蒼と紅の炎   作:荒波を征く湯気

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幕間5 ジェンティルドンナの孤独な戦い

 6月10日。

 夜の帳が降りたパリの街を、ジェンティルドンナは窓越しに眺めていた。

 カーテンの隙間から見える光の粒を、しばし無言で見つめている。

 

 

「あの人との契約は――破棄されていた……」

 

 

 唇が、ほとんど動かぬほど小さく動かした。

 胸の奥に沈んだ痛みを、あえて言葉にするように。

 彼女はゆっくりと椅子に腰を下ろし、組んだ指を見つめる。

 その瞳は、かすかに揺らめく。

 

 

(わたくしの目的は――世界を獲り、世界に力を示すこと。日本のウマ娘が凱旋門賞を勝利する。その意味を、その象徴を、その最初の称号をわたくしのものにするの……そうして進む道しか、もう残されていない)

 

 

 小さく息を吐き、目を細めた。

 膝を折り曲げて、それを抱え込むように背中を丸める。

 足の指を上下させて、思案に耽る。

 

 

(でも、ローラン・ジレーヌの功績になど決してさせはしませんわ。わたくしが必要とするのは、あの者の後ろにいる"もう一人のトレーナー"のみ)

 

 

 唇の端に冷たい笑みが浮かぶ。

 目からはハイライトが消え、自嘲じみた凍り付いたような感情が湧き上がった。

 

 

(相手より、わたくしが優位に立てばいい。何を考えているのか得体は知れないけれど、あなた方の思惑を潰してみせる。わたくしを好きにすることはできないことを思い知らせてあげますわ)

 

 

 その言葉を胸の奥で呟くと、傍にあった呼びベルを鳴らした。

 静かにドアが開き、専属メイドの秋村サチが姿を現す。

 

 

「お呼びでしょうか、お嬢様」

「今日、わたくしの部屋を掃除したわね」

「はい。いつも通りに」

「その時に――引き出しの中に入れていた手紙、捨てるように言っておいたけれど。破いて捨ててくれたかしら?」

 

 

 サチは一瞬、言葉に詰まる。

 視線を落とし、小さく息を呑む。

 

 

「……あのお手紙は、お嬢様の大事なものとお見受けしましたので、捨てずにお預かりしておりました。封は、開けておりません」

「そう。ならいいわ」

 

 

 ジェンティルは立ち上がり、手を差し出した。

 サチは思いつめながらも、懐から丁寧に包まれた封筒を取り出す。

 

 両手を添えて渡せば、静かにその手紙を受け取るジェンティル。

 そして――。

 

 ビリビリビリビリ――!

 

 

「お嬢様!?」

「大丈夫よ、散らかさないから」

 

 

 静かな声だった。

 その声には感情が入っていなかった。

 

 

(わたくしはもう、元の場所へは戻れない。必要もない)

 

 

 ジェンティルの指先で裂かれた細切れの紙は、彼女の手の中で圧縮される。

 

 

(――もう、あそこにわたくしの居場所はないのだから)

 

 

 ヴー、ヴー、ヴー。

 タイミングよくバイブレーションが鳴った。

 

 手紙の残骸をパラパラとゴミ箱の中に捨てたジェンティルは、そのスマホを手に取る。

 父親から渡されたローラン・ジレーヌとのみ会話ができる特別なスマホである。

 

 画面に映るのは、もちろん「Laurent G.」の文字。

 一瞬だけ視線が揺れたが、ためらいはない。

 

 通話ボタンを押す。

 一瞬の間があって、相手の声が響いた。

 

 

「ジェンティル。昼間は失礼した。まさか君から俺を呼んでくれるとは嬉しいね――ディナーのお誘いかな?」

 

 

 ジェンティルは、今持っているスマホを全力で握りつぶしたくなった。

 だが力が上手くコントロールできないのがまだ続いていたため、破片がサチに飛び散ってはいけない。

 ここは我慢しつつ、冷ややかな声で答える。

 

 

「いいえ、ちょっとした用件があるだけよ」

「なんだ、トレーニングの話か? それなら、次のトレーニング時にしてほしいんだがな」

 

 

 彼女は窓の外を見つめながら言う。

 月明かりがその横顔を照らす。

 冷たく、美しく、そして――。

 

 

「もう少し込み入った話。あなたと、二人で」

「ほう、二人……!」

「ええ、わたくしと、あなたの、今後のことよ……。明日の夜、ホテル・ド・ラ・セーヌに来てくださる?」

「ふむ、君と俺のか。……いいだろう。実は俺の方からも、そのことについては話があったんだ。ちょうどいい、お互いに話そう」

「そう、なら好都合ね、では約束通りに。……ごきげんよう」

 

 

 通話が切れる。

 画面が暗転し、部屋は再び静寂に包まれた。

 

 ジェンティルはしばらく携帯を見つめ、ゆっくりと机に置く。

 

 

(さて……どう出てくるかしら)

 

 

 

 窓の外、遠くにエッフェル塔のライトが瞬く。

 その光を見ながら、ジェンティルは静かに目を閉じた。

 心配するサチが憐れむような視線を向けているのを、無視して――

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 次の日の夜。

 セーヌ川沿いに建つ老舗ホテルのラウンジは今宵、二人のために貸し切られていた。

 天井まで届く窓の外には、遠くエッフェル塔の灯が霞んで見える。

 川面を渡る風が窓をわずかに揺らし、薄いカーテンの裾が静かにたなびいていた。

 

 照明は控えめで、重厚なシャンデリアの光がワイングラスの縁を淡く照らす。

 テーブルの上には白いクロス、銀のカトラリー、そして深紅のバラを一輪だけ挿した水晶の花瓶。

 音楽はない。

 ピアノも止まり、聞こえるのはローランがワインを嗜むグラスの傾く音と、遠くの街のざわめきだけ。

 

 

「悪くない。だが、もう少し苦みがあってもいいな。そう、ジェンティル、君のように」

「……」

「クク、そう怖い顔をするな。君の呼び出しにわざわざ答えたんだぞ? ……それで、俺と君のことについて何を話すつもりだ?」

 

 

 ローランはスーツ姿で、余裕の態度と姿勢を崩さず椅子に腰掛けていた。

 対面するジェンティルドンナは、ワイングラス――アルコールは入っていない――視線をグラス一点に注いでいる。

 表情は静かだが、どこか張り詰めたものがあった。

 ローランの前にある赤ワインのグラスと比べれば色合いは似ているが、間違いなく違う色。

 決して交わることのない2つの飲み物を見ながら、ジェンティルはゆっくりと口火を切った。

 

 

「単刀直入にお伺いしますわ。あなた、本当のトレーナーではないですわよね?」

 

 

 ローランの眉がピクリと動く。

 彼は静かにグラスを置き、――しかし、余裕の笑みは崩さず聞き返す。

 

 

「念の為否定はしておこう。しかし、なぜそんなことを思ったのか、聞かせてもらおうか」

「1番初めに疑問に思ったのが、咄嗟の質問に対する回答がそこらの一般人と変わらなかったときですわ。それも複数回とくれば怪しむのは当然でしょう。こちらはより具体的で専門的な知見を頼りにしておりますのに、不思議なことにそういったことが返ってくるのは決まって時間が経ってから」

「それは君の質問にきちんと答えるため、調べてから、あるいは言葉を噛み砕いて、分かりやすい説明を心がけようとしているからだ」

「その場で回答できないのは元トレーナーでもありましたけど、あなたの場合、その肩書に見合う回答には思えませんでしたわ。分かりやすい説明を心がけるお気持ちはありがたいですが、わたくしも、それなりに論文を読む程度のことはしております。そのうえであなたは時間をかけてくださるのね?」

 

 

 

 嫌味をつけたつもりだった。

 だが手応えはなく、ローランは笑みを崩さない。

 

 

 

「クク、そう敵意を向けられてはな。だがこれは俺の育成方針でもある。例えばフランス語の微妙なニュアンスの違いや聞き間違いで、間違ったことが伝わって時間をロスするよりも、時間をかけてでも正確無比に伝えるほうが良いだろう。仕事とはそういうものだ」

(ふん、なるほど、この程度の問い詰めなら回答は用意してある、と)

 

 

 一見、理には適っているがそこまで結果が大きく変わるものでもない質問についても、ローランはそういった姿勢を崩さなかったのを覚えている。

 それが彼のやり方なのだと言われればそれまでだが、ジェンティルの中ではそれだけで彼をトレーナーではないと断言したわけではない。

 まだ2つ、相手の優位を崩す確証が残っている。

 

 

「では2つ目、あなたの言動や姿勢、態度、所作、立ち居振る舞いについて鑑みると、ウマ娘を担当するトレーナーというよりは、いささか別の顔をお持ちなのではなくて?」

「ほう、例えば?」

 

 

 揺るがない。

 彼は微塵も焦りを見せない。

 しかしジェンティルもまた、淡々と告げていく。

 

 

「例えば先日、ドイツでデモを行った団体がありましたわね? 他にも、イギリス、イタリア、フランスにも同じ主張をする団体がいる。そこを辿っていくと行き着くのは、ローラン・ジレーヌという方。不思議ね、あなたと同じ名前と性別。トレーナーという立場であるにも関わらず、現在のレース界を否定するような団体を創設でもしたかのように」

「ふむ、よく調べたものだ。と言いたいところだが、なぜその名前を俺がわざわざ公にしていると思う?」

「……っ」

 

 

 ジェンティルは目つきを鋭くする。

 ローランの回答は開き直りどころではなく、自分自身であることを隠さなかった。

 スキャンダルにもなるかと思ったが、想定外の返しにジェンティルは身構える。

 

 

「答えよう。わざわざ自分をプロモートしているからだ。知ってほしいのだよ。その主張をするウマ娘トレーナー、ローラン・ジレーヌの名をな」

「それは……何のために? あなたにとって、そのような団体を立ち上げる意味は?」

「ウマ娘の解放のためさ」

「ウマ娘の解放……?」

「そうだ、ウマ娘は無限の可能性を秘めている。君たちがいれば人間にはできないことが可能になる。その体の強さはそれだけで世界を変えられるのだ」

 

 

 ローランはすかさず、大げさに手を広げて続ける

 

 

「だが今はどうだ。レースという興行、歌って踊れるアイドルのような遊興、人間に媚びて頭を垂れる関係性。さらにはケガと隣り合わせの過酷なトレーニングを強いられている。おかしいだろう。人間よりも強いはずのウマ娘が、なぜ人間社会の一部にわざわざ溶け込まねばならない? 悔しいと思わないのか?」

「何をおっしゃってるのか、分かりかねますわね。ウマ娘はそもそも、その力ゆえ、人とともに生きていくためにそれらの興行を、その幸せを享受していますの。それは、他ならぬウマ娘が望んだことですわ。走りたいという本能に基づいて」

「本当にそう思っているなら、君は洗脳されている」

「なんですって?」

「では聞こう、君のように強いウマ娘はそれでいいだろう。しかし、そうでないウマ娘はどうなる? 強者だけが注目され、生き残ったものだけが栄光を手にする仕組みだ。自分より弱い人間のために、だぞ? ふざけるなと思わないウマ娘がいないとでも言うのか?」

 

 

 ジェンティルは唇を噛む。

 本当にそんなことを考えているのだとしたら、あまりにも無知蒙昧であり、甚だ図々しい。

 確かに全てのウマ娘が今のレース界に賛同しているかと言われればそうではないだろう。

 圧倒的な強者がいれば、それだけでも戦意を失って腐る者もいる。怪我で走れなくなった者もいる。

 しかしそれでもウマ娘は走りたいという欲求は抑えきれず、中央のトゥインクルシリーズのみならず、地方、はたまたフリースタイルレースで走るウマ娘は少なくない。

 他にも機械工学を研究し、そこに意識を移して、もう一度走りたい願いを叶えようとするウマ娘だっている。

 ローランの主張はそういったウマ娘の願いそのものを踏みにじる安っぽい同情であり、何も分かっていない厚顔無恥の発想。

 もはや偽善どころの話ではなく、感情を利用した劇場型の遊戯である。

 

 

 

「と、まぁここまで言ったことは詭弁だ。それくらいは俺もわかっている」

「は?」

「だが、こういう詭弁を使えば賛同する奴らが出てくるのさ。世界中に、そういうやつらが転がっている。そいつらを取り込めばどうなると思う?」

 

 

 ここまで聞いて、ジェンティルは腑に落ちる。

 己の父や一族、そしてローラン側についている政財界の者たちが、このような主張についた理由を。

 

 

「……なるほど、そういうことですの。政財界の方々も1枚噛んでいるのは、その力を手に入れるのと――金銭的利益のため」

「そういうことだ。政治信条はもちろん、本気で世界を変えようと言う狂った正義感など持っていないさ。悪とは認識されていなかった者を悪として吊り上げ、偽者の正義との対立を作り出す。そうすれば真実を知った優越で気持ちが良くなるやつらがいるんだ。そいつらから金を集めるのさ。政治に組み込み議員でも送り込めば、taxからも絞り出せる。簡単だろう?」

「ウマ娘を使って、よくもそんなことを……!」

「何を怒っている? 俺は"人間もウマ娘も平等に利用"してやるだけさ。理屈で言えばウマ娘を使ったレース興行も営利だろう。アイドルグッズもそうだ。もしや福祉だとでも言うつもりか? 果ては慈善団体か? いいや、違う。純然たる営利だ。手段は違うが、目的は同じだ」

 

 

 ぐっと言い淀む。

 父が率いる一族も、どのように上り詰めてきたかは、ジェンティルはその目で見てきたわけではないからだ。

 一代で強大な力を手にした父も、宝くじの1等が当たって、富裕層の仲間入りなどという偶然の産物ではないはず。

 おそらく誰かを利用し、何らかの駆け引きを使ってきたのは間違いないだろう。

 そこに、正しいも間違いもない。

 

 

「そう、力あるものが正義、力あるものだけが生き残る。それが世界だ。レースも同じだ。そうではないか、ジェンティルドンナ?」

「……父には幼い頃からよく聞かされましたわ。しかし、そうなると騙されて集められた方々は不憫ね?」

「騙すとは人聞きが悪い。そこは宗教のようなものだ。金を払うことで気持ちよくなるやつらだ。喜んで金も人生も差し出すさ。あわよくば、レース界の重鎮どもを追い落として、俺たちがそこに立つところまで行けば御の字。新たな枠組みを作り、代わって支配者となれる」

「欧州の事情までは知りませんが、日本の有力家系がウマ娘の利益を支配しているとでも?」

「今のレース界の有力家系が支配者かどうかはどうでも良い。要はその高い地位を奪って、今ある組織を力で好きなように変えたいのだ。君もその一端を担っている」

 

 

 ぞくり、と背筋が凍る。

 

 

「わたくしが……?」

「そうだ、俺は思想を先導する教祖となり、君は解放の象徴となる」

「お断りですわ! わたくしはそんなものに……!」

「君の父とはすでに政治的な取引で話がついている。ジェンティル、君も俺たちの力を使えば世界に力を示せるんだ。利害は一致しているんだぞ?」

「……っ、わたくしを担当したがったのは、そういうことですの」

「もちろん、君の実力も買った上だ」

 

 

 そんなことを言われても嬉しくない。

 そもそも、おかしいと思っていた。

 父が何も考えず、このローラン・ジレーヌや彼の父、ヴィシウス・ジレーヌと手を組むわけがない。

 それどころか、大きな利益を得るために自分を差し出したのだ。

 単なる過保護と思っていたが、……自分さえ、父にとっては利用する駒だった。

 

 だがあの父ならば、そうしてもおかしくはない。

 昔の欧州貴族でも、日本の戦国時代でも、娘や息子は政略の駒に過ぎない。

 現代のように恋人同士や好きな相手同士を見合う発想とは異なるが、政治的な繋がりを持つために血縁を送り込むことは、何ら不思議ではなかった。

 

 

「納得してくれたかな?」

「しかし、あなただって一応トレーナーを名乗っているのでしょう? それなら、あなたも過酷なトレーニングを強いていると言われるはず……」

「トレーニングについては、今まで俺のトレーニングを受けたウマ娘は過酷だと感じたことはないんだ。それは君もだろう? "成長させられている"、そう感じているはずだ」

「っ……それは」

 

 

 言葉に詰まる。

 実際、今までローラン・ジレーヌのトレーニングを受けてきたが、過酷だとは思ったことがない。

 どんなトレーニングでも……元トレーナーとの日々を思い返せば耐える自信はあったが、それを"思い出す暇もないほど楽"だった。

 そう、"成長している"のではなく"勝手に成長させられている"のだと感じていた。

 

 

 

「それで? まだ何かあるんじゃないのか? 君が、俺を、本当のトレーナーではないと考えた理由が」

 

 

 こちらの画策は、全て読まれている。

 ジェンティルは心の中で焦りを持ちながら、歯噛みした。

 

 どこまで読まれているのか分からない。

 優位に立つべく密かに調べていたのにも拘わらず、まるで彼の手の平にいるようだった。

 

 屈辱に身が強張る。

 苛立ちが拳に漲る。

 

 

(いいえ、諦めませんわ……)

 

 

 目を瞑り、冷静さを取り戻しつつ。

 ジェンティルは最後の手札を切る。

 

 

「3つ目……。10年前、イギリスに一人の将来有望なトレーナーがいましたわ。しかし、ある日を境にあなたと入れ替わるように、消えたトレーナーがいた……」

 

 

 それは、イギリス・ロンドンにて、トレーナー資格を持った一人の青年の話だ。

 彼の育成したウマ娘はとんでもない成長スピードで未勝利からG1初勝利まで獲得した。

 "神の導き手"とも称された手腕から、世界のトップトレーナーになると誰もが予想していた人物。

 

 

「その名は?」

 

 

 ローランが問う。

 その笑みが崩れない。

 ジェンティルが口を開いたと同時に、彼もまた口を開く。

 

 

「「アダム・ウェンブリー」」

「……っ」

「ハハハ! まさかそれが君の切り札だったのか? 図星だろう? 残念だが、全て君の父親から聞いていたんだ。何やら書斎からアダムの記事を発見して熱心にメモを取っているとね」

 

 

 これを世間にバラす。

 そんな風に話を持っていく算段だった。

 そうすることで彼らよりも優位に立ち、好きにはさせないつもりだったのに。

 

 

 

 

「今日は特別ゲストを呼んであるんだ。――入ってこい、アダム」

「なっ……」

 

 

 しかしその目論見は完全に崩れ去った。

 ローランが笑いながら、指をパチンと鳴らすと、奥の扉がゆっくりと開かれ、眼鏡をかけた男性が現れた。

 年齢はおそらく30代半ば。

 細身で190cmほどの高身長だが、白人であることを加味してもやけに肌が白く、不健康に見える。

 

 

 

「紹介しよう。彼は"サブトレーナー"のアダムだ。ちょっと世間に出ることが苦手なシャイなやつでな。俺がメインで出る代わりに、トレーニングの細かいところはこいつに担当してもらっている。そうだなアダム?」

「ああ、僕は……表には、出ない。ローランが何をしていても関係ない。僕はただ、サブトレーナーとしてローランを補佐しているだけだ」

「そう、こいつはあくまでサブのポジションだ。ジェンティル、君が仮に何を世間に訴えようと本人が否定する。ジェンティルの勘違いであると本人の口から言うことだってできる。まぁそんなことは君はしないだろう? 大事な元トレーナーがいるんだからな?」

 

 

 息を呑む。

 いつの間にか、喉がカラカラに乾いていた。

 ローランを追い詰めるために用意した手札が、ことごとく無力化されたのだ。

 父や弟はもちろん、身内なら秋村サチだけが唯一心を許せるような状況で、ようやくつかんだ情報だったというのに……。

 

 

「あくまで、俺の弱みを握って対等に立てると踏んだのだろうが、ククク、ジェンティル、これが俺の力だ。君の父の力も手に入れた俺のな」

 

 

 アダムに視線を移すと、不健康そうな彼はこちらを憐れむような顔で見つめていた。

 申し訳なさそうにしているが、なぜローランに協力しているのかわからない。

 もしかしたら彼も、無理やりローランに従わなければならない理由があるのだろうか。

 そして、成長させられていると感じるのは彼の考案したトレーニングだからなのだろうか。

 

 一瞬の間に様々な考えが頭をめぐる。

 アダムに聞きたいことはたくさんあるが、きっとその答えは用意されているものだろう。

 何を聞いたところで、今はもう……何も対抗できない。

 

 

「それで? まだ何かあるのかな、ジェンティル?」

 

 

 ローランの目が見開かれる。

 そこには愉悦があった。

 まるで子供の反抗を弄ぶかのように、軽くさばいて見せた嘲るような微笑みが浮かんでいる。

 ニヤリと裂けた口元は、細い三日月のようにさえ見えた。

 

 

「いいえ……。なにも、ありませんわ……」

 

 

 ジェンティルは歯噛みを堪えつつ、そう答えるほかなかった。

 元トレーナーの存在がこちらの弱みだ。

 彼がいる限り、下手な行動はできない。

 力はあるのに、それを発揮できない。

 振るってはならない。

 

 父がかつて放った言葉が、これほど痛烈に胸に突き刺さったことはなかった。

 

 

(これが……情に流された結果、なのね)

 

 

 拳をぎゅっと握る中、ローランの笑い声だけが室内に響き渡るのだった。

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