ニワトリの魔術師、タマゴの墓守 作:どういうこったあ!
「人が多いと疲れちゃって」
そうボヤきながらヨナギは私の隣に腰掛けた。
人混みの熱気に当てられたのか、赤みがかった黒髪は後ろでひとつ結びにまとめられ、両手で顔をパタパタと仰いでいた。古書館は外に比べてマシらしく、気持ち良さそうな顔をしていた。
「謝肉祭はまだまだ続きますし、体調には気を付けてくださいね」
そう言って私がアイスアメリカーノを差し出すと、ヨナギは喉を鳴らして一息に飲み干した。右手首に嵌められた銀色のブレスレットがカチャリと音を立てた。
八日間にわたって開催されるトリニティの謝肉祭、今日はその二日目だった。学園内はトリニティの生徒に限らず、様々な学園の生徒で溢れかえっていた。普段は来客のないここ古書館にもチラホラと外の方が見えたくらいだ、他の場所での混雑は容易に想像できた。
元もと謝肉祭は春先に行われていたはずだけれど、進路などの問題があってか今では毎年初秋に行われていた。
「こっちには人来た?」
「今日は……」私は訪れた外の方を思い出しながら、指折り数えていく。「六人ほど来られたはずです」
「多いね?」
「私もここまで来るとは思いませんでした……。普段では考えられないくらいです。不躾な方もいらっしゃいましたし……」
「不躾な方?」ヨナギは首を傾げた。
「古書館の地下に積まれている禁書を出せと叫ぶ方がいたんです。すぐに追い出しましたけれど」思い出すだけで気が滅入りそうだった。「そんなものがあるなら私が見てみたいです……」
「ウイちゃんも大変だね」
心配するような口ぶりだったが、ヨナギはどこか楽しげな表情を浮かべていた。
「出店で何か買ってこようか? 疲れたときには甘いものってよく言うし」
「お腹も空いてませんし、甘いものはそれほど得意でないので……。それと疲れたときの甘いものは逆効果らしいですよ。もちろん精神的な回復はありますけれど」
「ウイちゃん、体に悪いものはおいしいんだよ」
「おいしくて体にいいものもありますよ」したり顔のヨナギに私は言った。
「ウイちゃんのコーヒーとかね。私も甘いものはあんまり得意じゃないけど、ミラクル5000は一回食べてみたいなあ」
「コーヒーであっても飲みすぎは毒ですよ。まあ、私も人のことを言える立場ではありませんけれど……」
「耳が痛いね」
「まったくです」
私たちは顔を見合わせて笑った。
「アメリカーノ、新しいのを淹れますよ」
ちょうど私もアメリカーノを飲みきったところだった。
「淹れてもらってばかりじゃ申し訳ないし、私が淹れるよ」
「いいんですか?」
「たまにはね」
「ヨナギは優しいですね」私は気恥ずかしさを隠しながら言った。いつもの意趣返しだった。
「ウイちゃんは優しいね」少しの間のあとでヨナギは言った。
至って平静という風を装っていたけれど、彼女の耳は赤く染まっていて、私は意趣返しが成功したことに心の内でガッツポーズをする。
アメリカーノを待つ間、私は何の気無しに彼女の鞄を眺めていた。そこには友人たちとお揃いのキーホルダーが垂れていた。それはヨナギと出会ったばかりの頃にはなかったものだった。
私と彼女――小椎葉ヨナギの出会いはありふれている。
高校入学初日。これからの生活を決めると言っても過言ではないイベントに対して、クラスメイトたちは真摯に向き合っていた。彼らは前後や左右で互いの距離感を探るように語らっていたが、私は辺りを見回したのちに周囲に話かける勇気など自分にはないと気付き、話しかけることを諦めて読書に耽った。特に隣の席だった桐藤さんなんて怖くて仕方がなかった。そのとき読んでいた子に興味を持って話しかけてきたのがヨナギだった。
「ねえ。名前、なんて言うの?」
鞄を机の横に置き、粗方の準備をし終えたヨナギは、後ろを振り返って私に声をかけた。
「えあっ!? わ、私……ですか?」
「うん、貴方。私は小椎葉ヨナギ。よろしくね。その本って――」なんて具合に。
私が現実から逃避――あるいは拒絶するために読んでいた子が契機になったのだから、どこか皮肉めいている。もっとも、話しかけられた直後の私にシニカルに笑う余裕なんてものはなかったけれど。
私とヨナギの出会いは砂を噛むようなものでもあったし、同時に運命的でもあった。
『けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。』
あの子を象徴するような一節。
ヨナギが私の横を打ちすぎたとき、私が読んでいたのがあの子でなかったのなら、彼女が私に興味を示すことはなかったのだろう。ヨナギは古語に多少の理解があるけれど、それはあくまで考古学に必要だからであって、私のように古書を専門としているわけではない。実際、彼女が古書館で借りていく子のほとんどが専門的な子や学術書な子で、物語を記した子であっても、時代背景などを知るためのものだった。時折、私が勧めた子を読んでくれることはあったけれど。
積極的に文学書を読まないヨナギにとって、あの子は数少ない知っている子だったのだ。キヴォトスにおいて、古書に理解がある人は少ない。マンモス校のトリニティといえども、積極的に読んでいるようなもの好きは片手に収まるほどだろう。だからあの子を知っている人がいるということは、私にとってとても嬉しいことだったし、それがまさかこんなにも身近にいるとは思ってもみなかった。
畢竟、私は決壊したダムのような早口で捲し立ててしまったわけだ。やってしまったと思った頃にはもう遅く、完全に引かれたと思ったのだけれど、あの子に限って言えば、ヨナギも私と同じような熱量を持っていたらしかった。
互いに騒々しいのは苦手であったし、それなりに趣味や価値観も合ったこともあって、入学から半年ほど経ったころには私とヨナギの関係性は友人と呼べるものになっていた。半年も経てばクラスでの立ち位置というものは決定的なものになる。教室で笑いながら愚痴を吐き合ったり、今日はどこへ行こうかと楽しげに話す彼らと違い、私にとって昼休みや放課後というのは古書館に籠もる時間だった。
当然のようにヨナギ以外の友人はできなかった(言い訳がましくなってしまうのだが、作らなかったというのが一番の理由だろう)し、そのヨナギも昼休みは彼女の友人と食事をとっていたのだから必然と言えた。聖園さんとも少しの交流ができたのはさすがに青天の霹靂だったけれど。
よって、私とヨナギの交流の多くは古書館で行われた。交流とは言ったものの、お互いに作業をすることがほとんどで、交流と言えるほどのものではなかったのかもしれない。彼女は放課後に友人たちとどこかへ出かけることがほとんどであったし、中央図書館の方に入り浸っていることも珍しいことではなかった。
先輩に指摘されるまで、ヨナギとの時間に心地よさを感じている自分に気付かなかったのだから笑い草だ。彼女が古書感に訪れるのかも定かではない中、毎日二人分のアメリカーノを用意して待っていたというのに自覚がなかったのだからほんとうに笑うしかない。それがなんだか気恥ずかしくて、そっけない態度をとってしまったこともあったけれど、彼女に心配をかけてしまうばかりでひどく申し訳ない気持ちになった。
うだるような夏の日だった。その生を謳歌し、生い茂っているはずの草木も立ち枯れてしまうほどの暑さだった。その日は古書館の扉の前に瀕死のセミがいたせいで、なかなか古書館に入れなかったのを覚えている。
私が依頼された解読作業をしていると、額に汗を滲ませたヨナギが開口一番、遺跡調査に行かないかと言ってきた。確か「自分以外の視点が欲しいから」だとか、そんな理由だったように思う。元もと遺跡調査に興味がなかったわけではなかったし、この頃はヨナギが借りていく子をなぞっていたこともあって、私はその誘いを受け入れた。内心では誘ってくれないだろうかと薄い期待を抱いていたというのに、表面上は渋々といった様を装っていた。
最初に遺跡調査を予定していた日は、生憎の雨模様だった。ならば延期しようということで、その日は一日中古書館で時間を潰すことになった。雨粒が屋根に打ち付けられる音がバックミュージックとして心地よいリズムを奏で、アメリカーノの香りが鼻腔をくすぐった。
私はヨナギが勧めてくれた子を読み、ヨナギは私が勧めた子を読んだ。ヨナギが勧めてくれた子はトリニティのカタコンベについての子で、私が勧めたのはとうもろこし畑をカエルの視点で見た子だった。ヨナギと私が友人となるきっかけになったあの子と同じ親かつ短編で読みやすいと思っての選出だった。
ヨナギがほんとうに抱いていた想いを解していたのならまた違った選びようもあったのだろうけれど、私たちの関係性は心置きなく胸の内を明かせるものではなかったし、それを築こうとする勇気を持ち合わせているわけでもなかった。
ヨナギのページをめくる手は最初こそ遅かったが、やがて慣れてきたのかその速度は上がっていった。しばらくして読み終えると、私たちは互いに感想を言い合った。
「世界はきっと私が思うよりずっと綺麗なんだろうね」ヨナギは言った。
「そうかもしれませんが……私たちのような人間が色眼鏡をなしに世界を見れるようになるのは死んでからじゃないでしょうか」
「馬鹿は死ぬまで治らないってこと?」
「まあ」少しの逡巡の末に私は言った。
「悲観的だね? 劇的な何かがあるかもしれないよ?」
「人はグラデーションでしか変われませんし、第一、そんな劇的なものに私が巡り逢えるとも思えません」
「やっぱりウイちゃんって結構、年頃の乙女っぽいところあると思うよ。文学少女って言った方がいいのかもしれないけど」
「何の話ですか……?」
「劇的なものに巡り逢えないと思っているだけで、世界は綺麗で劇的なものはあるんだって信じるんだなって話」
「言葉の綾です」
私は誤魔化すように視線を手元の子に落とした。
『外の世界を嫌うのに、自分から変わろうとはせずに劇的な出会いを求めるばかりだね』言外にそう言われているような気がした。私の被害妄想を遮って咎めてくれるような人もいない以上、暗い妄想はとどまることを知らずに現実を侵していく。
「ウイちゃん」
私の沈みかけていた意識は、ヨナギの一言によって引き上げられた。
「えっ、あ。す、すみません……」
突然謝り出した私をヨナギは怪訝に見つめていた。
「本、逆さだよ」
「逆さじゃないです……」
今度は私が怪訝な顔をする番だった。
ヨナギはそんな私を見て満足気に微笑んだ。「言ってみたかっただけ」
疑心暗鬼になっている私を止めようとしてくれたのか、ほんとうに言ってみたかっただけなのか。はたまた、その二つを同時に満たそうとしたのか。小時間、私はヨナギの真意を勘案したが、そのうち彼女は次の子を読み始めたので、私も諦めて次の子を読むことにした。
ヨナギが勧めてくれたのはとある女生徒の日常を切り取った子で、私が勧めたのは古代語ついての子だった。読み終わってから、ヨナギが勧めてくれた子はとある日記が元になっているのだと彼女が教えてくれた。その子の描写には関心しきりだったので、種明かしをされたマジックのようなを淋しさ覚えつつもどこか得心している自分がいた。
日記の話の流れで何故か交換ノートをすることになった。ヨナギは最初からそのつもりだったのか、その場の思いつきだったのかは定かではないけれど、とにかく交換ノートをすることになった。彼女のアプローチと私の押しの弱さが合わさった結果だった。
雨は日が傾いて空が橙に染まり始めたころになってようやく降り止んだ。ちょうど区切りも良かったのでその日はそれでお開きとなった。ヨナギが去り際に吐いていった「また明日」をやけに鮮明に覚えている。その日の交換ノートで彼女は虹を見れなかったことを悔やんでいたけれど、私はとても満ち足りていて長雨に感謝していたくらいだった。
延期して行われた遺跡調査は、前回が嘘だったかのように雲一つ無い晴天だった。
トリニティ郊外にある洞窟。その洞窟内では気温が氷点下以下に保たれていて、一年中つららができる環境下にあるらしい。洞窟の奥はサトウカエデの群生地になっていて、メープルシロップがつららになっているそうだ。とは言え、煮詰めているわけではないので見た目で判断はつかないらしいけれど。
ヨナギからこの話を聞かされたときは荒唐無稽でたちの悪い作り話(この話に釣られた子供が洞窟に入ってしまえば、無傷で帰ってくるのは難しいはずだ)だと思ったものだけれど、実際にメープルシロップのつららが垂れ下がっている様を目にしてしまえば信じざるを得なかった。透き通ったつららに懐中電灯の光が乱反射して光り輝く様子は、神秘的で美しいものだった。
「食べないほうがいいと思うよ?」
「さすがに食べませんよ……」
試しに垂れ下がっていたメープルシロップのつららを一本手に取って香りを確かめたりしていたのだが、ヨナギは私がつららを口にすると思ったらしい。心外だった。更に洞窟の奥へと進んで行くとサトウカエデ以外の木(おそらくレッドシダーなどの建築材となる木だろう)も現れ、やがて盆地になっている開けた場所に出た。洞窟の奥に築かれた小さな集落。それが彼女の言う遺跡だった。
「うーん、前に来たときよりも腐敗が進んでるなあ……。折角だし家の中にも入ってもらおうと思ったんだけど、止めておいた方がいいかもしれないね」ヨナギは口元に手を当て、考え込むようにして唸った。
「わ、私は大丈夫です。それに今回の目的は壁画ですし……」
「それはそうなんだけどねえ」
ヨナギは少し迷ったのちに、気にしないことにしたらしかった。私としてもその方が気が楽だった。
夏にも関わらず霜が降りた草の上を進んでいくと、のっぺりとした白がかった岩壁にいくつか壁画が描かれていた。全体的にくすんでおり、中には風化で欠けてしまっているものもあった。ヨナギから聞いていた通りだった。彼女の持っていたカバンから道具一式を取り出し、レジャーシートの上に広げる。
「簡単な汚れ落としと写真保存でいいんですよね……?」
「うん。大丈夫だよ」
風化で薄れてしまった箇所は残念ながらどうにもならないけれど、砂埃で汚れてしまった箇所を綺麗にすることくらいはできる。綿棒にあらかじめ用意していた液体を付けてそっと壁を撫でると、くすんでいた壁画が本来の鮮やかな色を取り戻す。
「さすがに慣れてるね」
「古書館の子たちでこういった作業は慣れているので……」
「この調子でパパッと終わらせて、日が暮れる前には洞窟を出よっか」
「わ、分かりました」
第一回公会議以前のテンプル派の隠れ家の一つ。それがヨナギと私が出した結論だった。テンプル派というのは、虚偽の疑いをかけられ、悲運の解体を迫られた派閥だ。第一回公会議でその主張の正当性が認められ正式な派閥に復帰しているけれど、それ以前は厳しい逃走生活を余儀なくされていた。その逃亡先の一つがこの洞窟だったのだろう。家具や装飾品がほとんど見受けられなかったことから、恐らく第一回公会議後ここを去ったのではないだろうか。
「いやー、食糧難で死にましたとかじゃなくて良かった良かった。ウイちゃんの初めての遺跡調査が後味悪かったら嫌だからね」遺跡調査から数日後、レポートを書き上げたヨナギは言った。目の下には薄い隈ができていた。
「い、いえ。そういったものに耐性はあるので大丈夫なのですが……」
今でも数は少ないながらもテンプル派の信者はいる。洞窟の壁に描かれていた彼らの教義。現在のテンプル派の教義でも一言一句、同じ言葉で綴られている。私は派閥争いになんて興味はないけれど、あの子の伝えたかったことがちゃんと今でも伝わっているという事実に頬が緩んだ。
「今回の遺跡調査、ウイちゃん的にはどうだった?」
振り返ってみれば、自分の体力のなさ(古書館に帰ってきたときには這々の体だったが、ヨナギは重そうなカバンを背負っていたのにも関わらず私の何倍も元気そうだった)に驚かされたり、遺跡に想像よりも心地よさを感じている自分がいたりと新しい発見ばかりだった。けれど、やはり一番はヨナギだろう。
ヨナギは放課後、友人たちとどこかへ出かけることが多かった。彼女にとってそれは特段、苦ではなかったのだと思う。けれど、苦じゃないのだろうかと差し出がましい思い巡りをしてしまうくらい、ヨナギが遺跡調査にのめり込んでいる姿は他のどんな彼女よりも輝いて見えた。ヨナギが私を遺跡調査に誘った理由はただの布教だったのかもしれないし、彼女が言っていたように別の視点が欲しかっただけなのかは分からない。
「楽しかったですよ。とても」
「ふふっ。それは良かった」
ただどちらにせよ彼女の目論見は成功していて、私はこれ以降も度々彼女の遺跡調査に同行することになるのだった。
*
「思ったよりも時間かかちゃった」
うつらうつらとしていた意識が、ヨナギの声によって引き戻される。思っていたよりも疲れが溜まっていたらしかった。彼女の手には二人分のアイスアメリカーノが握られていた。
「大丈夫?」ヨナギは私の顔を覗き込んで言った。
「少し眠たいだけなので、ご心配なさらず……」
「時間になったら起こすし、寝てもいいんだよ?」
「こんな時間に寝ても、夜に眠れなくなってしまうだけですから」
ヨナギからコーヒーを受け取り、一口啜る。いつもより少しだけ濃いアメリカーノの香りが口の中に広がった。
「ありがとうございます、ヨナギ。おいしいです」
「どういたしまして」ヨナギもコーヒーを口へと運んだ。「ちょっと濃くない?」
意図してのことではなかったらしい。てっきり、アイスは氷が溶けて薄まるから濃いめにドリップしたとばかり思っていた。
「氷が溶けて薄まるし、濃いくらいが丁度いいか」
ヨナギから私が思っていたことと同じ台詞が言われたことに、思わず笑みが溢れた。
「どうかした?」
「いえ、なんでも」
そう言う私の声は堪えきれなかった笑いで震えていたように思う。ただ同じことを考えていただけなのに、それが私には可笑しく思えて仕方がなかった。