有利すぎる。安全マージンを確保して探索する人間の冒険者とヌルスでは、それぐらいの差がでても仕方ない。

 

 むしろ、ありったけのハンデを背負わされてたかだか一週間でヌルスとほぼ同じぐらいの面積を探索しているアルテイシア達の方こそ驚愕ものだ。負けたといってもほぼ僅差といっていい。

 

 いやまあ、そもそもマップ埋めに勝ち負けがあるのかもよくわからないが。

 

「流石ですね。半分ぐらいは被ってますけど、両方を照らし合わせれば大分調査が進むんじゃないですか? 写させて頂いても?」

 

『構わないよ。代わりに私も写させてもらうがね』

 

 互いに地図を参照して空きを埋めていく。分岐路の先、その多くが埋まっていくのを見てアルテイシアが小さく唸った。

 

「これは……もしかしていけるかも。フロアガーディアンの部屋の場所……」

 

「マジで? また俺達が一番乗り?」

 

「どうでしょうね。全部のフロントライナーが、律儀にギルドにマップ情報提供しているとも限りませんし」

 

 じゃれ合ってる男子二人を他所に、アルテイシアはカバンから炭の欠片を取り出てその場に屈み、地面を机に地図へ線を描いた。それはまだ未調査通路の予想図であり、それらを結ぶと地図全体が丸く纏まっているように見える。

 

 迷宮の階層全体の形状は様々だが、かといって無意味に歪んだ形状だったりする事はこれまでなかった。大体広いドーム状で、それを踏まえるとこの地図の先に終点がある可能性は高い。

 

「これをこうして……最短距離は……」

 

 つ、とアルテイシアの白く細い指先が地図をなぞる。現在地点からの、想定される予想地点までの最短ルートを結び、アルテイシアは身を起こした。

 

「どうでしょう、ヌルスさん」

 

『悪くないと思う。せっかくの機会だし、このまま一息にフロアガーディアンの小部屋まで押しかけてみるか?』

 

「そうですね。戦力的には申し分ないはず。皆もいい?」

 

 リーダーの顔でアルテイシアが仲間たちに確認を取る。一行は神妙な顔で頷き返した。

 

《決まりだな》

 

 ヌルスは呟き、日誌をパタン、と閉じて懐に閉まった。

 

 

 

 

 

 

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