7月中旬。
とうとうこの日がやってきた。
凱旋門賞に向けて、現地でのトレーニングをするためにフランスへ渡航する日だ。
空港には多くの見送りが来てくれていた。
今まで世話になった人たちはもちろん、学園のウマ娘たち、シーナの家族も一緒だ。
マスコミも来ていることためか、シーナは少しメイクをしておめかししている。
「それじゃあ、いよいよフランス! セレブの街へレッツゴ〜♪」
「僕たちが行くわけじゃないけどね……」
「重畳! よくぞここまで来た。あとは勝利のみ! わーハッハッハ」
「学園の生徒達や学園外からも応援のメッセージがたくさん届いてますよ。理事長室にもそのお手紙で溢れかえってて――」
「良い言葉を教えてあげマース! ライバルたちに言ってあげると、とても喜ぶはずデース! La_victoire_est_à_moi」
「それ明らかに喧嘩売ってンじゃねーか! ったく……これ持ってけ。出走者の最新のデータだ」
「でも本当に早いですよね……。大阪杯からもう約半年が経って、いよいよだと思うと……はう」
「大丈夫ですわ、あの二人ならきっと日本の夢を叶えてくれます。……ところで、現地のマカロンに興味がありまして……その」
「私たちもついていければよかったのですが、旅費の捻出が難しく、オルともども日本で応援させていただきますね」
「無様な戦いをすれば容赦はせん。余の力を無碍にした暁には、分かっているな?」
「こぉら、プレッシャーをかけるんじゃない。大事な日本代表だぞ。あ、あたくし様はついていくから安心してくれよな」
「私も学園の代表として一緒に行きたいところではあるが、少々困った案件があってね。それが片付けば後を追うつもりだ」
「シーナ、しっかりね! トレーナーさんに迷惑かけちゃダメよ」
「お父さんたちも応援してるからなシーナ! レースの日には家族で行くから! トレーナーさん、どうかシーナをよろしく頼みます」
みんながそれぞれの想いを口にする。
ちょっとだけ聖徳太子にでもなった気分になりつつ、シャカールからUSBメモリをもらってお礼を言う。
「はい、シーナのことはご心配なさらず。トレーナーであるオレがきちんと守ります」
「と、トレーナーさん……♪」
そう言うとシーナのお母さんがなぜか、うんうんと満足げに頷いている。
お父さんは少し複雑そうに口をキュッと閉めて、涙目だ。
娘を送り出す親としては当然の反応だろう。
オレもしっかり応えないと。
でも、ようやくここまで来た。
これでやっとオレはあの日……失ったトレーナーとしての自分を、取り戻せる。
思い返せばジェンティルとの契約を切られてからすぐ、シーナから声をかけてもらえなかったらどうなっていただろう。
今となってはもう考えられない。
クラリス先輩からシーナの夢を託され、シーナと一緒の夢を見ている。
シーナの夢は、ジェンティルを倒し、世界の頂点に立つこと。
そしてオレは……一方的に契約を切ってきたジェンティルとその家族を見返すこと。
でも本音を言えば、今は少し違う。
本気でシーナを支えたい。
本気で彼女の夢を叶えてやりたい。
彼女と一緒に、世界の舞台で戦いたい。
シーナのトレーナーにもなれたと、今なら胸を張って言えるから。
「シーナ」
「なんですか?」
「オレは、シーナのトレーナーとして、君を必ず支えるよ」
「え!? わ、私としては嬉しいですけど、改めて言われると恥ずかしいです……♪」
微笑む彼女に向き直る。
「いや言わせてくれ。今は、君の夢がオレの夢なんだ。2人で一緒に叶えよう」
「――」
バッと顔を俯かせて、なぜか真っ赤になるシーナ。
なんだろう、もしかしたらお腹が痛いのだろうか?
後で温かい飲み物を買ってきてあげよう。ココアとか。
なにはともあれ、あとは彼女の願いを叶えるのみだ。
「では、フランスに行ったらお時間が許すのなら、お土産のお店や美味しい料理のお店を回りたいですね!」
「そうだね、ご家族のお土産を買う時間はちゃんと作ってるよ。美味しいお店もピックアップしてるから」
「わぁ、本当ですか? ふふ、嬉しい……♪ 夜のディナーなんかも、予約してくださっていたりするんでしょうか?」
夜のディナー?
そっか、せっかくの海外だもんな。学生のうちにそういう雰囲気も楽しみたいんだろう。
シーナ一人で予約できる店、探しておこう。
「良いところがあったらまた教えるよ」
「はい♪」
もちろん旅行ではないので、浮かれてはいられないが。
目標は凱旋門賞制覇。
プロジェクトL'arcで支援してもらっているものの、ここで気を抜かないように気を付けよう。
「さて、微笑ましいお二人さん。そろそろ飛行機の時間だぞ〜」
シーナと軽く雑談をしているとメイさんが声をかけてきた。
「座席はファーストクラスを取っているからな。ゆっくり休んでくれ」
「ええ!? そんな、シーナはともかく、オレはエコノミーでいいですよ?」
「私もファーストクラスに乗るから、そう言うわけにもいかないさ。ああ、資金面は安心しろ。シンボリ家やサトノ家が全面負担してくれている」
「そ、そうなんですか? それはありがたいですけど……」
「気にするな、君たちは日本の代表。そう……希望なんだ。全てのウマ娘の、未来へのな」
ん、日本の夢ならわかるけど、全てのウマ娘の希望……?
そこまで大きなもの背負ってたっけ……?
しかしメイさんはどこか憂いを帯びた目で、どこか遠くを見てから目深く帽子をかぶってしまう。
よくわからないが、オレの聞き間違いか何かということにしておこう。
どういうことかは聞ける雰囲気ではないし。
ただ、背負っているものが大きいのは確かだ。
ここに来てくれたみんなはもちろん、プロジェクトL'arcのスタッフ、支援してくれている人たち、そして日本の夢を託されている。
「後輩くん」
今度はクラリス先輩に声をかけられる
「クラリス先輩……」
「あなたにシーナを託してから、色んなことがあったけど、やっぱりあなたに託して良かったと思ってる。これが最後の戦いよ」
「はい……先輩やみんな、そしてシーナのおかげで、オレはここまでやってこれました。必ず勝ってきます」
「ええ、その意気よ。頑張ってきなさい」
クラリス先輩が笑みに、オレも返す。
先輩には随分支えてもらった。
指導してもらっていた時から厳しかったが、オレが再起できたのはシーナと先輩のおかげだ。
いつか、恩返しができるといいな。
「後輩くんのことお願いねシーナ。あなたなら大丈夫よ、応援してる」
「はい、クラリストレーナー。3年間支えてくださり、……そしてあの時、私をトレーナーさんのところに移籍させてくださり、ありがとうございました」
「何言ってるの、あなたの夢を一緒に追いかけられなかった私が悪いのに。それに私じゃ、きっとあなたをオルフェーヴルに勝たせるなんてできやしなかった……。あなたたち2人だからこそ、できたことよ」
オレたちは顔を見合わせる
泣いても笑っても、次が最後のレースだ。
世界の頂点に立つ。
立ってみせる。
「あ、ちなみに私は現地観戦するからよろしくね」
「え、後で来てくれるんですか!?」
「ええ、イギリスの父方の実家にも帰ったりするからフランスでは2泊だけしかできないけど、レース本番の日は必ず行くわ。制覇の瞬間、見届けさせて貰うわよ!」
それは心強い。
そして、オレたちは大勢の人に見送られ。
その想いを背負って。
フランスへと旅立つ飛行機に、搭乗するのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――飛行機内。
ファーストクラス。
「うっわぁ、すごいな」
「はい、まるで個室みたいですね」
足を踏み入れた瞬間、空気が違うのがわかった。
照明は柔らかく、琥珀色の光が静かに通路を照らしている。
革張りのシートは深く沈みこみ、隣席との間には仕切りがあり、シーナの言うとおりまるで個室のよう。
エンジンの音も遠くて、機内とは思えないほど静かだった。
静まり返ったこの区画では、スリッパの音さえ控えめ。
客室乗務員のCAさんたちが軽くお辞儀をしてグラスを置くと、再び静寂が戻っていく。
「そう言えば、クラリストレーナーって、イギリスにもご実家があるんですね」
「うん、確かお父さんがイギリスの人で、お母さんが日本人だったはずだよ。ご両親とも日本で暮らしてるらしいけど、きっと父方の祖父母に会いに行くのかな」
「確かハーフですもんね。お名前も2つあるって聞きました。もう一つは綾香、でしたっけ」
「そうそう、先輩の本名はクラリス・綾香 ウェ……」
「おーい、二人ともリクライニングは楽しんでるか? まるで無重力空間とやらを味わえるらしいぞ!」
「本当ですか! シーナ、やってみよ!」
「はい!」
修学旅行生か、と誰かに怒られそうだが、初めてのファーストクラス。
堪能したい気持ちが溢れてくるのは仕方ない。
もちろん他のお客さんに迷惑にならないよう騒がず、シーナやメイさんと一緒に空の旅を楽しんだのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
フランスへ着いてからの日々は、目まぐるしく過ぎて行った。
現地での生活は順調で、事前の準備やプロジェクトL'arcの資金が莫大にあったため色々と日本の食べ物や衣服にも困らなかった。
8月下旬にはヴェニュスパークたちとの直接的な挨拶も済ませ、現地でのトレーニングは着々と進んでいった。
困ったことと言えば一つ。
シーナのためにとあるお店でディナーを予約したのだが、彼女一人分だけ予約しようとしたのを怒られたことだろう。
その時の彼女の視線――無言でジーっと見つめてきたのを思い出すと、未だに申し訳なく思う。
オレのこともちゃんと考えてくれていたのだ。優しい子だ。
そして、2か月後の9月上旬――。
「おーい、トレーナー、ヴィルシーナ、こっちだこっち」
手を振るメイさんの元に行く。
「すみません、迷ってしまって」
「気にするな、そもそも今日は下見も兼ねてるからな。この際、覚えてしまえ」
ここはロンシャンレース場。
グランスタンド中層のラウンジ席にて、今日はレースを観戦する予定だった。
何を隠そう、G2レース、フォワ賞。
凱旋門賞の前哨戦にあたるこのレースにて一人、オレにとってもシーナにとっても因縁のあるウマ娘が出走するのだ。
「やはり気が重いか?」
「いえ、大丈夫です。オレは、ちゃんと見ないといけませんから」
そう。
ヴィルシーナをティアラ路線で何度も倒し、一度も勝たせなかったウマ娘。
そして、オレがかつて初めて担当した赤き貴婦人。
ジェンティルドンナ。
「フランスに来てから、向こうから挨拶してくるかと思ったが、なかったな」
「ええ、きっと歯牙にもかけてないのでしょう。むしろ油断しておいてもらったほうが嬉しいです。な、シーナ」
「はい……、きっとジェンティルさんは私たちが来るのを楽しみにはしていても、わざわざ会いに来て煽りに来るような人ではないですからね」
そのとおりだ。
ジェンティルはそんなことはしない。
もちろん偶然バッタリ会えば、幾分かの言葉は交わしただろう。
だが強者として、ただただレース本番を楽しみにするタイプだ。
ジェンティルの……したり顔が目に浮かぶ。
まぁ、彼女がこのフランスのどこにいるかなんて調べようがなかったし、こちらか会う手段はなかったも同然。
報道されているわけでもなく、連絡を取れる……わけでもなかったのだ。
ドキドキと胸が鼓動を打つ。
コースに続々とウマ娘が入ってきて、……いた。
彼女だ。
いつもと変わらない赤い勝負服を身にまとい、ジェンティルドンナが歩いている。
ひさしぶりだ……。
呼吸が少し苦しくなってきた気がする。
だがそんなこと言ってられない。
今のオレは、ヴィルシーナの担当で……オレを一方的に見限ったジェンティル陣営を見返すために、ここまで来たのだから。
「トレーナーさん。大丈夫ですか? すごい汗ですよ」
「え? あぁ、なんでだろう。はは」
「やはり、お辛いのではないですか?」
「全くそんなことはない、と言えば嘘になるけど、むしろ見ないといけない気がするんだ。ここで逃げるわけにはいかないよ」
そう言うと、心配してくれたシーナが、そっとオレの手を握ってくる。
5本の指を交互に絡み合い、指先が揃った後に掌が重なった。
「シーナ?」
「昔、シュヴァルやヴィブロスが緊張していた時、二人にも同じことをしてきたんです。こうすれば、安心するでしょう?」
「……ありがとう」
「いつでも離していいですからね」
「今は、このままでもいいかな?」
成人男性に手を繋がれて、迷惑だろうに。
しかしシーナは、またも笑顔を向けて。
「はい、もちろんです♪ あなたの隣にいるのは、もう私ですから……♪」
暖かい優しさで、オレを包んでくれた。
そうだ、オレはシーナと一緒に、ジェンティルに挑む。
そして倒すんだ。
どんな風にトレーニングしてきたのか、そして世界一のトレーナーの手腕を、見せてもらおう。
ジェンティルが出走する。
ファンファーレが響く。
ゲートイン。
G2、フォワ賞の――ゲートが、開いた。
ワァアアアアアアアアアアアア!
巨大な歓声が轟き、誰もがそのレースに注目した。
ジェンティルは後方から数えて早い位置についた。
足を溜める差し策だろうか。
ロンシャンレース場の長さや特異なバ場から考えれば、日本のウマ娘としては妥当な選択だろう。
……だが、そんな観客の地響きも。オレの不安と期待が混じった観察も。
一瞬にして吹き飛ぶような光景が目の前に広がったのは、それからすぐのことだった。
「な、なんだ? どうしたんだ?」
メイさんが言う。
観客席からどよめきが走る。
フランス語や英語が入り混じるが、どんな感情が飛び交っているのかはオレでも分かった。
「ジェンティル……?」
思えば、レースの始まりから違和感を感じていた。
差し策どころか中盤始まりあたりまで、追い込みかと言わんばかりにぐんぐん後ろに下がっていった。
そうして第一コーナーを曲がったところで――。
ガクン、と彼女は失速した。
今にも転倒しそうなところでなんとか踏みとどまったが、そこで足を止めてしまったのである。
「Que s’est-il passé avec elle!?」
「Est-elle blessée !?」
「Dépêchez-vous d’aller voir ce qui se passe !!」
観客のどよめきと叫びが聞こえる。
そのまま彼女は空を仰ぎ、異常を感知してやってきた係員と話して、担架で運ばれていったのが見えた。
『Attention, Gentildonna a été retirée de la course en raison d’un problème de jambe.』
『Attention, Gentildonna a été retirée de la course en raison d’un problème de jambe.』
フランス語の放送が流れている。
ジェンティルについて何かを言っているのは分かるが、内容までは分からない。
「どうやらジェンティルは、脚の不調によりレースを中止したらしい」
「なっ!?」
メイさんの翻訳を聞いて、頭の中が真っ白になった。
血の気が引く。
シーナと繋いでいた手からも暖かい感覚が消えていった。
何が、起こったんだ……?
ジェンティル、大丈夫か?
……!
……!
……!
……!
「ジェンティル!」
次の瞬間、オレは思わず――走り出していた。
「トレーナーさん!?」
「トレーナー!?」
二人の声を無視して、一目散に駆け出す。
頭が真っ白だった。
自分でも何をやっているか分からない。
どこに行けばいいかわからないのに、ただただ足だけが動いていた。
地下バ道はどこだ。
下見を兼ねて来たから、初めてのレース場だからわからない。
右と左、どっちにいけばいい?
案内板の文字も日本語で書いてない。分からない。
人に聞こうにも、フランス語は話せない。
控室? いやジェンティルのことだから、最上階のVIPルーム?だろうか
どこでもいい。
ジェンティルは、どこだ? どこにいる!?
「ジェンティル……! ジェンティル!!」
そうして探し回って10分が過ぎたころ。
ようやく地下バ道へ行く通路を見つけた。
「ジェンティルーーーー!」
そう叫んで走ったオレは、きっと不審者だと思われたのだろう。
屈強な男たちが三人、腕を掴んできた。
フランス語で何かを怒鳴っているが、分からない、聞き取れない。
そんなことはお構いなしに、オレは前に進もうとした。
自分でもなぜかわからない。
ただただ今は、ジェンティルに会いたかったから……!
「どいてください! どいて、……どいてくれえええ!!」