蒼と紅の炎   作:荒波を征く湯気

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第13話 最後の思い出作りといきましょう

 ……しばらくして通されたのは、ロンシャンレース場の最上階にある大きな部屋、VIPルームだった。

 なぜここに連れてこられたのか分からない。

 ジェンティルの名を叫んで暴れたからだろうか。

 それなら警察が呼ばれてもおかしくないが……、なぜVIPルーム?

 

 会議室のような広い場所だ。

 大きな窓からレース場を展望できる。

 

 その時、扉が開いた。

 

 長方形型の円卓机を挟んで、その向こう側。

 

 

「あ……」

 

 

 窓から差し込む光によって、彼女の表情がハッキリと見えた。

 ジェンティルドンナ。

 彼女が、目の前にいる。

 

 

「……っ」

 

 

 咄嗟に言葉は出てこなかった。

 10か月ぶりに会えたというのに、彼女の方からは特にこれといった態度や感情は見せてくれていない。

 むしろ、清々しいほどまでに10か月前と同じで、オレだけ記憶が別の世界に行っていたのかと錯覚するほどだった。

 

 それほどまでに彼女は、何も変わっていなかった。 

 元トレーナーとしては色んな気持ちが溢れて、何を話すべきか迷ってしまう。

 一言目に発するべき言葉は何にすべきか。

 

 

 こんにちは?

 久しぶり?

 元気だった?

 変わってないね。

 

 ……。

 違う、どれもこれも違う。

 

 口が渇く。足がふらつく。

 めまいがしそうだった。

 

 

 ようやく絞りだせた声は、いつも彼女を呼んでいた名前。

 

 

「ジェンティル……」

 

 

 そう呟くのがやっとで。

 その名前を呼ぶだけでも苦しかった。

 

 でも、それでも。

 会いたかった……。

 

 

 ようやく枯れた井戸に、湧き水のような心の声が出てきて、オレは彼女の目を見ることができた。

 

 

「お久しぶりね、トレーナー? いいえ、元トレーナー?」

 

 

 彼女の凛とした声は以前と変わらず、体の奥まで響く。

 

 芯が通り、厚みがあり、それでいて美しく響き渡る様な声。

 やっと聞けたのだ。

 彼女の声を。

 

 

「あ、ああ、久しぶり……だな」

 

 

 だが、その中にオレにとっては凶器のような鋭さを持つ言葉があった。

 

 元トレーナー。

 

 その響きが、オレの胸をメッタ刺してくる。 

 本当に……心の底から、君に会いたかったのに。

 彼女にとって、オレはそういった存在なんだ。

 

 あの日から、オレの生活は一変した。

 ジェンティルのことを四六時中考えていた。

 

 廃人になろうかというところで、……あの子に救われたのだが。

 

 

「……なんで」

 

 

 なぜか上手く声が出ない。

 目の周りが痛い。熱い。

 涙腺が痺れている。

 

 口は開いたままで、オレは彼女の姿、声、懐かしいこの圧の肌感覚に、全身が耐えられないほどの喜びを感じていた。

 しかしそれと同時に、凄まじいほどの悲しみが襲ってくる。

 一緒に戦った。

 彼女のために、頑張った。

 彼女は厳しかったが、そんなジェンティルに負けないように、オレも強くなって。

 

 そして。

 なぜオレを……見限ったんだ。

 

 

「わたくしの名を呼んでいる日本人がいると聞いて、馳せ参じましたの。まさかあなただったとはね? 日本からはるばるようこそ。お疲れでしょう、お座りなさいな」

「……いや、いい。ジェンティルは……座ってくれ」

 

 

 彼女の瞳がこちらを見ている。

 薄く曇った陽光が、レース場を照らしている。

 彼女の姿は、遠い世界に佇む一輪の花のようで――しかし、その花は向こう岸に咲いているように、手を伸ばしても届かない場所にあるとさえ感じた。

 

 

「わたくしもこのままで結構ですわ。それで? わたくしのことを探していた理由は? 何の用かしら?」

 

 

 何の用?

 なんで、そんな風に言うんだ。

 せっかく会えたのに。

 

 いつも通りの、変わらない圧を感じる問い。

 そこにオレへの感情はなかった。

 

 

「ジェンティル……足は、大丈夫なのか?」

「足? ああ、大丈夫ですわ。残念ながらレースは棄権しましたけど、特に異常は見当たりませんの。お気になさらず」

「……そうか、良かった」

「用は済みました? ではこれで失礼させてもらいたいのだけど」

「ま、まってくれ!」

「まだ何か?」

 

 

 喉が詰まる。

 思わず一歩、彼女との距離を詰めようと踏み出した。

 

 瞬間、彼女の顔に影が落ち、その唇がきつく結ばれる。

 彼女の目が、凍てつくような光を帯びた。

 

 

「まだ何かあるのかと、何度も言わせないでくださるかしら? 今のあなたは、わたくしのトレーナーではなく、ただの客人ですのよ?」

 

 

 優しげな声ではなかった。

 圧を持ち、周囲の空気をパンと軽く破裂させるような芯の通り方だ。

 

 そんな彼女にオレも、ついに感情を噴き上がらせて、想いをぶつけてしまう。

 

 

「……なんで、なんだよ」

「なんで、とは?」

「オレは君の……トレーナーだった」

「そうね、でも、今は違う」

 

 

 痛烈に突き刺さる。

 そう、今は違う。

 でもそういうことじゃない。

 

 

「なんで、オレとの契約を……」

 

 

 ここまで言うのがやっとだった。

 彼女の目を見ることができない。

 こちらを見るジェンティルの瞳は冷たく、凍てつき、まるでオレを遠ざけたいのだろうと感じた。

 

 

「そんなことですの。わたくしは、もっとも有用なカードを選んだまで。選ぶのは早い方がいいもの。当然でしょう?」

 

 

 不遜に腕を伸ばし、開いた手をぎゅっと握る。

 何かを手に入れるような動作が、オレの心臓をぎゅっと握りつぶす。

 

 

「あら、もしかして"情に流されること"を期待していたのかしら?」

「違う! オレは、君のトレーナーとして!」

「あなたはもうわたくしのトレーナーではないわ。勘違いなさらないでくれる?」

「っ、……」

 

 

 拳に力が入る。

 肩がグッと上がる。

 体が震え、足の感覚がおぼつかなくなる。

 噛んだ唇の痛みさえ感じなかった。

 

 顔を上げる。

 冷静にこちらを見つめ、真顔のジェンティルが見えた。

 彼女は、何を考えているんだろうか。

 

 そしてオレは今、どんな顔をしているんだろうか――

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 目の前に、ずっと会いたかった人がいる。

 ヴィルシーナさんのトレーナーになり、わたくしを倒すと明言したトレーナーが。

 あれからずっと、心の中にぽっかりと穴が空いたような気がしていた。

 

 でも彼は会いに来てくれた。

 でもこんな会い方はしたくなかった。

 嬉しいはずなのに……こんなにも胸が苦しい。

 

 彼を追い返し、ローランへの忠誠を見せねば、彼の身が危なくなる。

 なぜ今、わたくしの下にやって来たの……?

 

 

「あなたはもうわたくしのトレーナーではないわ。勘違いなさらないでくれる?」

「っ、ジェンティル……」

 

 

 彼は俯いた。

 拳に力を入れ、肩をグッと上げ、唇を噛んでいる。

 体は震えて、立っているのもやっとのようにも見えた。

 それだけ、わたくしの言葉にショックを受けているように見える。

 

 わたくしの目が瞬いた瞬間。

 彼はゆっくり顔を上げて。

 こちらを見た。

 

 

 "そしてあなたは、とても悲しい顔をしていた"……。

 

 

「じゃあなんで……なんで何も言ってくれないまま、行ってしまったんだ」

 

 

 悲痛な想いが、言葉として紡がれる。

 恨んでくれた方が良かった。

 睨んでくれた方が、良かった。

 そのために、きつい物言いをしているのに。

 

 

「簡単なことよ。新しいトレーナーと1日でも早くトレーニングを行うために決まってるじゃない」

「それなら、せめて一言くらいあっても良かったじゃないか」 

「言われてみればそうね。でも――」

 

 

 彼の想いは受け止めるつもりだった。

 彼を捨てたように見えているであろうわたくしは、何を言われても仕方がない。

 むしろ会えて良かったと言われるより、怒りをぶつけてくれたほうが良かった。

 でも、彼はおそらく遠慮をしている。

 

 

「もう用のないあなたに、そこまでの筋は通さなくても、契約解除の書類を送るだけで済むことでしょう?」

 

 

 だからこう言えば、怒ってくれると思った。

 

 

「いいや、君がそんな事するはずがない」

「っ……」

 

 

 返ってきた言葉は、まるで予想していなかった。

 なぜ、そんなことが言えるのだろうか。

 なぜ、そんな目で見つめられるのか。

 確かに、わたくしがしたことではない。

 全て父やローランのしたことなのには間違いない。

 だけど――

 

 

 だけど、その"本当"は、"嘘"にしなきゃね?

 

 

 短く息を吸って、ため息を吐く。

 ぐっと何かを堪えているような顔をしている彼に、嘘の言葉を突きつける。

 

 

「まさか、誰かが勝手にやったことと思ってらっしゃるの? ふふ、でも残念。わたくし、必要のないカードは早々に切ってしまうの。それがたまたまあなただっただけ」

 

 

 戻るつもりだったなんて言わない。

 彼を捨て、新しいカードを手に入れた"非道"を演じる。

 そうすることで、ローランに忠誠を誓っているように見える。

 そうすることで、彼を……守ることができる。

 

 

「ま、わたくしの心配をしてくださったことについては、お礼を申し上げますわ。それで? あなたにこれ以上何の関係があるのかしら?」

 

 

 こう言えばあなたはまた、悲しい顔をする。

 でも、あなたは何も知らなくて良い。

 知る必要もない。

 

 

「オレは……、ジェンティルの元トレーナーだから」

「そうね。でもそれが何? すでにわたくしとあなたはもう何の関係もない赤の他人。それとも久しぶりに会えたからと、感動の再会でも演出して抱きつけばよかったかしら?」

「君はそんなことしない!」

「分かっているじゃない。ならわたくしが何を言いたいかも分かるでしょう?」

 

 

 腕を組み、彼に問う。

 不遜な態度を取り続け、彼の中にある不信感や怒りを増幅させるために。

 

 

「あなたには、あなたのすべきことがあるでしょう? ヴィルシーナさんのトレーナーとして、凱旋門賞を勝ち取りたいのでしょう?」

「それは……」

 

 

 絞り出した声は、途中で途切れる。

 それを待たず、こちらの言葉を鋭く割り込ませる。

 

 

「わたくしに集中せずとも勝てるとでも言いたいのかしら? 舐められたものね?」

 

 

 わたくしは、あなたと一緒には居られない。

 戻りたいと思っていたけど、もう元には戻れない……。

 

 

「わたくしはもうすでに、あなたの担当ではないの。あなたのような人ではなく、優秀なトレーナーを選んだのよ」

 

 

 そう、あれはわたくしの意思としてあなたの中で消化する。

 わたくしに対する想いを、全て上書きするの。

 

 

「あなたはもう、傍にいなくていいと判断したの。ここまで言わないと分からないかしら?」

 

 

 だって、このジェンティルドンナの側にいれば、あなたはきっと……危ない目にあう。

 

 

「あなたでは、世界に挑むことはできない」

 

 

 あなたには、そんな目にはあってほしくないから。

 それを分かってくれとは、言わない。

 むしろ絶対に知らないでほしい。

 

 

「ジェンティル、オレは……っ!」

 

 

 彼は振り絞る様な声を出して、悲壮な顔を向けてくる。

 ……心が、引き裂かれそう。

 

 

「あらあら、歯を食いしばって悔しそうに。何か言いたいことでもあるの?」

 

 

 どうか、身勝手なことを言っているこのジェンティルドンナに愛想をつかせてほしい。

 そのために、取り繕わなければならない。

 強者として、裏切り者として、勝ち誇る様な、あるいは――蔑むような笑顔を向けて。

 

 

「あの時、どんな想いを……っ」

 

 

 今まで彼が抱いてきた悲しみを、憎しみに変えるために。

 

 

「突然いなくなった君には、分からないだろうが……っ」

「ええ、分かりませんわね?」

「……っ!」

 

 

 わたくしを恨み、挑んでくるように。

 

 

「でも、オレは君からまだ、何も聞いていない」

「ならこの際だけど、はっきり申し上げますわ。あなたはもう要りませんの。必要がないから早々に契約を解除をさせていただきましたわ」

「相手のトレーナーは、どんな人なんだ」

「あら、そんなことまで気になるの? ふふ、まるで敵情視察……いいえ、この場合は失恋したストーカーのようね? 警察でも呼ぼうかしら?」

 

 

 わたくしを倒すために、己を奮い立たせるために。

 

 

「まぁそれくらいは教えてあげてもよくてよ。新しいトレーナーは、あなたとは比べ物にならないほど、とても優秀な方♪」

 

 

 いいえ、真っ赤な嘘。

 あなたとは真逆の、そして比べ物にならないくらい、酷いヒト……。

 

 

「そのトレーナーで、君は納得してるのか?」

「愚問ね。誰がどう考えても、わたくしのおかげで実績を積めた新人トレーナーと、凱旋賞を四度も制覇した世界的トレーナーなら、後者を選ぶでしょう?」

 

 

 いいえ。

 わたくしは最初から、あなたしか選んでいない。

 

 

「わたくしは、常にそうしてきた」

 

 

 あなたが必要だったから。

 

 

「最強のカードを選んできた」

 

 

 あなたしかいなかったから。

 

 

「今回もそう」

 

 

 いいえ、あなた以外には考えられなかった。

 

 

「わたくしはそういう生き方をしているの。常に最強であるためには情に流されるわけにはいかない。常に冷徹に、適切な判断をくださなければね?」

 

 

 だけど、あなたは知らない。

 知らなくていい。

 

 

「さて、他に何か聞きたいことはあるかしら? わたくしと今のトレーナーの、素敵な将来のお話も聞かせてあげてもよろしくてよ?」

 

 

 ずっと知らないまま、わたくしを恨み、憎み、生き続けるの。

 

 

「分かった……」

「やっと理解できたようね?」

「ああ、やっとわかった」

 

 

 やっとわかってくれた。

 だから。

 

 ……そうね。

 その目で。

 

 

「オレは――シーナと一緒に、君を倒す!」

 

 

 怒りの炎を宿したその目で。

 わたくしを、敵と見なしなさい。

 

 

「クス……。であれば、あなたにも聞きなじみのある言葉で、返してあげましょう?」

 

 

 もちろん、ヴィルシーナさんに勝ちを譲る気はないけれど、このレースだけは絶対に負けられない。

 

 

「蹂躙して差し上げますわ!」

 

 

 あなたを――守るために。

 

 

「お覚悟は、よろしくて?」

 

 

 わたくしも――覚悟は決めた。

 

 

「このレースで、あなたとわたくしの、最後の思い出作りといきましょう」

 

 

 このレースがあなたとわたくしの、完全に袂を分かつ――最後の思い出になるでしょう。

 

 

「アハハハハ! せいぜいがんばって、わたくしを楽しませてみせなさい? それでは……ごきげんよう」

 

 

 これで本当に、さようなら。

 

 

「用済みの、元トレーナー?」

 

 

 わたくしの、たった一人の――。

 

 

 トレーナー。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 その日の夜。

 いつの間にかホテルに帰っていたオレは、上着をベッドに放り、椅子に沈み込んだ。

 カーテンを閉めた薄暗い部屋。

 

 

 会うべきじゃなかった。

 なんでオレは、ジェンティルのところに走っていったのか。

 自分の奇行がわからない。

 

 思わず、自分を笑うような笑みがこぼれた。

 

 ジェンティルの言う通り、オレはもう彼女のトレーナーではない。

 もはや“邪魔な存在”でしかないのだ。

 

 

 オレは彼女に何を望んでいたのだろう。

 よく来てくれたわね、とか、会いたかったわ、とか言ってほしかったのだろうか。

 そんなこと、ジェンティルが言うわけないのに。

 

 なんて女々しい奴なんだ、オレは。

 契約を切った奴がいきなり来たって、困るはずだ。

 そんなオレに同情でもしてくれたのか、会ってくれただけでもマシだっただろう。

 

 ジェンティルの冷たい言葉の全てが、頭にこびりついて離れない。

 

 

 ――コンコン。

 ふと、ドアのノックが静かに響いた。

 

 

「……トレーナーさん?」

 

 

 小さな声に、思わず体が硬直する。

 シーナ――。

 

 彼女にも悪いことをした。

 シーナの下に戻らず、オレは一人でホテルに帰ってきたのだ。

 なんて返事をしたら良いか分からなかった。

 心の整理もついていないのに、なんて言い訳をすればよいのか、何も思いつかない。

 

 

「すまない、今開ける」

 

 

 声をかろうじて絞り出し、立ち上がる。

 目の焦点が定まらない中、取っ手に手を伸ばす。

 ドアがゆっくりと開き、柔らかな光が廊下から差し込むと、オレの顔を見たシーナが目を見開いた。

 

 

「どうされたんですか、そのお顔……!」

「ああ、これは……すまない、急に走って行って。君を、置き去りにした」

「いいんです私のことは。とりあえず横になってください」

 

 

 彼女に付き添われて、ベッドにまで足を運ぶ。

 オレをゆっくり座らせた彼女は、無造作に置かれていた上着を取り、形を整えて、ハンガーに掛けてくれた。

 

 

「私の膝で横になってください。今はゆっくり、お休みになられるのが1番です」

 

 

 去年、シーナと契約を結んですぐ倒れたことがあった。

 オレがフラフラな状態で横になると、彼女が膝枕をしてくれたのを覚えている。

 その時と同じだ。

 柔らかく、優しく包み込んでくれるような感覚に、呼吸が少しずつ安定してくるのがわかる。

 ハンカチを持った彼女の手が、オレの額に触れて、汗を拭ってくれる。

 瞳を閉じて、シーナの温もりを感じ取れる。

 

 

「何があったんですか?」

「これは、オレの問題だ」

「教えてください。私たちは一心同体……、トレーナーさんのことは私も背負いたいんです」

 

 

 ……君にそんなことはさせられない。

 そう言おうとしたが、シーナの潤んだ瞳は、オレのことを本気で心配してくれていた。

 

 

「言わないって言ったら?」

「イヤです。嫌いになります」

 

 

 それは困る。

 だが、こんな事態を招いたのはオレの責任だ。

 シーナに悲しい想いをさせたくない。

 

 

「分かった、言おう」

「……はいッ」

「ジェンティルに、会ったんだ」

「会えたんですか!? それで、あの人はなんて……?」

 

 

 ――事の顛末は、自分でも驚くように口から出た。

 

 レース場で迷ったこと。

 警備員に取り押さえられたこと。

 VIPルームへ通されたこと。

 そこでジェンティルに……。

 

 

「トレーナーさん……」

「すまない……オレは、君の手を振り払ってまで、昔の担当を心配して……会いに行ったんだ。何を言われるかなんて分かりきっていたのに」

 

 

 契約を切ったウマ娘を心配して、契約をしてくれたウマ娘を放っておいたのだ。

 オレは、何をやってるんだ?

 自分の情けなさと申し訳なさで嫌になってくる。

 だが、シーナはオレの体に体重を乗せて、耳元で囁く。

 

 

「そんなこと私は気にしていません。驚きはしましたが、トレーナーさんの行動は尊敬します。だって契約を一方的に切ってきたウマ娘の心配なんて、なかなかできませんよ。だけどトレーナーさんは、優しいから……できちゃうんです。そんなあなたを、私は――素晴らしいと思います」

「……シーナ」

 

 

 彼女の息遣いが聞こえる。

 彼女の体温が乗っかってくる。

 包容されているような気がして、彼女の方に首を向ける。

 

 

「安心してください。私が、あの人を倒してご覧に入れます」

 

 

 シーナは力強く笑みを浮かべた。

 その姿に、オレはもう彼女しかいないのだと感じた。

 

 

「ありがとう、シーナ」

 

 

 いつの間にか、オレの体に力が戻っていた。

 膝枕から起き上がり、彼女の瞳を見つめ、その肩を掴む。

 

 

「あ、トレーナーさん……っ」

 

 

 シーナが驚きつつも、瞳を閉じる。

 なぜ閉じるのか分からなかったが、こんなにも心配をかけてしまった。

 もう大丈夫だと、安心させたい。

 

 

「元気が出たよ。君のおかげだ」

「え……? あ、それは良かったです……すみません」

 

 

 

 ジェンティルの言う通り、今のオレはシーナのトレーナー。

 その責務を果たすために、やるべきことがある。

 多くの夢を背負って凱旋門賞に挑むシーナだが、オレも一緒に挑むんだ。

 二人で頂点に立つんだ。

 

 そして。

 やはりオレを見限っていたジェンティルやその家族を、見返すためにも。

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