蒼と紅の炎   作:荒波を征く湯気

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幕間1 ジェンティルドンナの憂鬱

 トレーナーがヴィルシーナと正式に契約し、二人が新たなスタートを切り始めていた頃。

 

 ここは、フランスの首都パリ。

 洗練された街並みが広がる一角、古くからの歴史を感じさせる石造りの建物と、モダンなガラス張りの建物が混在し、どこを見てもその街並みの美しさが際立っている。

 パリの街角にはカフェのテラス席が並び、人々が楽しそうに会話を交わしながら、カフェオレを飲んでいた。

 昼下がりの柔らかな陽光が町を照らし、温かな風が通り過ぎる度に、木々の葉が揺れて街の静けさを奏でているようだ。

 

 その中でも、ジェンティルドンナの座るカフェは少し外れた静かな場所にあり、街の喧騒を遠くに感じながらも、心地よい贅沢なひとときを過ごす場所となっていた。

 

 

「へぇ、美味しい。意外と口に合いますわね」

 

 

 彼女は独特な形をしたマカロンを一口含み、微笑んだ。

 その表情はどこか懐かしさを思い起こしているようで、穏やかな時間を過ごしている。

 だがその裏で、彼女の頭には多くの思考が渦巻いていた。

 

 

(さて、以前のインタビューの回答は、上手く放送されたかしら?)

 

 

 彼女が物思いに耽っているのは先日、日本に向けたインタビューの内容だった。

 

 

(多くの財界や政治家の方々も見ている手前、喜んでいるように演じるほかは、ありませんでしたけれど……)

 

 

 自身が行った会見の場面。

 凱旋門賞への出走を宣言した自分は、父が薦めた新しいトレーナーとの共同会見で、笑みを浮かべて語った。

 しかしその全てが表向きのものだったのだ。

 

 

(あのローランというトレーナーには、世界中に多くのコネクションがある。彼を軽蔑したままの態度を表に出してしまえば、あとあと面倒になる。過保護なお父様の事業にも影響するでしょうし、政治的な理由で凱旋門賞に出走させられなくすることだって可能。それに、あの人にも……)

 

 

 紅茶を置いたジェンティルドンナは、視線をカップの縁に落とした。

 マカロンを指で摘まみ、中身を気にせずぐちゅりと潰す。

 

 

(わたくしが協力する代わりに、手出しは絶対にしないと約束させましたが、果たしてどうなることやら)

 

 

 彼女の心に浮かぶのは、ローランの冷徹な顔だ。

 全てが計算されたかのようなその振る舞いに、内心では反発を覚えるものの、表に出すことは許されない。

 彼の背後にある多くの【力】を考えれば、表立って拒絶するのも得策ではない。

 

 

(ま、あの人にはボディガードをつけていますけど……はぁ、本当に嫌になりますわね。こういう手合いは。)

 

 

 思い起こされるのは【貸し1】だとして、頼み事を聞いてくれた可愛い弟の、勝ち誇った顔。

 苦笑したジェンティルドンナだが、彼の力がついていれば危険が及ぶことはないはずだと確信していた。

 

 

(何も言わずに来てしまったけれど……あの人が事情を知れば、どのように行動するかは明白よね。きっと全てを敵に回してでも、わたくしの傍にいると言って……)

 

 

 ジェンティルドンナは、彼の真剣なまなざしを思い浮かべる。

 かつて彼とともに歩んだティアラ路線、そのあとのジャパンカップなど数多の相手と戦ってきた記憶とともに、傍にいつもいた彼の匂いを思い出す。

 彼女が思い出している間、その頬が朱に染まり、口元には小さな笑みが浮かんでいた。

 ただし、そのことに気づいたのは、偶然彼女の傍を通った店員だけだった。

 

 

(まぁそれも、わたくしが世界を獲るまでの我慢ですわ。たった10ヶ月……それを耐えれば、わたくしはあの人の元に戻ることができる)

 

 

 ジェンティルドンナは力強く自分を奮い立たせるようにスコーンを口に入れて、かみ砕く。

 

 

(彼らを拒絶して抵抗することは容易だけれど、その後に起こる展開を考えれば、良い選択肢ではありませんものね)

 

 

 ジェンティルドンナはカフェのテーブルに目を落とし、紅茶を口に含んだ。

 香りと温かさが心地よく広がり、少しだけリラックスする。

 

 

「はぁ、お肌に良くありませんわ。悩み事は……あの人の写真くらいはあったかしら?」

 

 

 自嘲気味に呟きつつ、彼女はそっと自分の頬を触った。

 その肌は陶器のようになめらかで美しい。だが、最近少し荒れているような気もしていた。

 

 

(夜のパックやローションで保湿を怠るわけにはいきませんわね。肌は正直ですもの。それに……)

 

 

 彼女の指が頬をなぞる動きを止めた。

 脳裏に浮かんだのは、やはりかつてのトレーナーの声。

 

 

(「ティアラか! それは似合いそうだな!」――なんて)

 

 

 それは彼と契約した日、彼が放った一言だった。

 他にスカウトしてきたトレーナーは、クラシック3冠や、すでに凱旋門賞を視野に入れた計画を見せてくる者もいた。

 だが、ジェンティルドンナの意見を聞き、それを否定せず、ティアラが似合うと言い放った彼はその後。

 どんな道でも、ジェンティルドンナは最強になる、と信じたのだ。

 その言葉が、彼女が彼との契約を決めた大きな要因の1つだった。

 

 

(あの人の言葉通り、わたくしはこの道であっても最強になってみせる。でもそのとき、ティアラが似合わないウマ娘になんてなりたくありませんもの。あの人と共に勝ち取ったティアラが、一層映えるウマ娘であるべきですわ)

 

 

 静かに紅茶を置く。

 自分の歩む道には多くの邪魔者が存在するが、全て力でねじ伏せる。

 そして、また彼の前に立つその時には、たとえどのような称号を手に入れていたとしてもティアラの似合うウマ娘ではありたい――そんな思いが、彼女の心の奥で静かに燃えていた。

 

 

(本来なら、わたくしの声を聴かせてあげたいけど、通信を制限されている今、連絡を取るのも難しいわね。元気にしているかしら? まさかお父様が、ここまでするとは思わなかったけど、過保護というには暴走が過ぎるわ)

 

 

 彼女はその思いを胸の奥にしまい込むように深く息をついた。

 今もジェンティルドンナの父は彼女の持っているスマホなどの通信を制限し、ジェンティルドンナが彼と連絡を取るようなことがないよう、監視がついている。

 

 

(契約については、父に連れられてすぐに日本を離れたから、わたくしから直接伝えたわけではない。だからどんな顔をしていたか想像しかできないけど、何も言わずに離れたのだから落ち込んでいらっしゃるでしょうね)

 

 

 世界を目指すにあたり、一流のトレーナーに担当してもらうという政財界からの案が受け入れられたのも、父親の親心なのだろう。

 しかしその流れに持っていく手段や手際が、あまりに迅速で用意周到だったのだ。

 まるで二人を遠ざけるかのように。

 

 

(一体何を考えているのやら。こうなったら……監視の目をかいくぐって、手紙でも出すべきね。トレセン学園の住所くらいは分かるもの)

 

 

 ジェンティルドンナは、そう心に決めて紅茶を含む。

 1週間ほど前に挨拶もロクにできなかった彼の顔を思い浮かべて。

 

 

「ここにいたのか、ジェンティルドンナ。昼間から優雅だな」

 

 

 そのとき、カフェの入り口から現れたのは、ジェンティルドンナの現トレーナー【ローラン・ジレーヌ】だった。

 スーツに身を包んだ彼はその表情、その仕草、その姿勢から、どこか人を見下すような態度を纏っている。

 

 

「ええ、おかげさまで。良い休日を過ごせていますわ」

「紅茶を飲んでいるだけで、芸術的な絵画だ。さすが貴婦人と呼ばれることはある」

 

 

 彼女の対面に当然のように腰を下ろすローランの言葉には敬意を装った響きがあったが、その笑みは明らかに自信に満ち溢れていた。

 ジェンティルドンナは微笑みを浮かべながらも、内心では眉をひそめる。

 

 

(まったく。あの人の慌てる顔や、寝ている顔を思い出して楽しんでいたのに、無粋な人……顔も見たくありませんわ)

 

 

 ジェンティルドンナは無理に笑顔を作る。

 本当は、一人で過ごす方が何倍も心地良かった。

 それに、心の中で何度も思い返すのは、あの人――元トレーナーのことばかりだ。

 

 

「君の気品があれば、どんな環境でもその場を輝かせる。俺の管理するウマ娘たちにも、少しはその優雅さを分けてやりたいものだよ」

 

 

 そんな褒め言葉に、ジェンティルドンナは顔色を1つ変えず、紅茶を一口含んだ。

 表情には変化を見せないが、心中では冷たい感情が広がる。

 

 

(相変わらずですわねこの方、ウマ娘を管理だなんて。まるで、わたくしたちを自分を美しく飾る装飾品のように……いえ、この場合は実績の証明書のように扱っている、かしら?)

 

 

「それはそれは。お褒めに預かり光栄ですわ。あなたの指導についたウマ娘なら少しコツを掴めば、すぐに優雅さや気品を身に着けるのではなくて?」

「はっはっは、そう褒めても何も出ないぞ? まぁ俺はどんなウマ娘でも一流に仕立ててきた。もちろん、君のようにすでに一流の素養があるウマ娘なら、なおさら高みを目指せるがな」

 

 

 ローランの言葉は一見、彼女を褒めているように聞こえるものの、根底には己への自信とウマ娘に対する支配欲が滲んでいた。

 彼の言葉を読み解けば、今までのウマ娘よりも素養のあるジェンティルドンナを、自分が指導することで、今までよりも成功は約束されているのだという圧倒的な自信だ。

 

 

(実に、くだらない。あの人とは大違い)

 

 

 心の奥底で溜息を吐きつつ、ジェンティルドンナはただ微笑みを浮かべた。

 もはや彼の言葉に応じる価値を感じなかったからだ。

 

 

(自分の力を過信していると痛い目に合う。どれほど実績があろうとも、私をそのような目で見ること自体が愚かだということを、いつか思い知らせてあげますわ)

 

 

 ジェンティルドンナは静かに紅茶を飲み干し、席を立つ準備を始めた。

 どれだけ彼が上機嫌に話を続けようとも、彼女にとってこの時間は、ただの忍耐でしかなかったのは言うまでもない。

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