蒼と紅の炎   作:荒波を征く湯気

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今回で【幕間】とつくタイトルは最後です。



幕間6 交錯する運命

「どういうことだ! 万全な状態じゃなかったのか!?」

 

 

 静まり返った室内に、怒声がこだました。

 白い壁。鏡のように磨かれた机。

 VIPルームの一室で、ローランはノートパソコンを睨みつけていた。

 

 

「すまない、分からない。こんなことは初めてだ。何が起きているのか、理解ができない」

 

 

 背景をスイス・アルプスの山々が連なる絶景にした会議用アプリの、通話相手の男性――アダム・ウェンブリーは頭を抱える。

 

 

「……それで済むと思っているのか?」

 

 

 低く絞った声で唸るローラン。

 次の瞬間、その声は大きく跳ね上がる。

 

 

「ふざけるなッ!!! あいつの力と、お前の力があれば楽に勝てたレースだろうが!」

「だ、だが負けたわけじゃない。競争中止だ。故意ではないと裁定委員会からも認められている。公式記録の着順には残らない」

「……クソっ! あいつ、わざと止まったんじゃないだろうな!」

「さすがにそれはあり得ないさ……。僕も見ていたが、原因は彼女の【パワー】にある。パドックの段階から、著しく"低くなって"いた。あんな状態になれば体の異常を感じても仕方がない。猛スピードのまま転倒しなかっただけマシだ」

「仕方ないだと? お前は事の重大さを分かっているのか! 凱旋門賞の前座程度でこんな失態……オレを支持する信者どもにどう言い訳するつもりだ! さっさとこうなった原因を突き止めろ!」

「すまない……そのことについては、まだ調査中だ。彼女の身体検査も行っているが、特に異常は見当たらないんだ」

 

 

 パソコンのスピーカーからは、アダムの声が小さく漏れていた。

 同じ回答しかできない彼に、ローランは苛立ちを見せる。

 

 

「だったらなんだ? このままいけば、今年の計画はご破算なんだぞ!! 日本のウマ娘の中で勝てる確率が一番高いやつを手に入れたというのに、これでは意味がないだろうが! 今から他のウマ娘を連れてくるわけにもいかない。あいつがやる気を出さないなら、無理にでもやる気を出させてやればいいか!?」

「ローラン、落ち着いてくれ。彼女の性格上、手を抜くことはあり得ない。もっと別の原因があるはずだ。それに、そんなことをすれば余計に彼女のコンディションに関わる。ここはどうか、僕に任せてくれ」

「このプランが達成できないなら、第二プランに移行する。お前の大切な妹もどうなるか、分かっているな!?」

 

 

 ローランの握りしめた拳が机に落ちる。

 鈍い音が響き、パソコンがわずかに揺れた。

 画面の中の相手が怯えたように、一瞬目を逸らす。

 

 

「わかっている……」

「ならさっさとしろ!」

「すぐに彼女の検診の結果を再精査してみる。ともかく、こんなことは初めてなんだ。少し時間が欲しい」

 

 

 ローランの目には、冷たい光が宿っていた。

 怒りの底には、焦燥があった。

 彼の目的を達成するには、ジェンティルの勝利――日本のウマ娘を初めて凱旋門賞で制覇したという実績が必要なのだ。

 それなのに、前哨戦でこのような結果になるとは、ローランは思いもしていなかった。

 

 

「もし凱旋門賞で大敗でもしてみろ、せっかく集めた信者どもの目が覚めてしまうだろうが! この10年間、お前の力で今までは大敗はおろか、確実に掲示板内には入っていた。だが今回は初めての途中棄権だぞ! 俺の名にキズが付く!」

「……まだ挽回できる。凱旋門賞で勝利すればいい。まだ時間はある」

「くそっ、今まで上手くやれていた。考えられる違いはなんだ……? やはり日本のウマ娘だから環境が合わないのか?」

「それもあるかもしれない……だが彼女の育成は完璧だった。それなのに何かがおかしくなっている。とにかくだ、もうすぐ君に彼女が報告しにくるだろう。僕は"カメラを通して"彼女をもう一度観察する。君は彼女との会話をなるべく続けてほしい」

 

 

 だがローランはアダムの忠告を聞き流し、不安と苛立ちを口にする。

 

 

「こんな状態で凱旋門賞に出てみろ……、無様に負けたら信者共に示しがつかん。ましてやあのトレーナーに負けでもしたら、俺の名は地の底に落ちる。最悪、バ場に合わなかったとして棄権する手も……いや、それじゃダメだ! ジェンティルドンナの家系の力を手に入れるためにも、政財界の奴らから金を搾り取るためにも、やつには勝ってもらわねばならん。そのために奴らを引き込んだんだ」

「分かっている、そのためにも、君は冷静にならねばならない。大人びているとはいえ、相手はまだ未成年の女の子だ。分かってあげてくれ」

「ちっ……!」

 

 

 通話が切れた音が流れ、不気味な静けさが残る。

 ローランの荒い呼吸だけが、会議室の中で聞こえたのだった。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 それからしばらくして、扉が静かに開いた。

 

 ギィ……という軋む音が、まるでこの空間に亀裂を入れるかのように響く。

 その向こうから現れたのは、ジェンティルドンナ。

 

 彼女はいつものように背筋を伸ばし、すました顔で、涼しげな目元を装っていた。

 だが、その瞳の奥に宿る翳りを、ローランは見逃さない。

 

 

「やぁ、ジェンティル。なにか言うことは、ないのかな?」

 

 

 短く言ったその言葉に、怒気はなかった。

 だが、その奥にある圧は変わらない。

 ジェンティルは無言のまま、会議室の中へと足を踏み入れる。まるで、戦場に一歩ずつ進む兵士のように。

 

 机の前に立ち、彼女は丁寧に一礼した。

 

 

「お待たせして、申し訳ありませんわ。準備に少し時間がかかったもので」

 

 

 その声は落ち着いていた。

 しかし、ローランはその態度に苛立ちを隠せなかった。

 

 

「よくも俺の顔に泥を塗ってくれたな!!?」

 

 

 そしてすぐに怒鳴り声が飛んだ。

 対するジェンティルドンナは顔色一つ変えず、ひょうひょうとした態度のまま佇む。

 

 

 「なんだその目は!? 俺たちにあれだけの反骨精神を向けておいて、途中で棄権するとはどういうことだと聞いているんだ」

 「それについては、"サブトレーナーの方"にすでに説明した通りですわ。バ場が合わず、脚のパワーコントロールができなくなった。ただでさえ、繊細な力の加減が難しいんですもの。言うまでもなく故意ではありません」

「バ場が合わなかった? すでに8ヶ月もフランスにいて、そんな言い訳が通用するものか!」

 

 

 ローランは机に拳を叩きつける。

 

 

「俺に対するあてつけか? 幼稚なものだな!」

「いいえ」

「本当にわざと途中棄権したんじゃないだろうな?」

「誓って、そのようなことはありませんわ」

「お前は、俺が導く力の象徴となるんだ! もし次のレース、凱旋門賞で負けたり同じように棄権したりすれば承知しない! わかったか!?」

 

 

 ジェンティルは反論する気も失せた。

 そんなジェンティルの気持ちを知ってか知らずか、彼はわざとらしく吐き捨てるように言う。

 

 

「そうだ、あのトレーナーが、ここに来ているそうだぞ」

「っ!?」

「ああ、……あいつをどうにかすれば、力を発揮できるようになるか? あ?」

「それでは約束が違いますわ!」

 

 

 ジェンティルのまなざしが異様なまでに鋭くなった。

 

 

「わたくしは彼らを——完膚なきまでに叩き潰すつもりです。挑戦を受け取ったからには、本気でね」

「ならそれを証明してみろ!」

「言われなくともレースで――」

「この場でだ! やつの前に姿を現し、ヤツの前でオレに忠誠を誓え。それができれば信じてやる」

「……っ!」

「どうした? できるだろう? それとも、できないか!? できないなら、あいつがどうなっても知らんぞ!! 奴がどこに滞在しているのかも簡単に割り出せるんだからな!?」

 

 

 ジェンティルは歯が欠けるのではないかと思うほどに奥歯を噛みしめ、怒りで頭が沸騰しそうだった。

 だがここで反抗しては、彼の身に危険が及ぶかもしれない。

 そう考えれば、やはり下手な手出しはできない。

 

 

「ふぅうう……ふっ! ……ふぅうううっ!」

 

 

 息を荒くするジェンティルに、ローランはさらに告げる。

 

 

「やれ。これは命令だ。それからお前には勝とうが負けようが、凱旋門賞が終わって半年後——学園を卒業してもらう」

 

 

 唐突な言葉に、ジェンティルの目がわずかに揺れる。

 

 

「……なんの、ために?」

「婚約だ。お前は将来、俺と婚約してもらう」

 

 

 告げられた内容に、ジェンティルは愕然とした。

 いや、世界が暗黒に包まれるような、とんでもない鳥肌が立った。

 

 沈黙でしか答えられない。

 何も言わず、ただ相手を見据えるしかできない。

 

 

「もちろん、凱旋門賞で勝利すれば、婚約後もまっとうな待遇を与えてやる。もともとお前の父とは、お前の婚約も契約のうちに入れていたからな。だが……もし敗北すれば、お前には奴隷のような生活が待っていると思え」

 

 

 ローランはにやりと、冷たく笑った。

 

 

「その覚悟で挑めよ? お前の大事なモノを守るためにな?」

 

 

 胃の中がひっくり返りそうなほどの嫌悪が込み上げる。

 しかしどうすることもできない。

 呆然と立ち尽くし、ローランの言うことに従わねば、彼が危ない目に合ってしまう……!

 

 

「お前の父が用意していたのかは知らんが、お前のところのエージェントが奴を捕まえているらしい。VIPルームに通すよう連絡しておく。ジェンティルが会いに行かせるとな。今回の失態はそれで不問にしてやる。最後の挨拶でもしておくんだな。これは温情だ」

(何が、温情……っ!!)

 

 

 溢れ出る怒りが抑えられない。

 

 

「……っ、くっ、うっ、っぅう」

 

 

 だがその度に彼の顔を思い出し、彼との記憶を、思い出を手繰り寄せていく。

 

 

「わかり、ましたわ……」

 

 

 それだけ呟いて、ジェンティルは部屋を出た。

 

 どうしようもなかった。

 父がそこまで見据えて約束しているなどと誰が予想できただろうか。

 それほどまでにローランの持っている力が魅力的なのだろうか。

 そうまでして力を手に入れたいのだろうか。

 

 

(いや、そちらはどうしようもない、けど……こちらも深刻)

 

 

 ジェンティルは自分の手を見つめる。

 

 

(おかしい……ますます力のコントロールができなくなっていますわ。こんなこと、あの人と過ごしていた時は起きなかったのに……どうして)

 

 

 考えられる理由はなんだろうか。

 

 

(このタイミングでピークアウト? いいえ、パワー自体は余りある。体も健康体。スピードも落ちていない。食事量も減っていない。だけど、パワーのコントロールだけができない……)

 

 

 

 そこで思い起こされるのはやはり、あの教会での出来事。

 突然現れたシスターの、謎の言葉だった。

 

 "今、あなたの運命は本来あるべき道から、大きく外れているように見えます。まるで、元あった場所の歯車が抜け落ちたかのように"

 

 

(元あった場所の……歯車)

 

 

 味方は、もう誰一人としていない。

 もし彼がいればきっと……。

 

 

(いいえ、彼はもう、わたくしのトレーナーでは、ない……)

 

 

 ジェンティルは言われた通り、彼が待つVIPルームへと足を運ぶ。

 そこでローランに対する忠誠を誓うのだ。

 

 そう、彼の前で。

 

 何より、彼を守るために――。

 

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