蒼と紅の炎   作:荒波を征く湯気

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第16話 本当の願い

「オレはどうすれば良かったんでしょうか……」

 

 

 控室で、頭を抱える。

 もうすぐ凱旋門賞が始まる。

 

 

「まぁ、女心ってのは複雑だもの。あなたが分からないのも無理はないわ」

 

 

 シーナが去って行ったあと、先輩が戻ってきた。

 彼女は腕を組み、ため息をつく。

 

 

 

「シーナもシーナなんだけどね……。今まで後輩くんが担当してきたんだから、もしジェンティルを倒しても……今さらその事実が、消えるわけじゃないでしょうに」

 

 

 先輩が隣に立つと、紅茶の香りが広がった。

 

 

 実際のところ、シーナの言う通りにジェンティルのところへ行ったとしてどうする。

 追い返されるのがオチだ。

 ジェンティルを取り戻すなんてできない。

 彼女のトレーナーに再びなることなど、もはや夢物語だ。

 

 ならシーナをやはり追いかけるべきか。

 でも、それはジェンティルを倒すことを意味し、彼女の意志を無視することになる。

 

 

 ……ジェンティルに契約を破棄されたあと、呆然としていたオレにシーナが声をかけてきて。

 それから彼女の手を取った。

 オレは彼女のトレーナーになるために、努力はしてきた。

 しかき、頭の片隅にはいつも。

 

 

「ジェンティル……」

 

 

 彼女がいた。

 

 トレーナーとしての初めての担当。

 トレーニング計画も彼女はなかなか納得してくれなかったこともあった。

 それでもジェンティルに認めてもらうまで、彼女が納得するまで練り直して、最終的に彼女はうんと頷いてくれた。

 しびれを切らすことなく、オレを待っていてくれたんだ。

 そのことだけでも嬉しかった。

 彼女に認められたという感情だけではない。

 ジェンティルと一緒に戦っている。

 そんな想いがあったんだ。

 

 筋トレを指導されたこともあった。

 彼女のトレーナーとしてふさわしい人間であるために、きついトレーニングも彼女の指導の元で受けた。

 辛い時もあったが、ジェンティルと一緒にいられるというだけで、オレは幸せだった。

 

 

「シーナ……」

 

 

 彼女とは不思議な縁だった。

 ジェンティルを担当している時に何度も戦った。

 彼女の泣き顔も、彼女の落ち込む背中も見てきた。

 そんな彼女が、オレの窮地を救ってくれた。

 恨んでいたっておかしくないはずなのに。

 彼女のティアラの夢を奪ったも同然なのに。

 シーナは、そんなオレに声をかけてくれたんだ。

 

 不健康な生活を送るオレのために、お弁当もたくさん作ってくれた。

 オレの好みを言わずとも調べて、好みの味付けに調整してくれた。

 そんなシーナと一緒にいられた時間も、オレには幸せだった。

 

 

「……ねぇ後輩くん。"あなた"は、どうしたい?」

「……?」

 

 

 そう聞かれて、顔を上げた。

 

 

「今起きていることは、私にも想像がつかない。それくらい大きなことだと思う。だけど、それらを全部抜きにして、考えてみてほしいの」

 

 

 全部抜きにして……?

 どういう意味だろう。

 

 

「トレーナーとして――いいえ、"あなた自身"は、どうしたい?」

「……オレ、自身?」

「そう。ジェンティルの抱えている込み入った事情とかも、この手紙とかも、契約破棄も全部ないものとして……。トレーナーの資格だとか、相手がどれだけ大きな相手とか、そんな面倒なことはぜぇーーーーんぶ考えないで、その上で、あなたは――どうしたい?」

「…………?」

 

 

 分からない。

 全部なかったことにして考えるなんて、……分からない。

 

 

「分かり、ません……」

 

 

 そう言ったら、また怒られると思った。

 それでも良かった。

 でも先輩は、白い歯を見せながら苦笑する。

 

 

「まぁそうよね。じゃあ例えば……そうね。地位とか、名誉とか? それとも、お金とか。自分が1番欲しいって思っているものとか……自分がこうしたいって思ってること、心の奥底にある、あなた自身が本当に望んでいることを考えてみて」

 

 

 心の奥底にある、オレが望んでいること?

 そんなこと考えて何になるっていうんだろうか。

 

 

「こうして、ほら――」

 

 

 逡巡していると、先輩はオレの手をとってオレの胸にあてた。

 心臓が動いている。

 呼吸をしている。

 先輩の手の温度が伝わってくる。

 

 

「私ね、トレーナーをやってた兄がいるの。今は行方不明で、どこにいるのかも、何をしてるのかも、さっぱりわからないんだけど……」

 

 

 お兄さんがいるなんて初耳だ。

 いや、行方不明ということはあまり人に知られたくなかったのだろう。

 先輩の話に耳を傾ける。

 

 

「将来を約束されたトレーナーって言われててね。"トレーナーとウマ娘、互いに想い合っているとレース中でも声が聞こえる"って持論を、良く聞かされたわ」

 

 

 そう言えばルドルフも、そんなことを言っていた気がする。

 

 

「ジェンティルも、シーナも、きっとあなたのことを想っている。でもあなたは、自分でもどうしたらいいのか分からないんでしょう?」

「……」

「ジェンティルはもう選べない、かといってここでシーナを選べば、ジェンティルのことを考えているシーナも、当のジェンティルも辛い目に遭わせてしまう。そう考えているから」

 

 

 心を全て見透かされているようだった。

 この人には敵わない……そう思った。

 でもおかげで、不思議とだんだん自分の心の中が自分でも分かるようになってきた。

 

 そう、シーナもジェンティルも、オレのために尽くしてくれたから。

 二人とも、オレを守ってくれたから。

 どちらかなんて、選べない……。

 

 

「なら難しいことはもう全部置いといて、あなたが本当に望んでいることを伝えてくればじゃない? どうしようもないって思ってても、何も変わらないって思ってても、誰に何を言われようと関係なく、どうせなら最後に自分の気持ちをぶつけちゃいなさいよ。ここまで一緒にやってきたんだもの。シーナもきっと、それを望んでいるはずよ」

 

 

 固く閉じていた心の殻が、柔らかくなっていって。その中身をむき出しにしていく。

 

 ……オレは。

 

 すぐに思い浮かんだのはジェンティルとの日々だった。

 弱音を洩らせず辛い時もあったが、その中に深い暖かさがあって、幸せだった。

 

 次に思い出したのは、シーナとの毎日だった。

 這い上がるような苦しみもあったが、その中に包まれるような柔らかさがあって、こちらも幸せだった。

 

 どちらも大切な思い出だ。

 色んなことがあった、大切な日々だ。

 

 多くの人から伝えられた、様々な言葉を思い出す。

 

 

『ジェンティルドンナには、君では足りない――』

『私たちで、倒しませんか。ジェンティルドンナを』

『正式にヴィルシーナをあなたに託します。彼女の夢を、叶えてあげて』

『これからは、私のこと『シーナ』って呼んでくださいませんか?』

『最後にモノを言うのは、トレーナーとウマ娘の実力であることに変わりはないよ』

『貴様……もう一度言ってみよ』

『悪い人には見えなかったからな。そんな事情があったのか』

『前に、酷い事言ってごめんなさい……おめでとう、ございます』

『あなた、私たちのトレーナーになってくださらない?』

『レース中、どんなに遠く離れていてもトレーナーの声が聞こえる、というものだ』

『ならば、私たちとしても願ってもないことです』

『あのトレーナーに一矢報いていただきたい気持ちがありますのでね』

『あなたの心の中にいるジェンティルドンナさんを……忘れさせることが、できましたか?』

『ヴィルシーナさんのトレーナーとして、凱旋門賞を勝ち取りたいのでしょう?』

『このレースで、あなたとわたくしの、最後の思い出作りといきましょう』

『お嬢様は今も、あなた様を想い続けておられます』

 

 

『ジェンティルさんは、本当はきっとあなたをずっと待っていたんだと思います』

 

 

 

 ……あ。

 

 

 気づくと、先輩が背中をさすってくれていた。

 それと同時に、オレの胸の奥で大きな鼓動が蘇ってくる。

 

 

 ああ……。

 

 そうか。

 

 そうだったんだ。

 

 

 

 オレは最初から、ずっと。

 

 

 

 そして、その上でオレは……。

 

 

 

 

「どう……? 後輩くん」

 

 

 先輩の声は、安らかな音色に近かった。

 ただ、オレの言葉を待っている。

 それが嬉しくて、くしゃりとした笑みを作る。

 

 

「先輩のおかげで……分かりました」

 

 

 かつて本当にシーナを担当するのか、その覚悟を先輩に聞かれた時と同じような言葉を発した。

 去年の12月、オレは先輩の忠告を受けてなお、進むことを選択した。

 それから進んではつまづいて、何度も立ち止まって、何度も悩んで、何度も足掻いては進んで、そのたびに誰かが支えてくれた。

 

 

 自分でも分かるほどに、目に力が戻ってくる。

 声に本来のハリが戻ってくる。

 

 

「オレが本当に望んでいること。――わかったんです」 

「……」

 

 

 オレから何を感じ取ったのかは分からない。

 だが先輩はオレの言葉を待ってくれている。

 

 

「だからそれを、ぶつけてきます。――1人のトレーナー……いいえ、オレ自身の気持ちとして」

 

 

 その目が見開かれる。

 口角が自然と上がり、オレを試すような眼差しで見つめてくる。

 

 

「……そう、じゃあ――行ってらっしゃい」

「――、はい!」

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