ニワトリの魔術師、タマゴの墓守 作:どういうこったあ!
ことの発端は先ほどの委員会会議だった。
いつも通り、日常業務の振り返りと委員会便りの担当確認で終わるかと思われた委員会会議は、その二つを終えても続いていた。毎年この季節になると郊外の図書館での読み聞かせを行っており、そのメンバーを決めたいとのことだった。
「私、やりたいな」先輩が勢いよく手を上げた。二つ結びされた緑色の髪が鞭のようにしなった。
「そしたら次は補助を出そっか」会議を仕切っていた委員長が言った。
こちらも立候補制だったのなら問題はなかったのだけれど、そうは問屋が卸してくれず、まさかの朗読をする部員の指名制だった。
「じゃあ付き添いは……ウイにお願いしよっかな」
そしてあろうことか先輩は私を指名したのだった。
「えぁっ!? わ、私ですか……?」
「うん、ダメかな?」
私に断れるはずもなく。今日ほど先輩を恨んだことはなかった。あの人は人見知りにとっての一番の敵が子供だということを知らないのだろうか。
もっと仲のいいメンバーもいるだろうに、なぜ私なのか。古書館での業務の関係で多少の繋がりがあるだけで、それ以外にはほとんど話したこともないのだ。それとも仲のいい人だと迷惑になってしまうから、仲良くはないけれど見知らぬ関係でもない私に声をかけたのか。いずれにしてもいい迷惑だった。
「ヨナギ、代わりに行ってくれませんか……?」
「ほんとうを言うと吝かではないんだけどね。その先輩の意図が分からない以上は滅多なことはしたくないかな」
私はため息を吐いた。「憂鬱です」
いっそ飛んでしまいたかった。もっとも、そんなことができるのであれば最初から断っているのだけれど。押しに弱い自分が恨みがましかった。
「もっと気楽にいきなよ。別に私たちと同じように接する必要はないんだからさ」
「そういうものなのでしょうか」
「ま、行ってみたら分かると思うよ」
私は事前情報が欲しいのに。そんな私の声にならない声は喉の奥へと溶けて消えた。きっと言われたとしても疑ってしまうのだろうけれど。
「はいこれウイの名札ね」
そう言って先輩が手渡してきたのは名札と呼べるのか微妙な、マジックペンで『うい』と書かれた養生テープだった。申し訳程度に名前の周りには花がらが描かれていた。私は司書さんに渡されたエプロンの上から名札を貼り付けた。
「前にも言った通り、ウイは子どもたちが喧嘩したりしないように輪の中に座ってて」
「は、はい……」
いよいよ逃げられないところまで来てしまったおかげで覚悟が決まった。なんてことはなく、今すぐ逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
「ウイー、看板変えといてー」
「わ、分かりました」
緊張で何をしていいのか分からずに立ち往生していると、先輩から指示が飛ぶ。『いまは、はいらないでね』の看板を裏返し、『しずかにあそんでね』に変える。
「ウイ」
「は、はいっ!」 あまりの体たらくに怒られるのではないかと、半ば涙目になりながら返事をする。
「うりゃ」
ところが私を待っていたのはお説教などではなく、先輩からの抱きつきだった。反応する間もなく脇に手を回されてくすぐられる。先輩のウインドブレーカーがシャカシャカと音を立てた。
「うりゃうりゃー……ってあれ?」
いつまで経ってもくすぐりに反応せずに固まったままの私を不思議に思ったのか、くすぐりの手が止まる。互いにきょとんとした目で見つめ合うだけの時間が流れた。そうして、ようやく状況を飲み込んだ私は、ここが図書館ということも忘れて絶叫する。
「な、な、ななななんななななぁっ!?」
「くすぐりよりもそっちなんだ」先輩は快活に笑った。「そんなに気負いすぎなくて大丈夫。真面目なのはウイの良いところだけど、気負い過ぎは良くないよ」
「は、はあ……」
正論とはいえ、もっと別の方法があったのではないかと疑わずにはいられなかった。
「それにこーんな顔してたら、子どもたちが怖がっちゃうからね」先輩は口をいーっと広げて言った。
話が一段落すると、それを見計らったかのように子供たちが読み聞かせのスペースへと入ってくる。私たちの話が終わるまで、子どもたちを待たせてくれていたのだろう。子どもたちの後ろでサムズアップをする司書さんの姿が見えた。
「知らない人ー」「ういって言うのー?」子どもたちは挨拶もそこそこに、次々と言葉を投げかけた。
子どもたちとの会話は、すぐに止まった。次から次へと増える質問に、頭の中で一度言葉を整理してから話すくせのある私は思わず押し黙ってしまう。やっとのことで組み立てた言葉も口をつく前には新しい質問が飛び、霧散した。やがて、質問をしても黙ったままの私に興味をなくしたのか、子どもたちはスペースの角にあるクッションの方へと向かって歩き出してしまった。
そんな私を見かねた先輩が「それじゃあ、まずは自己紹介から!」と、助け舟を出してくれる。先輩が自己紹介をしている間に事前に考えた自己紹介を思い出そうとするが、軽い情報渋滞を起こしてしまった今の私では叶いそうになかった。なんとか思い出そうと悪戦苦闘していると、突然目の前が暗闇に覆われた。驚いて体をビクッと震わせると、それが不快だったらしく、首を捻るようにしてその子は私を見つめた。
「え、えっと……」
「じこしょーかい、しなくていーの?」その子はやや舌っ足らずに言った。
気が付けばいつの間にか先輩の自己紹介は終わり、私の番になっていた。子どもとは不思議なもので、先ほどまでは恐怖の対象ですらあったというのに、こうして少し高めの温もりを感じていると気持ちが落ち着いてくる。立ち上がろうとすると膝の上の子が嫌そうな顔を浮かべたので、私は座ったまま自己紹介をすることにした。
「お、同じくトリニティ総合学園から来ました……。図書委員会の古関ウイです。よ、よろしくお願いします……」
終わってしまえばなんてことはなくて、拍子抜けしてしまうくらいだった。
「へんなかお」
私の不器用な笑顔が可笑しかったのか、膝の上の子はそう言って笑った。
ソファに深くもたれ、カップの縁を親指でなぞりながら、ほぅっと息を吐く。アメリカーノの熱とともに今日の疲れが体から抜けていくようだった。先輩は向かいに座り、机に突っ伏しながら携帯をいじっていた。読み聞かせを終えた私たちは、図書館から出て数分のファミレスで軽い打ち上げのようなものをしていた。休日の昼下がりということもあって、周囲は家族連れで賑わっていた。
「なんだかどっと疲れました……」
数々の艱難辛苦を思い出し、遠い目で天井のシミを数えようとしたが天井にはシミ一つなかった。管理と掃除が行き届いていた。
「最初はちょっと心配だったけど、始まっちゃえば大丈夫だったね?」
「そんなことはないです……。もう呼ばないでください……」
「でも案外悪くなかったでしょ?」
「それは……」
思い浮かんだのは私の膝の上にふてぶてしく鎮座していたあの子だった。子どもは感情に敏感だというけれど、あの子も私の気持ちを慮ってくれたのだろうか。今でも少し、あの子の温もりが残っている気がした。
「来年はウイちゃんが読み聞かせ役かな」
「い、嫌ですよ。ですがまあ、付き添いくらいなら……」
「満更でもないんじゃーん」
「う、うるさいですね……!」
照れ隠しに口を尖らせる私と対照的に、先輩はクスクスと笑った。
「でも良かった。ちょっと心配だったんだよね。次期委員長候補として、嫌われちゃったら困るからさ」
私は盛大に咽た。あと少しタイミングが早ければ、アメリカーノを吹き出すところだった。そんな大事な話をサラッと言わないで欲しい。咳き込んでいる私に先輩は「そんなに驚かなくても」と言った。
「な、なんで私なんですか……」
「ウイちゃんが一番本に対して真摯だからかな。委員長って肩書があればウイちゃんも無理な勧誘にあわないだろうし、そんなに悪い話じゃ無いと思うんだけどね?」
「自衛くらいはできますよ……」
「今ココにいてそれ言うー?」
先輩の言い分は的を得ていた。見ず知らずの人なら兎も角、見知った仲の方に引き抜かれる……なんてことは可能性としてあり得る未来だろう。そもそも私の交友関係は限られているし、そのほとんどが委員会関係なので杞憂だろうけれど。それでも入学当初の無理な勧誘にどうしていいか分からず怯えていた私を見ていた先輩からすれば、やはり心配なのだろう。
「部長会議とか新入生への案内とかでキョドるウイが見える見える……」
先輩は手で作ったメガネで私を覗き込んだ。どうやら、子どもたちへの対応の仕方がまだ抜けきっていないらしかった。
「そういえば」別れ際、先輩が思い出したように呟いた。「推薦図書は順調?」
「なんとか紹介する子は決まったので、これから古書館に戻って少し書こうかと……」
私の答えに満足したのか「期待してるよ、次期委員長さん」と言い残し、先輩の小さな姿は夕焼けに消えて行った。
*
トリニティの市街地から少し離れた場所。最寄りのバス停でバスを降り、人通りの少なくなってきた路地を抜けると、スマホの地図アプリに表示された場所にたどり着く。こじんまりとした外観。艶のある黒で塗られた外壁。窓ガラスから覗く背の高い観葉植物。私はそれがヨナギから送られてきた写真と一致していることを確認すると、恐る恐る店内へ足を踏み入れた。香ばしいコーヒーの香りが鼻腔を蕩かした。
カウンターに立っていたマスターらしき年配の人物がそっと手を奥に向ける。指し示された方を見ると、そこには私を手招いていているヨナギがいた。黒のロングスカートと白いシャツ。その上には灰色のオーバーサイズニットベストを着ていた。制服や遺跡調査のときの服装ともまた違った、彼女の見慣れない装いに新鮮さを覚えながら私は席に着く。私の前に誰か座っていたのか、微かな温もりが残っている気がした。
ヨナギのカップには琥珀色の液体が薄っすらと残っていた。コーヒーの方が好きだと言っていたのにと、私は勝手に裏切られたような気分になった。
「紅茶、飲むんですね」
「うん、さっきまで友達と一緒だったから」
それは私とは友達じゃないということなのだろうか、なんて意地の悪いことを考えた。単純にヨナギがその友達の趣味に合わせているだけなのだろう。けれどそれは私に対しても当てはまることだった。彼女のほんとうはどちらなのか。私はそれを知らなかったし、聞く勇気もなかった。あるのは漠然とした恐れだけだった。
「ウイちゃんはアメリカーノで良かった?」
私がコクリと頷くと、程なくしてアメリカーノが二つ運ばれてきた。どうやら、もう少しで着くという連絡をしたときに頼んでいてくれていたらしかった。湯気を立てているそれを口に含むと、苦味のあとに芳醇な甘みが広がった。
「おいしい……」
「友達のお気に入りなんだ。その子は紅茶派なんだけどね」ヨナギはバツが悪そうに笑い、カップを傾けた。
「いい雰囲気のお店ですね」
「マスターさんが奥さんと一緒に始めたらしいよ? 今は一人で経営してるみたいだけど」
「それは……」
続きの言葉が浮かんでこなくて言い淀んでしまう。こういうとき、どんな言葉を返すのが正解なのか分からなかった。
「この味が失われてしまうのは惜しいですね」
「誰か受け継いでくれればいいんだけどね。なんて、ちょっと他力本願すぎるか」
「トリニティの掲示板にアルバイト募集の張り紙を貼ってみるのが精一杯と言ったところでしょうか……?」
「ああ。いいね、それ。ヒガサあたりが食いつきそう」
ヒガサさん。ヨナギと特に仲のいい友人の一人だった。先ほどまで一緒にいたという友人はヒガサさんなのだろうか。それともツヅカさんか、両方なのか、それ以外か。醜い嫉妬を沈めるようにコーヒーを飲み下した。
「話が逸れちゃったね。推薦図書の話だったよね」
「お気になさらないでください。推薦文が完成したのでチェックしていただこうと思いまして……」
私は鞄から一枚の紙を取り出してヨナギに差し出した。
『時、秋にして積雨齊れ。新涼郊墟に入る。灯火稍く親しむべく。簡編卷舒すべし』
「秋という季節が、読書の秋と言われる理由となった子の一節です。しゅ、秋霖も止み晴れ渡る季節、初秋の涼しさが郊外の丘にも広がり始める。秋の夜にはようやく灯りに親しむことができるので、書物を広げて読書を進めることができる、といった意味になります……」
「おお、ぴったりだ」
「ただ古書の紹介をしても読んではくれないでしょうし、季節に合っていて親しみやすいものをと思いまして……」
普段、古書館に籠もったままなこともあって、私は流行の子などには詳しくない。かといって古書館の子たちの紹介をしたとしても、誰も興味なんて持ってくれないだろう。そこで頭に浮かんだのが、今ヨナギに読んでみせた子だった。
「たぶん、文学少女が一人くらいは読みに来てくれると思う……よ?」
「元より期待していませんから」
読書の秋だからといって古書館の利用者が増えるなんてことは今のところ起きていないので、ヨナギの反応は妥当と言えた。そもそも図書便りを読んでくれている方がどの程度いるというのか。どんなに多く見積もったとしても、全生徒の半分がいいところだろう。そこからこの子たちに興味を持ってくれる方なんてほんの一握りだ。もしかするといないなんてこともあるかもしれない。土台無理な話とまでは言わないにしても、難しいことなのは確かだった。
「努力が報われるとも限らないし、期待しなければ絶望することもないっていうのはそうだけどさ。きっと読みに来てくれるよ」
「だといいのですけれど……」私は半ば諦め混じりに笑った。
それから数日後、古書館に聞き慣れないノックの音が響いた。委員会の仲間たちはノックをしないし、ヨナギのノックは決まって七回だった。解読作業を依頼されていた子を取りにきたのだろうか。たしか期限はまだだったはずだけれど。そう思い、古書館の扉を開けるとそこには見知らぬ一人の少女が立っていた。
不気味さを感じさせるほど白い肌、茨を模した赤いチョーカー。猫背も相まって地面に付くか付かないかの位置に垂れている黒髪に、不機嫌そうに向けられた視線。そして何より血(のようなもの)がついた正義実現委員会の黒色の制服。
「な、なにもやましいことはしていませんよっ!?」
「いや、ここへは古書を読みに……」
「い、一体何をしようと……ま、まさか――っ」
「落ち着け」猫背気味の少女は銃のストックで私の頭を軽く叩いた。
何事かと取り乱してしまったが、話を聞くとどうやら私的な用事らしかった。
「推薦図書で紹介されていた古書を読みたい」
嘘でしょう。と口に出してしまいそうだったけれど、目の前の少女がそう言ったは間違いなかった。人を見た目で判断してはいけないという先人の言葉が重く私にのしかかる。けれどせめて制服に付いている赤いシミをどうにかしてほしかった。怖い。
ヨナギが言っていたように読みに来るのなら、熱心な黒髪三つ編みの文学少女とばかり思っていた。合っていることといえば黒髪なことくらいで、目の前の少女は白いセーラー服など着ていないし、メガネもかけていなかった。恐る恐る推薦図書の子の元へ案内すると、少女は怪しげな動きをすることもなく、熱心に解読後の子と元の子とを見比べていた。
私はそれを一瞥するとほっと胸を撫で下ろし、依頼されていた解読作業に戻る。不思議とペンが軽かった。しばらくの間、古書館には「ききっ」という聞き慣れない音(それが笑い声だと気付いたのは、少女が古書館を去ったあとだった)が反響していた。
出典
韓愈『符読書城南詩』