蒼と紅の炎   作:荒波を征く湯気

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第7話 その世界に至りし者

 トレセン学園の会長、シンボリルドルフは、大阪杯が開催される阪神レース場、その最上階にあるVIP待遇の特別席でレースを観戦していた。

 本日行われる12本のレースにも学園の生徒が多数出場するが、今日はGⅠレースの日。

 

 学園の生徒会長として、世代を代表するウマ娘たちの雄姿をその目で見届けることは、重要な役割のひとつで、この観戦もまた生徒会長の仕事の一環であった。

 

 とはいっても、今回のレースはさらに特別な意味がある。

 日本にとっての悲願であり、誰もが夢を見る世界最高峰の舞台、凱旋門賞に出場するウマ娘がほぼ確実に内定するのだ。

 そのためにプロジェクトL'arkの責任者である佐岳メイ、ひいてはURAの役員も別の部屋で観戦していると聞いている。

 

 有力なウマ娘は、今のところオルフェーヴルただ一人。

 その彼女が大阪杯に出場するのだから、それだけで注目が集まるだろう。

 

 

(ん? 誰か来たようだな)

 

 

 思案するルドルフは、自動販売機で買ってきたお茶に丁寧に口をつけながら、ふと遅れて入ってきたウマ娘の姿に目を見開いた。

 

 

「おや、君がここに来るとはね。珍しい客人だ」

「しゅまない、ルドルフ。押しかけてきてしまったな」

 

 

 オグリキャップ。

 かつては灰の怪物とも呼ばれた彼女は、両手にたこ焼きとお好み焼きの土産を抱え、さらにイカ焼きを三本も頬張ったまま、ルドルフの隣の席に座った。

 甘く香ばしいソースの匂いが立ち込め、ルドルフの鼻腔をくすぐる。

 

 

(これは……後で生徒会の皆にも、持ち帰るとしよう)

 

 

 そんな考えが頭をよぎるが、それはそれとして、オグリキャップがこのVIP席からレースを観戦するのは初めてのことだった。

 なぜわざわざ阪神レース場まで足を運んだのか。

 単なる大阪グルメ巡りではないはずだ。

 

 

「君もオルフェーヴル君を見に来たのかい? だが、そこまで君を惹きつけるレースには思えないが……」

 

 

 凱旋門賞を目指すオルフェーヴルが出走することで、場内はすさまじい熱気に包まれていた。

 当然のように1番人気に推され、実力も人気も他の追随を許さない。

 圧倒的な強者。

 圧倒的に勝利を約束された存在。

 そう言っても過言ではないレースだ。

 

 だからこそ、ルドルフには意外だった。

 

 

「いや、彼女ではない」

「ほう? 彼女ではない、か。君が他のウマ娘に興味を持つとはね」

 

 

 今やご当地グルメをむしゃむしゃ食べ、学園でも食べる姿が愛おしいと人気のある彼女が、こうしてレースを見に来ること自体が珍しい。

 それなのに、まさかオルフェーヴル以外に注目する相手がいるとは。

 

 

「興味か。うーん、ちょっとした縁のようなものだが、おそらくレースが始まればルドルフもビックリするんじゃないだろうか」

「君をしてそこまで言わせるとは、私も興味が出てきたよ。それは一体誰なんだ?」

「ふーみゅ、ふぁんふぉふぃっふぁふぁ……、ふぇーっふぉ、ふぉうは、ふぃふふぃーふぁひゃ」

「申し訳ないが、飲み込んでからで良いので、後でもう一度教えてくれたまえ」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 とうとうこの日がやってきた……!

 オレとシーナは大阪杯の出場ウマ娘として控室に通されており、午前中からずっとこの部屋に閉じこもっている。

 

 詰めかけたファンの数は約4万人と推計されており、その熱気はすさまじく、控室からでもその歓声が聞こえるほどだ。

 その中心にいるのは、やはりオルフェーヴル。

 彼女目当てのファンや観客が集まり、場内は興奮に包まれている。

 

 彼女の勝利はもちろん、凱旋門賞への出場も期待されているのだろう。

 さらに、URA協会の理事や学園の生徒会長シンボリルドルフ、佐岳メイまでもが観戦に訪れており、ここでの勝利が凱旋門賞の出場枠に大きな影響を与えることは、暗黙の了解となっていた。

 

 

「すぅ……ふぅ……」

「緊張しているな」

「はい、でも大丈夫です。必ず勝利を掴んでみせます」

 

 

 そう言いつつも、シーナの顔は浮かばない。緊張もあるだろうが、やはり妹たちの一件が尾を引いているのだろうか。

 オレもあれからシュヴァルグランとは、一度も話せていない。

 きっと応援に来てくれているとは思うが確証はないし、シーナもスマホを手にとっては彼女たちからの連絡を待っているように見えた。

 

 

「きっと、二人とも来てくれるさ」

「だと、いいんですが……」

 

 

 会場に到着したなどの連絡はないらしい。

 不安や懸念、心残り――そんな負の感情が重圧となって、会場の空気と一緒に飲み込まれそうになる。

 シーナも落ち着かない様子で、そわそわと控室の中を歩き回っている。

 

 

「そう言えば、ジェンティルさんは、レース前はやはり緊張されていませんでしたか?」

「いや彼女も緊張していたよ。特にオルフェーヴルと戦うときはね」

「そうですか……」

 

 

 シーナが切なげな表情を浮かべる。

 その気持ちは理解できた。

 ジェンティルドンナが緊張したのは、オルフェーヴルと戦うときだけ。

 自分との対戦では、勝利を脅かす存在とは見なされていなかった――そう思っているのだろう。

 

 

「もちろん君と戦うときも緊張はしていたと思うが……どちらかというとクラシックは、なんかワクワクしてたと思う」

「……ふふ、それはあの人らしいですね」

 

 

 シーナが少し笑顔を取り戻す。

 彼女をこれ以上落ち込ませたくなくて、ジェンティルの当時の様子を少し肯定的に伝えて見たのだが、上手く伝わったようだ。

 

 

 それからしばしの間、沈黙が流れる。

 控室に置かれた時計の針が、コチ、コチと音を立てる。

 

 

 オグリの言葉を思い出すが、彼女の言っていることは、オレにはやはり分からなかった。

 そのためルドルフやマルゼンスキーにも聞いてみたのだが返ってきた答えもオグリと似ていた

 『なるほど、世界に挑むためには必要なことだろう。しかし申し訳ない。あまり伝えられることも少なくてね。あくまで私の感覚だが、レース中にスイッチが入るようなものだ』

『そうねぇ。そしてそれは、ウマ娘たちそれぞれで変わっちゃうのよ。例えばレース前のルーティンワークが有名ね。ほかにもレース展開、他にもライバルと争うときとか色々あるから、一概にこれをすればその世界に至ることができる、というわけでもないのよねぇ』

 やはりそういった感覚は確かにあるらしい。

 しかし、そこに至るための条件はやはりウマ娘によって変わるのは間違いない。

 

 

 では、シーナにとっての条件は何だろうか。

 そこに至るための実力はあるとは思うのだが……。

 

 考え続けたが、結論は出なかった。

 どちらにせよ、領域に入ることが目的ではない。

 勝つことが目的だ。

 このレースにはその上で挑むしかないのだから。

 

 

 用意されていたインスタントコーヒーのスティックを破り、カップに熱湯を注ぐ。

 湯気が立ち上り、それを口でふーふーと冷ました。

 

 

「ちなみに、ジェンティルさんは、緊張されている時どう過ごしていたんですか?」

「どうだったかな。あの頃は、オレのほうが緊張してたから」

「ふふ、そうなんですね。あ、まさか鉄球を握りしめていたとか?」

 

 

 苦笑していると、シーナが場を和ませようとしてくれているのか、半笑いで冗談を言ってきた。

 しかしオレの記憶がないだけで、ジェンティルドンナならやっていたような気もする。

 

 

「うーん……やってたかも」

「!?」

 

 

 顔を引きつらせて、ドン引きするシーナ。

 

 

「ああ、でもオレとこう手を握って、ニギニギして、パワーのコントロールをしていたな」

「トレーナーさんと、手を……ニギニギ?」

 

 

 シーナはさらに衝撃を受けたように、一歩下がる。

 そういえば、あの頃のジェンティルドンナは圧倒的な自信に満ちていた。

 『蹂躙の時間ですわ』などと言って、他のウマ娘とは次元の違うオーラを放っていて、シニアになってもそれは変わらなかったが……オルフェーヴルとの初対戦でその強さを思い知ったのだろう。

 2度目の対戦では、珍しく彼女が緊張してオレの手でパワーコントロールをしていた。

 

 

「な、なら、私も同じようにしてみてもいいですか?」

 

 

 突然の申し出に、思わず目を瞬かせる。

 シーナの表情には、ジェンティルドンナには負けたくないという意地が見え隠れしていた。

 きっと、緊張を和らげるために何でも試したいのだろう。

 驚きつつも、手元のハンカチで軽く拭いてから、手を差し出した。

 

 

 ――ぎゅっ。

 

 

「……っ、……!!」

「……?」

 

 

 数秒、いや、数分。

 シーナはオレの手を握りしめ、じっと見つめていた。

 心なしか、その頬は赤くなっている。

 きっと……集中して、気持ちを高めているのだろう。

 オレもそれに応えるように、軽く力を込めて握り返す。

 

 

「っ!!」

「どう?」

「た、確かに落ち着く感じがありますね。ジェンティルさんの気持ちが、少し分かる気がします……」

「そうか、それなら良かった」

「はい……」

 

 

 シーナが可愛らしく微笑む。

 どうやらリラックスできたようだ。良かった良かった。

 

 そのとき、控室の扉がコンコンと叩かれる。

 

 

「ヴィルシーナさん、そろそろ出走時刻です。地下バ道へおいでください」

「時間ですね……」

 

 

 彼女の表情が緩んだ笑顔から、凛としたものへと切り替わる。

 

 

「シーナ、行ってこい!」

「はい! 必ず勝ってきます!」

 

 

 シーナの背中を見送ると、オレもレースを間近で見るために観客席へと移動するのだった。

 

 

 ――ワァアアアアアアアアアアアアア!

 

 

 地鳴りのような歓声が阪神レース場を揺らしている。

 第11レース、G1大阪杯。

 天気は曇り、芝は稍重。乾ききらないバ場が、ウマ娘たちの脚にどのような影響を及ぼすのか。

 戦いの舞台が整えられ、詰めかけた大観衆の視線が、今か今かとゲートの向こうを見つめている。

 

 出走ウマ娘は16人。

 その中で、圧倒的な1番人気を背負うのは、言わずもがなオルフェーヴルだ。

 彼女の存在がこのレースの熱狂をさらに煽っていた。

 対するヴィルシーナは5番人気で、実力を疑われているわけではないが、あまりにも強大な存在がいる以上、順当な評価と言えるだろう。

 

 出走時刻が迫る中、オレは人混みをかき分けて観客席の最前列に出た。

 

 目の前に広がる芝のコースは、曇天の下で鈍く光り、少し重たそうに見える。

 ヴィルシーナには決して楽なコンディションではないが……、それでも勝たなければならない。

 

 

「おや、奇遇ですね」

 

 

 すぐ隣から、どこか聞き覚えのある声がかかった。

 

 驚いて目を向けると、そこにいたのは小柄なウマ娘。

 優美な髪をさらりと揺らし、鋭い双眸がこちらを見上げている。

 

 ドリームジャーニー――オルフェーヴルの実の姉だ。

 

 

「やぁ、久しぶり」

 

 

 以前、真正面から啖呵を切ったのもあって気まずいが、気にすることもない。

 彼女のほうもそんなこと気にしていないように柔らかく微笑んでいる。

 

 しかし彼女の放つ圧は相変わらずだった。

 いざ冷静になってみると、よくこの子たち相手にあそこまでの啖呵を切れたな。

 

 

「ライバル陣営ではありますが、無事にレースが終わることを祈りましょう。……実は楽しみにしていたのですよ。あれだけの啖呵を切ったトレーナーが、彼女をどのように押し上げたのかを」

 

 

 あ、やっぱり根に持っているな。

 だがあの時はシーナをバカにされ、腹が立ったのもある。

 その時の言葉を思い返せば、やはり間違ったことは言っていないという確信がある。

 

 

「見れば分かるさ」

 

 

 すぐに気を取り直し、ヴィルシーナに意識を向ける。

 横からじろじろと見定められているような気がするが、今はそれどころではない。

 事前の抽選結果で、シーナは6枠12番のゲートだ。

 対するオルフェーヴルは1枠2番。

 

 

「君たちは運も持っているんだな」

「どうでしょうね? しかしながら、枠番が外であっても、オルが勝つことは揺るぎないですし。あまり気にされない方がよろしいかと」

「言ってくれる」

 

 

 ドリームジャーニーが、クスリと笑う。

 その笑みの意味はわからないが、少なくとも彼女はオルフェーヴルが勝つことにやはり、圧倒的な自信があるようだった。

 

 観客席の熱気はさらに高まり、スタンド全体がざわめき始める。

 大画面のスクリーンに、出場ウマ娘たちが、地下バ道を通ってパドックへと向かっているのが見えた。

 

 その先にいるのは、ヴィルシーナと――オルフェーヴル。

 

 ついに、戦いの幕が上がる。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 ~~♪

 

 

 4万人の観衆が一斉に手拍子を打ち、出走前のファンファーレが鳴り響く。

 その後に万雷の拍手が轟くと、まるで空そのものが揺れているような錯覚さえ覚えた。

 

 ざわめき、期待、熱狂――そのすべてが、この一戦に注がれている。

 ゲートに向かうウマ娘たちの蹄音が、芝を踏みしめる音と混ざり合い、シーナの耳に届く。

 

 

(シュヴァルとヴィブロスは……、さすがにここからじゃ、分からないわね)

 

 

 ひとり、またひとりと、ゲートへと吸い込まれていく。

 そろそろ、心を静め――そう思った矢先だった。

 

 

「ほう、あれだけの口を叩いただけのことはある」

 

 

 背後から響いた声に、思わず振り返る。

 ただそれだけで、胸の奥がざわついた。

 

 

「……オルフェーヴル!」

 

 

 鬣のような黄金の髪が、わずかに揺れる。

 彼女の眼差しが鋭く射抜いてきた。

 

 それだけで、体が勝手に身構えてしまう。

 戦いの場において、一切の無駄がない気迫――それが彼女の“自然体”なのだと、直感で理解する。

 

 オルフェーヴルは堂々とした足取りで、目の前へと歩み寄ってくる。

 

 

「貴様の身体、よく練られていると見える。ただ口だけの存在だと思っていたが、よくそこまで辿り着いたと褒めてやろう」

「それは……どうも」

 

 

 言葉だけなら、まるで余裕たっぷりの王者が挑戦者を試すかのよう。

 しかし、彼女の放つ雰囲気は、それだけで圧倒的だった。

 

 シーナは、それを真正面から見据える。

 以前の自分とは違う。どれだけ過酷なトレーニングを積んできたと思っていると。

 それなのに――小さな震えが止まらなかった。

 

 怖いわけではない。

 けれど、ウマ娘としての本能が告げてくるのだ。

 目の前の存在が、自分とは異なる領域にいることを。

 ジェンティルドンナと同じくらいの力を秘めた“怪物”であることを。

 

 

「……今日は、あなたを倒すためにここに来ました」

 

 

 息を大きく吸い込み、鼓動を落ち着ける。

 自分に言い聞かせるように、闘志を言葉に乗せる。

 気圧されてはいけない。

 己の意志を貫くために。

 

 

「強がるな」

 

 

 低く、鋭い声音が、まるで心をえぐるように響いた。

 

 

「今の貴様だからこそ分かるはずだ。……余と貴様の、如何ともしがたい力の差を」

 

 

 その瞬間――。

 ズォオオオッ!!! と、目の前の空間が歪んだような錯覚に陥る。

 

 いや。

 これは錯覚なんかじゃない。

 

 オルフェーヴルの存在そのものが、周囲の空気を支配していく。

 身体の内側から湧き上がる、絶対的な力の奔流。

 

 その圧倒的な気迫は、まるで巨大なオーラとなって押しつぶそうとしてきた。

 

 呼吸が苦しくなる。空気が重くなる。

 まるで、重力が何倍にもなったかのような感覚に体が沈み込む。

 

 

「――、っ、はぁ、……はぁ」

 

 

 浅くなった呼吸を無理やり整える。

 握りしめた拳に、じんわりと汗が滲む。

 

 

「ふん、無理をするな」

 

 

 オルフェーヴルが、冷ややかに見下ろしてくる。

 

 

「並みのウマ娘なら、レース前の余と対峙するだけで震え上がる。貴様はその中でも強いほうだ」

 

 

 そう言い残し、彼女はゆっくりとゲートへと入っていった。

 

 

(強いほう、ね……。言ってくれるわ)

 

 

 観客の歓声も、実況の声も、すべてが遠く感じた。

 ただ、その背中が見えなくなるまで、シーナは立ち尽くしていた。

 

 すでにゲート入りしたウマ娘たちも、彼女の存在に呑まれ、顔も体すらも強張らせている。

 

 だが――。

 

 

 (絶対負けられない……!!)

 

 

 こんなところで、終わるわけにはいかない。

 オルフェーヴルが王者だというのなら、それを倒す存在になる。

 必ず、ジェンティルドンナを超えるために――まずは、この大阪杯で、この怪物を倒す。

 

 震える手を無理やり強く握りしめ、シーナは一歩踏み出した。

 己を奮い立たせながら、ゆっくりとゲートの中へと入っていく。

 

 

 そして――ガコン!!

 

 

『今、スタートしました!!!』

 

 

 ゲートが一斉に開いた。

 その瞬間、脚が地面を揺るがし、地響きのような衝撃が響き渡る。

 それと一緒に4万人の大観衆が、一斉に声を上げた。

 

 視界が揺れる。

 振動が足裏から伝わり、全身を駆け抜けていく。

 

 

(予定通りのポジションをとる!)

 

 

 ポジション取りについては以前、メジロマックイーンから叩き込まれた戦略を思い出す。

 スタート直後の下り坂を駆け降りれば、すぐに上り坂が迫る。

 加速を緩めず、一気に先頭集団へ食らいつく。

 そこから、そのまま上り坂を駆け上がった。

 

 

(他の子も狙ってる……先行策なら当然よね)

 

 

 周囲には同じように考えているウマ娘が何人かいた。

 赤毛の子、金髪の子、ツインテールの子。

 状況を確認している暇はない。

 一瞬の判断で不利な位置に追いやられてしまう。

 仮に競り合ったとしてもスタミナが削られることは確実。

 判断を間違えてはいけない。

 

 第1コーナー直前。

 すぐ隣、二人のウマ娘が並走し、ぶつかるように競り合った。

 その一瞬の隙を、見逃さない。

 エルコンドルパサー、エアシャカールたちと走り込んできた経験がシーナの身体を動かす。

 鋭く身を捩り、わずかなスペースに滑り込むように前へ。

 

 内ラチ沿いを確保した。

 

 

『さぁ、ウマ娘たちがコーナーに入った。先頭は以前4番、続いて7番、その後ろに12番ヴィルシーナ。続けて1番、15番――』

 

 

 実況の声は聞こえていた。

 さすがにG1レースだけあって、他のウマ娘たちも一筋縄ではいかない。

 ひしひしと肌で感じるその圧力。

 全員が勝利を目指しているのは当然だが、シーナもG1を勝利したウマ娘だ。

 気持ちで負けることはない。

 

 しかし、やはりその中でも異質な存在がいた――。

 

 

『さぁ、2番オルフェーヴルは後方から2番手。その眼光が前のウマ娘たちを捉えています!』

 

 

 胸が、嫌な熱を帯びた。

 モニターを一瞥すると、オルフェーヴルの位置は……10バ身以上後方。

 距離は十分にある。

 それなのに、背筋を冷たい何かが這い上がる。

 まるで、もうすでに背後に迫られているような錯覚に陥り、脚が勝手に逃げようとする。

 

 

(く……っ!)

 

 

 奥歯を噛みしめた、その瞬間。

 脳裏に、マックイーンさんの言葉が鮮明に蘇った。

 

 

(決して、ペースを乱されてはいけませんよ。強者ほど、その存在だけで周囲を揺さぶるものですから)

 

 

 シーナは呼吸を整える。

 冷静に、自分のレースを貫く。

 担当トレーナーがつけてくれたトレーニングが、脚をしっかりと地面に繋ぎ止めてくれているのだから。

 

 

 『おっと10番、前へ出る。少しかかったか!?』

 

 

 ツインテールのウマ娘が焦り、早めに仕掛けた。

 シーナは、それをただ冷静に観察する。

 

 まだだ。

 

 どれだけの圧が来ようと、焦って飛び出すわけにはいかない。

 ペースを崩さず、じわじわと上げていく。

 オルフェーヴルが本当に動き出すのは――まだ先。

 

 

『さぁ、第2コーナーを回って直線に入る! オルフェーヴルは依然後方、しかし、虎視眈々と狙っているか……!?』

 

 

 視界が開ける直線。

 ここが、勝負の分かれ道だ。

 第3コーナーに入る前に、できる限りバ群を伸ばし、オルフェーヴルが終盤で追いつけないほど引き離す必要がある。

 スピードをじわりと上げながら、周りのウマ娘たちを前へ誘い込んで、自身も前に上がっていくヴィルシーナ。

 

 先頭のペースは、思った以上に速かった。

 でもすでに、オルフェーヴルの"圧"に呑まれているように見えた。

 

 

『4番、ハイペースで進んでいきます! 徐々にバ群が伸びている!』

 

 

 逃げのウマ娘の肩が揺れ、顎が上がる。

 このペースでは、4コーナーまで持たないだろう。

 周りの何人かも、すでにオルフェーヴルを意識している。

 

 だが、シーナにとっては都合が良かった。

 

 

『先頭は依然4番! 少し下がって10番! その後ろにぴったりと12番ヴィルシーナ! 続いて5番、3番、11番……オルフェーヴルは後方4番手!』

 

 

 誰もが1番を目指すレースにおいて、強者の存在はプレッシャーになる。

 だがシーナは、圧倒的強者のいるレースをこれまで何度も経験してきた。

 意識することと、ペースを崩すことは違う。

 

 

『さぁ、集団が第3コーナーに差し掛かる!』

 

 

 実況が16人のウマ娘の位置を伝え終えた頃、シーナを含む先頭集団はもう第3コーナー直前にいた。

 セオリーでは、まだ仕掛けるには早い位置。

 だが――ヴィルシーナは、凱旋門賞を目指してきた。

 

 マイル戦の瞬発力をそのままに、ゴールまでトップスピードを維持できる自信があった。

 

 

『ヴィルシーナ! ここで動いた!!』

 

 

 一気に、加速し仕掛けていく。

 先頭のウマ娘を外から抜き去り、第3コーナーの中間地点でトップスピードに。

 

 

『ああっと! ここでオルフェーヴルも動いたぁああ!』

 

 

(来た!!)

 

 

 その時、オルフェーヴルが近づいてくるのが分かった。

 その圧力、その息遣い、その足音。

 時代を司る王者の進軍が、今全てを飲み込まんとしていた。

 

 

(タイミングは予想通り……! でも、想定よりもスピードが早い……!)

 

 

 モニターを見る余裕はない。

 実況の声は、別のウマ娘に言及している。

 しかし背中にかかる圧力で、シーナには手に取るようにわかっていた。

 何度もジェンティルドンナに追い詰められ、追い越されたときと同じ感覚に嫌な汗が流れていく。

 

  

(いいえ、あの時の私とは違う! まだまだスタミナはあるし、もっと前にあがっていける!)

 

 

 ゴールまではまだ遠い。

 だがそれでも、後方集団からとは引き離された場所にいた。

 

 

『ヴィルシーナが第4コーナーに差し掛かる! 仁川の坂はもう目の前!』 

 

 

 仕掛けたタイミングもこちらが早かった。

 それでも。

 

 

『オルフェーヴルが上がっていく!! もう先頭に届きそうだ!』

 

 

(早い……! 脚を残していたどころじゃない!? ここまで走ってきて、疲れすら感じさせないなんて!?)

 

 

「やはりここまでのようだな」

 

 

 すぐ後ろから、オルフェーヴルの声が聞こえた。

 その瞬間、肌を切り裂くような風が背中を叩く。

 

 

「そこが貴様の限界だ。おとなしく、余に道を空けよ」

 

 

 王者の脚が地面を叩く振動さえ、鼓膜に伝わる。

 後ろから迫るプレッシャーが肌を刺し、呼吸が詰まる。

 

 速い——わかっている。

 向こうのほうが少しだけ速い。

 じきにかわされる。

 それは誰の目にも明らかだった。

 

 

(いいえ……、負けない! 負けるもんですか!!)

 

 

『さぁヴィルシーナが粘る! しかしオルフェーヴルが外から回る! 並んでくる!』

 

 

 視界の端、王者の影がすぐ横に迫る。

 

 息が乱れる。呼吸がままならなくなる。

 足が重く、力が、うまく入らない。

 

 

「ぐぅう! うぅううう!?」

 

 

 視界が明滅してきた。

 呼吸が足りない。肺が悲鳴を上げている。

 

 空気抵抗も、芝生も、もっと早く走りたいシーナにとっては邪魔でしかなかった。

 

 

(なんで……! なんでこんなに、前へ行けないの……!?)

 

 

 負ける。

 そんな言葉が、頭をよぎった。

 

 本当の強者に、シーナは今まで勝てなかった

 ずっと見せつけられてきた力の差。

 ここでもまた、見せつけられるのだろうか。

 

 

(せっかく、あのトレーナーさんにトレーニングをつけてもらったのに……!)

 

 

 そう思った時、今までの記憶が走馬灯のように流れ出す。

 

 思えば、始まりは――あの時からだった。

 

 担当トレーナーがつく前のヴィルシーナは、自分に自信があった。

 だけどジェンティルドンナとの模擬レースに負けて、そこから意識は彼女に向いた。

 打倒ジェンティルドンナを抱げて、彼女に追いつくべく必死で食らいついた。

 

 それでも、クラシック戦線で負けて、エリザベス女王杯で負けて……負け続けて。

 

 やっと自分だけのヴィクトリアマイルを手にして、リベンジしようと思った。

 クラリストレーナーに無理を言って、あのトレーナーの手を無理やり取って、凱旋門賞に挑もうって約束してもらった。

 それなのに。

 

 だがそこで、ふと疑問に思う。

 なぜそうまでして、自分はジェンティルドンナに勝ちたいのだろう?

 

 

(……そうだ、どうして私は、あの人に勝ちたいの?)

 

 

 ジェンティルドンナよりもG1勝利数で勝ちたいから?

 

 違う。

 

 クラシック路線での三冠ティアラを手に入れたかったから?

 

 違う。

 

 オグリキャップの言葉を思い出す。

 誰に勝つよりも大事なこと……なぜ走るのか、その答え。

 それは自分の中に――。

 

 

(ヴィルシーナ、あなたはなぜ……)

 

 

 ——そのとき、気づいた。

 自分の名が"ヴィルシーナ"であることを。

 

 

(……ああ、そうか)

 

 

 自分は、"ヴィルシーナ"だった。

 なぜ、忘れていたのだろうか。

 こんなにも大事なことを。

 

 

『並んだ並んだ!! 直線に入った瞬間、王者の脚が、ついにヴィクトリアの女王を捉えた!』

 

 

(そっか。だからシュヴァルは……あんなにも必死だったんだ。そうだったわね……ごめんなさい)

 

 

『オルフェーヴル、躱すか! 躱していくか!?』

 

 

(私が、忘れていたんだ。こんなにも大事なことを。だから、あなたは……)

 

 

『躱した! ここまでかヴィルシーナ!!?』

 

 

 自分は、シュヴァルとヴィブロスを妹に持つ長女。

 名を、"ヴィルシーナ"。

 その自分が、二人に約束したはずだった。

 

 

(今になって思い出すなんて……)

 

 

 ——ピシッ!

 

 

 何かひび割れる音が、聞こえた気がした。

 

 

(そう、あの子たちと学園に入学する日……3人で約束したのよね)

 

 

 その視界の端で、オルフェーヴルの影が前に出る。

 風圧が肌を切り裂き、全身の筋肉が悲鳴を上げる。

 

 

(ヴィブロスはセレブなウマ娘に、シュヴァルは偉大なウマ娘に……そして私は――)

 

 

 心臓が、速く、速く、速く鳴る。

 呼吸が浅くなる。肺が酸素を求めて暴れ出しそうなほどに。

 

 だがそれが不思議と心地よくて、身を任せた。

 

 

(強くて、綺麗で、かっこよくて——)

 

 

 ――パキッ!

 

 

『オルフェーヴルが先頭に立つ! これは決まったかっ!?』

 

 

(2人が誇れるような姉になるって……そして——)

 

 

「お姉ちゃん!!!」

「姉さん頑張って!!! 勝ってぇえええええっ!!!」

 

 

 観客席から、ヴィブロスとシュヴァルグランの声が聞こえてきた。

 それは、必死に信じて叫ぶ声だった。

 何度負けても、何度苦しくても——それでも、今日も信じて来てくれたのだ。

 次こそはヴィルシーナが勝つ、と。

 そして必ず――。

 

 

("頂点"に立つって!!)

 

 

 ——パキィイイイイイン!!!

 

 

 その時、世界が弾けた。

 意識と体の奥で、何かがカチリとハマった感覚。

 まるで長い間、閉ざされていた蓋が吹き飛ばされたみたいに、体が軽くなって――。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

「もしかして君は、これを予見していたのかい、オグリキャップ?」

 

 

 ルドルフの問いかけに、オグリは黙々と口を動かしていた。

 手元には、たこ焼き煎餅の束がある。

 お土産だったはずのそれは、すでに半分ほど消えていた。

 

 

「もぐもぐ……いや、さっきも言った通り、彼女のことが気になっただけなんだ。深い理由は、ごくん、ないんだ」

 

 

 オグリの言葉はどこまでも淡々としていた。しかしルドルフは嬉しそうに笑みを浮かべる。

 

 

「そうか、君の言う通り確かに驚いたよ。君が何かきっかけを掴ませたんじゃないか?」

「そんなに大したことはしていないとは思う。ただ、あのままではオルフェーヴル君には勝てないだろうと言った。あむ」

 

 

 オグリは言葉を切ると、また1枚煎餅を口に運ぶ。

 

 

「なるほど……もしかすれば、その言葉がきっかけだったのかもしれないな」

 

 

 ルドルフは静かに目を細める。

 

 

「もともと彼女は、こちら側に来ていてもおかしくはないウマ娘だったんだよ」

「もぐもぐ、しょうなのか?」

「ああ、彼女の名前はヴィルシーナ。その名前の由来は、ロシア語で“頂点”という意味だ。その名のとおり、彼女は本来、頂点に立つ存在だった」

 

 

 オグリは煎餅を食べるよりも、ルドルフの言葉に耳を傾けることを優先する。

 

 

「そこにジェンティルドンナという"イレギュラー"が現れた。クラシックティアラ路線でその彼女に敗北を喫したとはいえ、ヴィルシーナは全て2着。ジェンティルドンナさえいなければ、ティアラはヴィルシーナのものだったという者までいる」

「そうか……それほどまでに」

 

 

 言葉を紡ぎながら、オグリは自分の過去を思い返すように、しみじみする。

 

 

「ああ、何度も同じ相手に負け続けると、なぜ自分が走っているのか分からなくなってくるものだ」

「私もそうだったな。灰の怪物なんて呼ばれたこともあったが……」

「白い稲妻に、灰の怪物か。懐かしいな」

 

 

 二人の間に、かすかな笑みが浮かぶ。

 それは互いの過去を知る者同士にしかわからない、深い理解の証だった。

 

 そして、ルドルフはゆっくりと口元を引き締める。

 

 

「さて、ヴィルシーナ……いや、敬意を表してこう呼ぶことにしよう」

 

 

 天を仰ぐように目を閉じ、次の言葉を静かに告げる。

 

 

「――ようこそ領域へ。ヴィクトリアの“蒼き女王”よ」

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

(え……?)

 

 

 ヴィルシーナは、今の自分がおかしな状態になっていることに気づいた。

 自分の心臓の鼓動だけが聞こえ、まるで世界から1人取り残されたようにも感じていた。

 

 もちろん、周りを見渡せばともにレースを走るウマ娘の姿はある。

 だが、その走るフォーム、姿勢、速度、腕を振る動作、脚の動き、それら全てが――。

 

 

(なに、これ……?)

 

 

 遅い。

 あまりにも全てが、遅く見えた。

 そんな視界の先、唯一同じ速度で走っているオルフェーヴルが、驚いたようにこちらを見ている。

 目が合った。

 

 その瞬間、すべてが腑に落ちた。

 

 

(そうか……これが、領域なんだ……)

 

 

 地面を蹴る。

 鼓動が速くなる。

 風が後押しする。

 

 やっと、追いついた。

 

 

(これが、本当の私!! これが……"ヴィルシーナ"!!)

 

 

 体が軽くなったように、どんどん前に行ける。

 邪魔に思っていた空気抵抗の壁が、嘘のように感じなかった。

 

 

「勝負よ、オルフェーヴル!!」

 

 

 そんな言葉が勝手に口を吐く。

 それは挑戦などではない。

 宣戦布告だった。

 ウマ娘として、姉として、そして――ヴィクトリアの"青き女王"として。

 

 三冠王者に真っ向勝負を挑む。

 

 

「この土壇場でこちら側に来るとはな……。いいだろう」

 

 

 対するオルフェーヴルは、驚いたように目を見開いていたが、その瞳にすぐに愉悦が灯る。

 抑え込んでいた本能が、解き放たれたかのように口元を笑みに変えて。

 

 

「認めてやろう、ヴィクトリアの女王よ。余が直々に引導を渡してやる」

 

 

 ――ドッ!

 

 轟音とともに、オルフェーヴルが再び加速した。

 今まで数多の挑戦者を蹴散らしてきた王者の領域が、ヴィルシーナを引き離しにかかる。

 

 

『なんと、ヴィルシーナが差し返した!?』

 

 

「なにっ!?」

「はあァああああああ!!!」

 

 

 魂の叫びが、喉から飛び出す。

 王者の影を捉え、横に並ぶ。

 "青き流星"が、"赤黄の王"を完全に捉える。

 

 

「……お、おォおおおおおおおおおっ!!!」

「あァあああああああああああああっ!!!」

 

 

 二人の咆哮が轟いた。

 王者と女王。

 二つの頂点が、今、重なるように――。

 

 ゴール板を突き抜けた。

 

 

『両者譲らず大接戦ゴール!!』

 

 

 ――ワァアアアアアアアア!!!

 

 爆発のような歓声が上がった。

 絶叫する者、歓喜する者、驚愕のあまり言葉を失う者。

 どよめきも、ざわめきも、あらゆる声が交錯し、渦となってレース場を包み込む。

 

 しかし、その喧騒は次第に収束していった。

 人々の意識はただ一点――掲示板へと向けられる。

 

 着順を示す数字は3着まで確定していた。

 しかし1着と2着は空白のまま。

 

 誰もが息を飲み、ランプの光が示す答えを待っている。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ! かは、っ、はあっ、はぁ!?」

 

 

 ヴィルシーナは荒く息をつく。

 肺が焼けるように痛む。

 それでも体が酸素を求めて喘ぎ続ける。

 

 

(どっち……どっちが、勝ったの……!?)

 

 

 脚の震えを意識する余裕さえなかった。

 心臓はまだレースの続きを走るように、鼓膜を叩くほど強く鳴っている。

 耳鳴りが頭の奥でこだまし、視界がわずかに揺れる。

 

 眼球だけをかろうじて動かし、掲示板の点滅するランプを捉えた。

 

 数字が表示されるまでの時間が、まるで永遠のように感じられた。

 膝が崩れ落ちそうになるのを堪えながら、それでもその結果を見るまでは目を逸らすわけにはいかなかった。

 

 

 次の瞬間、パッと数字が映し出される。

 一瞬の静寂。

 

 その、番号は――。

 

 12

  >ハナ

  2

 

 

『なんと勝者は、ヴィクトリアの女王、ヴィルシーナぁああああああああああ!!!』

 

 

 雷のような歓声がレース場全体を揺るがした。

 弾けるような拍手、叫び、涙を滲ませながら祝福する声。

 誰もが王者を下した女王の偉業に驚き、称えた。

 

 

「シーナぁあ!!! 勝ったぞぉおおおお!」

「お姉ちゃーーーーん!!! やったぁああああ!」

 

 

 トレーナーとヴィブロスの声が鮮明に聞こえた。

 ヴィルシーナは、されど立ち尽くす。

 

 本当に――自分が勝ったのか?

 夢ではないのか?

 

 そんな風に、実感がまるで湧かなかった。

 

 しかし、息を整えながら足の感覚が戻っていくと、踏みしめた芝生の柔らかさが伝わる。

 鼻をくすぐる草の匂いが、鼓膜を揺らす観客の歓声が、これが確かに現実なのだと告げていた。

 

 

「勝った……私、が……?」

 

 

 声が震える。

 胸の奥から込み上げてくる、熱いものを抑えられない。

 それをどう表現したら良いか、分からないほどに。

 

 

「やった……、やった、ぁあ……! ああぁ……っ」

 

 

 震える両手を胸に押し当て、その場でうずくまる。

 

 そして涙が、溢れた――。

 




途中の挿絵はnovelAIにて作成しました
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