後日。
約束通り、俺たちは劇場へと足を運んだ。
途中、少女がそわそわしながら俺の袖を引く。
「あ、あの……す、すごい爪をしてるって本当ですか?」
「爪?」俺が首を傾げる前に、別の声が割り込んだ。
「鋭くて、長くて、バケモノを簡単に倒せるって……」
すると、広場の隅に、小柄で白い髪を持ち、獣耳を生やした少年が立っていた。
その目はどこか悪戯っぽく光っている。
「本当に知りたい?」と少年は問いかけた。
「知りたい!」少女は即答する。
「んじゃ、よ〜く見ててね〜」
そう言った少年が手を広げると、少女は一瞬たじろぐ。
「うう……」
「じゃーん!」
出てきたのは、光る爪……ではなく、カラフルな飴玉だった。
「飴ちゃんだ!」少女が目を輝かせる。
「これあげるよ。君の思うようなすごい爪はないけど、飴ならたっくさんあるからね。」
少年はにかっと笑いながら手渡した。
「ありがと……お兄ちゃん!」
「どういたしまして!明日の獅子舞見に来てね!」
「絶対行く!」
少女は駆け戻ってきて、嬉しそうに俺に手を広げる。
「お兄ちゃん!飴ちゃんもらった!」
「そうか、それは良かったな……」俺は少女の頭を軽く撫でた。
「ねぇ、広場見に行っていい?」
「いいぞ。ただ、あまり遠くには行かないようにな。」
「うん、わかった!」
少女が走り去るのを見送った後、俺は舌打ちした。
「チッ……」
漂泊者がすぐに怪訝そうに問いかけてきた。
「陰楓……何をそんなに怒っているんだ?」
俺は小声で吐き捨てる。
「アイツに……俺以外でお兄ちゃん呼びさせた奴がいたからだ……」
漂泊者はため息をついた。
「逆恨みにもほどがあるぞ。」
……そうかもしれねぇ。だが俺にとっては、それだけで十分に許せないことなんだ。
「どうやら、君が例の漂泊者と陰風だね。」
突然かけられた声に視線をやると、そこにいたのは白い髪の獣耳の少年だった。
飄々とした態度で近づいてくる。
「すごいお客さんが来たって聞いてたんだけど、やっとこうして会えたね。」
そう言って、奴は堂々と名乗った。
「僕は凌陽。会えて嬉しいよ! この先も、輝かしい未来がありますように!」
漂泊者は快く手を伸ばした。……が、俺は伸ばさなかった。
何だか気に食わなかったからだ。
「君、やっぱり特別だね……」
凌陽の視線が俺に向く。
その目に映る俺は、握手すら拒んだひねくれ者だろう。
「ところでなぜ陰風はずっとこちらを睨んでくるのか知ってるかい?」
睨んでるんじゃねぇ、自然と目がそうなるんだよ。……たぶん。
「握手したら、もう友達だよ!」
にこにこと差し出される手。
だが俺は頑なに動かない。
すると漂泊者が苦笑しながら言った。
「こいつは少々性格をごじらせているところがあるんだ。そっとしておいてくれると助かる。」
オイ、漂泊者コラ……!
俺は睨みを凌陽から漂泊者に移す。
余計なこと言いやがって……俺が拗らせてるみたいじゃねぇか。
……まぁ、否定はしねぇけどな。
凌陽がグーッと腹を鳴らした。
「ごめん……一日中稽古してたからかな?ちょっとお腹が空いちゃって……」
そう言ったかと思うと、にこにこと笑いながら続ける。
「そうだ。一緒にご飯を食べよう!もちろん僕の奢りで!食事しながらいろいろ紹介するのも悪くないね!」
……はぁ?急にそんな話を持ちかけてくるとか、どう考えても怪しいだろ。
「そうだな、何か企んでるんじゃねぇの?」と口に出した瞬間、漂泊者に肘鉄を食らって吹っ飛んだ。
「陰風、いい加減しろ。オブラートに包むことを学べ」
うぐっ……!くそっ、容赦ねぇな。
俺の警戒心が正しいってのに、こいつはほんっと甘いんだよな。
凌陽は慌てて首を振った。
「企んでなんかないよ……ただ客人をおもてなししたいだけ。」
信じられるかってんだ……と睨みつけたところで再び漂泊者が口を挟む。
「すまない。ありがたくおもてなしを楽しませてもらう。コイツのことは心配しなくていい。無理やりにでも連れて行くから」
オイ!勝手に決めるんじゃねぇ!
だがその時、漂泊者が苓を呼んだ。
「おーい 苓!獅子舞のお兄さんとご飯にするぞ」
「うん!わかった」
あぁ……苓が嬉しそうに返事しちまったら、もう俺に拒否権なんざねぇよな。
――――
食事が運ばれてきた。
「僕たちの『おもてなし』、目一杯楽しんでくれてからかな?」と凌陽は笑う。
……楽しめるかっての。俺は出された料理を片っ端から口に放り込み、早く終わらせようと必死だった。
すると苓が小声で言う。
「お兄ちゃん、私たち浮いてない?気のせいかな?」
「浮いてねぇ浮いてねぇ!つーか楽しんでもねぇ!これ食い終わったらすぐずらかるからな!」
漂泊者が呆れ顔で突っ込む。
「お前のせいで浮いてんだよ、というか1番食ってるし……」
チッ、余計なこと言いやがって。
俺は凌陽に視線をやった。こいつは料理に手を付ける様子がない。
「おい凌陽、お前は食べねぇのか?」
すると奴は少し困ったように微笑んだ。
「でも今はちょっとやる事があって……」
――やる事?
「獅子舞の依頼がいろんな人から殺到しちゃって、明日の儀式と一部被っちゃったんだ。」
「獅子舞は、今州の人にとって特別な意味のある儀式。後先考えずに断るだけじゃ、きっと誰かを傷付けてしまう。」
真面目な口調で語り出す凌陽に、俺は鼻を鳴らした。
「……だからどうした。」
だが奴は熱心に続ける。
「そこで僕は考えたんだ。もし注文の一部を何らかの形で明日の獅子舞で実現出来れば、一石二鳥なんじゃないかって!」
「だから、お客さんがどんな獅子舞を見たいのか調べたいんだ! 君たちさえよければ、一緒に来てくれないかな?」
漂泊者があっさり頷こうとする。
「ああ、俺は構わな――」
「はぁ!?誰がこんな奴のために行くかーーー!!」と俺は食い気味に叫んだ。
……だがその直後。苓が俺の袖をちょん、と引っ張る。
「お兄ちゃん……お願い。獅子舞のお兄さんのお助けしてくれない?」
ぐっ……。その目を向けられたらーー
「……行ってやらないこともないか。ご飯食べたしな。」
「やったー!」と凌陽が笑顔を見せる。
漂泊者は苦笑いしつつ心の中で何か思っているようだ。……いや、顔に出てる。
(苓、陰風の扱いを完全に分かってる)って顔だ。
うるせぇ。
紅黒の声が聞こえてきた。
(相変わらずチョロい奴だな)
「うるせぇぞ!俺はロリコンじゃねぇ!フェミニストだ!」
(誰も聞いちゃいねぇよ)と紅黒は冷たく笑った。
……チッ、ほんっとムカつく。
そうして俺たちは苓を熾霞に預けて、渋々ながら凌陽に引っ張られるようにして茶屋へ向かった。
茶屋に入った瞬間、視線が俺たちを迎える。そこにいたのは落ち着いた雰囲気をまとった女性。けど、その顔は明らかに「またか」という呆れを隠そうとしていなかった。
「またあなたですか……。何度も言いますが、わたしは獅子舞の依頼なんてしたことありません。人違いです。」
……ったく、また厄介ごとかよ。俺はため息をつきかけたが、漂泊者が先に口を開く。
「一体何があったんだ?」
凌陽が苦笑いを浮かべながら説明する。
「前にね、ちょっと変わった注文があったんだ。獅子舞の依頼なのに、要望がまったくなくて、依頼者の名前も『貝さん』だけでさ。」
なんだそりゃ。依頼になってねぇだろ。
俺は腕を組みながらぼそりと言う。
「ご両親が注文したって可能性はねぇのか?」
だが女性――貝詩(カイシ)はきっぱり否定する。
「……それこそありえませんわ。用がなければ、私はこれで。」
立ち去ろうとする彼女を凌陽が慌てて呼び止める。
「待って待って! 貝詩さん……あなたに、お兄さん……が、いませんか?」
その一言で、彼女の表情が一瞬にして硬直した。
「どうしてそれを……」
凌陽の目が細められる。真剣な口調で告げた。
「僕に注文した時の声が、成年男性の声だったから。『貝さん』という依頼人も合わせて考えると、結論はこれしかない。」
……なるほどな。こいつ、見た目より勘が鋭ぇじゃねぇか。
俺はふと気になって、貝詩の顔を覗き込む。
「おい、しけた面してんな。何かまずい事でもあんのか……?」
その時だった。漂泊者が慌てて俺の肩を叩き、低く言った。
「おい……」
視線を戻すと、貝詩はうつむき、口を開くのをためらっているようだった。
……やべぇ、余計なこと言ったか?
沈黙を破ったのは凌陽だ。
「僕は瑞御団の凌陽。そしてこちらが漂泊者さん。そして――」
「こっちの雰囲気もろくに読めず、ロリコンが陰楓だ。」
はああああ!?
俺は椅子から飛び上がりそうになった。
「おい!誰がロリコンだって!? 誤解を招く言い方すんじゃねぇぞ!」
ふざけやがって……よりによって初対面の女性にそんな紹介すんじゃねぇよ!
凌陽は苦笑を浮かべながらも真っ直ぐに貝詩に向き直る。
「僕たちを信じてください。」
……相変わらず、信じろだの頼れだの、簡単に言う奴だ。
貝詩は長い沈黙の後、ぽつりと呟いた。
「……私の兄さん、貝済は……一週間前から、家に戻ってなくて……」
凌陽の表情が引き締まる。
「一週間前……。ちょうど、この注文を受けたタイミングだね。」
漂泊者が真剣に耳を傾ける。俺も無意識に息を飲んでいた。
「最後に会った時に、何か変わったことはなかったかな?」
凌陽の問いに、貝詩は小さく首を振る。
「……私と兄さんは長い間喧嘩をしていて、家を出た時の事はよくわかりません……」
そう言いつつも、彼女は思い出すように続けた。
「でも兄さんは時々、郵便を送ってくれます。中身は変な物ばかりですけど……」
そこで俺は、つい口を滑らせた。
「変なものって……まさか! それって大人のおも――ぐあっ!」
漂泊者の拳が脇腹に突き刺さった。
「それ以上はやめろ……」
くっ……!言葉を遮られて悶絶する俺を尻目に、貝詩は真剣そのものの表情をしていた。
冗談で済む空気じゃなかったのは、頭じゃわかってたけど……体が勝手に動いたんだよ。
……クソッ、
凌陽が包みを開け、中身を一つずつ取り出すと、俺は鼻をひくつかせた。
「これは……清芬草だね。すっかり枯れてるけど。もう匂いすら残ってない」凌陽の声が静かに響く。次に差し出されたのは、ぎこちなく冷えた獣肉だった。隠しきれない腐敗の匂いが鼻腔を刺す。奴の観察は的確だ。
「これは獣肉か。入念に冷蔵はしてあるみたいだけど……この腐りかけた匂いは嘘をつかないね。他は?」凌陽が尋ねる。
貝詩は俯きながら、小さく震える声で説明を始めた。「前の手紙は、『野獣団』という人たちと絡んでいるといった話が書かれていて……」
俺は問い返す。思わず苛立ちが滲むのを押し殺して。
「なんで今まで巡尉に報告しなかった?」と。正直、状況が深刻なら、頼るべきところに頼るのが筋だ。巡尉には熾霞みたいに親切な奴もいる。相談すれば助けは来るはずだ。
貝詩の声はさらに小さくなった。「それは……兄さんがもし、本当に悪事に手を染めてたら……私の通報で、本当に逮捕されてしまったら……」
言葉の端に、家族を失う恐怖と、罪を暴くことへのためらいが滲んでいる。
俺は息を吐いた。怒鳴るほどではないが、放っておけない。
「だからってそのままにしていたら本末転倒だろ……」と、言葉を切り出すと、凌陽が間髪入れずに続きをつなげた。
「この『野獣団』、確かに変だね。『ちりんたらん獣』の噂も奴らと関係ありそうだし」
漂泊者が首をかしげる。
「ちりんたらん獣?それは一体――」
俺は思わず噴き出した。状況の深刻さに反して、名前の滑稽さが勝ったのだ。
「俺ギャハハハハ!!ちりんたらん獣ってなんだそいつ!!」
紅黒も大げさに笑い声をあげる。そいつの反応はいつも通りで、場が少し和む。
「紅黒 ガハハハハめちゃくちゃに弱そうじゃねぇか!!どんな腰抜けエピソードがありゃあそんな名前がつくってんだ?」
笑いが収まると、漂泊者が冷ややかに俺を見て言う。
「漂泊者 少し眠っとけ……」
そこへ凌陽が落ち着いて続けた。
「アハハ……君たちは知らないかもね。最近、外で「ちりんたらん獣」ってやつが暴れてて……
獲物を狩る時に「ちりんたらん」って音がするからこんな名前が付けられたって話さ。牙が人の腕ほど長くて、どんな獲物も千切る鉤爪もあってーーー」
聞きながら俺は眉間にしわを寄せた。冗談めいた名前でも、実際に被害が出ているなら笑って済ませられない。
凌陽が顔を上げて、ため息交じりに現状を俯瞰する。
「しっかし、どれも発送先が違うから、全部調べるのは大変だな……」
漂泊者がぱっと顔を上げた。頭の回転が速い。
「だが配達を引き受けるセンターは同じのはず、そこを調べればいいんじゃないか?」と。
凌陽が目を輝かせて褒める。
「たしかに……漂泊者!頭いいね君!」
俺は舌打ちした。だが内心、悪くないアイデアだと思っている。物事は筋道を立てて解くに限る。
凌陽は貝詩に向き直り、真剣な顔で言った。
「貝詩さん。お兄さんの件は、僕たちに任せてください!」
貝詩の目が潤み、声が震える。「あの……私も一緒にいいですか?」
彼女の決意が伝わってくる。家族を失う恐怖と、それでも動こうとする意志。
凌陽は優しくたしなめるように言う。
「貝詩さん。お兄さんを見つけたい気持ちはわかる。でも野外には危険がたくさんあるんだ。それに最近、残像が大量に発生したから、いざという時に、君を守れない可能性が……」
彼女は言葉を飲み込むように小さく震えている。先駆条約の名を出しても、顔色は変わらない。結局、貝詩は弱さと責任の間で揺れているだけだった。
俺は黙って見ていたが、心の中で何かが折れた。家族が行方不明だというのに、安全の名目で待たせるのは虫が良すぎる。だから俺は口を開いた。自然と言葉が出た。
「連れて行ってやろうや。」
貝詩の顔がぱっと輝いた。「え?」
凌陽が驚き、眉を上げる。「陰楓!君それは冗談だろ?」
俺は冗談なんかじゃない。本気だ。
「いいや、俺はマジで言ってる。自分の大切な家族がいなくなって、いち早く安全を確認したい――理由なんざそれだけで十分だろ。」
貝詩は震える声で、「陰楓さん……」と礼を言った。俺は面倒臭そうに目を細めたが、胸の奥が何となく暖かくなるのを感じた。漂泊者は冷静に頷き、凌陽は少しうつむいて何かを噛みしめている。
凌陽が小さく溜息をつく。
「……」
漂泊者が俺を見て、さりげなく言う。
「驚くのも無理はない。だが、いざという時に真剣になるのがあいつなんだ。」
俺は肩をすくめて応えた。言葉には出さないけど、そういうところが俺の嫌いなところでもあり、放っておけないところでもある。頭の中で次の段取りを組み始める――配達センター、偵察ルート、護衛の手配。行動は思考より早く動くだけだ。