望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
瞬く間に部屋を瘴気が埋め尽くしていく。
見ればジュクジュクと音を立てて部屋の内壁や床さえ浸食されている。これまで遭遇してきた瘴気とは腐食率がけた違いのようだ。
「これは不味いわね。アルテイシア、頼める?」
ロションとエルリックが慌てて松明を振り回して瘴気を追い払うが、これでは自由に動けない。エミーリアが首を竦めつつ、アルテイシアと頷き合う。カツカツと床を鳴らして金髪の魔術師が前に出た。
「まかせてください。ファイヤトルネード!」
炎の渦をアルテイシアが解き放つ。灼熱の嵐のような魔術が、広範囲の瘴気を纏めて焼き払った。ぎょっとしたように大蝙蝠が瞠目する。
「よっし、このままボスもやっちゃえ!」
拳を突き上げてエミーリアの快哉が飛ぶ。その言葉に応えるように、渦巻く炎の突風がボス目掛けて吹きすさぶ。そのまま、炎は大蝙蝠を包み込むかと思われたが、その前に相手が対処に動いた。
「ケェー!」
広げた翼を一度閉じ、開くと同時に何度も羽ばたく。それによって発生した大量の瘴気混じりの旋風が、アルテイシアの放った炎の渦と正面からぶつかり合った。炎は瘴気は焼き尽くすものの、猛烈な突風そのものには押し負けて千々に消し飛ぶ。
「く……?!」
「この……ファイアレーザー!」
アルテイシアと入れ替わるようにエミーリアが熱線を放った。それに対し、ボスは今度は大量の瘴気のみを翼から放出する事で対応した。向こう側が完全に見えなくなるほどの高濃度の瘴気の壁に阻まれ、熱線はその向こう側まで届かない。
「えー、なんでぇ!? 弓矢は通じたって話じゃない!?」
「質量です! 矢はそれなりの質量があるから瘴気や風では阻めませんが、魔術は基本的に質量を生み出せません! 炎という現象を飛ばしているだけでは、あの突風と瘴気の壁を越えられない!」
なるほどー、とヌルスは感心した。そういえばアルテイシアがくれたノートにもそんな感じの事が書いてあった。
どうやら炎は瘴気そのものの対策としては有効だが、この場においてボスへの攻撃手段としては適切ではないらしい。これは思わぬ落とし穴だ。だからこそ、過去の挑戦者は魔術を露払いに用いたという事か。いや、警告が残っていない所を見るとあるいは単にたまたまか。
「くっそぅ。質量があればいいんでしょ、じゃあ触媒を氷に……」
「エミーリア、待って! 戦闘中にそれは迂闊すぎます!」
炎の魔術が通じないのを見て、その場で触媒を交換し始めるエミーリア。その無防備な姿を見て、アルテイシアが注意の声を上げる。
その隙を、ボスは逃さなかった。
ギラリ、と目を光らせ、ボスが天井から落下するように飛び立つ。その巨体が瘴気の中に消えるのを見て魔力の流れをヌルスは追ったが、直ぐに諦めた。高濃度の瘴気、それを構成する魔力が邪魔でボスの存在が感知できない。
次の瞬間、いつの間に回り込んだのか、パーティーの真横からボスが襲い掛かってきた。低空を滑空するボスの足の鉤爪が狙うのは、戦場で棒立ちしているエミーリアの首だ。
「え?」
迫りくる鉤爪を、彼女は触媒を手にしたままぼけっと見上げた。アルテイシアがいち早く反応するが、いくら彼女でもこのタイミング、呪文詠唱が間に合わない。近接戦用の魔術であっても、不意打ちには無力だ。
純粋な魔術師の死角。
だからこそ、それをフォローするのはそうでない者の仕事だ。
《ぬぅうん!》
鉤爪の前に特殊合金の杖が割って入り、一瞬小部屋が照らされるほどの盛大な火花を散らした。
「ヌルスさん!」
「キィエエエ!」
《悪いな、多少は力に覚えがあるものでな!》
ヌルスは全身の力をふりしぼり、ギリギリとボスと鍔迫り合いを演じる。ボスの力はすさまじく、あと数秒も持ちこたえられないがその必要はない。
動きが止まっている今が好機。攻撃を受け止めつつ呪文を詠唱しファイアボルトを放つが、しかし超至近距離からの一撃をボスはひらりと身を翻して回避した。そのまま、ふわりと風のように瘴気の向こうへと姿を隠す。
巨体からは信じられない身のこなしだ。
《ちっ。しかし今のをかわすか……只の反応速度では片付けられない。アイツ、魔力の流れが見えているな?》
特段おかしな話ではない。ヌルスにだって魔力感知はできるのだ、となると5層のフロアガーディアンともなればなおさらの事だろう。
思ったより厄介なボスだ、とヌルスは相手の戦力評価を上方修正した。
距離があれば瘴気に阻まれ、至近距離では魔力感知で回避される。魔術師のみで構成されたパーティーというのは、すなわち遠距離攻撃に特化しているという事でもある。普通であれば利点であるそれが、このボス相手には不利に働いているようだ。
《いや、弓矢使いはコイツ相手の王道だと聞いた。……彼らはどうやって瘴気の向こうのコイツの存在を把握していたんだ?》
弓矢の起こりには魔力反応がないから、至近距離で命中させていたのだろうか。あるいは、弓矢使いには魔力や目視に頼らずに敵を補足する技能があるのか。
ヌルスが知っているのは魔術師の知識だけだ。剣士や弓手がどのような技能を持ち合わせているのかは全然知らない。
またしても己の勉強不足に直面しつつも、ヌルスは一行を庇うように佇んだ。少なくとも、ある程度接近してくれば魔力反応で分かる。
「エミーリア、大丈夫?」
「だ、大丈夫。ヌルスさんが助けてくれたから……」
「くそ、どうする!? 思ったより厄介だぞ!?」
予想外の展開に、エルリックが戸惑ったような声を上げた。彼は今も隙あらば忍び寄ってくる瘴気を追い散らすので精一杯で、戦闘には参加する余裕はなさそうだ。その声色に多分に弱気が含まれているのが、ヌルスでも分かる。
一度アルテイシアが派手に蹴散らしたにも関わらず、いつの間にか部屋が瘴気で満たされている。
思う以上に戦況は冒険者に不利だ。
《潮時だな》
「……撤退します! ヌルスさん、殿をお願いします!」
そして触手にも分かる事を見落とすアルテイシアではなかった。撤退を即断し、エミーリアの肩を支えるようにして出入口に引き返す。後に瘴気へ松明を振りかざしながらエルリックとロションが後ろ歩きで続く。その後に続こうとしたヌルスは、しかし瘴気の中から接近してくる気配を前に足を止めた。
《ふんぬ!》
「キエェエ!」
再び鉤爪と杖がぶつかりあって火花を散らす。しかし足を止めた事で、ロション達と距離が空いてしまった。
その時を待っていたように、ふわり、と瘴気が両者の間を阻むように立ち込めてくる。
「ヌルスさん!?」
《なんの問題ない、ちょっとぐらいならな……食らえ、ファイアミスト!》
魔力の高まりを感じてか、ボスが即座に離脱する。それと入れ替わるように、ババババッ、と無数の火花がヌルスの周囲に弾けた。攻撃力など無いに等しい花火のようなものだが、瘴気にはそれなりに応えるはずだ。案の定怯むように包囲の手を緩めた瘴気を突き破って、ヌルスは後方に離脱する。
《わはははは! どうだ、コケ脅しみたいな魔術にびびって機を逸した気分は! 誰もがアルテイシアのような魔術師だと思ったら大間違いだ、私のようなへっぽこも居る事を覚えておくんだな! まあ次のお前はそれを覚えていないだろうがな》
「キエエエエ!!」
言葉は通じなくとも馬鹿にされたのは理解できたのだろう、大蝙蝠は再びヌルスに襲い掛かるが、それよりもヌルスが部屋を脱出する方が早かった。
翼を広げては通れない出入口寸前で、黒い巨体が踵を返す。口惜しそうに旋回して部屋の中央に戻っていくその姿が青い光に包まれ、一瞬後にはフロアガーディアンの小部屋は最初見たような空虚な小部屋へと戻っていた。
大蝙蝠も部屋を満たす瘴気も、全て消えてしまった。