蒼と紅の炎   作:荒波を征く湯気

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最終話 君のトレーナーはオレだけだ

「トレーナーさん……」

 

 

 シーナはオレの姿を見て、立ち止まった。

 

 細身の体から伝わる心臓の鼓動や荒い息遣い。

 大阪杯の時と同じように、凄まじいレースの余韻を残している。

 

 汗で湿った勝負服と髪が見て取れて、まだ呼吸を整えている最中だと分かる。

 

 

「シーナ……」

「はい……」

 

 

 見つめ合う。

 レース前にシーナは、オレのことを想って一人で戦いに行った。

 本当は支えて欲しかったはずなのに、オレが"ジェンティルのトレーナー"だったから、自ら遠ざけた。

 

 

「……」

「……」

 

 

 お互いに距離を取っている。

 近づかない。

 

 

 だが、オレはもう決めていた。

 ジェンティルとシーナ、その二人のどちらかを選ぶなんてできないから。

 トレーナーとして、選ぶべきは、二人のトレーナーであることだから。

 

 だから。

 

 

「おめでとう、シーナ」

 

 

 そう言って、膝をつき、両手を広げた。

 すると彼女は驚いたような顔をして、体を小さく震わせる。

 

 

「いいんですか? 後ろに、ジェンティルさんが、いますよ……?」

「ああ、オレはジェンティルのトレーナーだ」

 

 

 二人に聞こえるように言った。

 

 

「じゃあ……」

「そして、シーナのトレーナーでもある」

「っ!」

 

 

 さらに聞こえるように言った。

 選ぶ必要はない。

 

 オレがただそうしたかったから。

 そうありたかったから。

 

 シーナの瞳を見つめる。

 

 

「うっ、う……ぐす、うぅう」

 

 

 彼女の瞳は潤み、煌めきを増して揺らいでいく。

 反射する光が様々な感情を巡らせているように、割れてはくっついていく。

 

 

 そして、シーナはオレを見て。

 

 

「"トレーナー"さん!!」

 

 

 その瞳の中の光が、一つになった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「あ、後輩くん……」

 

 

 シーナと控室に戻ると、クラリス先輩ともう一人、別の人物がいた。

 

 

「お久しぶりですね、トレーナーさん」

「あなたは……!」

 

 

 ジェンティルドンナの、確か、弟さんだ。

 

 なぜ、ここに……?

 

 

「この度は凱旋門賞の制覇、おめでとうございます。この後、会見やウィニングライブなどあるでしょうが……少しだけお時間をいただけますでしょうか」

「どういうご用件でしょうか?」

「ジェンティルドンナとの契約のことです」

 

 

 彼は恭しく頭を下げて、同行を願った。

 シーナがぎゅっとオレの腕にくっついてくる。

 そんな彼女と視線が合うと、シーナは強い意志を持った表情で、うんと頷いてきた。

 

 

「分かりました」

「ありがとうございます。ではクラリス様もご一緒に」

「先輩も?」

「はい、"クラリス・綾香 ウェンブリー"様にも大事なお話がありますので」

 

 

 どういうことかは分からない。

 だが、オレたちが来る前に先輩は話をある程度聞いていたようだ。

 その表情は暗く重い。

 

 シーナはここで待っていても良かったが。

 

 

「行きましょう、トレーナーさん」

 

 

 ……離れる気はないようだ。

 まぁそもそも世界一になったウマ娘を1人放っておくわけにはいかない。

 ジェンティルの弟さんには、もっとタイミングを考えて欲しかったが、ジェンティルドンナのことなら断れるはずもなかった。

 

 ましてや、オレは。

 あのトレーナーを殴り飛ばしたのだから。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 ……。

 

 

 通されたのは、オレが以前にジェンティルと会ったVIPルームだった。

 

 ジェンティルがすでに待機していたが、前と違うのは、その部屋にメイドさんやスーツ姿の男性が並んでいること。

 ざっと30人程度だろうか。

 規律正しく並んでは、一様にジェンティルの方を向いている。

 対峙しているジェンティルの横に並ぶ形で、オレとシーナ、そしてクラリス先輩は彼らに向かいあった。

 

 

「ご当主様が、お目見えです」

 

 

 ジェンティルの弟さんがそう言うと、メイドさんたちは頭を下げた。

 オレたちはもちろん、ジェンティルも頭は下げない。

 

 扉が開かれ、オレたちとメイドさんやスーツ姿の護衛の人たちの間を割るように、一人の男性が入ってきたのをただ見る。

 

 

「お久しぶりですねトレーナー殿、そして――ジェンティル」

「ええ、お久しぶりですわね。お父様?」

 

 

 ジェンティルの父。

 そして、彼女の一族を率いる現当主。

 彼の威圧感は久しぶりだった。

 視線はジェンティルと火花を散らしたように見えるが、オレに対する視線には笑みを浮かべていた。

 

 

「まずはトレーナー殿、ヴィルシーナ嬢。凱旋門賞の制覇、おめでとう」

「……ありがとう、ございます」

 

 

 社交辞令のために頭を軽く下げる。

 すぐに上げて向き直るが、彼は微笑んだままだ。

 

 

「さて、まずは何から話したものか……」

「父上、ローラン・ジレーヌを回収しました」

「そうか、ご苦労……では、トレーナー殿。此度の一件の全てを、話していこう」

 

 

 ローランの回収? の報告を受けたジェンティル父は、ぽつりぽつりと話し始める。

 

 

「事の発端は、トレーナー殿とジェンティルが勝利した3年目のジャパンカップの時だ。私はジェンティルが世界へ羽ばたくためには、世界を知るトレーナーが必要だと考えていた」

 

 

 ジャパンカップの後のことは、覚えている。

 お父さんから呼び出されて【トレーナーを辞めていただきたい】と言われたことを。

 当時は、ジェンティルの気持ちが1番大事だと思っていたから、どうするかは悩んだ。

 

 

 

「それは決して嘘ではない。レースだけではないが、例えば受験勉強。師事を仰ぐ人間が担当一人だけの駆け出しの人間と、何人もの人間を有名大学に導いた家庭教師、選べるとすればどちらを選ぶ? 大抵の人間は後者を選ぶだろう」

 

 

 "選べる"とすれば、それは確かに間違っていない。

 誰もが考える普通のことだ――そう思いながら、オレは無意識に息を吐いた。

 

 

「私には私の考えがあり、ジェンティルにはジェンティルの考えがあった。そしてトレーナー殿、君にもあったはずだ。おそらく君はジェンティルのトレーナーでいるために、色々と試行錯誤していたようだね」

 

 

 ……そうだ、そしてオレはジェンティルを手に入れるためにあらゆる手を尽くそうとした。

 有マ記念。

 そこに彼女を出走させて実力を示すつもりだった。

 だが、その後すぐにオレの返事を待たずして契約破棄の書類が送られてきたのだ。

 そこから、オレはシーナに声をかけられた。

 

 

「そしてローラン・ジレーヌもそう。奴のことはあらかじめ調べていた。もし頼むとしたら"奴以外"だとも考えていたのだが」

 

 

 ……。

 

 ん? "奴以外"?

 

 

 

「驚きかね。奴はジェンティルを狙っていた。当然ながら、最初は断ろうと考えていたのだよ。だが奴のバックにいる組織が面倒だった」

「ど、どういうことですか!?」

「少しオブラートに包むが、奴はトレーナー殿を交渉カードとして出してきた。……奴らは、君を排除しようとしていたのだよ」

「……ッ!?」

「排除の仕方は様々だ。名誉を毀損し、契約を潰し、あるいは――社会的にきれいに消す。そこは想像に任せよう。だが、こうなってくると話が変わってくる。奴らの組織はある程度把握できてはいたが、末端員がどこに潜んでいるかは分からなかった。ならば、君が"ジェンティルのトレーナーでいること自体が危険"だと判断した」

 

 

 ……ジェンティルがオレの身を護るために、ローランと契約したのは間違いではなかった。

 その思いは本当だったのかもしれないが……少し話が複雑すぎる。

 

 

「それを……ジェンティルは知っていたんですか?」

「いいや、知らない。ジェンティルから見れば、私はローランに協力する愚か者に映っていただろうがな」

 

 

 オレはジェンティルを見る。

 しかし彼女は顔色一つ変えていなかった。

 いや、目を瞑って、しかめっ面をしていた。

 ああ、あれは何かを思い出している顔だ。

 

 

「彼らの正体は【ウマ娘こそが人間の上に立つ上位種であり、支配される側ではない】と唱える宗教団体……いや、その皮をかぶった政治思想団体だ」

「ウマ娘が暗躍しているんですか?」

「違う。間違ってほしくないのは、これは一部の人間が人類という存在から利を得るために、ウマ娘という存在を利用しているだけだ。ウマ娘たち自身にそうした感情はないのは、トレーナー殿が一番良く知っているはずだ」

 

 

 なるほど、それはそうだ。

 要は、今までの概念を壊し、自分たちが支配する側で新たな秩序を作ろうとしていたらしい。

 そのためにローラン・ジレーヌの名前を売り、凱旋門賞に挑むジェンティルに目をつけた――ということだろう。

 

  

「よくある手口だ。宗教的思想は人を盲目にする。自分たちこそが正しく、そうでない人間は間違っているという正義に酔う。そうした主張が行きつく先は、結果的にウマ娘を苦しめることになる。だから我々は、協力するフリをした。そのバックの組織の末端まで全て根こそぎ洗い出し根絶させるため、私は今回の契約を利用したのだ」

「じゃあどうしてジェンティルドンナに、ちゃんと話さなかったの!? おかしいでしょう!」

 

 

 クラリス先輩が声を荒らげる。

 オレも同じことを考えていた。

 だが答えは、ジェンティル本人から返ってきた。

 

 

「いいえ、この場合はお父様が正しいわ」

「ジェンティル?」

「言葉を横からお借りますわお父様、おそらく最初は、わたくしに委細なことを考えさせずレースに集中させるためだった。でもわたくしがとある狂いを生じさせた。だからそれを利用して、彼らの信頼を勝ち取ったのでしょう? わたくしに伝えて、わたくしが協力するような演技では、その信頼は勝ち取れない。そうですわね?」

 

 

 ジェンティルの言葉に父は頷く。

 

 

「そのとおりだ。まず最初は、私がジェンティルとトレーナー殿の接近や連絡を防ぐ構図を作ることで協力するように見せ、彼らからトレーナー殿を標的から外させた。排除する必要がないと判断させたのだ。もちろん、トレーナー殿に護衛はつけていたが」

 

 

 護衛?

 ……あ!

 オレの前にいるスーツ姿の男性やメイド服の女性。

 

 その中に、理事長たちと一緒に入った店で見た顔があった。

 確かにその時もどこかで知っているような顔だと思っていたが、そうか、ジェンティルの家の人だったのか。

 

 

「姉上が僕にトレーナーの護衛を頼むまでもなく、お父様はトレーナーさんにすでに護衛をつけていらっしゃった。父上直属の部隊の指揮権を僕に渡してまでね」

 

 

 弟さんが補足しつつ、ジェンティル父が続ける。

 

 

 

「この計画は、彼らの頭から尻尾まで掴むための計画だ。そのためには奴らの信用を得て、ほぼ同化する必要がある。しかしジェンティルの言う通りこの計画には、大きく分けて2つの狂いが生じていた。その一つは、ジェンティル、わかるな?」

「ええ。わたくしの"トレーナーへの情"でしょうね」

「そうだ。まず、ジェンティルがトレーナー殿に対し”情に流されていた”ということだ。情に流されるな。常々、私はそう言ってきた。教えてきた。教育してきた。情というのは厄介だ。頭で考えるのではない。ただただその場の気持ちだけで判断してしまう厄介な"感情"だ。理論的に、合理的に考えたことを放棄する力を持っている。本来なら、ジェンティルは情に流されず、ローランの実力そのままを受け取って承諾するものだと思っていたが、そうしなかった。だからあのままジェンティルが拒み続ければ、トレーナー殿が排除される恐れもあった」

 

 

 

 排除される……。

 言葉は包まれているが、あまり想像したくない。

 社会的に消す方法は、いくらでもある。

 オレにトレーナーを辞めさせるような、トレーナーの信頼を失わせるような工作だってできただろう。

 例えば、えん罪や言いがかりなどだ。

 

 

「だから逆に、ジェンティルが渋々従う態度を利用した。娘を差し出すような真似をしたと見られても仕方がないが、ジェンティルにとっても一番安全な場所にもなるからだ」

「敵の懐こそ、最も安全な場所。少なくとも私が渋々従う姿を見せることで、奴らはお父様たちを信用して安心する。今までのお父様や、そこの可愛い弟の言葉を思い出していましたが、どうりで、やたら早口で屁理屈を並べ立てていましたわね。私を元から説得するつもりはなく、ローランに見せつけるパフォーマンスだったのでしょう」

 

 

 

 つまりこういうことらしい。

 【ジェンティルドンナがトレーナーと連絡を取りたがる】といった仕草や行動を本気でとらせた上で、それを制限する。

 →これでローラン側とジェンティル父との間に、信頼が発生した。オレが排除される可能性がグッと低くなる。

 

 だが本来なら【ジェンティルがトレーナーとしての実績だけを見て判断する】はずが、情によって動いてしまったため計画に狂いが生じる。

 →オレが排除される恐れが高くなった。

 

 それを修正するために"ローランという相手に心を許していないジェンティルドンナの態度"を利用した。

 →高い信頼の構築。そしてジェンティル家が、ある意味先にオレを排除したことで、ローランがこれ以上の手出しをしないように工作した。

 

 

 ということか。

 

 

「ローランはすでに情に流されていたジェンティルを見た。もしわれわれがそこでジェンティルに真実を話して、協力するフリをさせても、おそらくローランは【何か裏がある】と訝しむだろう。信用は得られない」

 

 

 

 相手を騙すには、まずは味方からという話なのだろうが。

 理屈は分かる。

 分かるが、ジェンティルはそれでいいのだろうか。

 だがそれについてもジェンティルがはっきりと口にする。

 

 

「情に流されることが、どれだけ恐ろしいかは今回で身に染みましたわ。少なくともわたくしは、ローラン・ジレーヌ相手に何もできなかった。まぁ、お父様のお口添えもあったでしょうけど」

「サブトレーナーの一件のことだろう。あれは私がローランに教えずとも奴の回答は同じだ。その場に彼がいるかいないかの結果が変わるに過ぎん。そのため、逆に利用させてもらった」

「ローランの信用をさらに得るため、ね。だけど、情に流されていたわたくしへの戒めでもあったのでしょう?」

「だが少なくとも、ローランの持つ力、サブトレーナーの力は本物だ。ジェンティルなら情に流されることの愚かさに気づき、奴らの力を利用して必ず頂点に立つとも思っていた。そしてもちろん奴らの悪事の証拠の全てを掴んだ上で、ジェンティルとトレーナー殿には全てを話すつもりだった。高い信頼を得れば、それだけ奴らの中枢部から証拠を集められる。10か月という短い月日の中で、奴らの全貌を明らかにすることもな」

 

 

 

 ジェンティルとジェンティル父の二人でどんどん話が進んでいく中、クラリス先輩が声を張り上げる。

 サブトレーナーって何のことだろうか。

 

 

「ジェンティルとあなたのことは、親子の関係だからまだいいわ。だけど!」

 

 

 先輩がオレの背中に手をやって、注目を集めさせる。

 

 

「じゃあ後輩くんの気持ちはどうなるの!? なぜ後輩くんにも何も言わなかったの! ジェンティルドンナとの契約を完全に破棄させられて、どれだけ彼が落ち込んだか。それも相手を騙すための、計画のうちだというの!?」

「計画のうちというよりは、もはや巻き込むわけにはいかなかった。彼は"何も知らない状態"にしなければならない。そしてクラリス嬢。彼の気持ちを考えることこそ、それこそがすでに"情"なのだ」

「……くっ、情、情って、それがそんなに悪いことなの!?」

「そのような情があることこそが弱点になり、そこを突かれてしまう。我々にとってトレーナー殿とは、もはや些末な存在として取るに足らない状態に"わざわざしなければ"ならなかった」

「でももうちょっとやりようはあったでしょうが!?」

「あったかもしれん。だが何にせよ、奴らは彼が邪魔だったのだ。彼がジェンティルのトレーナーを担当していたがゆえに、排除されれば、それは我々としても本意ではない。だから先に手を打ったのだ。強引に引き離し、奴らにトレーナー殿へ目を向けさせないために」

 

 

 そういうことだったのか。

 オレは、たぶん怒るべきなのだろう。

 だがそういう気にはなれなかった。

 きっと、ジェンティルのお父さんはもっと強大な敵と戦っていた。

 酷いとは思うが、仕方ないのだろうとも思う。

 少なくとも一代で高い地位に昇りつめた人が、あらゆる駒を利用する行動をとるしかなかったのだ。

 オレには想像がつかない。

 

 

「……もちろん、トレーナー殿に感謝してほしいなどとは言わない。我々は今回の罪を背負い、贖罪をする覚悟がある」

 

 

 ジェンティルの父、ジェンティルの弟さん。

 後ろに控えるメイドさんやスーツ姿の護衛の男性たちが、父親の合図で。

 一糸乱れぬ動きをして頭を下げてくる。

 

  

「トレーナー殿、此度の一件、誠に申し訳なかった」

 

 

 その光景たるや、オレは驚きを持って受け止めた。

 

 

「だが、もし当初から敵と対決姿勢をとっていれば、おそらくトレセン学園にも何らかの火の粉が降りかかっただろう。全貌が明らかではない組織を相手にするには、そういった不安要素さえ考慮しなければならない。そして、われわれの護衛たちにも家族がいる。むやみに戦って真っ向から倒せばよいというものではなかった。だから、貴殿には"わざと酷いことをした"」

 

 

 

 どれだけ力を持っていても、相手にある程度の力があれば手負い傷を受ける、ということだろう。

 理解はできるが、正直、納得はできない。

 

 

 

「我々の計画は、最終的にローランの悪事を全て暴き、我々自身がそれを世間に暴露することだった。何も知らない状態で協力したが、協力するうちに相手の悪事が目につき、証拠を集めて世間に告白するというストーリーでな。だが計画の途中で2つ目の問題が発生する。トレーナー殿がヴィルシーナ嬢を連れて凱旋門賞に挑戦しにきたことだ」

「オレとシーナ……」

「さすがに焦ったが、ローランはことレースに関してはほとんど素人だ。サブトレーナー、いやこの場合はゴーストトレーナーというべきか。彼の力があれば余裕だとタカをくくってくれたので安心した。君に何か危害を加えるのではと予想もしたが、我々を完全に信頼してくれていたためか、気にも留めていなかったよ。まぁ、君の護衛の数は念のため3倍には増やしたがね」

 

 

 そんなに……。

 でもそれなら問題というべきほどではないような気はするが。

 

 

「だが私はローランの持っている力、凱旋門賞を4度制覇した力を利用することも考えていた。さきほども言ったが、ジェンティルを世界のトレーナーに託したいと思ったこと自体は事実だ。ジェンティルが凱旋門賞を制覇する計画に、問題が生じたのだよ。……さ、そろそろ入ってくれたまえ、アダム・ウェンブリー」

 

 

 

 ジェンティル父がそう言うと、また扉が開いた。

 入ってきたのは、初めて見る顔だった。

 眼鏡をかけた男性で、年齢はおそらく30代半ば。

 細身で190cmほどの高身長だが、白人であることを加味してもやけに肌が白く、不健康に見える。

 

 

「ローランのサブトレーナー改め、ゴーストトレーナーであるアダム・ウェンブリー君だ。アダムは10年前、とある事件に巻き込まれ、彼らに利用されてきた。それ以降、ローランを世界で活躍するトレーナーに見せかけるために、彼が凱旋門賞ウマ娘を育成してきた。ローランが過去10年で4度も凱旋門賞を取ったのは、実は全て彼の功績だ。今回の件を経て、ようやく彼も解放されたよ」

 

 

 すると、クラリス先輩が叫んだ。

 

 

「兄さん!?」

 

 

 …………。

 

 

 …………。

 

 

 え。

 

 

「お兄さん!?」

 

 

 クラリス先輩の本名はクラリス・綾香 ウェンブリー。

 

 そしてアダムトレーナーの本名も。

 アダム・ウェンブリー。

 

 

 え?

 

 

 

「先輩! あの、お兄さんって!?」

「ええ、行方不明になっていた兄よ。腹違いのね。どこにいるかと思ったら……あんな奴と一緒にいたなんて!」

 

 

 クラリス先輩がまたも怒髪天を貫きそうだった。

 いや、貫いている。

 

 

「クラリス嬢。彼は進んで協力したのではない。これも全て君を守るためだ」

「は?」

「今回のトレーナー殿と同じだ。10年前、アダムの力を欲したローランが、君を交渉カードにしてアダムに協力させたのだ」

「…………、それ、本当なの?」

 

 

 先輩が聞くと、アダムが頷いた。

 確かに良い生活をしていたとは思えないほどやせ細っている。

 オレがちょっと小突けば、折れてしまいそうなほどに。

 

 

「……はぁ、じゃあ今回は、あのローランって奴が最低ってわけね」

 

 

 結局は、ローラン・ジレーヌがくだらないことのために、ジェンティルやオレたちに目を付けて。

 ジェンティルもオレは振り回されたということだろう。

 

 

「本来なら、ジェンティルはアダムトレーナーの力で凱旋門賞を制覇するはずだと私は思っていた。だが、君がそれを阻止した」

 

 

 ジェンティル父はため息を吐く。

 

 

「正直、驚いたよ。トレーナー殿はジェンティルとともに、クラリストレーナーとヴィルシーナに勝利した実績を持った。だがそれは決してジェンティルの力だけではなかった。今回、本物の世界的トレーナーであるアダムとジェンティルの2人相手に、かつてのライバルであるヴィルシーナ嬢とともに真っ向から勝負し、勝利したのだ。もはや感服したよ。これほどのトレーナーを、私は見抜けなかったのかとね」

 

 

 ……そう言われても、なんだかピンと来なかった。

 逡巡するオレを無視して、ジェンティル父が話を続ける。

 

 

「今の私は、君こそがジェンティルドンナにふさわしいと思っている。此度の件における、全てのお礼とお詫びになんでもするつもりだ。もし君がジェンティルドンナを求めたとしても、私は喜んで娘を君に託そう」

「何を調子の良いことを……」

 

 

 クラリス先輩が小声でぼやく。

 だがきっと、詳細は分からないが、お兄さんの一件もあることから強くは言えないのだろう。

 

 

「君ならジェンティルドンナの隣にいる資格があり、その実力がある。それを、君は世界最高峰の舞台で示したのだ。貴殿にはもう一度ジェンティルのトレーナーになってほしい。どうかな?」

 

 

 ジェンティルのお父さんの質問に、オレは答える。

 

 

「お断りします」

 

 

 空気が止まった。

 ジェンティルとオレ以外の、誰もが息を呑んだ。

 

 

 

「……そうか、残念だ。理由を聞かせてもらえるかな?」

「あなたね!」

 

 

 

 我慢の限界に達したのか、怒るクラリス先輩。

 それをオレは片手で制止する。

 

  

 

 

「そういうことはもう――お父さんを通してではなく、ちゃんと"ジェンティルの口から聞く"と決めましたから」

 

 

 それだけ告げて、オレはジェンティルに向き直った。

 ジェンティルもまた真顔でこちらを見ている。

 手は前で揃え、脚も揃え、凛とする気品のあるお嬢様然とした彼女が、懐かしい。

 

 じっとオレを見つめ、オレの言葉を待っているのだ。

 

 

 

「ジェンティル」

「……」

 

 

 そしてオレは宣言する。

 

 

「君のトレーナーは、この世界でオレだけだ」

 

 

 ピクッ、とジェンティルが反応した。

 そんな彼女に、手を伸ばす。

 手のひらを上にして、君という存在を掴むように。

 

 

「戻ってこいジェンティル。そしてもう二度と、オレの側から離れるな」

 

 

 

 すると、ジェンティルの瞳の中の光が、3つに分かれた。

 口元は緩み、口角を上げている。

 

 

「はい……♪」

 

  

 頷けば、勝負服の裾を両手で大きく広げ、少し足を縦に開く。

 そのまま体躯をゆっくり下げると――

 

 

「わたくしジェンティルドンナはあなたの下に戻り、二度とあなたの側から離れないことを誓いますわ……♪」

 

 

 頭を垂れて、傅くのだった。

 

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