望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
アルテイシアが資料に目を通す間、ヌルスは周辺を警戒しながらじっと彼女の横顔を観察していた。
彼女は資料の二週目に入り、一度目を通したからか今度は落ち着いて熟読しているようだ。ひたすら超高速で呟く悪癖もなりを潜め、今は真剣に文章に向き合っている。
その整った横顔をじっと見つめていると、ヌルスの心に訳もなく暖かなものが満ちてくる。
それは高名な魔術師にここまで夢中にさせる報告書を書き上げた事に対する自負か、あるいは他の何かであるのかヌルスには判然としなかったが、何はともあれ満たされた気分であるのは事実だった。
不思議なものである。喜びや誇り、楽しみ、そういった感情をヌルスもまた理解してはいるが、それらは物質的には何も生みださないはず。しかし時に、それらは魔力をたっぷりと蓄えた時以上の安らぎと満足を与えてくれる。ただ活動し存在する事が全ての魔物であってもだ。
《人間もそうなのだろうか? 飢えが満たされなくとも、気持ちが満たされる事で幸せを感じたりするのだろうか?》
彼女の横顔を見ながら思う。
そうであれば嬉しい。人間には色々いるのは分かっているし、きっとそうでない人間もたくさんいる。それでも、アルテイシアが自分と同じ幸せを共有できる人間であればいいな、とヌルスは思った。
と、ぼぅっとみている内にアルテイシアは資料の熟読を追えたようだ。
「ヌルスさん」
《うむ》
「……今度、報告書の書き方とか論文の書き方とか学びましょう。参考書もってくるんで……」
がくん、とヌルスはその場に崩れ落ちた。
どうやら、とても読みづらかったらしい。
これでも部屋の論文を参考に書いたつもりだったのだが……としおしおになりながらヌルスが姿勢を正すと、その様子を見たアルテイシアがプッ、と噴き出した。
くすくすお腹を押さえて笑う彼女。それを見てヌルスはちょっとして気が付いた。もしかして、しなくとも。
《……揶揄われた?》
「ぷっ、ふふふふ。ごめんなさい、ちょっとした出来心で……ぷぷぷ。素人にしてはよくかけてると思いますよ、読みづらいのは事実ですけど」
《人が悪い!》
腕を振り上げて、ぷんすこ! と憤慨を露にすると、アルテイシアは「まあまあ」と宥めるように手を前にかざした。もっとも、変わらず口元は緩んでいる。
「ふふふ。サプライズのお返しという奴ですよ。しれっと魔術業界の歴史が変わる新発見をぶちこまれた私の気持ちの万分の一でも思い知りなさい、というものです」
『という事は?』
「はい。これは大発見です。というか……ううん、これまで魔術師が積み上げてきた屍の山を高跳びされたというか、なんていうか。時間と犠牲さえあればそのうちたどり着いた結論なんでしょうけど、それがスキップされたのを喜ぶべきでしょうかね」
顎に手を当てて首を少し傾げるアルテイシア。
まあ、ヌルスも言いたい事は分かる。実験中、ヌルスも人間がこれと同じことをやってたら何人犠牲になってるのか考えたりもした。やってる事は場当たり的というか、やたらめったら試してるだけで技術的、理論的には大したことがないのだが。
「ヌルスさんは手あたり次第に試してみただけ、と思ってるかもしれませんが、そもそも理論や計算をするにも、そのデータの下となる実験結果が圧倒的に不足してたんですよ。何せ試しで実験したらそれで人が死んでた訳ですからね。どうすれば安全を確保できるかもわからない危険な研究に手を出すのはよほどの変わり者で、そういった人間は素直に自分の死後、研究結果が世に出るように残しておく事はまずないですから」
その基礎データが、ヌルスの触手数十本を犠牲にする事で、大量に資料として存在する。
アルテイシアからすると金塊の山のようなものである。発狂するのも当然と言えた。
おまけに、その産物である反動の無力化、という結果付きだ。
「しかし、実験結果だけならともかく、最終的に安全に術を行使する所までこぎつけているとは驚きました。聊か、唯一性が高いのが難点ですが……ちょっとその杖、見せて頂いても?」
《どうぞどうぞ》
アルテイシア相手なら別に何も構わない。
ひょい、と差し出された杖をアルテイシアは受け取り……ヌルスが手を離した途端、それを抱えたまま大きく仰け反った。
「お、重っ!? む、むぐぐぐ……」
《ああ、ごめん!》
潰されそうになっているアルテイシアから慌てて杖を取り上げる。ヌルスからすると大した重さではないが、人間からすれば超重量の金属塊である事を忘れていた。
ぜーはー肩で息をしている彼女を横に、ヌルスは杖をぐりぐりと地面に突き刺してその場に立てる。これなら大丈夫だろう。
《これならどう?》
「お、お心遣い有難うございます。ふぅー、ヌルスさんが軽く振り回してるの見て勘違いしましたが、滅茶滅茶な重さですねこれ。鉄……じゃないですね。なんだろ、何かの魔法金属?」
柱のように地面に突き立てられた杖を、四方からアルテイシアがマジマジと観察する。彼女はその表面に触ったり撫でたり、魔力をちょっと流したりした。
「報告によると、他の材質ではダメで、この杖でようやく無反動が成立したんですよね?」
『肯定。さらにいうとその杖ならば触手アブソーバを用意しなくても、比較的反動は軽微だった。それでも人間だと死ぬけど』
「ふぅむ……? お話ですと、4層で拾ったという事でしたっけ。ちょっと削ってもよろしいですか? 成分を調べたいので」
別に構わない。現状唯一歪みの魔術の無反動化に必要とはいえ、ヌルスは多少の反動は問題としないし、そもそも拾い物だ。惜しくはない。
兜を縦にふってヌルスの肯定を確認すると、アルテイシアはナイフと紙を取り出し、ナイフを杖の表面にあてて擦るように上下させた。キラキラと七色に輝く塵のような欠片を紙で受けて、零れないように丁寧に畳んで懐にしまい込む。
『それだけでいいのか?』
「ええ。貴重な触媒とかの扱いはなれているつもりです。これだけあれば最低限、既知の材質かどうかは判別できますね。オリハルコンか、ミスリルか、はてさてヒヒイロカネか……」
ブツブツいいながらアルテイシアは杖の先端に目を向ける。
今回の案件で一番のキモである、先端の飾りのような部分。ヌルスはここに何か魔術的に大きな意味合いがあるとみているが、アルテイシアはどう見るのか。
アルテイシアがメモを取り出し、炭でスケッチを始める。その様子をヌルスが息を飲んで見守っていると、模写の傍ら彼女は口を開いた。
「ヌルスさんの見込みは、間違っていないと思います。今でこそ、魔力緩衝材を杖の中に仕込む、という方式で落ち着きましたが、魔力を杖側の機構で制御しようという試みは、それこそニコライ式が成立する以前から無数に行われていました。ニコライ式に一度統合された際、効率が悪い、あるいは原理が不明なもの、使い勝手が悪いとされたものは取捨選択の中で廃れていきましたが、それらは決して間違った方式ではなかったのです。恐らくこの杖は、そんな古い時代の様式の一つを採用したものと考えられます。恐らく、この杖の先端の構造部分、これが簡易的な神殿? 儀式場? になっていると考えられます」
《ふむむ?》
ヌルスの聞いた事のない言葉が出てきた。
全身で知らない事を表現するヌルスにアルテイシアは苦笑しつつ補足説明をしてくれる。
「魔術が呪いとか、そういう扱いだった古い時代の技術です。魔術を行うのに適した場を構築する事で、魔術発動のハードルを下げる、みたいな。大がかりである上に繊細でちょっとした事で効果が上下するし、迷信や勘違いも加わっててニコライ氏が学問として統合するのを諦めてしまったものでニコライ式でも採用されていません。ですが、歴史そのものは古くから存在する概念です。どちらかというと学問的には古代史とかに入ってくるんでしょうか?」
とりあえず、とても古い概念だという事はヌルスにも分かった。
そしてそれが今現在は研究されてない理由も。
ニコライ式は、あくまで魔術を学問として研究する為に編纂されたものだという。その過程で、準備が大変かつ効果が一定ではない場作りの知識は排除された、という事だ。
恐らくニコライ氏も苦渋の決断だったのではないか、とヌルスは考える。いくら不安定で繊細でも魔術を形作る一角だ、出来れば編纂したかったのだろうが、魔術という学問の基礎を固めるので精一杯だったのだろう。それ以前の魔術の扱いはとても雑だったようであるし。
『しかし、よくそんな事についてまで知っているな』
「えへへ。流石に私も管轄外ですよ。ただ、学院に引き籠ってる知り合いに神殿キチ……ヲホン、神殿について研究してる人がいまして。彼女と話してる内に自然と……ね」
スケッチを終え、仕舞いこむアルテイシア。用事が済んでも彼女はじっと意味ありげに杖を見つめている。
「……ねね。ヌルスさん」
《ん?》
「私も、ちょっと試してみても良いです? その……アレを」
ヌルスが歪みの魔術、そのデモンストレーションで破壊した標的の残骸を、そう言いながらアルテイシアは指さした。
『駄目です』
ヌルスは即答で断言した。