蒼と紅の炎   作:荒波を征く湯気

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主人公のムーヴをちょっとだけ変えました。レースの展開はほぼ変わっていません


第14話 手紙

 それから、シーナのトレーニングを続けた。

 凱旋門賞で1着をとり、世界の頂点に立ち、オレはジェンティル陣営を見返すために。

 

 メイさんやルドルフも見に来てくれた。

 シーナの家族もテレビ電話で応援メッセージを送ってきてくれている。

 

 シーナはそんな支えの毎日の中、走って、走って、走って……マイル戦の瞬発力を保ったまま、スタミナも地力も、ほぼ完璧に仕上がっていた。

 日本にいる時からサトノ家の最新シミュレーターも使っていたおかげか、バ場の感覚にも完全に順応している。

 

 

 オレはその走りを、食い入るように見つめた。

 貴婦人の幻影を、完全に忘れ去るために。

 ジェンティルとの思い出を、すべてシーナとの日々で上書きするために。

 

 本当にそれで良いのかは、分からない。

 けれど、そうするべきだと思った

 忘れようとするたび、胸の奥がざわつき、何か大切なものが抜け落ちていく気がしたが。

 

 それでも、別の安心感を得ていたのは確かだったから。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 そして。

 いよいよ凱旋門賞当日となった朝。

 オレはホテルの鏡の前で身だしなみをチェックしていた。

 時計は10時を指している。

 出走は15時5分だから、あと1時間後に出発しよう。

 

 ……それにしても、あっという間だった。

 胸が高鳴るのと同時に、一瞬で過ぎ去った月日を思い返す。

 

 ようやくと言っていいのだろうか。

 本当にこの時がやってきたんだと思いつつも、あまり実感は湧いていない。

 長いようで短い日々だったと、感慨深くなっている。

 

 できることはやった。

 シーナのコンディションも万全。

 ヴェニュスパークたちも数週間前には現地入りしているらしく、誰が勝ってもお祝いでパーティをしようという話にもなっている。

 欧州のトレーナー陣も来るそうで、一緒に会食することになるなんて……人生、何があるか分からないもんだ。

 もしシーナが勝てば、どんな光景が待っているのだろうか。

 

 

 正直なところ、地位も名誉も欲しいわけじゃない。ハッキリ言えば、あまり興味がない。

 担当しているウマ娘のトレーナーでいられればそれでよかった。

 そんな誇りとともに、胸を張って生きられればそれでよかった。

 

 

(ジェンティル……今日、オレは君を倒す)

 

 

 彼女のトレーナーでずっといたかったのは嘘ではないが、もう仕方ない。

 だが悲しむことはない。

 ジェンティルのことはもう考えないでおこう。

 だって今のオレには、シーナがいるから。

 

 そんな様々な想いが巡る中。

 

 

 ――コンコン。

 

 ノックが、響いた。

 誰だろう。

 シーナだろうか。

 

 

「はい?」

 

 

 オレは立ち上がって、扉を開く。

 そこには、どこかで見たことのある女性が立っていた。

 

 

「初めまして、トレーナーさん。突然の訪問をお許しください。私は、秋村サチと申します」

「秋村……サチさん?」

 

 

 整った所作、静かな声。

 日本人のようだ。

 だが服装は――メイド服。

 ホテルのスタッフだろうか。

 いや、どこかで……。

 

 

「お嬢様の実家でのお世話係のため、これまでお話する機会はありませんでしたね」

「……ジェンティルの家の、メイドさん!?」

「ええ、いかにも。直近でお会いしたのは、一年前の夏合宿明けでしょうか」

 

 

 記憶が蘇る。

 確かに、ジェンティルの実家で見た顔だった。

 

 

「時間がありませんので、要件をお伝えします」

「……はい」

 

 

 サチの表情は、ただならぬものだった。

 その瞳に宿る焦りは、オレにも伝わってきた。

 

 

「まずはこちらを」

「これは?」

 

 

 おそるおそる差し出されたものを受け取る。

 それは一通の手紙だった。

 

 

「こちらは去年、フランスに渡航してすぐ、お嬢様がしたためたお手紙です」

「手紙ですか……?」

 

 

 なんでそんな、去年書いたものをオレに?

 

 

「あなた様宛にお書きになられたものです。しかしとうとうお嬢様は、こちらを出すことが叶いませんでした。一度細切れに破かれたので、本来はこの世に存在するはずのないものなのですが……私が、本物を保管しておりました」

 

 

 出すことが、叶わなかった……?

 

 

「どういうことですか? ジェンティルが、なぜ!?」

「トレーナー様は今回の契約破棄、本当にお嬢様が望まれたものだとお思いですか?」

「……え?」

 

 

 秋村さんは、真剣な眼差しでこちらを見つめている。

 この人は、何を言っているんだ。

 

 

 

「あなた様との契約破棄は、お嬢様の意思ではありません。全ては"あなた様の身を守るため"に、お嬢様がお父上、そしてローラントレーナーの意向に従った形になります」

「ジェンティルが、オレの身を、守るため……?」

 

 

 

 じゃあ、フォワ賞の時にオレが会ったときのジェンティルは?

 まるでオレを用済みのように言って、新しいトレーナーのことを凄く褒めていたのに。

 何が、どうなってるんだ……?

 言葉の意味が、理解できない。

 

 

「……すみません、私はこれにて失礼させていただきます。あまり長居をすると気づかれる恐れがありますので……では」

「待ってください! ジェンティルが、オレを守るって、どういうことですか!」

「申し訳ありませんこれ以上は……ですがこれだけは言わせてください。――お嬢様は今も、あなた様を想い続けておられます」

 

 

 その一言を残して、彼女は振り返ることもなく去っていった。

 廊下に残る足音が消え、香水の香りだけがわずかに残る。

 

 

 想い、続けている?

 

 昔、ジェンティルの屋敷で見たメイドさんで間違いない。

 これが見たこともない相手なら信じることは難しかっただろうが……。

 

 

 オレはしばらく動けなかった。

 やがて手紙を見下ろし、ベッドに腰を下ろす。

 

 封を切ると、3枚の紙が現れた。

 ほのかな香水の香り。

 端正な筆跡。

 間違いない――ジェンティルの字だ。

 

 オレは息をのんで、読み始めた。

 

――――――

 

12月4日

 

 親愛なるトレーナーへ。

 いかがお過ごしかしら?

 突然、何も言わずにいなくなり、こんな形でのあいさつしかできなくて申し訳ありませんわ。

 本来であれば直接お伝えすべきところを、このような文に託すことになりました。

 けれども、わたくしの選択があなたに誤解を与えないよう、ひとことは申し添えておきたいと考えましたの。

 

 ――まぁここからは形式ばった文章ではなく、わたくしの言葉で伝えたいから、いつも通りの言葉で伝えさせていただきます。

 

 まず、今回の契約解除は、あなたと一緒に戦った日々を軽んじたものではないので安心なさい。

 一旦は解除という形になるけれど、決してあなたを見限ったり、必要がないと判断したわけではないわ。

 お父様の言う通り、凱旋門賞に挑戦するときのみ、海外のトレーナーに任せるべきだと判断したまでのこと。

 あなたのことですもの、わたくしが黙って離れたことでショックを受けているかもしれませんわね。

 けれど、どうかお忘れなきよう。

 わたくしは常に、あなたと共に積み重ねてきた日々を誇りに思っています。

 そしてそれがあったからこそ、今こうして新たな挑戦に向かう力を持つことができている。

 

 この先、どれほど遠い地にいても、わたくしの走りには、あなたとの記憶が息づいていることでしょう。

 ふと心が揺らぐとき、耳に残る声や交わした沈黙さえも、わたくしを前へと押し出してくれるはず。

 それほどに、あなたの存在はわたくしにとって大きなものでしたわ。

 

 ただ不思議なことに、あなたにきちんと話す間もなく、わたくしはフランスに渡航する運びとなってしまった。

 それには込み入った事情があるから省かせてもらうけれど、こちらの家の都合で、あなたに失礼を働いたことはお詫びいたします。

 何も言わずに放っておくわけにもいかないから、この手紙を書いた次第ですわ。

 

 この拙い急ぎの手紙を読んで、わたくしが帰ってくるまでどうか待っていてくださいますかしら?

 もちろん、新たなウマ娘を担当するのもよし。

 海外のレースを研究し論文を読み漁るのもよし。

 さらにトレーナーとしての実力を磨いて、世界一となって帰ってきたわたくしをもう一度、担当してくださることを望んでおります。

 その辺りについては、きっと父からも伝わっていることでしょう。

 自分で書いていて思うけれど、都合が良すぎると思われているかもしれませんわね。

 もしその時は、あなたからもう一度、わたくしをスカウトしてくださいませ。

 二つ返事で、あなたの元に帰ることをお約束しましょう。

 

 なんにせよ、いずれ再び会える日を待っています。

 その時、わたくしの走りがあなたをさらに夢中にさせられるように――。

 

 ああ、そうそう。

 どうかそれまで、筋トレは毎日怠らず続けておくように。

 わたくしが知らぬ間に体力を落としていたら、叱ってしまうかもしれませんわね、ホホホ。

 

 それから、以前取り寄せたあの紅茶、ぜひ用意しておいてくださるかしら。

 カップを挟んで静かに語らいながら、あなたにも糧となるお話をいたしましょう。

 そのときには、これまで以上に強くなったわたくしを、誇りに思っていただけるはずですわ。

 ――だからどうか、ご安心あそばせ。

 必ず、その時は訪れますもの。

 

 愛するあなたに、敬意と感謝を込めて――

 X

 

――――――

 

 

「なんだよ、これ……」

 

 

 読み終えた瞬間、全身の力が抜けた。

 視界が滲む。手紙が小刻みに震えた。

 

 

 秋村サチさんの言葉が頭の中で反芻する。

 ……全部、オレを守るため?

 ジェンティルはオレを見捨ててなどいなかった。戻ってこようとしていた。

 オレとの日々は決して無駄ではなく、ジェンティルの走る力となっていると。

 

 黙ってフランスに行ったのは何かしらの事情があった……?

 込み入った事情?

 オレを、守る?

 

 

 ……まさか。

 

 いや、まさか。

 

 

 もちろん確証はない。

 でももし、本当にローラントレーナーの指示だったとしたら……?

 

 

 じゃあジェンティルのあの冷たい表情も、あの言葉も。

 全部、演技だったとでもいうのだろうか?

 オレを巻き込まないように。

 自分だけが苦しむ道を選んで。

 

 

 ……今思えば不自然だった。

 彼女は時折、苦虫を潰したような顔をしていた。

 あれは、オレに対する嫌悪ではなく、自分の言葉を発するのが辛かったのだとしたら。

 

 胸の奥が焼けるように痛い。

 どうして気づけなかった?

 どうして信じてやれなかった?

 彼女は、あんなにも苦しそうな顔をしていたのに。

 

 

 オレは、自分のことしか考えていなかったんだ。

 自分の気持ちをぶつけることしか考えてなかった。

 そこまでちゃんと見てやれていなかった。

 トレーナーなら、ジェンティルの気持ちをちゃんと気づいてやるべきだったのに!

 

 

 ……ジェンティルは、オレを守るために、何も言わずに行ったんだ。

 

 全部、オレを守るためだったんだ……。

 

 どうする?

 どうすればいい?

 警察?

 弁護士?

 いや、何も証拠はない。

 手がかりもない

 コネもなければ手段もない。

 

 オレはトレーナー、外を歩けばただの一般人だ。

 そんなオレに何ができる?

 

 いや落ち着け。

 とりあえず今日は凱旋門賞だから、それが終わってから……いや、それじゃあ遅いのか?

 出走まで数時間。

 今のオレに、何ができる?

 

 

 だがそこで、ある事実に気づいた。

 

 

(そうだ、……オレは今日、そのジェンティルを倒さなきゃいけないのか?)

 

 

 そこまで考えて、ゾッと背中が凍り付いた。

 息が苦しくなり、上半身に変な力が入る。

 体の底から怖気が走り、温度感覚が狂った。

 熱さと寒さが同時にやってきて、神経がおかしくなったかと思った。

 

 

 守ってくれた彼女を倒し、世界の頂点に立つ?

 

 一人ぼっちの彼女を敵とみなして立ち向かう?

 

 

 ジェンティルは、きっと一人で戦ってきた。

 心を許せるのはきっと秋村さんくらいのものだろう。

 その彼女だって、あれだけ急いで帰って行ったということは、かなり危ない橋を渡ったのかもしれない。

 

 こんな、ジェンティルが苦しんで、助けを求めることすらできない状況で。

 

 オレは、他のウマ娘とともにジェンティルドンナに挑んで、倒す?

 

 ……そんな、こと。

 

 

 ――コンコン。

 

 

「っ!?」

 

 

 扉が再びノックされる。

 

 

「あの、トレーナーさん、大丈夫ですか?」

 

 

 それはシーナの声だった。

 ドアが開き、その隙間から心配そうな瞳がこちらを覗いた。

 

 

「あ、ああ、大丈夫だ。そろそろ時間だな……行こう」

 

 

 とりあえず取り繕う。

 

 気づけば、時計は11時半を示していた。

 凱旋門賞出走まで、3時間と少ししかない。

 今から、向かわねば……。

 向かわないと。

 

 

「また何かあったんですね?」

 

 

 真剣な眼差しで、オレの心に入ってくるシーナ。

 嫌だと思ったことは一度もないし、むしろ安心感さえあった。

 けれど、本当に伝えていいものか逡巡する。

 

 

「いや、ちょっと朝ごはんが口に合わなかっただけさ。フランスのお米は固くてね」

 

 

 そう言うと、彼女はぽかんとした様子をしてから、笑みを作った。

 

 

「……っ、ふふ、なんですかそれ。なんだ、そうだったんですね」

「ああ、心配かけた。すまなかった」

「いいえ、それなら安心しました。では行きましょうか」

「ああ」

 

 

 今の彼女に、オレの問題を抱えさせるわけにはいかない。

 

 だからこれは、オレの心の奥に押し込んでおくべきだ。

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